第31話 失うものはない

 僕たちは慌ててテーブルの下へと身を隠した。

 こっそりと顔だけを覗かせて周囲の様子を伺う。

 お兄さんは辺りをキョロキョロと忙しなく見回していた。

 僕たちがここにいることには気づいていないようだ。

 強面のお兄さんが睥睨しながら歩いているものだから、お客さんたちは絡まれないようにと必死に目を逸らしている。

 母親の胸元で心地良さそうに眠っていた赤ん坊は危機を察知したのか、ぱちりと目を醒ますと大声で泣き叫び始めた。


「……どうしてお兄さんがここに? 見たところ一人みたいだし。友達と遊びに来たって感じじゃないよね」

「たぶん、私の様子を見に来たんだと思う」


 白石がぽつりと呟いた。


「私、女の子の友達と遊園地に行くって言ってたから。それが本当かどうか確かめるために来たんじゃないかな」


 お兄さんは妹のことを溺愛している。偏執的なまでに。

 だから、妹が女友達といっしょに遊園地に行くという話を聞き、その女友達が本当は男かどうかを確認しに来たのだ。


「……白石さんが家を出た時から付けられてたってことか?」

「ううん。それはないと思う。駅前に来るまでの間、尾行されてる可能性も考えて何度か振り返ったけどいなかったから。後から電車で追いかけてきたんだよ。もし最初から尾行してたらもっと早い段階で見つかってただろうし」

「それもそうか……」


 というか、サラッと流したけど、普段から尾行の可能性を疑ってるの? 


「今、僕たちがお兄さんに見つかったら絶対マズいよな……」


 白石は女友達といっしょに遊園地に行くと言い、蓋を開けてみたらクラスメイトの男子である僕と二人きりだった。

 状況的には完全にアウトだ。

 ボコボコにされるくらいで済めばラッキー、下手をすれば半殺し、最悪の場合はあの世行きも覚悟しなければならない。


「迂闊に動いたら、お兄ちゃんに見つかっちゃうかもしれないよね。守谷くん、他の乗り物のところに行こっか」

「あ、ああ……」


 僕の脳裏には先ほどのお化け屋敷のゾンビが浮かんでいた。

 脳髄がぶちまけ、片方の目玉が飛び出し、全身は血まみれ。

 もしお兄さんに見つかればああなるのは自分かもしれない。


 お兄さんが遠くに歩いて行ったのを確認してから、その場を後にする。

 反対側にしばらく歩いて行くと、コーヒーカップのアトラクションがあった。

 僕たちは取りあえずそれに乗ることに。


 おしゃれなデザインのカップの中に対面になった。

 アトラクションが始まり、カップがくるくると回り出す。中央にある銀色のハンドルを回すとカップがより激しく回転した。

今まで通りなら楽しく過ごせるはずだった時間。

 しかし――。


「…………」

「…………」


 お互いの頭には一抹の懸念が埋まったままだった。

 僕も白石も対面に座っているのに、その目はお互いをまっすぐに見ていない。近くにいるかもしれないお兄さんの姿を探してしまっていた。

 そのせいで心から楽しむことができない。

 気づいた時には、アトラクションは終わっていた。

 僕たちはカップを降りると、出口から外に出た。お兄さんの姿はない。楽しいよりも先に安堵の気持ちがこみ上げてきた。

 それは白石も全く同じのようだった。胸をなで下ろしている。


 ―と、その時だった。


「向こうからやってくるのは……お兄さん?」


 前方から人混みを描き分けて歩いてくる人影。海を割るモーゼのように周囲の人たちが捌けていくからすぐに分かった。


「守谷くん。隠れて――!」


 白石に引っ張られて、ゴミ箱の影へと隠れた。

 顔だけをこっそり覗かせ、様子を伺う。

 お兄さんは右側の通路の方へ向きを変えていた。

 よかった。どうやら見つかっていないようだ。

 僕も白石も同時にほっと胸をなで下ろした。

 取りあえずの安全を確保した後、僕は切り出した。


「……あのさ」

「どうしたの?」

「白石さんはいつもこうだったの?」

「……こうって?」

「お兄さんに横やりを入れられてきたのかってこと」


 僕がそう尋ねると、白石は小さく頷いた。


「……うん。前も話したと思うけど。中学の頃は、私のクラスメイトの人たちを一人ずつ呼び出して私にふさわしいかどうか確かめようとしてたし。男子には『真奈に手を出したらタダじゃおかない』って釘を刺してた。……さすがに高校になってからは、私がキツく言い聞かせたこともあって、それはなくなったけど」

「――だけど、白石さんと仲良くなった男子ができたとしたら、その男子を問い詰めようとする可能性は充分にあるよね?」

「お兄ちゃんなら、絶対にそうすると思う。私がどれだけ釘を刺しても」

「じゃあ、白石さんはお兄さんにその彼氏の存在は隠すつもりなのか?」

「……うん。だって、そうじゃないと面倒なことになるから。私の恋人になってくれた人にも悪いと思うし」

「でも、それだと白石さんが意中の相手と結ばれてデートをすることになっても、ずっとお兄さんのことを警戒し続けないといけない。せっかくの二人の時間をビクビクしながら過ごすことになる。心から楽しめないと思うんだ。それにもしバレてしまったら、二人の仲が引き裂かれる可能性だってある」

「それは……」と白石は言った。「……そうかもしれない」

「せっかく結ばれても、そうなったら意味がない。だから、堂々と意中の相手とデートに行けるようにするためにも、一度ちゃんと話し合う必要があるんじゃないかな」

「……でも、私が言ってもお兄ちゃんは聞かないと思う。これまで散々言ってきても結局は治らなかったし」


「……だったら、僕が言うよ」

「守谷くんが?」

「ああ」

「だけど、守谷くんがお兄ちゃんにボコボコにされちゃうかもしれない。私のせいで怪我するかもしれないんだよ?」

「それでも、これから先、白石さんの意中の人がボコボコにされて、白石さんとその人の仲が終わるよりはずっとマシだ」


 僕は言った。


「僕は白石さんの想いが成就して欲しいと思ってる。だから、そのために、相談役としてできることはしたい」


 今日一日、白石と遊園地で遊ぶのはとても楽しかった。

 彼女の笑顔を見ていると、自然と僕まで笑みを浮かべてしまう。 

 白石にはずっと笑顔でいて欲しいから。

 その笑顔の邪魔をするものは取り除きたい。

 例え、お兄さんと対峙することになっても。


「守谷くん……」


 お兄さんの後ろ姿が遠ざかろうとしていた。

 このまま何もしなければ、何事もなく終えることができる。


 だけど――。

 それはただ、問題を先延ばしにしているだけだ。

 白石に好きな人がいる限り、いつかはお兄さんが前に立ち塞がる。

 その時になって対処しようとしても遅いんだ。

 お兄さんに詰められたら、白石の意中の人は退いてしまうかもしれない。

 そうなれば白石は深く悲しみ、傷ついてしまうことだろう。お兄さんとの仲も修復不可能なくらいにこじれてしまう。

 なら、まだ傷が浅く済む内に対処しておかないと。

 その結果、僕がボコボコに殴られることになっても。

 元より失うものなんて何もないんだ。


 僕はすうっ、と息を吸い込むと、怯えを呑み込んでから叫んだ。


「白石さんのお兄さん!!」


 僕が大声を張って呼びかけると、お兄さんの足が止まった。

 ゆっくりと振り返る。

 刃物のような目がこちらを捉えた。


「お前……守谷か?」


 そう言った後、僕の隣にいた白石の姿に気づいた。


「真奈……? どうしてこいつとここに……」


 お兄さんの顔がみるみるうちに鬼のような険しさを帯びていった。


「――おい。どういうことか説明して貰おうか」


――――――――――――――――――――――――


※☆とか感想を貰えるとすっごく嬉しいです!

更新のモチベーション上がります!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る