4.ダリオ

 思ったとおり、風は冷たい。けれど雨が降る気配はない。飛ぶには良い条件かもしれない。

 ステファンは地面を蹴り、浮かび始めた箒に飛び乗った。


 こっちは杖と違い、勘は鈍っていなかった。自転車と同じで、一度身体が感覚を覚えてしまえば忘れないものらしい。いやステファンにとっては自転車よりこっちのほうがずっと楽だ。


 高く、高く、暖炉の煙突よりも高く、冬枯れた森よりも高く。

 かつて老魔法使いのソロフ師が使い、その弟子のオーリが使い、現在こうしてステファンに受け継がれた古い箒は、震えもせず冬の空を飛ぶ。

 凍りそうな一月の空を飛ぶなんてもの好きなと言われそうだが、この爽快感は何物にも代えがたい。地上の出来事などみみっちぃこと、顔や耳が痛いのさえどうでもいい。

 このまま村の道まで出てしまえと、ステファンは方向を変えた。

 

 

「ステーファノ!」

 馬車道と呼ばれる石畳の上にさしかかったところで、誰かに声をかけられた。ステファンに対してこんな呼び方をする人間は一人だけだ。観光馬車の御者台から帽子を振る少年の姿を見つけると、ステファンはその隣に降りた。


「久しぶり、ダリオ。今日も仕事?」

 ダリオと呼ばれた少年はくしゃくしゃの巻き毛頭に帽子を被りなおし、大きな茶色い目を細めた。

「うん、冬、寒い。親方、腰痛い。お客さん、送ってきた」

 外国語訛りのたどたどしいしゃべり方で、身振りたっぷりに答える。ステファンはうんうんとうなずいた。

「相変わらず働き者だね」

 

 ダリオは観光馬車の親方のところで働いている子だ。ステファンとあまり年齢は違わないだろうが、学校には行っていない。兄と一緒にこの国に出稼ぎに来ているとかいないとか、村の雑貨屋で聞いたことがある。

「ヘスティ、元気にしてた?」

 名を呼ばれても、目隠しされた馬車馬は振り向きもしない。白い鼻息を吐いただけだ。そうか仕事だもんね、とステファンは微笑み、ダリオと会った日を思い出した。



 昨年の秋、ステファンが箒に乗って初めて村へおつかいに来た頃は、村の子どもたちはこわごわと遠巻きに見ているだけだった。しかし乗っている魔法使いが自分たちと年の変わらない子どもと知ると、彼らは好奇心全開で寄ってきた!

 それ見せて、とか俺も飛びたい、とか言って箒に触ろうとする村の子らに囲まれてパニックになりかけた時、助けてくれたのがダリオだった。


「だめ。彼の箒、仕事道具! おもちゃ違う」

 短くも妙に説得力のある声で、彼はステファンと子どもらの間に割って入った。

「俺のスティも、仕事の馬。ペット違う。君ら触らない。な?」

 

 人なつこい笑顔と片言でしゃべる馬丁姿の少年に、村の子らは最初ぽかんとしていたが、意味は通じたようだ。一度納得すると素直なもので、箒には触れなくなった。

 

 あとでオーリから聞いた話では、ここリル・アレイ村の子は小さいうちから『仕事道具には精霊がついているのだから、粗末に扱うと酷い目にあうよ』と厳しく教えられているらしい。本当に精霊が憑くかどうかはともかく、小さな村で細々と助け合って生きるための知恵ではあるだろう。

 もっとも、箒に触らなくなったからといって彼らの好奇心まで消えたわけじゃない。遭うたびに囲まれたり質問攻めにあうのにはまいったが、少しずつ親しく話せる子が増えていくのは……悪い気はしない。



「ステーファノ、郵便局行ったか」

 ダリオがちょっと困ったような顔で問いかけた。

「ううんまだ。何かあったの?」

「トビー、辞めた。配達、ない。取りいく、自分で」

 ステファンはそばかす顔の若い郵便配達夫を思い出した。エレインの顔を見たがって、配達がない日でもオーリの家の近くまで来てはカラスにつつかれているようなやつだ。


「ええ、配達辞めちゃったの? 困るよ。なんで?」

「んー、もとしくれった、んー、〇△※◇……」

 ダリオがじれったそうに母国語でしゃべり始めたので、ステファンはそれ以上聞くのをあきらめ、箒にまたがった。

「ぼく、ちょっと郵便局へいってくる」

 

 見送るダリオが何か言っていたが、それは風に紛れてよく聞き取れなかった。

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