第14話 泣くなスカイライン 峠の華(後編)

 そのエンジンは、RB25DE。RB系は日産最後の直列6気筒DOHC発動機であり、自然吸気のこの2.5リッターにTOMEIパワード製28キット(87mm)を用いボアアップされたものでノーマルS20の倍近い馬力を得た。


 斯くしてベースとなる 辰耀紀たてののGT-Rはエンジン換装され、併せて各部補強・強化及びモダナイズ……但し提案されたパワステ化は拒んだ……が施され、劣化した箇所は交換された。オリジナルの貴重なS20エンジン、軽量化の為外されたエアコン始め各部品は全て大切に保管される事となり、 'より速く'を目指しつつも極力内外装の雰囲気が変わらぬ様…父親が遺した状態が保たれる事を希望した辰耀紀たてのの意向に沿う形で、その作業は調整も含め数ヶ月に及んだ。


 そして晴れて欠格期間が明けて免許取得したのとほぼ時を同じくして、まるで白日の下、一般道を走れる様になった主人あるじを祝福するかの如く戻ったGT-R。その運転席に収まった辰耀紀には随分長い間忘れていた笑顔の欠片が少しだけ口許に覗いた。



 ……


 篠塚はあのGT-Rが自らのRSと互角以上に渡り合える性能が与えられてれていた事、尚且つ悲劇のドライバーも少々奇特だが相応に鍛えられていて何より天賦の素養もあったのだと認め彼女と、そして中畑に敬意を顕した。


「若葉マークにゃ違ぇねぇがな」



 と、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの中畑が応えたその時 背後の襖が開いた。目線を上げ間口に立った人物、その姿を認めるとしゃくる様に掠れる変な声で怒鳴った。


「お、遅ぇぞ!辰っ!」


「遅れました。スミマセン……」


 無表情で抑揚のない受け応え、飾り気もなく色白で吹けば飛びそうな儚い感じのその人物がGT-Rのドライバー本人だと知るとすっく!と急に立ち上がった篠塚は、昼間、自らのカレラRSをあそこ迄追い詰めた間違いなく本日のヒロインを讃えようと意気揚々と紹介を買って出た。が、しかし'辰'の苗字を知らずその途中尋ねる羽目となる…


「原です……」


「皆さん 改めまして! 原 辰はら たつさんです!盛大な拍手を〜」


 おおおおお〜パチパチパチパチ!同時に才子をはじめ語り部・中畑の'噺'を聞いてたこの辺りの連中は一様に目を潤ませて熱い視線と一際大きな拍手を送った。唯一、その名前を聞いて居心地の悪い予感が現実となった菜々緒を除いて……


「辰じゃなくて……辰耀紀。社ちょ...いや会長、何故グダグダ? あ、また私の話したでしょ 辞めてよね?」


「煩るせぇ!早ぅビール持って皆さんとこ挨拶回ってきやがれ」


 照れ隠しの中畑に促され、落ち着く間も無く上座の方へ立つ辰耀紀。その節、不意にこちらを向いて顔があった瞬間、明らかに「あ」のカタチで口が動いたのを認めたがその侭何食わぬ感じで向こうの方へ行ってしまった。当然、自身は面識のない才子だったから


「なん? 菜々P 知り合い?」


「ん、中高あのコ辞める迄一緒だった。最後クラスも。……別に友達とかじゃなかったけど」


 中畑劇場も終え、場もばらけて彼方此方での談笑へと戻り、そんな辺りを窺ってから何か珍しく挙動キョドってる様子の菜々緒の耳元で才子は更にそっと問うた。


「もしかして、イジメってまさか?……あんたが?」


「……ん、ある意味もっとタチ悪いかも?」



 ……



 何処迄聞いていたか存ぜぬが、中畑の言った陰湿という表現は確かに当たっていた。馬鹿みたいに幼稚かつ非常識な幾人かの女供、精神年齢を疑う所業はだんだんエスカレートし、集団心理の暴力は其方側に居なければ容赦なく連鎖標的となる。


 そう言った意味では菜々緒は日頃から群れなさず、距離を置き……言葉変えれば孤立してはいたが、家・経済力・容姿・性格そして派手な校外交友の噂から陰口こそ叩かれど、誰も面と向かって難癖を付ける様な輩は居なかったからその毒牙に掛かる事もなかった。だから迎合し加担する事こそ無くも面倒はご免!的スタンスで敢えて手を差し伸べるでもない、そんな距離感。或る事件が起こる迄は……


 結果的に、今日初めて知る事になった当時、憶測だけの噂だった原 辰耀紀の退学の理由と原因。そう考えれば……中等部から高等部に上がった頃までは極だったと記憶してる彼女がああなってしまった事も、両親の急逝、捌け口の車維持の為という理由の善し悪しは別として、夜勤バイトでの消耗。イジメの一因ともなった授業料なんかの滞納、決して清潔とは言えなかった身なり、成績、覇気の無さ、居眠りと、仕掛けられた最初は些細な悪戯レベルだった揶揄からかいからやがて発展した嫌がらせにも何も反応せず無視・屈せずと受け取られ図らずもエスカレートさせてしまったのも、無視ではなく反応・反抗する気力も体力もなかったからなのだ。


 聖人君子ならずも取った衝動的行動、しかし結果結局只のでしかなかった事は少なからず無事遣り過ごした筈の高校時代の記憶に小骨の如く引っ掛かっていて、決して大きくはないが呵責に苛まれるかのそんな出来事。



 ……



「城之内さん」


「……ハラタツ」


 中畑の隣に戻って来た辰耀紀は菜々緒の正面に腰を下ろした。


「なんでぇ?顔見知りかい?」


「ハイ、中高同級生、でした」


「……ってぇ事ぁ、まさか?」


 不意に暫し気不味い沈黙が流れ、投げかけられる怪訝な視線は明らかに才子の問いかけと同じ類のもの。その鋭い刃の様な疑念に胸詰まされ耐えきれず思わず目を伏せてしまう菜々緒。周りの笑い声や喧騒と対照的な重い空気にもう押し潰されそうになったその時



「体操服、を、ありがとう……」


「!」



 予期せぬ辰耀紀のひとこと。しかしその'体操服'のキーワードにフラッシュバックする、それは菜々緒にとっては余り思い出したくはない不愉快な類の記憶だった。




体育授業前、


教室更衣のざわめき


カッターナイフでズタズタに切り裂かれた体操服


呆然とする辰耀紀


いつもにも増して無表情


そこには最早哀しみすら窺えない


クスクス嘲笑


調子に乗り過ぎた首謀者達、


見て見ぬ振りの大多数


しかし、やる事ほんっと幼稚


面倒臭っ


私は無関係


私は


そう、聖人君子じゃないし


けど、


不快


凄く不愉快。


孤立? 次の標的?


……別に?


もとから独りだし。


徐に一度 着替えた体操服を脱いだ!


そして上半身下着姿の侭


歩み寄って差し出した



「今日、アレ酷いから見学。はい、これ着て」



……


 いいよって言ったのに、洗って返すからと聞かず体操服を持ち帰った

辰耀紀。しかし翌日からもう彼女が登校する事はなかった。


翌々日。家の門の所にスーパーの袋が掛かってた。中には体操服と


"遅くなってごめんありがとう"


とだけ書かれた紙。



……



「ちゃんとお礼、言えてなかった、し」


 もう一歩、家探し出して迄どうこうなそんな間柄じゃなかった。でももし、少しタイミングが違ってたら?免許取ってボクスター転がし始めた頃だったら?或いは才子とそうであった様にもしかしたら?何か変わってた? そんなの判らない。しかし埋める事の出来ない時間・過去、そして後悔の類・自責の念の様なもの。今もしその機会が与えられるのなら?

 紆余曲折あっても尚、今を見出して生きる辰耀紀のその途切れ途切れのか細い一言二言に、そしてそれ以上に無表情でも此方をちゃんと見つめる瞳の奥の力強い言霊に、さぁぁぁぁ……と何かが、まるで心の中を砂が流れ落ちる様な心地良vibeさを感じた。そして ふ、と生気を取り戻し伏せた顔を上げいつもの不敵な笑みを浮かべると菜々緒は口を開いた!



「いつの話よ?忘れてたわ」


と、少し残念そうに俯いてしまう辰耀紀


「……でもあなた、速いわね?驚いたわ。今度教えなさいよね!」


「!」思いがけない菜々緒の一言に顔を上げ


「え?城之内さん……も、車?レースを?」


「菜々緒でいいよ。いいえ、目指すは'羊の皮を被った狼'よ!ハラタツ、今日あなたに教わったのよ!」



「やめとき、辰っちゃん。菜々Pの場合は不純な別の狼やから」


「な、なんの話よ!?」


「草食バンビ食いの肉食狼!」


 くすくすと悪戯に才子も参入してのそんな遣り取りに、辰耀紀の口角も少し上がり、彼女の後見人も安心した様子で一旦は抜いた刃を鞘に収め何事もなく「嬢ちゃんらとまだ飲めねぇのは残念だ!まぁ辰とも仲良ぅしたってくれや、よろしく頼むわ」と目を細め又コップを一気に傾けた。篠塚も会話に入ってきて辰耀紀を囲み場は最後まで和やかに盛り上がった……



 その日の最後、お開きの後、別れ際の中畑の何気無い言葉が菜々緒の脳裏に残った。


「城さんにヨロシクな!……あぁ、それと旧い車ん事ならあん人に訊きゃいいんだ、詳しかった筈だぜ?」



 




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