決別

 判断は一瞬だった。

 フィーリアは瞬時に、欠けたナイフを声が聞こえた方角に投擲、背後を見ずに走る。

 投擲の動作で、体勢が崩れたとまではいかないが、それでも若干は崩れている。それによる遅れを取り戻す為に、元強化兵の膂力で無理矢理な加速を行うが、それでも相手は現役の強化骨格兵。生体としての性能が違う。


「ひぃ……、あ」


 顔を隠していた両手を自由にしながら、頭は頸椎が折れた様に前に垂れ下がり、艶のある茶の髪が、悲嘆の嗚咽を漏らす表情を隠して見せない。

 そんな不安定極まりない姿勢で、敵はモルン達三人に追い付きつつあった。


「くっあ……!」


 体を独楽の様に回し、体ごと振るった無造作な、手刀ともビンタともつかない中途半端な一撃。しかしそれは、朽ちかけたコンクリートを抉りながら、フィーリアに迫った。

 フィーリアはそれを体を捻り避ける。無理矢理な体勢に捻った為、喉から苦悶の声が漏れるが、彼女は己の体の負担を無視して、回転により捩れた横腹に銃弾を叩き込む。


「フィーリア頭下げる!」


 モルンがフィーリアに指示を出すと、電の体がズレた。


「重い……!」


 ロディが体を限界まで捻って、振り抜いたハリガンツールによる打撃で、己で抉り脆くなった壁に埋もれ、一度動きを止めた。


「これはおまけよ!」

「今の内だ! 退くぞ!」


 奴を縫い付ける様に、モルンが力任せに投げた短槍を見送り、瓦礫が崩れる音を尻目に、三人は目的地の浄水施設へと駆けた。


「モルン、なんだあの重さは? ハリガンツールが曲がるかと思ったぞ」

「混ぜもんの影響でしょ」

「強化骨格兵は、筋繊維密度と骨格を弄ってるけど、あの体重は混ぜものしかないけど、まだ何かあるわよ」

「面倒な、話だな」


 ロディが僅かに乱れた息で返事を返す。

 年齢の割りには、頑強な肉体を誇る流石のロディでも、元強化兵二人の全力に着いていくのは辛いものがある。

 普段の旅路では、長年の経験から消耗の少ない歩き方や道の選び方に体の運び方、それらを駆使して今のこの歳まで現役のトレーダーを続けている。


「モルン、奴は追ってきてるか?」

「後ろに姿は無いわ」

「Mr.ロディ、浄水施設まであとどれくらい?」

「このペースで走ればすぐだ」


 ハリガンツールを肩に担い直し、背後に視線を送る。

 廃墟からは、かなりの距離を離している。だが、相手は強化骨格兵。人型の化け物、それも今回は混ぜものをした、化け物の中の化け物だ。

 だが、それだけではなさそうだ。ロディには覚えがある。あれはきっと、黒い雨に溺れた結果だ。


「見えた! 浄水施設だ!」

「急ぐわよ! 奴が来てる!」


 三人は背後から迫る気配に、走る脚を更に前へと出した。今追い付かれれば、ここで全滅してしまう。

 ウォルフが援軍を寄越す手筈になってはいるが、西のマーケットシェルターからここまでは少々距離がある。


「ロディ! 例の貯水池は?!」

「施設奥! 浄化槽の手前だ!」


 浄水施設の扉をモルンが蹴破り、ロディが現在位置を確認、フィーリアが後詰めで一路浄化槽手前を貯水池を目指す。


「こんな狭いところで、奴に出会したくないわね」

「まったくだ。と、マスク着けろ」


 三人は防毒マスクを着けながら警戒を続け、狭い通路を走る。二人並ぶのが精一杯の通路で、あの電と出会す事は避けたい。

 朽ちかけていたとはいえ、仮にもコンクリート製の壁を容易く抉る様な奴だ。狭い通路で鉢合わせすれば、モルン以外、否、黒い雨に溺れ、脳も何もかも変わり果てたアレに、最早正常な判断能力が残っているとは思えない。モルンを含めて全滅だ。


「幸い、ここを曲がれば目的地だ」

「あとは、ここに誘き出すだけね」


 三人が貯水池へと続く最後の曲がり角を曲がった時、先頭を行っていたロディが驚愕の声を出した。


「……嘘だろ」


 黒い、ひたすらに黒い池。まるで、底から何かが手招きをしていると錯覚してしまう程に黒い池があった。

 汚水を浄化する為の機械すらも、這い回り染み込み黒く染めた池。だが、ロディが驚愕したのはそれではない。


「……どうなってんのよ?」

「きぃひ、あひぁ……」


 最早、嗚咽なのかすらも判別出来なくなった声を、俯いた顔から漏らす。貯水池へ続く作業用のキャットウォーク、その中央に奴は立っていた。

 それだけなら、ただ立っているだけなら、誰も足を止めなかった。赤が消えた青黒い血を滝の如く、胸部左側から流していた。

 フィーリアが撃った銃弾ではない。それは、モルンが力任せに投げ込んだ短槍だった。

 モルンの短槍は偶然か、奴の心臓を貫いていた。元強化骨格兵全力の膂力で投げ込んだ短槍は、皮膚を破り、肉を穿ち骨を砕いて心臓を貫き、背から飛び出している。確実な致命傷。強化骨格兵でも、心臓や脳を破壊されれば死ぬ。その筈なのに、立っているだけでなく、三人を追って、三人よりも先にこの貯水池に到達している。


 異常。ロディがハリガンツールを握る手に力を籠める。

 サイコパスや、クスリのせいでネジの外れたバンディット、死ににくい奴らは嫌になる程見てきた。

 だが、ここまで成り果てたものは見たことがない。


 何を思ったのか、突き刺さった短槍の柄を掴み、抱き寄せる様に石突きを上へと押し上げる。肉が骨が柄の動きにひしゃげ抉れ、最早液体と呼べない、塊のような血を傷口から吹き出し、キャットウォークに広がり、眼下の黒い池に落ちていく。

 青黒く染まった短槍の穂先が、青黒い海に沈んだキャットウォークに当たり、金属音が聞こえ、全員が動きを止めた。


「あ、はぁあひ、……〝  〟ちゃん」

「ホント、おかしいのは頭だけにしなさいよ」

「  ちゃん。ねえ司れい官さン、もチャんなのでス」


 肺に傷が入ったのか、空気の漏れる音と共に、まるで己の右隣に、誰かが居る様な仕草を見せる。


「ほラ、チャんなス、令カンサん」

「……ロディ、予備あるでしょ?」

「ほらよ」


 ロディが何時だったか暇潰しに作った、壊れた警棒を再利用した仕込み槍を受け取ると、それを一振りし伸ばす。暇潰しの手慰みで作ったものとはいえ、ロディ手製の仕込み槍は手に馴染んだし、なんの問題も無い。


「フィーリア、撃って」

「随分優しいのね?」

「まさか、徹底的に潰しておきたいだけよ」

「来るぞ」


 己を貫く短槍に、身を添わせるように、電は短槍を軸として回り、瞬時にロディの懐に入る。

 だが、ロディは自分が狙われると分かっていた。

 奴はモルンを〝  〟として、自分達から取り戻そうとしていた。そして、〝  〟モルンに一番近かった異物はロディだ。


「きひぃ……!」

「悪いな」


 短槍を軸に、血を撒き散らす独楽の腕が飛んで、直下の黒い池に落ちた。


「面倒が掛かる弟子が居るんでな。まだ死ねん」


 動きを読んでいれば、ロディでも手負いの強化骨格兵の腕なら落とせる。

 だが奴は、斧刃に叩き割られる様にして、絶たれた右腕を見る事無く、穂先に火花を散らし回り、追撃を加えようとする。

 しかし、そこにロディは居ない。


「フィーリア!」

「オーライ、Mr.ロディ!」


 フィーリアに合図を送り、銃声が合図と同時に響く。

 着弾は金属音、フィーリアは電の右隣の空白を撃った。

 外す筈の無い距離で、フィーリアはわざと奴の右隣を撃った。

 誰も居ない右隣を。


「あぁああああレいンササさんん!」


 だが、狂った少女には、そこに誰かが居たようだ。肘から先が無い右腕を伸ばし、虚空を掻く。

 そして、


「シレいかS、A……!」

「しつこいのよ、あんた」


 上がった顔を、モルンが貫いた。

 斜めから顎を割り、頭蓋を砕いて脳の破片を撒き散らす。

 俯いたまま、髪の影に隠れていた顔に、以前の面影は無く、青白い肌に青黒い血が流れ、仕込み槍により貫かれ飛び出た眼球には、複眼の様に瞳が幾つもあり、それがそれぞれにモルンを見ていた。


「|ムあウオりゃん……」

「……もう二度と、現れるな」


 モルンは仕込み槍を捻り込み、穂先を割れた頭蓋に引っ掛け、そのまま嘗て人だった何かの首を折った。

 硬質な、繊維質の音が薄暗い貯水池に響いた。


「うあ、うお……」

「私は〝モルン〟よ。イカれ女」


 何が言いたかったのか、口から漏れた声は言葉にならず、ただ息と唇が動く音になるだけだった。

 そして、モルンは渾身の力を両足に籠め、力無く垂れ下がる肉塊を、キャットウォークから直下の黒い池に突き落とした。


 粘性の水音が届き、何かがもがく様な音もしたが、直ぐに治まり、黒い水面には波紋一つ無く、ただひたすらに黒い水面が静かにあった。


「……さよなら、意味は無いけど仇は取ったわよ」


 防毒マスクを外し、モルンはシガレットケースから、草臥れた煙草を取り出し、紫煙を虚空へと吐いた。


「苦い苦い。あんた、苦いの嫌いだったわね」


〝スニェーク〟。

 モルンの呟きは誰にも届かず、薄暗く空も見えない世界に、モルン以外誰も知らない名前と共に消えた。

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