第二話 魔の森
外は相も変わらず冷たい風と共に雪が舞い踊っている。
純白に染まった大地へ一歩一歩と足跡を付けていたレイニスは、不意に立ち止まるとおもむろに空を見上げた。
「随分と冷えるな……」
黒一色に染まった空へ青白い月を覆い隠すように浮かぶ灰色の雲。
そこからはとめどなく白く小さな結晶が大地へ落とされている。
「今回はさっさと終わらせるか」
流れに逆らうことなく降り注ぐ細雪を映す目を細め、そう小さく呟いたレイニスは留めていた足を再び前へ進めた。
目的の場所はもうすぐそこまで来ていた。
☆☆
そこは鬱蒼とした不気味な森だった。
奥は漆黒の闇に埋め尽くされ、天井は高く伸びた木々に覆い尽くされている。
時折吹き抜ける冷風に草や梢が騒ぐだけで他には何もない。
本当に自分が生きているのかすら疑いそうになるほどの無音。
だからか、人々はその森を『魔の森』と呼んでひどく恐れている。
そんな場所をレイニスは一人、小さなカンテラを片手に大きく茂った草を踏み分けながら歩いていた。
「相っ変わらず暗いなここは」
青白い月の光は屋根のように広がる葉に遮られていて、明かりとしての役割を果たすには少々心許ない。
ざわざわ、と騒ぎ立てる草木が妙に耳障りだった。
「……少し休むか」
ミルメレオを出立してからそれなりに時間は過ぎている。
ある程度開けた場所まで来たレイニスはそこで一旦足を止めると、腰につけていた袋から一枚の布を取り出した。
そして、それを雪と枯れ葉の積もった地面に敷き、その上にゆっくりと腰を下ろした。
「はぁ……」
被っていたフードを積もっていた雪ごと脱ぎ捨て、乱れた髪を頭を右に左に揺らして整える。
外に晒した頬や腕を鋭く冷たい風が駆け抜けるように撫でていく。
まるで家の煙突のように白い息を吐き出したレイニスは、ふとポケットの中に手を入れるとそこから一枚の紙を取り出した。
適当に折りたたまれた紙切れ。
それを慣れた手つきで広げると、そこに描かれた絵を照らし出すようにカンテラを掲げた。
「それにしてもよく書いたな、これ」
黒色の身体に紅色の瞳。
おとぎ話でも悪者扱いされる騒霊だが、紙には無駄に丁寧に描写されていた。
その絵の綺麗さに若干惹かれたのを自覚したレイニスは、思わず苦笑した。
いや、苦笑するしかなかった。
「上手いっちゃあ上手いんだがなぁ……」
不意に脳内で浮かんだのは知り合いの顔。
レイニスはそれを思考を切り替えることですぐに頭の中から追い出すと、人差し指を頬に当てながら困ったように呟いた。
絵に描かれた騒霊の姿は見事としか言えないほど的確に書かれている。
しかし、実際には肝心なはずの特徴がそこにはほとんど描かれていなかった。
黒い身体と紅色の瞳。
『騒霊』を見た時、基本的に強く印象に残るのはまずその二つだ。
だが、これらはほぼ全ての『騒霊』に存在する特徴であり、個々の特徴というには些か心許ない。
故に今回のモノに限って言えば有力な情報となるのは意識して書かれたであろう大きめな体格だけ、というのがレイニスの導き出した結論だった。
「まあ、気長に探せばいいか」
幸い、依頼主からは期日を言い渡されていない。
それはつまり『見つかるまでやれ』、ということなのだろう。
相変わらず言外に伝えるのが巧みな奴だ。
再び白い息を宙へ飛ばしたレイニスは自身の体を覆うコートを退け、腰に付けていたポーチから水筒を取り出そうと手を掛けた。
そして、水筒を掴もうと伸ばしーーその手を水筒に触れる直前でピタリと硬直させた。
「これは……」
レイニスの手を止めたのは、他でもない『違和感』だった。
風も吹いていないのに騒ぎ立てる草木。
身体に氷を当てられた、と錯覚してしまいそうな程に冷たい寒気。
突如として現れたその違和感を敏感に察知したレイニスはおもむろに立ち上がると、目を細めつつゆっくりと周囲を見回した。
それからしばらく経ったその時だった。
「っ! あっちか!」
弓を引き絞るかのように神経を張り詰めていたレイニスの耳に聞こえてきたのは何か太い物が折れるような重く鈍い音。
それを瞬時に感知したレイニスは音のした方角に身体を向けて体勢を低くするや否や、勢いよく飛び出すように駆け出した。
(まさか本当に『騒霊』が出るとは……)
狙ったように低い位置で伸びた木の枝や、仕掛けられた罠のように盛り上がった太い木の根。
それらを避けながら走るレイニスは突然舞い込んできた厄介事に内心で大きく舌打ちをしたくなった。
ーー『騒霊』は野放しにすると後に大きな被害をもたらす災厄となる。
そのことを知っているが故に『騒霊』を放置するという選択肢はレイニスにはない。
段々と濃くなる禍々しい空気。
やがて走り続けた先に現れたのは、大の大人でも屈めばすっぽりと隠れられる程に大きく伸びた茂みだった。
(見つけた)
刹那、茂みの奥で大きな何かの影が揺らいだ。
それを逃すことなく瞳の端で捉えたレイニスは強く手を握り締めた。
(速攻でケリをつける)
狙うはただ一つーー奇襲による一撃必殺。
(外しはしない)
獲物を追い詰めた狼のように目を鋭くし、素早く茂みから飛び出たレイニスは固い拳を引き絞ってーー
「えっ?」
茂みから躍り出たことで突如として開けた視界。
思わず立ち止まった、否、立ち止まってしまったことで、そこに広がっていた光景が鮮明にレイニスの瞳の中へと入ってきた。
いたのは、太い腕を振り上げつつ充血した目を突如現れた介入者へ向けた醜い怪物。
そして、
「っ!?」
--地面に座り込みながら怯えの表情を浮かべた一人の少女だった。
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