第27話 野次馬


 ユイは軽やかな足取りで往来を歩いていた。

 その理由は腕に抱えている袋の存在だ。麻袋特有の手触りと共に腕に伝わるのはずっしりとした重量感。中身はスライム狩りと地獄の無限ループのお陰で得た二千ベニーもの大金。上下すると中から小銭がかち合う音が聞こえ、ユイは無意識に頬を綻ばせた。


(銀行ってどこにあるのかなぁ)


 さすがにいい人ばかりの月涙亭でもこのまま部屋に置いておくのは不安なので帰宅してすぐメイアに銀行の場所を聞こう。なければ金庫を購入しないとな、と考えていると何やら月涙亭を囲むように野次馬ができていることに気付き、ユイは足を止めた。

 集まっているのはガルダの街の住民達だ。誰もが好奇に満ちた眼差しで月涙亭を眺めているがまだ開店時刻ではない。イベント事もないのに何に対して興味を持ち集まっているのだろう、とユイは首を傾げた。


(なにかあったのかな……?)


 人混みを割って正面玄関から入るのも難しそうなので裏口に回ることにした。

 食料を搬入するための入り口はこじんまりとしているが裏口とは思えないぐらい掃除が行き届いていて清潔感があった。


「ただいま戻りました」


 入って早々に感じた違和感に気圧され、ユイは小声で呟いた。耳を澄ませば奥——恐らくフロアの方から男の野太い怒声とユージンの困り果てた声が聞こえてきた。どちらも早口で会話の内容まで聞き取れないが深刻な雰囲気は伝わった。

 話の邪魔にならないように足音を極限にまで小さくしてフロアに向かっていると、


「あんた、帰って来たのかい?」


 煙草を咥えたサナに見つかってしまった。


「ついさっき帰りました。……なにかあったんですか?」

「あったもなにも大ありさ。もっと遅く帰ってこればいいものを、なんでこういう時は早く帰ってくるんだい」


 サナは眉間を抑え、小さく唸る。


「……いや、どうせ見つかるからここにいたほうがいいのかね」


 意味の分からない呟きにユイが困っていると背後から袖を引かれた。


「こっちに来て」


 袖を引っ張るのはルリアという群青色の髪と瞳を持つ娼婦だ。直接話たことはないがメイアから「歳が近くて優しい子」だと聞いている。

 ルリアは心配そうに眉をハの字にさせつつ、厨房の奥を指さした。


「理由は後で説明するから。早く来て」


 言われるままに連れてこられたのは野菜などを常温保存するための保管室。

 着くなり問答無用で中に押し込められ、ますます意味が分からなくなりユイは困り果てた。


「えっと、これはいったいどういうことでしょうか?」


 自分も保管室に入り、中から扉を施錠したルリアに問いかける。窓が閉ざされた薄暗い部屋のせいで表情は見えないがこちらにゆっくりと近付いてくるのは影の動きからわかった。


「こっちに来て」


 手を引かれもっと奥へと連れて行かれて、積まれた麻袋の山の裏に隠れるように命じられた。その言葉通りにユイが大金入りの袋を抱え込む体勢で座るとルリアも隣で腰を下ろす。


「ここから動かないでね。あなたが帰ってきたと知られると今以上に面倒くさいことになるから」


 ルリアは小声で話し始める。


「なぜですか?」

「領主の豚男が来館中なの」

「領主……?」


 というからにはこの街で一番偉い人物であることはわかった。ルリアの言葉から察するに豚と形容される体型の持ち主であることも。


「あなたを娼婦として買いたいって言い出して今、オーナーに直談判中」


 頭上に?マークが浮かぶ。ルリアの言っている事は分かるのだが脳が処理できない。

 ユイがぱくぱくと口を開いたり閉じたりして、なんとか言葉を紡ごうとしているとルリアが同情の眼差しを送ってきた。


「お偉いさんの中じゃ娼婦を愛人として囲う人も多いのよ。領主はあなたを息子の相手に迎えたいとか言っていたけど、本心では黒眼に超レアスキル持ちだから自分が味見したいのよ。珍しいもの好きで有名だし」

「娼婦……愛人、…………息子の相手ではなく、自分が……?」


 聞き取れた単語を繰り返し言葉にすることでやっと状況が把握できた。さっと顔を青くさせたユイを心配するようにルリアは肩に腕を回して優しく抱きしめる。


「あの子はまだ研修中であり、娼婦ではありませんってオーナーは断っているけど領主はこの街一番のお偉いさんだからね……。領主が諦めるまでユイさんはここに隠れていて」


 大丈夫だから、と柔らかい声で告げられた。


「……ごめんなさい」

「謝ることじゃないわ。だって、悪いのは——」


 何かが倒れた音が聞こえた。

 と同時に領主と思わしき男が大声で叫ぶ。興奮しているためか言葉は支離滅裂で要領を得ない。ユージンの宥める声も聞こえてくるが興奮した男には逆効果なようで喚き声と物が壊れる音はより一層と激しさを増す。


(これってヤバいんじゃ……)


 音からしか察することはできないが男は理性なく暴れまわっているようだ。このままではユージンが怪我をしてしまう。ユイが立ち上がりフロアに行こうとするとルリアが慌てて腕を掴んで食い止めた。


「座って。ここにいれば安全だから」


 ルリアはそういうが表から聞こえてくる物音は平穏とは程遠い。


「オーナーは大丈夫。ああ見えて強いから」

「でも……」


 ユイは言い淀む。自分を守るためだとしても優しいユージンが怪我をするなんて耐えられない。けれど、領主相手に自分のような小娘が出て行くよりもユージンが対応した方が丸く収まる気もする。


(行く? 行かない? どっちにしても後悔しそう……)


 ユイが気を揉んでいると急に音が消えた。

 不自然なぐらいの静寂に、ルリアとユイは顔を見合わせる。

 二人揃って最悪な結末を想像し、顔を青くさせていると廊下を歩く足音が聞こえた。ゆっくりと、それは確実にユイ達の元へ近づいてくる。

 扉が開かれ、誰かが入ってきた。


「ここにいることは分かっている。出てきなさい」


 初めて聞くくぐもった声にルリアが「領主」と小さく囁いた。

 物陰からちらりと盗み見る。逆光となって容姿までは分からないが「豚男」と形容される肥満体であることはシルエットで分かった。

 二人が息を殺して隠れていると領主は深く嘆息を漏らした。


「隠れても無駄だ。、『出てこい』」


 頭で領主の声が二重、三重となって木霊こだまする。何度も繰り返される言葉に、ユイは立ち上がった。その拍子に腕に抱えていた袋が落ちて派手な音を立てるが気にする余裕は一切なく、ぎこちない動作で足を動かし、領主の前に出ると石像のように立ち尽くす。

 至近距離で対面する領主は酷く肥えていた。脂肪で覆われた小さな目に分厚い唇、吹き出物だらけの汚肌——醜い容貌もさることながら理不尽すぎる要求をする性格にユイは嫌悪を抱く。

 こんなやつの言う事を聞きたくない、とどうにか抵抗を試みるが無理だった。正常な脳とは正反対に体は言う事を聞かない。


「待ってください!」


 背後でルリアが叫んだ。


「この子は——」

「『喋るな』」


 叫びは消える。視線を向けるとルリアが喉を押さえてぱくぱくと口を動かしていた。苦しそうな表情にユイが声をかけようとするが顎を掴まれて動きを止められる。


「お前がという娼婦か……」


 領主はじろじろとユイの体を見回すと満足したように鼻を鳴らした。


「貧相な体だが顔は悪くないな……。よし、儂がお前を買ってやる」


 失礼な物言いにユイは苛立ちを覚えた。自分の体が貧相なのではなく、この世界の女性が豊満すぎるのだ。元の世界では自分のような体つきの方が多い、と文句の一つや二つを言ってやりたいが我慢する。


「あの、言う事を聞くのでルリアあの子を自由にしてください」

「お前が着いてくるならな」

「……分かりました」

「おい、こいつを連れてこい」


 領主は側に控えていた老齢の執事に短く命じた。

 執事は申し訳なさそうに顔を歪ませているが主人の命令には逆らえないようで素早くユイの背後に回ると背中を押して付いてくるように進言した。

 領主の先導のもと厨房を抜けてフロアを進んでいるとサナとユージン、その他、月涙亭に従事する者達が辛そうな表情で立ち尽くしていたがユイの姿を捉えるとぐっと何かに耐えるように顔を歪めるのが見えた。


(怪我はしてないみたい)


 机や椅子は倒れているが誰も怪我をしていないことに安堵してユイは用意された馬車に乗り込んだ。

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