第36話 F'sのライヴまであと五日だと言うのに…

 〇早乙女千寿


 F'sのライヴまであと五日だと言うのに…


『ご飯食べに行きたい(おごりで)』


 という猫のスタンプが…神さんから来た。


「……」


 こ…これは…

 文字で返していいもんだろうか…


『お疲れ様です。神さん、もうすぐライヴですけど…大丈夫なんですか?』


 とりあえず無難に返すと…


『いいよー』


 って、これまた…笑顔の猫のスタンプ…

 …この猫、インパクトあるな…


『俺、今夜なら空いてますけど…』


『ではのちほど(スタンプ)』


「……」


 猫田風太郎…可愛いスタンプだけど、これを神さんが買ったんだと思うと笑えた。



 それにしても、文字打たないのかな。

 いつもこれで会話してるんだとしたら、すごいセンスだ。



「おう。」


 七時を過ぎて、ロビーで神さんと落ち合った。


「どこに行きますか?」


「おまえ、行き着けの店とかあんの。」


「んー…あまり外食しないんで…」


「そうか。じゃあ…バーだけど飯出してくれる所行こうか。」


「え?あ、はい…お願いします。」


「奢らせないから安心しろ。」


「じゃあ次回は俺が店を見付けて奢ります。」


「……」


 神さんは立ち止まるとスマホを手にして…


『まってるにゃ~(スタンプ)』


「……」


「さ、行くぞ。」


 …神さんて、こんな人だったけ…?



「へえ…オシャレなお店ですね。」


 そこは、ちょっと…一度じゃ覚えられないような場所にある『プラチナ』というバーだった。

 薄暗い通りの地下にあって、照明もオレンジ系というか…明るくはない。

 だけど、色んな種類のお酒が並んでて、カウンターとテーブル席が少しの、常連しか来ないような店。

 神さんは常連のようで、バーテンダーに『久しぶり』と声をかけて、奥のテーブル席に座った。


「悪いけど、何か飯も。」


「かしこまりました。」


 他に客はいないのに、奥のテーブル。

 神さん…俺に何か探りを入れるのかな。

 …知花の事か…

 華月ちゃんと詩生の事か…



「おまえ、曲作る時って何を一番気を付けてる?」


 おしぼりで手を拭きながら、神さんが言った。


「…え?」


 意外な事を聞かれて、少し間抜けな声を出してしまった。


「あ…えーと…そうですね…俺の場合は、曲を書く時にはだいたい全体の音も出来てて…」


「ふむ…そこは俺と同じだな。」


「書いてるうちに、知花の声が聞こえるような気がして。」


「…ほお。」


「そうすると、ギターのリフは自然と地味になるんですが、その分ソロは恐ろしく派手になります。」


「なるほど。おまえの作った曲は、ソロ以外のギターはおとなしめだな。」


「はい。陸は知花のボーカルに絡むようなバッキングを入れたり…そういうセンスがあるんですけど、俺には…」


「何枚目かのアルバムで少し冒険してたよな。」


「はっ…気付いたんですか?あんな細かいの…」



 それから俺は…

 神さんの楽曲作りの事も色々聞いたり、登場したトルコライス(めちゃくちゃ意外だけどすごく美味しかった)をいただき、カウンターに席を移して飲み始めて…


「早く…ライヴが見たくなりました。」


 ワクワクした。

 神さんの音楽に対する情熱…

 あー…陸も連れて来たかった!!




 〇神 千里


「こんばんは。」


 早乙女と飯を食って、カウンターに移動して二杯目を飲んでる所に、声をかけられた。

 二人して振り向くと…


「あ。環さん。」


 二階堂環…

 海の父親だ。

 …早乙女は、わだかまりはないのか?



「…どうも。」


 俺が会ったのは…麗と陸の結婚式以降、一度もなかった。

 …はず。



「このたびはちゃんとしたご挨拶にも伺わず、失礼致しました。」


 二階堂環は背筋を伸ばしてそう言うと、気持ちのいい角度で頭を下げた。

 …どういうのが気持ちがいい角度かと言うと…あれだ…

 嫌味でもなく、浅過ぎず、とにかくちょうどいいぐらいだ。


「…いや、うちの方こそ…息子が殴りつけて顔に傷をつけて申し訳なかった。」


 確か俺より年上だったよな…


「隣、いいですか?」


 俺の隣を指差して言われて。


「どうぞ。」


 頷いた。


 …左に早乙女。

 右に二階堂環。

 …二人とも、雰囲気のあるいい男だ。


 早乙女は茶道の家に生まれ育って、その品格はこの業界にいても損なわれないのか…

 ギターを弾いている時でさえ、品の良さを感じる。

 荒々しくソロを弾こうが、頭を振っていようが…だ。


 二階堂環は……隙が見えない。

 笑顔だが、何も読めない。

 だいたい、至近距離で声をかけられたが…店に入って来た気配すらしなかったぞ?

 それにしても、今も現場とやらに出ているのだろうか。

 いい身体をしているように…思える。



「海は、今まで羽目を外す事もなく…ずっと真面目にやって来たのですが…」


「それじゃ、酔っぱらって結婚なんてとんでもなかったな。」


「本当に…すみません。」


「どちらかだけが悪いわけじゃない。」


「咲華さんを紹介された時は、内心『おいっ!!』て叫びましたね。」


 その本心に、俺は小さく笑った。


「俺も、海がサクちゃんと手を繋いで桐生院の庭を歩いて来たのを見た時は、何の冗談かと思った…」


 早乙女が、あの日を思い出してクスクス笑う。


「いいなあ、早乙女君。一部始終見てたんだ?」


「見てましたよ。華音にガッツリ殴られた所も。向こうでは、さくらさんの作ったおはぎを口に押し込まれるぐらい仲良しだったのに。ビックリしました。」


「それとこれとは別でしょう。坊ちゃんだって、織の事になると誰彼構わず殴り倒してらっしゃいましたから。」


「…坊ちゃんって、陸の事か。」


 そこに反応してしまうと。


「あ……」


 二階堂環は目を細めて。


「いい加減やめてくれって言われてるのに、どうしてもクセというか…これは秘密で。」


 いい顔で唇の前に人差し指を立てた。



 海の実の父親である早乙女と、育ての父である二階堂環。

 二人は不思議と笑顔で、穏やかに…海の事を話した。

 それは少し違和感にも思えたが、ほんの最初の間だけだった。

 次第に心地良さに変わったし、海を羨ましくも思った。

 二人の父親から愛され、大事に思われている。



「…ところで、どうしてここに?」


 最初から気になっていたが、このタイミングを待っていた。

 少しだけ、隙が出来たように思えた、このタイミングを。

 俺の問いかけに、二階堂環は小さく首を傾げて。


「お二人こそ、どうしてここに?」


 不思議そうな顔で俺と早乙女に言った。


「俺は神さんに連れられて。」


 早乙女がそう言って、俺は…


「昔からここに来てる。」


 正直に答えた。

 すると…


「……」


 二階堂環が。

『え?』っていう顔をした。

 声には出さなかったが、そういう顔だ。


「……」


 俺がそんな二階堂環を見つめてると…


「あ…失礼しました。ちょっと意外だったので。」


 二階堂環は俺の後にバーテンダーを見た。


「オレンジジュースを。」


「かしこまりました。」


「オレンジジュース?嘘だろ。」


 二杯目の水割りが、まだ途中だぞ。


「最近年齢をヒシヒシと感じるように…」


「環さんが年齢を気にするようには思えませんけど。」


「同感だ。」


「とんでもない。もう現場の数も減らしてます。海がトップとして育ってくれたので、俺はいつでも隠居に向けてスタンバイしてますよ。」


 …それは…

 少し、突き刺さる気がした。

 高原さんを会長の立場から解放してあげたい俺と…まだ歌っていたい俺。


 育った海。

 変わらない俺。


 …ライヴまでに…答えを出すつもりではいるが。


 俺は、どう…動く?

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