第19話 今日は咲華が帰って来る日。

 〇桐生院知花


 今日は咲華が帰って来る日。


「♪~♪~」


 朝から鼻歌なんてしながら洗濯物を干して、掃除もした。


「…おう。ゴキゲンだな。」


「あ、おはよう。」


「…おはよ。」


 千里が後ろからあたしを抱きしめて…頭にキスをした。

 いつもの事だけど…くすぐったい。

 気持ちが。



 つい先日…華月と買い物に出かけるって言った千里が、あたしを連れて行ってくれなかった事に拗ねてしまうと。

 それに腹を立てた華月が千里にクレームをつけた。

 しかも…ちょっとキツ目に。

 それで落ち込んでた千里に…あたしは追い討ちをかけてしまった。


『もし…あたしが別れたいって言ったら…どうする?』


『おまえ…別れたいのか?』


『…もしって言ったじゃない。』


『もしなんかあるか。どうしてそんな事言う。』


『…何でもないの。聞いてみただけ。』


『それを聞きたくなった理由を言え。』



 理由…

 あたしは…理由を言わなかった。

 …言えなかった。

 分かんない…って、濁した。


 きっと、くだらない理由なんだ。

 だけど…あたしには大きい。

 本当に…



「体調はどうだ?」


「え?」


 あたしを後ろから抱きしめたまま、千里が言った。


「…悪くないけど…」


 ドキドキしながら…答えた。

 千里…どうして?そんな事…


「…今日、SHE'S-HE'Sはみんなオフか?」


「え?あ…えーと…センと陸ちゃんと瞳さんはオフかな…聖子はお昼まで、光史は二時ぐらいまで取材があって、まこちゃんは夕方までクリニック……どうして?」


 あたしが一応全員のスケジュールを言うと。


「みんな呼べ。」


「…え?」


 千里はそう言って、あたしから離れた。


 …どうして…?

 咲華が帰って来るのに…どうしてみんな呼ぶの?

 少しモヤモヤしてると、エプロンのポケットに入れてるスマホが鳴った。


 …華音だわ。

 今日帰国する沙都ちゃんと曽根君を迎えに行くって言ってたけど、夕べはどこに泊まったのかな。


「もしもし?」


『あー、俺。あのさ、今日紅美もうち泊まっていいかな。』


「あら。紅美と一緒なの?」


『…ああ。沙都を迎えに行くって言ったら、来たいって言うから合流した。』


「そう。いいわよ。」


『それと、麗姉と陸兄は飯だけでも食いに来るかも。ばーちゃんが帰るって言ったら、麗姉食いついてたから。』


「ふふっ。分かった。賑やかになるわね。」


『んじゃ、よろしくー。』


「はーい。気を付けてね。」



 電話を切って…少し考える。

 えーと…

 陸ちゃんは麗が誘うからいいか…。

 麗はきっと、瞳さんにも声をかけるから…じゃあ、センに連絡して回してもらおう…


 あたしはキッチンの小窓から裏庭を眺めながら、センに電話をする。


『おはよ。』


「おはよ。あの…セン、今日何か予定ある?」


『予定?特にないけど?』


「千里が、うちに来ないかって。」


『え?俺?』


「みんな…」


『…今日って、サクちゃんが帰って来る日じゃ?』


「うん…みんな呼べって。」


『……』


 センは少し黙ってたけど、んーって小さく唸った後。


『知花がいいなら、行くよ。』


 いつもの優しい声で言ってくれた。


「あたし?あたしは…いいよ?」


『本当か?家族水入らずがいいんじゃないか?』


「ううん…大勢で賑やかにしてる方が、咲華も帰って来やすいかも。」


『そっか…じゃ、お邪魔するよ。いつ行けばいい?』


「…世貴子さんも誘って、お昼うちで食べない?」


『え?』


 気が変わった。

 あたし…こうなったらもう…張り切っちゃう。


『世貴子は夕方まで仕事があるから…でも連絡してみるよ。』


「うん。そうして。あと、光史とまこちゃんにも連絡回してもらえるかな。」


『分かった。知花…』


「ん?」


『無理すんなよ?』


「…ありがと。でも大丈夫。ご馳走作って待ってるから、早く来てね。」



 ……あたし、バカ…。




 ピンポーン


 まず最初にやって来たのは…麗と陸ちゃんとセンだった。


「早速来ちゃったー。」


 麗は嬉しそうにそう言うと、手にしてた紙袋をあたしにくれた。


「何?」


「姉さんの好きな物。」


「え~?何だろう。」


 …自分でも気付かないふりをしてるけど…

 あたし、今日は少しイラッとしてるし…

 落ち込んでる。

 だから…あたしの好きな物って言われてもピンと来なかったし…

 麗には悪いけど、あまり期待してなかった。


「…開けないの?」


 あたしが手にしたままの紙袋を見て、麗が指差した。


「あ…あ、うん。いいの?ありがと。」


 ほんとは…ちゃんと喜べるかなあって思って。

 今夜にでもって思ってた。

 ああ…何だろう。

 あたし、荒んでるよね…



 紙袋の中身は、丁寧にラッピングされた長方形の物で。

 あたしがそれをのんびり開けるのを、麗は楽しそうに見てた。


「はっ…」


 麗には悪いけど、期待してなかった分…あたしは箱の中を見て驚いた…!!


「これ、欲しいって言ってなかった?」


「い…いい言ってた…!!」


 つい興奮して、噛んじゃった…

 でもそんなあたしを、麗は『ふふん』って感じで笑って見てる。

 ちなみに、陸ちゃんとセンは…早速千里と広縁で乾杯なんてしてる。



「昨日ね、知り合いにちょっと色々聞いてみたの。」


 そう言って、麗は得意そうに足を組んで座った。


「姉さんが欲しがってるドライバーセット、日本でも売ってるのかなって気になってたから。」


「う…うんうん。これ、カナダにしかないと思ってたのに…」


 あたしが手に震えてるのは、カナダの工具会社が出してるドライバーセット『ランドゥーラー』


「それが、今月日本でも発売されたんですって。」


 ああ!!なんて事!!

 麗大好き!!

 もう今日はこれを持ってオタク部屋に出勤したい!!


「すごいわ…このマイナスドライバー…あたし、今持って」


「ああああ、姉さん。料理しないの?手伝うわよ?」


「……」


 あたしが気分良く喋ろうとしたのに。

 麗はあたしの話を遮った。


 …そうよね。

 こんな話…きっと、母さんじゃないと乗ってくれない。


「…うん。ありがと。じゃあ…野菜切るの手伝って?」


「オッケー。」


 麗は手を洗うと、自分で持って来たエプロンをしてキッチンに立った。


「ドライバーの事を聞いた知り合いって、麗の知り合い?」


 麗の隣に立って問いかける。

 だって、麗の知り合いって…

 麗、そこそこ人見知りだから、知らない人にドライバーの事なんて聞けない気がした。


「え?ええ、そうよ?」


「ふうん。男の人?」


「そうだけど、何?」


 …男の人。

 麗、あたしのバンドメンバー以外の男の人と、そんな話が出来るんだ?


「…ううん。教えてくれて、ありがとうって思って。」


「ふふっ。ほんとね。」


「……」


 何だか少し心配になったけど…


「サクちゃん、向こうの食べ物大丈夫だったのかしらね。太って帰って来たりして…」


 麗が笑顔だから…

 ま、いっか。

 それに、工具の事になんて興味のない麗が、覚えてくれてたのが嬉しい。



 それから、お休みが出来て帰国するっていう沙都ちゃんと、そのマネージャーの曽根君を迎えに行ってた華音と紅美が帰って来て。

 瞳さんとアズさんも来て。

 まだ今から、聖子も光史もまこちゃんも来る。

 みんなには、家族連れて来て。って言ってあるから…どんどん増えるはず。


 …咲華が帰って来る日。

 なのに、千里は大勢を呼んだ。

 あたしは…父さんと母さんが来てくれたら…って思ってたのに。

 咲華と…そんなに向き合いたくないの?って、ちょっとイライラしてしまう。


 だけど…あたしが…

 あたしでいるには…


 この方がいいのかもしれない。



 〇浅香聖子


「あら、大宴会レベル。」


 あたしは玄関に出迎えてくれた知花を前に、両端に綺麗に並べられた靴を見下ろして、さらには縁側を見て言った。


「気が付いたらこんな事になっちゃってたわ。さ、上がって上がって。」


「お邪魔しまーす。」


 知花の後を歩きながら、大部屋と呼ばれるリビングダイニングに入ると、麗と瞳さんもいた。


「いらっしゃーい。」


「お先に。」


 瞳さんはグラス片手に、何か飲みながらチーズ食べてる。



 今朝、センから『自分の都合のいい時間に知花んち集合。何か美味いもん持参するとなおよし』ってメールが来て。

 あたしは取材があったから少し遅れたけど…ワインを持って来た。

 さっきチラッと見た感じでは、縁側の一番端のコーナーで。

 すでに絶好調に飲んでる風な神さんと陸ちゃんとセンとアズさんが見えた。

 まだお昼過ぎたばっかよ?

 もう…羨ましいったら!!


 あたしもグラス片手に瞳さんと乾杯して。


「あっちで乾杯したら戻って手伝うわ。」


 知花にそう言うと。


「あ、二人共食べて飲んでるだけでいいから。」


 麗が顔だけ振り返って言った。


「んまっ。失礼な。あたしは料理するわよ?」


「何よ聖子。それじゃあたしが全然しないみたいじゃない。」


「しないんでしょ?」


「少しはするわよ。」


 あたしと瞳さんが言い合ってると。


「少しはしてる聖子と、全然しない瞳さんは何もしなくていいから。」


 知花が…そう言った。

 笑顔で。


「…今の、知花ちゃんが言った?」


 瞳さんがグラスを口元で止めて言った。


「あっ、ごめん。失礼な事言っちゃった。」


 知花は首をすくめたけど…笑ってる。


「…麗が言ったのかと思った。」


 あたしが麗に言うと。


「あたしも、あたしが言ったのかと思った。」


 あたしと瞳さんと麗が知花を見ると。


「…らしくない…ね。ごめん…」


 知花はペロッと舌を出して…冷蔵庫からお肉を出して切り始めた。


「…何かあったの?」


 麗に小声で問いかける。

 だって、本当…知花らしくない感じ。


「…サクちゃんが帰って来るのに、義兄さんが大勢呼んだのが気に入らないのかな…?」


「ああ…なるほど…あたしも、知花の気持ち考えずに来ちゃったわ…」


「それ言ったら、あたしだって…」


 あたしの反対側で、瞳さんも眉間にしわ寄せて小声で言ったけど…


「あっ、気にしないで。全然そういうのじゃないの。それに、あたし張り切って料理するから…みんなは存分に食べて?ね?」


 知花は少し離れた作業台から振り返って笑った。

 …地獄耳健在ね…。


「じゃあ…ちょっとあっち挨拶行って来るわ。」


 あたしが縁側を指差して言うと。


「あ、あたしも行く。」


 瞳さんは残る勇気がなかったのか、あたしについて来た。


『…妹達に料理させて?』


『だって、食べ専でいいって妹達が言ったのよ?』


 喋ると地獄耳に聞かれちゃうから、あたし達は口パクで(たぶん)そんな会話をした。

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