第34話 「…駄目だ…出ない。」

 〇富樫武彦


「…駄目だ…出ない。」


 志麻はデータ室の外で何をしたのか、ドアは開かないまま。

 その上、階上との遮断シャッターまで下ろされて、私とボスは完全に地下に閉じ込められてしまった。


 行先はボスの家…咲華さんの所に違いない。

 ボスはすぐさま、何度も咲華さんに電話を入れられたようだが…応答はないようだ。


「頭に連絡されては…」


 色々…悪い想像ばかりをしてしまう私は、とにかく一刻も早くここを出なくては…と考えた。


「今日は先代と出かける事になっている。こんな事で…呼び戻したくない。」


「ですが、もし何かあったら…」


「……」


 ボスは一瞬黙られた後。


「…もしもし、泉。」


 泉お嬢さんに電話をかけられた。


 …私としては、この緊急事態…

 上に残っている人間総出で咲華さんを守るべきでは…と思うのに。

 ボスは…


「いいか。志麻を刺激するなよ。あいつを…犯罪者にさせたくない。」


「……」


 ボスは…志麻がこうなったのは、自分の責任だと思われているのだろうか。


 違う。

 志麻の弱さが招いた事なのに…


「…ボス、上の階の者に連絡して出動させましょう。」


 ボスが電話を切られたのを確認して切り出すと。


「駄目だ。」


 ボスはドアの前にしゃがみ込んで。


「志麻は…二階堂に必要な人間だ。」


 低い声でそう言われた。


「ですが…このままでは咲華さんが…」


「……」


「ボスが責任を感じる事はありません。実際咲華さんは幸せになられてい」


「違うんだ。」


 私の言葉の途中、ボスが私を見上げて。


「志麻は…弟のような存在なんだ。それはこれからも変わらない。なのに…俺は自分の幸せを優先した。」


 強い目で…そう仰った。


「だが…責任を感じるからこそ、俺はこれからも咲華と幸せになりたいと思うし、志麻にも…立ち直って欲しいと思う。」


「…志麻に届くでしょうか…」


「時間がかかるとしても、届けてみせる。」


「……」


 ボスの心遣いに、私の胸の痛みは続いた。


 志麻…どうして…!!



 ボスはドアノブに耳を当てて、数回ドアノブをゆっくり回し。


「…中で金属音がする。鍵穴にTYGPを挿し込んだのかもしれない。」


 そう言って立ち上がると、部屋の中を見渡された。


「…ここの天井は…確か断熱材だったな。」


「はい。」


 侵入者を防ぐため、地下の天井には断熱材が敷き詰められている。

 おまけに、その中には小さなネズミさえも通せないよう、体温を持つ物体が侵入すると反応するコイルが無数に張り巡らされている。



「…じゃあ、ドアを開けるしかない。」


「…そうですね。」


 ボスも気付いていらっしゃるようだ。

 警報が鳴って10分は経っているのに…上の階から誰も連絡をして来ない。

 と言う事は…

 きっと志麻は上の人間も閉じ込めたか…眠らせているはず。


 ボスは一番小さなPCの分解を始めると、私にドアの近くの物を移動するよう指示して下さった。

 TYGPが挿し込んであるなら…爆破するしか脱出の手はない。


 …しかし志麻は…

 私とボスをここで死なせたいと思ったのだろうか…

 TYGPには爆破しかない。

 しかし爆破すると小さくても火災が起きる。

 …こんな狭い地下で、そんな事になると…



「富樫、心配するな。」


 私がごちゃごちゃと考え込んでいるのが分かったのか、ボスは。


「火は出さない。」


 そう言って笑われた。


「…え?しかし…TYGPの爆破となると…」


「爆破はしない。」


「え?じゃあ…どうやって…」


 ボスはPCを分解して並べた部品の中からいくつかを手にして。


「以前、瞬平が作っていたのを見た事がある。」


 そう言いながら…素早くそれらを組み合わせて何か…何かを作られた。

 …ここが本部のデータ室でなければ…

 もっと作業できるあれこれが揃っているのに…

 もしくは、このような状況をものともしない最新の機器が揃っているのに…

 ボスの手を煩わせるなんて…


 こんな事態を作った志麻だけではなく、見ているだけの私も不甲斐ない…!!



「よし。富樫、少し下がれ。」


 ボスは出来上がった小さなポンプ状の物を手にして、ドアの前に立つと…


「…それは…」


「少し目を細めておけ。光が出る。」


 そう言われて、私はドアのそばを離れた。

 ボスは手際よく、それをドアに向けて…


 ギュンッ!!


「うおっ!!」


「わっ!!」


 ポンプ状の物から閃光が走って、次の瞬間…


「……」


「……」


 ……ドン。


 ドアが…廊下に向けてゆっくりと倒れた。


「…す…素晴らしいです。」


 私が思い出したように言葉を出すと。


「ははっ。すまない。急ぎ過ぎて用量を間違えたらしい。」


 ボスは少し笑いながらそう言って廊下に出ると、シャッターも同じように…


 ギュンッ!!


 とても素早く…カットされた。

 …笑える状況ではないのに…あえて笑顔を見せて下さるのは…

 志麻を悪者にしたくないというお気持ちからなのだろうか…


 私は…

 私も、志麻を悪者にはしたくないが…

 だが、このような事態を招いた志麻に怒り心頭だ。

 自業自得だと言っていたではないか。


 なのに…

 なぜ、ボスと咲華さんの幸せを、素直に喜べないとはしても…

 祝福出来るよう、己の未熟さを今一度見つめ直すぐらいすれば…



「よし。行くぞ。」


「はい。」


 エレベーターは止まっている。

 ボスと私は階段で階上に向かった。


 そこでは予想通り…ほぼ全員が眠らされていたのか、外から戻って来たばかりらしい数人が、驚いた顔で状況把握をするために走り回っていた。


「富樫、裏に車を回してくれ。」


「分かりました。」


 私はボスの指示に従って、駐車場に走った。

 何としても…

 志麻を止めなければ…!!





 〇二階堂 海


 志麻に閉じ込められて、本当は気が気じゃなかった。

 早くここから脱出しなければ、咲華とリズの身が心配だ。


 …志麻を傷付けた。

 まずはその事が大きな傷となった。


 あんな志麻は初めて見た。

 叫びながら俺と富樫をデータ室に閉じ込めて…恐らくうちに向かったはずだ。

 あんなに冷静な男が…大声を発して…

 もし…志麻が、この事で生きているのが嫌になってしまっていたら…


 …いや…

 志麻は…咲華を傷付けるような事はしない。

 今も咲華を愛しているなら…なおさらだ。

 今は…志麻を信じるしかない。



 富樫には車を取りに行かせ、俺は一度階上に向かった。

 部屋に入るまでの間…外から帰って来た数人がバタバタと建物内を行き来していた。

 志麻は恐らく瞬平が試作品として持って来ていた超音波を使ったのだろう。

 俺や親父ぐらい耳のいい者なら、すぐに気付いて対処出来るが…

 きっと、ほぼ全員が眠っているはずだ。



「ボス!!これはいったい…」


 外から帰って来た部下が慌てたようにフロアを見渡す。


「心配するな。事件でもテロでもない。地下のシャッターが誤作動して、その際に試作品が起動してしまった。」


「え?誤作動…ですか?」


「ああ。上の階に行ってその旨を伝えてくれ。眠ってる者も、あと10分もすれば目覚めるはずだ。報告書は俺が後で書く。」


「分かりました。ではそのように対処いたします。」


「頼む。」



 志麻が…どんな人間になっても…

 俺は志麻を失いたくない。

 志麻にとって、俺が敵になろうとも…



「ボス!!こちらです!!」


 裏口に出ると、ちょうど富樫が車を回してくれた所だった。


「すまない。」


 そう言いながら助手席に乗り込むと。


「謝るのは私の方です。志麻が普通じゃないと気付いていながら…対処できませんでした。」


 富樫は真剣な顔でハンドルを切った。


「飛ばします。」


「…頼む。」



 見慣れた景色が、ものすごいスピードで流れて行く。

 こんな風に、こんな気持ちで我が家に帰るのは…初めてだ。

 できれば…味わいたくなかった。

 それも全て…俺のまいた種なのに。



 …咲華…リズ…

 今ではもう、俺にはなくてはならない存在の二人。

 この一ヶ月で、俺は…自分がどれだけ誰かを愛したがっていたのかを、思い知らされた気がする。


 こんなに…誰かを愛する喜びを、教えてくれた二人。

 どうか…無事でいてくれ…



 …志麻…頼む…

 おまえに、まだ咲華に対する愛が残っているなら…

 咲華を…

 咲華を、不幸にしないでくれ。




 〇二階堂 泉


「…え?」


 あたしは、兄貴からの電話に目を見開いた。



 昨夜はわっちゃんと沙都と曽根とで飲んで…

 若干飲み過ぎた感があって、のんびり目覚めた。

 やっと仕事に向かおうかなーって気になって、シャワーをして着替えた所に…


『志麻に閉じ込められた。』


 兄貴からの電話。


 って…

 志麻、こっちに来てるの!?



「ど…どこに閉じ込められてるの?」


『本部の地下だ。』


「一人で?」


『いや、富樫と。』


「上に誰かいるんじゃないの?」


『たぶん眠らされてる。』


「…今から行くから待ってて。」


 あたしが上着を手にして部屋を出ようとすると。


『こっちはいいから、俺の家に向かってくれ。』


 兄貴は声を潜めた。


「…家?」


『…咲華と結婚した事を打ち明けた。たぶん…志麻は家に向かってる。』


「……」


 志麻…

 逆上して…兄貴と富樫を閉じ込めたって事…?

 そんな事したら…

 二階堂にいられなくなるじゃない!!

 バカじゃないの!?



『行けるか?』


「…分かった…すぐ家に行く。」


『いいか。志麻を刺激するなよ。あいつを…犯罪者にさせたくない。』


 兄貴…

 こんな時なのに…志麻の事…


「…うん。分かった。兄ちゃん…助けは?」


『助けは要らない。』


「でも、閉じ込められてるんだよね?」


『開ける。』


 志麻に閉じ込められて。

 さらには咲華さんが危険な目に遭うかもしれないって時だからこそ…なのかな。

 兄貴…


「……さすが。」


 兄貴を助けたい。

 志麻の事も…。


『頼んだぞ…』


「分かった。」


 兄貴には愛する人が出来ただけなのに…

 志麻…兄貴の事、尊敬してるって言ってたのに…

 別れた恋人の相手が、その尊敬してる人でも…ダメなの?



 不意に瞬平の言葉が浮かんだ。


『人の気持ちは単純だけど、恋が絡むと複雑』


 ああ…元々は咲華さんの言葉か。

 相手が誰だろうが…自分の気持ちに素直になれば、嫌な物は嫌か…

 だけど志麻…

 あんたがしてる事は…

 欲しいものが手に入らなくて、我儘言ってる子供みたいだよ。


 …お願いだから…

 目を覚まして。



 あたしはホテルから出ながら、兄貴んちへの近道を頭の中で描いた。

 直線距離で…車より…走る方が早い!!


 走った。

 ひたすら走った。

 人の家の庭や、資材置き場。

 小川を飛び越して、森も抜けた。

 まるで自分が猫の『おはじき』になったみたいで。

 このまま走ってたら薫平にたどり着くんじゃないか…なんて思ってしまった。


 あたしがたどり着きたいのは…

 薫平?

 聖?

 それとも…



「はっ…は…はー…はっ…」


 兄貴んちの近くまで来て、走るスピードを緩めた。

 ゆっくりと息を整えて…歩きながら家の様子を伺う。



 志麻が本部からここに来たとしたら…車。

 家の前にそれはない。


 …ガレージ?


「……」


 あたしは隣家の塀沿いにガレージに近寄って、半開きになってるそこを覗き込む。


 …あった。

 本部の車だ。

 車の中には…特に何もない。

 …志麻、銃なんて携帯してないよね…?


 前庭のベンチに前屈みになって座って。

 そっと窓に耳を近付ける。

 …話し声がする。

 志麻と…咲華さんだ。

 …さて、どうやって登場しよう?


 志麻を刺激しない方法…



「……」


 聞くのは忍びないけど…二人の会話に耳を傾けた。


『…もう、戻りたくなかったの。何かを疑ったり…何より…あなたを嫌いになりたくなかった…』


 …疑う?

 やっぱり…志麻、浮気を疑われてたの?


『あなたをそう思う自分にも嫌気がさしたし…』


『…酔っ払って…ボスと結婚して…血の繋がりのないその子と……幸せなのか?これは…俺と…創るはずだったものじゃないのか…?』


 志麻ー!!


『俺が…どんなに咲華を愛してたか…それを今…いくら話したところで…届かない…』



 ……ああ。

 痛い。

 色んなところが痛む気がする。

 志麻…本当に咲華さんの事、大好きだったんだね…

 だけど…浮気?を疑われて。

 志麻はその疑いを解けなかったんだ…


 恋って…なんて難しいんだろ。

 ただ好きなだけじゃ、通じ合えないのかな。

 あたしは…好きな人とは笑い合っていたいよ。


 そう思った途端、頭の中に浮かんだのは…

 シャワーホースで虹を作ってくれた薫平だった。


 虹をくぐってみる?なんてさ…

 ガキかっ。

 …でも、嬉しかったんだよ…

 まるで…子供の頃に戻ったみたいに。

 あたしの事、『お嬢さん』としてじゃなく扱ってくれた事。



『…届かない…仕方ない…俺は本当に…咲華をずっと待たせて……』


『……』


 志麻の絞り出すような声に、咲華さんは何も答えなかった。

 きっと…もう戻る気はないんだと思う。

 …志麻、男らしく…ここは潔く身を引こうよ…

 あたしがそう思ってると…


『…昨日…ある事件のデータを…調べるために…こっちに来て…』


 志麻が話し始めた。


『それを…見て…ついさっき…ボスに…ボスに会う寸前…その子の事を…思った…』


 …ある事件のデータ?

 何を調べに来たんだろ…

 て言うか、こっちでじゃなきゃ見れないデータって事?

 だいたいのデータはどこからでも見れるはず。

 スマホからだって覗けちゃうし。


 …特例事案以外はね。



『…え?』


『…リズ…俺が…その子を…孤児にしてしまったんだ…だから…俺がその子の父親になりたい…って…』



 志麻の声が緊迫して来た。

 …これは…

 もう、出て行くしかない…!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る