第14話 「咲華。」

 〇桐生院咲華


「咲華。」


 夜…ベッドに入ろうとすると、海さんがあたしに手を差し出した。


 …正直…

 今夜は無理。


 そう思ったあたしが、その手を取るのをためらってると。


「ふっ。すぐ顔に出るな。そういう意味の手じゃないよ。」


 海さんは小さく笑った。


「…え。」


 そ…そんなの!!

 誤解するに決まってるじゃない!!


 あたしは赤くなりながら海さんの手を掴んでベッドに上がると、定位置に座ってベビーベッドで眠るリズちゃんを覗き込んだ。



「…あのさ。」


 背後に…海さんの声。


「…うん。」


「言いたくなかったら話さなくてもいいけど。」


「…うん。」


「実は少し気になってる。って事は言っておく。」


「……」


 それは…


「…別れた理由?」


 海さんを振り返らずに聞くと。


「ああ。」


「……」


 別れた理由…


 そう…だよね。

 しーくんは、海さんの部下で…

 こうなった以上…海さん、しーくんに話さないといけないわけだし…


 …でも…


「…待ち疲れちゃって。」


「待つのは得意そうだけど。」


 うっ。


「…あまり会えなかったし。」


「……」


「……」


「……」


 ど…どうしたんだろ。

 あたしの言葉に、海さんが返事しない。



 …あまり会えなくても…別に良かった。

 ただ…不安なのが…嫌だった。

 しーくんが現場で命を懸けている間…あたしは見えない物と闘ってた。


 本当…どうしようもなかった。



「…あ…あたしは、特にドラマチックな事もなくって…本当にシンプルに…気持ちが持続出来なかっただけなの。」


 出来るだけ明るく言って振り返ると。


「すー…」


 何も言わない海さんは、眠ってた。


「……」


 そっと横になって、海さんに寄り添って。


「…本当に…ごめんなさい…」


 小さくつぶやく。


 ムービー見て…最悪な気持ちになって。

 お酒飲んで寝ちゃうなんて…

 あたし、リズちゃんのママとしての自覚、無さ過ぎる。

 それに…辛い話、たくさんさせてしまった。

 なのに…あたしは…聞かれた事にも答えないなんて…



「…もう、お酒飲まない…」


 …愛してる。

 海さんの声を思い出して、少し胸がキュンとしたけど…

 あたしが、その想いに追い付ける日は…来るのかな…



「……」


 寝顔を見るのは…初めてかも。

 あたし、いつも先に眠っちゃうし。


 海さんがあたしを想ってくれてる事…嬉しいって思う。

 それに追い付けない事…さっき少し罪に思ったけど…

 予感がする。

 あたし、きっと…この人の事、愛せる…って。


 だって海さん…十分、自分も傷付いてたはずなのに。

 朝子ちゃんと紅美ちゃんを傷付けた…って。

 自分には幸せになる資格はないって…

 どれだけ優しい心の持ち主なんだろう。


 あたしの事だって…酔っ払って結婚したのに。

 とても…大事にしてくれる。

 お料理だって、別に得意なわけじゃないけど…

 いつも美味しいって言ってくれるし…

 家事に対するお礼も欠かさず言ってくれる。



「……」


 少し、距離を詰めた。

 海さんのそばは…温かい。

 幸せに…なりたいって…三人で、一緒に居たいって…


 …嬉しかった。


 すごく…嬉しかった。




 〇二階堂 海


「…あ…あたしは、特にドラマチックな事もなくって…本当にシンプルに…気持ちが持続出来なかっただけなの。」


 志麻と別れた理由を知りたいと言うと、咲華は待ち疲れたとか会えなかったからだとか…

 あきらかに、嘘をついた。

 気付いてないだろうが…咲華は嘘をつく時、声のトーンが上がる。


「すー…」


 あえて寝たふりをした。

 明るく振り向いてくれたのはいいが…嘘をついてまで話したくない別れの理由。

 知らなくてもいいが…気になる。

 だが、咲華に辛い事を話させるのは嫌だ。


 …受け止めたい。

 全てを受け止めたい。


 だが…

 昨夜は、あんな流れで一線を越えてしまったが、咲華は俺を愛してはいない。

 思えば、まだ一度も好きとも言われてないな。

 好意はあるとしても。


 少しして、咲華がそばで横になった。

 そして…


「…本当に…ごめんなさい…」


 小さくつぶやいた。


 咲華は…いい声をしている。

 リズがもう少し大きくなったら…絵本の読み聞かせをしてもらおう。

 俺の方がリズより先に眠ってしまいそうだが。



「…もう、お酒飲まない…」


 飲酒についての謝罪か?

 つい、笑いそうになった。

 まあ…確かに、リズが泣いてる事にも気付かない、俺が起こしても起きない爆睡ぶり。

 リズに何もなかったからいいものを…とは思うが、慣れない生活で疲れてたはずだ。

 責める気にもならないし、むしろ…気遣えなかった自分に腹が立つ。


 お互い…もっと自分の事を話せるようになれるといいのだが…

 咲華は華音よりガードが固い気がする。



 …愛してる。

 この言葉を再び口にする日が来るとは思わなかった。

 そして…それを言えた自分を好きになった気がする。

 つい昨日まで、ごちゃごちゃと考えていたクセに…

 何だろうな。



「…海さん、起きてるんでしょ…」


 ん?

 どうして分かった?

 と思いながらも、返事をしなかった。


「…本当に寝ちゃってる…?」


 声がさらに近くなった。

 …カマかけたな?


「……」


 咲華はごそごそと俺の胸に近付いて寝位置を決めると。


「…リズちゃんとあたしの事…大事にしてくれて、ありがとう…」


 本当に…心地いい声で、そうつぶやいた。


 …ああ…

 …幸せだ。



 本当に。



 〇富樫武彦


「おはよう。」


「おはようございます、ボス。」


 今日もボスは朝からキリッとされていて、部下である私の自慢だ。

 先日、ボスが女性を抱きしめてお休みになられているのを目の当たりにしてしまい…

 ついに紅美さんへの想いを断ち切る事が…!!

 と、感動にも似た思いがあった。


 それで、いつ一緒に住まわれてもいいように…と。

 差し出がましいとは思いつつ、キングサイズのベッドをお贈りした。

 不要であれば私が引き取ればいいだけの話だが、ボスからは『他言無用だ』と。

 つまり、ベッドは使っていただける、と。

 それは…お相手がいる事をお認めになった証拠!!


 あれ以来、ボスの顔付が少し柔らかくなられたのも事実。

 お相手の女性には感謝しかない。

 スマホを見て優しい目をされている御様子には、本当に感涙だ。

 ボスを愛して止まない泉お嬢さんに、早くこの幸せな報告をしたいと思うが…

 他言無用と言われているからには…



「…富樫。」


「はい。」


 おや?

 今日は少し眉間にしわを…

 彼女とケンカでもされたのだろうか…


「…最近、志麻に会ったか?」


「え?」


 志麻の事を聞かれるとは思わなかった私は、少し目を大きく開いた。

 いや、彼女の事をお話し下さると思っていたわけでもないのだが…


「えー…いえ、先月私が帰国した際も、志麻とは入れ違いだったので…しばらく会っていません。」


 誰がどこの国の現場に行っている。という情報は、常にネットワークで分かるが…

 私と志麻は、最近あまり一緒になる事がない。

 恐らく、それぞれに重要なポストを任せて下さっているからだ。

 それを解っているからこそ…私も志麻も、各々の現場をより迅速に解決するよう頑張っている。


 以前は連絡も取り合っていたが…

 そう言えば、ここ数か月は浩也さんとのやり取りがメインだった。



「志麻が婚約解消した話…聞いたか?」


 ボスは机で指を組んで、その指で唇を触られた。

 …志麻の事が心配なのだろう…

 二階堂に尽力する志麻を、ボスは家族のように大事に想われている。

 幼い頃から生活を共にされているし…

 志麻は年下だが、私の憧れの存在でもある。


「頭からお話がありました。その件で傷心しているせいなのかどうか…ドイツでミスをした、と…」


 志麻らしくないミスがあった。と、頭からお聞きして。

 励ましたい気持ちはあったが…抑えた。

 今は…そっとしておくのが一番だと思ったからだ。



「…富樫。」


「はい。」


「…実は、今…一緒に暮らしている女性がいる。」


 ボスのその言葉に、私は大きく目を開いてしまった。


「お…おめでとうございます!!」


 一歩前に出てそう言うと。


「いや、おめでとうでは…んー…いや…あー…ま、めでたいか。」


 ボスは独り言のようにそうつぶやかれて。


「子供も…いる。」


「…はいっ?」


 私の目は、両手を受けていないと落ちてしまうのでは?と思うほど…さらに見開かされた。

 ボスは今…子供…と?


「そ…そそそそれは…でっでででき…」


「引き取ったんだ。」


「ひ…引き取った…とは…?」


「志麻が現場で射殺した、ドイツのテロリストの幹部夫婦がいただろ。」


「……」


 人質にした我が子を刺そうとしたテロリストを…志麻が射殺した事件。

 追い込まれたからとは言え…我が子を盾にするなんて…許せない。


「あの事件の…赤ん坊ですか?」


「ああ。」


 私は…泣きそうになった。

 唇が震えて、目頭がグンと熱くなって…

 今すぐボスに背中を向けて、ハンカチを手にしたかったが…


「だが…全ては酔っ払っての事だ。」


 その感動が、引っ込むような言葉が聞こえた。


「………はっ?」


 頭の中で…ボスの声をリピート。

 酔っ払っての事だ…酔っ払っての…

 …酔っ払って!?


 あ…ああ…確かにあの夜、ボスはいつもよりお酒を飲まれた。

 あ…あああああああの…あの後…!?



「お互い酔っ払ってたから、何も記憶がない。」


「………は…い…っ?」


「酔った勢いで婚姻届を書いて、教会で式を挙げて…施設に子供を引き取りに行った。」


「………」


 もはや…私の目と口は開きっ放しだ。

 ボスが…

 私の知っている限り…

 失敗など無いボスが…

 酔っ払って結婚!?



「その…お相手は…お付き合いされていた女性…では?」


「あの夜、最後に行ったバーで会った。」


「………」


 つい…何度も瞬きをしてしまう。

 ボスが…

 ボスが、酔っ払った勢いで…⁉︎



「有り得ない。そう思ったが…」


「…………」


「癒されて…満たされている。」


 そう言われたボスは…

 本当に、今まで見た事もないほど幸せそうな穏やかなお顔で。

 酔っ払った末での出来事だったと言われても…

 結末が幸せなら良いのだと思わされた。



「…今は、お気持ちが…?」


「…ああ。愛してる。妻も…娘も。」


 その言葉を聞いて、私の涙腺は崩壊した。

 妻も…娘も…



「とっ…富樫?」


「うっうっ…すっ…すす…すみません…ううっ…嬉しくて…」


「……」


 私の涙が落ち着くまで、ボスは無言で座っておられたが、やがて…


「しかし…問題がある。」


 幸せしかないはずなのに…声を落としてそう言われた。


「…も…問題…ですか…」


 ハンカチで涙を拭きながら、どんな問題があろうと、私が解決して差し上げます!!と心の中で強く誓った。

 酔っ払って結婚なんて、もしかすると勢いがあっていいのでは!?

 しかもそれで今は愛し合っているなんて、良縁に違いない!!

 そう思い、両手を強く握りしめている私とは裏腹に…

 ボスは小さく溜息をついた後、ポケットからスマホを取り出して…


「…これが、妻と娘だ。」


 私にそれを差し出してくださった。

 まず目に入ったのは、金髪で青い目の娘さんで…


「ああ…なんて可愛らしい!!」


 私は大人げなく、つい声を上げてしまった。

 金色の髪の毛は、少しカールしていて…

 白い肌に、空色の目…

 シャッターを切るボスを、見上げられたのであろう顔はとてつもなく笑顔で…

 まるで天使だ‼︎


 これを見た誰もが口元を緩めてしまうだろう。

 それほどに愛くるしい………


「…ん?」


 その…天使のような娘さんを抱えている女性…

 ボスの奥様に目が行って…

 しばらく、思考回路がグルグルと…


「え…ええと…ボス…失礼ですが………この方…は…」


 この…このお顔は…

 誰かによく似ていらっしゃる…

 その誰か…とは…

 ボスの親友であられる方の…双子の…

 …いや、しかし…

 その方は…



「…桐生院咲華…」


「…と言う事は…」


「…志麻の、元婚約者だ。」


「………」


 えええええええええええええええええ!?

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