二十一話


 街は夕暮れの賑わいに満ちている。あちこちから漏れてくる食べ物や酒の匂いに鼻をひくつかせながら、ミルカはひと気の少ない路地に入る。


 ダンが待ち合わせ場所に指定してきた店は、さびれた装飾屋だった。

 装飾屋とは魔術の部品を売っている店で、ミルカの使うような文様のパターンを独自で販売している。例えば遠くのものを見るための狐の文様や、家庭菜園の育ちを良くするための大鴉の文様などだ。

 文様は羊皮紙に刻まれていて、用途別に店主が取り出して売ってくれる。

 

 縦長の店で、ずいぶん奥の方に店主が座っている。熱心に新聞を読んでいた。その額に刺青された言葉を読み取ろうと、懸命に目を細めていると、


 「何をやっているんですか」


 という冷たいダンの声が降ってきた。


 「おやおや? 五分遅刻じゃないですか、ダンケルクさん?」

 「遅刻癖のある人ほど、たまに他人が遅刻すると異様に喜ぶんですよね」

 「滅多にないチャンスですからね。それより、ここがそのウルブスってとこなの?」


 ダンは答えず、店の奥に入ってゆく。そうして店主の横を通り過ぎて店の裏手へ行ってしまった。おっかなびっくりその後を追いかけようとすると、店主が新聞から顔を上げてきろりとミルカをねめつける。


 連れです、とダンが言わなければ、ミルカと店主のにらみ合いは長期戦にもつれ込んだだろう。慌ててダンの後ろにぴったりくっついたミルカは、自分たちが地下に降りていることに気づいた。


 地下に降り、別の店の地下室を通り、もう一度地上へ。かと思えばどこかの厨房の食糧庫を通り、瓶がたくさん並んだ小部屋を忍び足で歩く。肩をこすってしまいそうなほど幅の狭い階段を上がると、長い洞窟のような場所に出た。


 冷たい空気がさっと吹き抜ける。洞窟といっても、地面は綺麗にならされ、木で道が作られている。あちこちに松明が灯され、二人の行く先を示していた。


 「うわ……向こう側が見えないくらい長い!」

 「魔術で視界をかく乱しているのです。実際の距離が分からないように」


 五分も歩けば二股の道に行き当たった。ダンは迷わず右を選ぶ。それからもいくつか分かれ道に行き当たったが、迷うことなく進んだ。

 聞けばこの道の構造は、侵入者を防ぐためにあるのだと言う。正しい道を知っている者しか最奥へは至れない。けれどこの迷路は数ある防御機構の一つでしかない。


 「きみなら分かるのではないですか。ここを取り巻く防衛魔術の濃度が」

 「うん。凄い数だね」


 足元をよく見れば透明なインクで文様が刻まれているのが分かるし、松明置きにかかっている風鈴のようなものは、呪具の一種だろう。チリチリという音が幾重にも折り重なって、呪文詠唱と同じ効果を生み出している。

 この場所について尋ねようとしたミルカは、慌てて口をつぐんだ。


 反対側から人がやって来たからだ。


 フードを被った男は、大きな箱を背負っていた。使い込まれた靴に古びた外套、体に幾重にも巻き付けられた布は、彼が練達した旅人であることを如実に表している。

 その薄汚れた顔の中で、目ばかりが爛々と輝いていた。

 やけに早足なその男は、二人をちらりと見ただけで、足早に歩き去って行った。すれ違いざまに薬草とカビの甘いにおいがした。


 「あ……あれ、誰」

 「書物運送人(ビブリオマン)です。世界中のあちこちで本を探し回ることを生業にしているのだとか」

 「何のために?」

 「本のために。今から私たちが向かう場所はウルブスという都市です。と言っても、箱庭のように大きくはありません。巨大な図書館に、様々な施設がくっついている感じでしょうか」

 「噂では聞いてたけど、ほんとに箱庭以外にも街があるんだ……!」

 「もちろん。箱庭だけが住む場所ではありませんからね。そしてウルブスは、人間が箱庭に追い詰められた時に失われてしまった数々のものを、大切に保管している場所です」

 「失われてしまったもの……」

 「書物大虐殺によって、この世界の九割九分の本は焼き払われてしまいました。箱庭も確かに大虐殺前の本を所蔵していますが、それは微々たるもの。焼け残りのほとんどはここにある、といっても過言ではないでしょう」

 「それはここの人たちが集めたの?」

 「そうです。先ほどすれ違った書物運送人、彼らが世界中のあちこちから、まだ残っている本を集めて持ち帰ってくることで、コレクションを増やしています」

 「さっきの人たちが……。だからあんなに旅人みたいな恰好をしてたんだね」

 「はい。彼らの至上命題は、人類の知識・経験を後代へと残すこと。人類の知識や技術を次の世代に伝えてゆくことを目的としています」

 

 ウルブスについて語るダンの言葉には、どこか尊敬の念が込められていた。しかしその声が僅かにひそめられる。


 「……ですが、今回ばかりは私たちの敵になるかもしれません。あの井戸ですれ違った人物は恐らく書物運送人でしょう」


 そうだ、とミルカは思い当たる。すれ違った時に香った書物運送人の、古びたにおいは、井戸の隠れ場所で感じたものと同じだった。

 ミルカはごくりと唾を呑みこむ。箱庭の外にある街、ウルブス。お世辞にものどかな場所とは言えなさそうだ。

 二人は少し低い天井を潜って、急な坂道を上る。その先には、身の丈数倍ほどもある巨大な鉄扉が待ち構えていた。


 かなり大きい。ドラゴンでさえ余裕で通れそうだ。


 その扉が、重たげな音をたてて開いてゆく。

 そこにはミルカが絶句するほどの光景が広がっていた。

 円柱状の空間は息を呑むほど広く、どの壁も本棚で埋め尽くされている。そこではフードを被った人々が忙しく立ち働いていて、彼らのざわめき声が反響して二人の元に降ってくる。


 「ここが、ウルブス」

 「はい。箱庭に次ぐ人間の都市、人の叡智のかがやく場所」


 吹き抜けの天井はひたすらに高い。首が痛くなるほど見上げてようやく、天井にある光源――魔術によって丸くふうわりと整えられた蛍の群れ―が見えるほどだ。

 そうして何よりもミルカの目を奪ったのは、入って突き当り、北側の壁にもたれるようにして目を閉じている巨大なドラゴンの姿だった。

 鱗の隙間に苔を生やし、猛々しい角や牙の代わりに樹木の枝を伸ばすそのドラゴンは、光る蛍に囲まれて安らかに眠っているようだった。右の翼はなく、左の翼は回廊に突き刺さるようにして地面に垂れている。それも薄緑色の柔らかそうな苔にびっしりと埋め尽くされていた。

 見上げなければ頭の先が窺えない程大きかった。繁茂する木々の影がドラゴンの体に柔らかく投げかけられている。


 「あれは……ドラゴン、なの?」

 「はい。ドラゴンは木龍と書きますね。その由来は、千年を生きたドラゴンは木に成り、大地に還ってゆくという逸話にあるのです。彼女はもうじき千年を迎えるそうです」

 「千年を生きた、ドラゴン……」

 「念の為、彼女――アイノは生きていますから、あまり失礼なことを口にしないように」

 「いや、さすがに私も、言葉が出ない」


 それは今まで見たドラゴンの中で一番大きく、荘厳で、美しかった。


 あんな生き物を牛馬の如くこき使い、苛んだ自分たちの祖先が信じられなかった。あんなに美しく死んでゆくことができる存在がこの世にあることも信じられなかった。


 つまりは嫉妬していた。


 「よおう、葬儀屋!」


 声がうわんと反響し、ミルカは飛び上がった。ドラゴンは微動だにしなかったが、角の辺りに止まっていた蝙蝠の群れが驚いたように飛び去ってゆくのを見た。


 三階辺りの回廊から男が一人飛び降りてくる。

 魔術で起こした風が彼の落下を補助した。


 「今日は何の用だ? しかも共連れがいるとは珍しい。嫁か?」

 「違います」


 ダンは仏頂面で否定する。そのとりつくしまもない様子が、分かってはいたけれど、ほんの少しだけさびしい。


 「図書館なら自由に使え。ただし、貸出料はきっちり貰うがな」


 口調は荒々しく、けれどその相貌は意外なほど整っていた。切れ長の目じりの辺りにはどこか貴種の気配が漂っている。

 年の頃は恐らく三十から四十代。顎ひげは丁寧に手入れされ、清潔そうなマントを身に着けている。ふと足元を見下ろしたミルカは、男が履いているブーツが、今箱庭で流行っているタイプのものであることに気づく。


 この不思議なコミュニティと箱庭には、物資のやり取りがあるのだ。


 「今日は図書館を使いに来たわけではありません。ワシリー。あなたの意見を伺いに来たのです」


 ワシリーと呼ばれた男は、不敵な笑みを浮かべたままダンを見ている。


 「ウルブスはどちらにつくのでしょう」

 「どちら、とは? 葬儀屋らしくないぼやけた質問だなあ?」

 「あえて曖昧に聞いているのですが、伝わらないのならば仕方がない。言葉を変えます。

 あなたたちは、人とドラゴンが交流を再開することに反対なのですか?」


 周囲の音が微かに小さくなる。行きかう人々は何気ない風を装っているが、ワシリーとダンの会話にしっかりと聞き耳を立てているようだった。


 「葬儀屋。わざわざここまで乗り込んで、公衆の面前で聞くんだ。自分が何をしてるか、分かってるよな?」

 「妙なことを仰る。あれほど分かりやすく痕跡を残しておきながら、ウルブスが関与していないという主張は通りませんよ。


 ――先日、書物運送人をくだんの井戸に送り込んだのはあなただ」


 ワシリーは顔色一つ変えずに問う。


 「証拠は」

 「こちらのつぶてをご覧いただければ分かるかと」


 ダンが掲げたのは、井戸の底からダンたちを狙ったつぶてだ。


 「見えにくいですが、トリョフスビャツキー家の鷲の家紋が入っています。トリョフスビャツキー家はウルブスの最も太いパトロンかと記憶していますが」

 「……」

 「遡ること百五十年、この洞窟はそもそもトリョフスビャツキー家の持ち物で、ここの防衛に関する武器も彼らが提供しているとの理解ですが」

 「よそ者がウルブスの歴史学の講釈なんざ垂れてんじゃねえぞ。ったく、貴族ってのはそこかしこに自分の名前を刻みたがる。柱と見りゃしょんべん引っ掛ける犬と同じさね。おっと、レディの前で言う話じゃなかった。失礼、ミルカ・ファルケン……いや、今はモナードだったか」


 ぎくんとミルカの肩が跳ねる。あからさまに口にされた異なる名字を、ダンは聞かなかったことにする。


 「一度警告したはずだが、伝わっていなかったかな。まあいい。ドラゴンと人間の交流再開なんて夢を見るのはやめにしろ、葬儀屋。元より不可能だ」

 「おかしなことを仰る。ドラゴンたちは既にここと交流をしているのに?」

 「そりゃここがウルブスだからさ。一万人程度の人口だから、精鋭を揃え同じ思想を持つ人間を集めることができる。無知蒙昧の馬鹿どもまで面倒見なけりゃならねえ箱庭とは規模が違う」


 この際だから断言しよう、とワシリーは言った。


 「ウルブスは、箱庭でドラゴンと人間が交流を再開することには反対だ。リグの共同掘削? 夢物語だ! そもそも生活習慣も考え方も、体の大きさも違うんだ。どうして協力できるなんて思ったんだか」


 その言葉を聞きながら、ミルカは奇妙な感覚を覚えていた。ここにはもうすぐ千年を生きようというドラゴンがいる。それに、洞窟内のやけに大きな扉や廊下を見るに、様々なドラゴンが出入りする場でもあるのだろう。


 ここでは人とドラゴンの交流がある。その歴史も実績も揃っているはずだ。


 けれどそれを箱庭には許さないという。


 「それって、ドラゴンに関する全てをウルブスで独占したいってことなの?」


 思わず、といった様子でこぼれたミルカの言葉に、ワシリーが笑みを引っ込める。


 「特権を維持したい、ということでしょうか。ウルブスの優位性を保つため、リグを妨害したと?」

 「どうだろうな。しかしそう思っているのは俺たちだけじゃあないぜ。ドラゴンの中にも同じ考えを持つ者はいる」

 「知っています。……ですがそうなると分からないのは、リグで働いていたドラゴンがお亡くなりになった理由です。あなたたちが関与していることは分かっても、どうやってドラゴンたちを殺したのかが分かりません」

 「ハッ。俺たちに目星をつけたわりにそこはまだ分かっていねえんだな」

 「はい。ですから教えて頂こうかと。……それと、クラウスの釈放もお願いしたい」


 ワシリーはきょとんとした顔になって、それからげたげたと笑いだした。身をのけぞらせ、狼の咳払いのような声を発している。


 「少し見ない間にずいぶんとまあ図々しくなった」


 そう呟いたワシリーは検分するようにダンの顔を見た。


 「念のために言っとくがな、これは俺たちが仕掛けたことじゃねえぞ」

 「どういうことですか」

 「ドラゴンを死なせたのは俺たちじゃねえってことだ。何が理由か分からんが、あのリグで事故が起こった。それを自分たちのために上手いこと利用しただけさね」


 ダンは強く奥歯を噛み締める。ただ事故の場に居合わせただけで、ろくな根拠もなく捕えられてしまうなんて、クラウスがあまりにも不運すぎる。


 「だがまあ事故の原因が何であるか、ある程度目星はつける必要がある。アーケマイン種も、仲間を殺されちゃ黙っていないだろうからな。連中を黙らせるために、クラウスというドラゴンが下手人である、という筋書きを仕立てる必要があった」

 「だから書物運送人をあの井戸に送り込んだのですね」

 「おうとも。あの井戸のサンプルを大量に集め、原因を探った。何しろここには知識がある。山ほどの本、ドラゴンたちの長きに渡る知見。ドラゴンが死んだ理由に思い当たるまで、そう長い時間はかからなかった」

 「それを共有しようとは思わなかったの? だって今でもドラゴンたちは苦しんでいるのに……!」


 ミルカの問いにワシリーはただ笑って見せた。


 「自分の得たカードはそう簡単に切るもんじゃねえぜ。そのカードが強いほど、な」


 どこまでも腐っている。ダンはそう思った。

 全てを自分たちの為に使い、ドラゴンが死ぬのも厭わない。そんな人間やドラゴンに、ターヴィとクラウスの抱く夢が邪魔されて良いわけがない。


 「しかし、だ。臨機応変に対応しなけりゃならないこともある。それにここまで単身で乗り込んできたお前たちに、敬意を表しようじゃないか」


 そう言ってワシリーは懐から小さな小瓶を取り出した。


 「……ここにドラゴンの死因と思われるものが入っている」


 ミルカは必死に小瓶の中身を覗き見ようとしたが、透明なそれを観察する前に、ワシリーはそれを懐にしまい込んでしまう。

 そうして、蛇のようにねっとりとした視線でミルカを見た。

 

 「これをお前たちにくれてやる。その代わりにその娘を寄こせ」

 「……は?」


 自分が話題になるなど思ってもみなかった彼女は、呆然とワシリーを見返す。男はいやらしい笑みを浮かべた。




 「貴重な血だ。何しろそいつは――今となっては唯一のファルケンハインの生き残りだからな」

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