そこは理想都市(ウルブス)気高きドラゴン

十九話


 ターヴィ・ダマスカスの朝は早い。


 五時に起床した彼はまずパジャマ姿で居間に下りる。箱庭で発行されている新聞五紙全てに目を通し、ついでに街角で配られているアジテーションまみれのビラも読み込んだ。彼の数えきれないほどの趣味の一つが、このビラの収集であることを知っているのは、ダンケルク・ハッキネンくらいのものだろう。


 そうして六時にはたっぷりの朝食が運ばれてくる。全粒粉のトーストは全部で三枚。裏庭で取れたブルーベリーのジャム、濃厚なバターをふんだんに塗り付け、一枚をぺろり。サニーサイドダウンにした目玉焼きを乗せてもう一枚を胃に収め、塩を強めに振ったベーコンで最後の一枚を平らげる。できればクラムチャウダーが欲しいところだが、日によってはミネストローネで我慢する。


 最後に凍らせたブルーベリーをしゃくしゃくと食みながら、濃いコーヒーを一杯飲む。フレッシュなオレンジジュースはターヴィの大好物だが、さすがに高級品なので毎日は飲めない。コーヒーを常飲しているだけでもかなり金はかかっているのだが、そこは朝から晩までフル回転しているダマスカス一族のことだ、必要経費と割り切っている。


 ナプキンで丁寧に口元をぬぐったターヴィは、動きやすいパンツとシャツに着替えて馬の準備をさせる。午前中に農場を視察して、午後にはマギ掘削会社の重役と会う予定だ。

 意気揚々と部屋を出ようとしたターヴィだったが、ドアを開けたところで、慌てた様子の従者と危うくぶつかりそうになった。


 「こんな朝早くから何事だ」

 「若旦那! MH五番井戸についてですが」


 従者が挙げたのはドラゴンと共同で掘削している井戸の名だった。つい先日起こった事故の為に、今は掘削が中断されている。

 ターヴィの眼光が鋭くなる。けれど彼は軽やかな口調を装って、


 「朗報だろうな? ついに掘削再開のめどが立った、とかいう話なら大歓迎なんだが」

 「吉報とは言い難いかと。そのリグから、つい先ほど、ドラゴンたちが全員引き上げてしまいました……!」

 「なんだって? 何があった。彼らの機嫌を損ねちまったのか?」

 「分かりません。一頭の黒いドラゴンが何か叫んで、飛び去って行ったんですが、全員その後をついて魔術やら翼やらでその場を立ち去ってしまいまして」

 「そのドラゴンは何を言っていた? 何が気に喰わなかったんだ」

 「ドミニコ種の中でも訛りの強い方でしたから、何とも言えませんが。仲間が大勢死んだ、この井戸のせいだ、という趣旨のことを話していたようです」

 「仲間が大勢? 何の話だ。この間の事故では、怪我人こそ出たが死者はいないはず」


 従者は力なく首を振る。ターヴィは苛立ち交じりに勢い良く歩き出した。


 「まずはその話の裏を取らなければ。本当にドラゴンたちが死んでるのなら、リグの掘削どころじゃない。何か異変が起こっているのかもしれないからな」

 「しかし、どうやって」

 「何のためにワイナミョイネン葬儀社に協力を依頼したと思ってんだ! 今すぐ話を聞いてくる。お前たちはリグの運営を止め、従業員たちを避難させろ」


 眼光鋭く言い放ったターヴィは、電信通話機を取り上げた。

 今日は忙しい一日になりそうだ。




 

 *





 箱庭の端にあるリグ向けて、凄まじい勢いで駆ける馬影が三つ。


 先頭を走るのはミルカだ。金色の髪をたなびかせ、見事に馬を操っている。

 遅れてついてゆくのはダンとターヴィの二人組。乗馬が下手なわけではないのに、あれよあれよという間に、ミルカに距離を開けられてしまった。


 「なんだあのスピードは! さすが警備隊員だな」

 「警備隊が馬に乗るなど聞いたことはありませんが。とにかく今は置いて行かれないようにしましょう!」


 馬は高価な乗り物だ。それを手慣れた様子で操るミルカは、どう見てもただの元警備隊員ではない。そう思ったダンはけれど、その疑問を一度しまい込んだ。


 「急ぎましょう。花菱が待っています」



 花菱の電話を受け、急いでリグに駆け付けようとしたミルカとダン。その出発にちょうど良く出くわしたのが、リグでの出来事を聞いて飛んできたターヴィだった。

 道中でクラウスが捕まったことを話すと、ターヴィの顔色が変わった。


 「クラウスはこの共同リグに乗り気だったドラゴンだ。彼が捕まったとなると、趨勢はますます悪いな」


 三人はリグの端に馬を繋ぎ、掘削場まで走る。

 そこに佇んでいる花菱の美しい鱗は、悲嘆のためにすっかりくすんでしまっていた。

 それを見たミルカは、思わず駆け寄ってその体を抱きしめる。花菱は少し驚いたように目を見開いたが、ややあっておずおずとその翼を広げ、ミルカを包むようにした。


 「こうでいいのかしら? 人間がこうやって相手を抱きしめるのは、親愛の情の現れだってクラウスが言っていたわ」

 「うん。慰めたいときとかにも、こうするよ。……う、いったた、何かちくっとする」

 「あ、そうだ、ごめんなさい! アーケマイン種の涙はガラス片になっちゃうのよ。いやだわ、あたしたくさん泣いたから……」


 薄桃色の鱗の隙間から、ぽろぽろと零れるガラスのかけら。ミルカは痛ましげにその粒を拾い上げた。

 それは強風にさらわれて、無人のリグのどこかへ転がって行ってしまった。


 あの事故から掘削が中止されたためだろうか、リグには使いかけの道具がそのままに放り出されている。片付ける暇がなかったようだ。


 花菱が落ち着くのを待って、ダンが尋ねた。


 「クラウスに何が起こったのですか」

 「……仲間を殺した、裏切り者だと言われて、捕まってしまったの。もちろん無実よ! 彼は必死に抵抗したけれど、相手がドミニコ種だもの、最後はぼろぼろになって連れていかれてしまった」

 「仲間を殺した? なぜそんな嫌疑がかけられたのですか。パンデモニウムでご遺体の受け渡しの仕事をしているからでしょうか」

 「いいえ。彼は……彼は、アーケマイン種だから」


 気づいていた? と花菱が尋ねる。


 「あたしやクラウスの翼、他のドラゴンに比べて大きいでしょう。翼で空を飛ぶあたしたちは、元々人間への憎しみをあまり持っていなかった。他のドラゴンたちがするように、人間を遠ざけておくことができなかった」


 空を自在に飛ぶ強い翼。支配も隷従も地面に置き去りにすることのできるアーケマイン種は、棒切れのような手足しか持たない人間に同情的だった。四百年も遡れば、人間の貴族の家系図に、若きアーケマイン種の名を見つけることができるだろう。人とドラゴンがまだ同じ寝床で眠っていた頃、全てを分け合い、共に大地を駆ける仲間だった頃の話だ。


 例え彼らが自分たちを支配した歴史があっても、その憐憫は薄れることなく受け継がれてゆく。

 ゆえに。人間とドラゴンの共同掘削計画を推したのも、彼らアーケマイン種だった。

 元々箱庭以外の人間とも交流を持っていた。人間の言葉や、習慣も熟知している。彼らは人間が戦いに倦み、箱庭で怯えながら暮らすのに退屈していることに気づき始めていた。

 そうして彼らも、人間のもたらす知恵や発見のない生活に退屈していた。翼のない彼らが生み出す様々なものを見てみたかった。好奇心に駆り立てられ、アーケマイン種はターヴィの提案を呑んだ。

 

 しかし他のドラゴンは違う。

 虐げられ、焼き印を押され、子を取り上げられ。屈辱の記憶を色濃く残すドラゴンたちは、未だ人間への憎しみに腹の底を滾らせている。特にドミニコ種は、人間との戦争の最前線に立ついわば先兵。人間への憎しみをつのらせるのも職務の一つだった。


 「つまり、ドミニコ種は元々アーケマイン種と対立していたってことね」

 「そうよ。クラウスはその中でも、目立って精力的なドラゴンだった。パンデモニウムの番人というのもあって、目をつけられていたみたい」


 その言葉に頷いたのはターヴィだ。


 「つまりは、オレと似たような立場だったってことだ。新しいことをやるやつはいつだって煙たがれる」

 「ではその仲間殺しというのは、彼を陥れる虚言ということですね」


 そう言うと花菱はうなだれた。狼に似た鼻先から、ちょろりと青白い舌が覗く。


 「いいえ。虚言ではないのよ。ドラゴンはほんとうに死んでいる。このリグで働いていたドラゴンが全部で五頭、死んだ。あとの十頭も重症だと聞いているわ」


 三人は息を呑む。それはターヴィが、そして恐らくはクラウスたちの、最も恐れていたことだからだ。

 覆水盆に返らず。死んだものを生き返らせることはできない。


 呆然とするミルカをよそに、素早く立ち直ったのはダンだった。


 「死因は何ですか」

 「それが、分からないのよ」

 「分からない? 外傷がないということでしょうか」

 「ええ、目立った傷や変化はなし。あたしが見た死体には、目の充血、逆鱗の退色及び心臓の肥大化が認められた。でもこれはそんなに珍しい現象じゃない。体調が悪い時もこうなるから」

 「毒物の可能性は?」

 「分からない。その可能性を検討するためにも、遺体の魔術組成を確かめないといけなかったのに、もうお葬式が行われてしまって」


 専門家同士で交わされる難しい会話。ミルカとターヴィは言葉を聞き取るだけで精一杯だった。ダンは考え込むように指先で顎に触れていたが、


 「そうだ、亡くなられたドラゴンの種族は何だったんですか」

 「種族はそれぞれアルハンゲリスク種とその亜種、パン=クイィ種、イサリビ種、ドン・ボスコ種」


 ミルカはアルハンゲリスク種しか聞いたことがない。きょとんとする彼女とは対照的に、ダンははっとした表情になった。


 「どれも逆さ鱗を持っていますね」

 「逆さ鱗って?」


 ミルカが尋ねると、ダンは自分の首の部分を示した。


 「魚で言うえらの部分にある鱗です。鱗は通常、下に向けて生えていますが、この鱗は上向きに生えている。鱗の付け根には小さな穴があって、人間でいう耳のような器官です」

 「そう言われれば、重症化したドラゴンも皆逆さ鱗を持っている種族ね」

 「逆さ鱗を持つ種類の特徴は、体内のマギ濃度の調整を寄生虫に依存していることです。元々寄生虫は鱗を綺麗に保つためのものなので、鱗の隙間、体表にいることが多いですが、逆さ鱗を持つ種はその限りではない」

 「逆さ鱗を持つドラゴンの寄生虫は、マギ濃度調整のためにドラゴンの体内に入れる! そうか、その寄生虫に、何か問題が起こったのではないかと言いたいのね」


 花菱は興奮した様子で独り言ちる。


 「本来逆さ鱗の寄生虫が入れるのは、体内のほんのわずかな場所でしかないから、逆さ鱗から病にかかることはまずない。……そこに入ったのが、寄生虫であればね」


 そうして勢いよく翼を広げた。風圧でミルカのジャケットがはためく。

 横に長い翼は、羽ばたくと一気に空気を掴んで上昇する。花菱は叫んだ。


 「確かめてくる! 何か分かったら知らせるわ!」


 そうしてあっという間に上空へ舞い上がると、北の方角へ飛翔していった。

 呆気に取られているターヴィとミルカを尻目に、ダンは辺りを見回す。


 「このリグ内にも何か手掛かりがあるかもしれません。クラウスの無実を早く証明しなければ、あの血気盛んなドミニコ種のことだ、彼を殺してしまうかもしれない」

 「でも、ドラゴンたちが死んでしまった原因を探っても、それがクラウスの身の潔白を証明することにはならないんじゃないかな」


 ミルカの指摘に、ダンは唇を引き結ぶ。


 彼女の言う通りだ。ドラゴンの死因を明かしたところで、クラウスが釈放されるとは限らない。


 「クラウスの無実の証明ってわけじゃねえが、取引はできるぞ」

 「ターヴィ? どういう意味ですか」

 「つまりだな、重症化したドラゴンを救える手だてを見つけられれば、それを武器にクラウス釈放の交渉ができるってことだ。その辺はオレがうまくやる」

 「ってことは、急いで原因と治療方法を探さなきゃってことだね!」


 そう意気込むミルカは、横目でちらりと掘削途中の井戸を見る。


 「場所もちょうど事故現場だし、ここはひとつ、井戸の中に降りてみない?」

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