十六話

 

 終着駅から歩いて十五分の場所に葬儀社はある。

 ダンは中に入ると湯を沸かし始めた。フィルターを用意しながら、


 「あなたのお姉さんは、どんな方だったんですか」

 「すんごい寝相が悪くて、甘いものに目がなくて、髪の毛結ぶのが下手な人だったなあ。あ、あと私と同じくらい魔術が得意だったよ」

 「ミルカと同じくらい? 凄いですね。術士だったんですか?」

 「んー、術士よりは学者とか研究者に近いかな。展開文様の描き込みについて、毎晩遅くまでやってたよ。私の使ってる文様のほとんどは姉さんが考えたものなんだ。すごいでしょ」

 「きっとそうなのでしょうね。あなたの文様は綺麗で緻密で隙がありませんから、本人の性格と随分違うなあと思っていたのです」

 「う、ダンもだんだん一言多くなってきたね」

 「誰かさんの影響を受けたようですね」


 返事の代わりに微笑んで、ミルカは手土産代わりに持ってきた、無花果とクルミのクッキーに手を伸ばす。無骨で素朴なクッキーはミルカの十八番で、見た目とは裏腹の繊細な味わいが、何とも言えず癖になる。


 普段はブラックを好むミルカだが、仕事終わりの一杯は話が別だ。ダンがそっと差し出すシュガーポットから、角砂糖を一つつまみあげて、落とした。


 その黒い水面が小刻みに震える。震え、揺らぎ続けている。


 「……揺れてる?」


 地響きのような音はどんどん近づいている。キッチンの食器がかちゃかちゃと忙しない音を立て始めたので、ダンはそっと食器棚の扉を閉めた。

 隣室にいたウィリアムも車椅子に乗ったまま顔を覗かせる。


 「なんだ、何が起こってる?」


 腹に響く轟音は、ついに互いの声さえ聞こえないほどに近づいてきて――。


 物凄い揺れと地響きをフィナーレに止んだ。


 家が形を保っているのが不思議なほどの衝撃だった。あまりの揺れにカウンターの上のものは全て倒れ、生ぬるいコーヒーが床にしたたり落ちている。

 少ない家具は倒れるか移動するかしており、ほとんどの陶器は床に落ちて砕けてしまった。

 

 恐る恐る戸口に向かおうとしたミルカをウィリアムが制する。


 「コード“イルマタル”起動(アクティベート)。『それは海なる母、殻にて守られし老爺の宿り人(デ・ラ・クンティ・トルマリネン・ダス・ミゲル・リョンロート)』」


 詠唱に応じて足元が薄紫の光を放つ。その光は、植物が太陽を求めるかの如く、じりじりと家を取り囲んでゆく。不埒なことを考える輩から、葬儀社を守る為の、防御機構のうちの一つだろうとミルカは推測する。


 ウィリアムは車椅子を操り、戸口へ向かう。メッキが施された右の義足を持ち上げ、膝の関節をぐっと強く曲げると。


 現れたのは光線銃の砲身だった。ミルカでも扱えそうな小ぶりなものだが、その奥では、獣の目のように赤い光が剣呑に瞬いている。

 かっこいい、と叫びかけたミルカは、すんでのところで思いとどまった。


 ウィリアムはそのまま扉を開け放ち、鋭く叫んだ。


 「誰だ」

 『撃つな。いずれ死ぬ身だ!』


 答える声は地獄の底から響くが如く、割れ鐘のような重みを持って鼓膜を打った。その声の主を見上げたウィリアムは言葉を失う。


 そこに倒れていたのは負傷した中型のドラゴンだった。長い首の根元はすっぱりと裂け、夥しい量の血が地面に滴って草を枯らしてゆく。濃く立ち込める血とヘドロと鉄の臭気に、肉の焼ける嫌な匂いが覆いかぶさった。


 「これは……ドミニコ種か……!」


 酸鼻を極めたそのドラゴンは、驚くべきことに――まだ生きていた。


 黒く艶っぽい鱗に鎧の破片が深々と喰いこんでなお。

 片目を抉り取られてなお。生きている。


 三人は息を呑む。

 生きているドラゴンが箱庭に落ちてくるのは、この二百年で初めてのことだった。

 このドラゴンは転移魔術に失敗したのではなく、ここへ逃げてきたのだ。


 人間たちの表情を見た瀕死のドラゴンが、ふっと薄ら笑いを浮かべた。


 『そう鶏冠を立てるな。いずれ死ぬ身だ、と言った。どうか哀れに思って、我が生涯最後の我を通させてくれないか。敵の遊撃隊によって蜂の巣にされるよりは、人間どもの穢れた世界へ墜落する方が、いくらかまともな死に様をお見せできよう』

 「……ああ、だからあなたは、自ら進んでここへ落ちて来られたのか」

 『然り。同胞の死臭を探ればきっと貴殿らに辿り着けると信じていた。貴殿らは葬儀社を営んでいると聞く。我らドラゴンの屍を故郷へ戻す為の生業であろう。皮肉ではあるが、今の我にこれ以上の死に場所はない』


 しゃくりあげるような息は小刻みだ。このドラゴンの命はそう長くはない。

 流れる血が玄関先までじわじわと侵入してくる。けれどウィリアムもダンもそれを厭う様子をまるで見せない。

 二人はただ死にゆくドラゴンを見据えている。

 

 「私たちに何か、できることは」

 『あると思うか? ヒト科の猿よ、貴殿らはどうか何も問わず、我が躯を運ぶが良い』


 ドラゴンはどうにか状態を起こし、首を大きく持ち上げると、血走った目で叫んだ。


 『我が幼名はイサリ、そして戦名はエンリケ! 千の鱗、千の牙もて敵陣を抉るぬばたまの尖峰なれば、我が牙は仇敵の首を砕き、我が焔は千尋の凍土を遍く溶かす! 戦場(いくさば)の常、諸行の倣いによって我が肉体は正に滅びぬ、よって我が咢は地獄の只中に戦士の名誉を求めん! どうかこの身を一滴残らず聖餐の盆(ヴァルハラ)に招じ賜え!』


 乱れた言葉の端々に血が滲むようだ。ドラゴンは雄叫びとも断末魔ともつかない咆哮を上げると、そのままがくりと首を垂れた。


 ドミニコ種のドラゴンは絶命した。


 息を詰めて見守っていたウィリアムとダンは、静かにこうべを垂れて手を合わせる。ミルカも遅れてそれに倣った。


 けれど追悼は僅かのこと。ダンはすぐに座標計算機を持ってくると、ドラゴンの傍に設置し、座標の計算を始めた。


 「二人とも、直ちにこのドラゴンをパンデモニウムへ。このドラゴンは何の予告もなしにやってきた、いわば闖入者だ。問題がこじれれば、ご遺体をご遺族に帰すのが遅れ、ドミニコ種たちを怒らせてしまうかもしれない。だから先手を打ってしまおう」

 「分かりました。三分下さい、転移魔術を展開します」


 既に近所の人々が集まり始めている。死んだドラゴンを遠巻きに眺めるその目は好奇と嫌悪に満ちている。あの末期の叫びはきっと彼らにも届いていたことだろう。


 彼らの囁きはさざなみのように伝わってゆく。

 生きたドラゴンが、箱庭に落ちてきた。

 安全なはずの箱庭に。ドラゴンから隔てられた人間の世界に。


 血のにおいが不吉な予感を煽り立てる。転移魔術の準備が整うまでのあいだ、ミルカはそわそわと辺りを伺っていた。

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