十一話

 ドラゴンは果実の如く木や岩、水の中に生まれる。つがい―ドラゴンたちには雌雄の概念がない種族もあり、同性同士のカップルもつがいとして見なされる―が祈れば、その子が自然に成り、生まれてくる。

 ドラゴンの赤ん坊は生まれてくる際に転移魔術を展開し、この世にぬるりと生じ出る。

 けれどやはりお産には難事がつきものなのだろう。残酷なことに、その転移魔術をしくじる子もいて、そういう子は五体不満足で生まれてきたり、永遠に見つからなかったり、死体となって発見されたりする。

 そして転移魔術である限り、生まれ損なった赤ん坊が箱庭に落ちてくるのもまた、ありうることで――。

 

 だから、ダンとミルカは雨の降りしきる山奥を、猛烈な勢いで駆けている。

 

 「急いで下さい、ミルカ! もう少しで着きますから」

 「分かってる……! うわ、雨が強くなってきた。よりによって何でこんな山奥に」

 「無駄口を叩く暇があったら足を動かしてください! 巡査長はどこにいるんだ……!」


 油を引いた巨大な布を背負っていたミルカは、盛大に躓いて顔面から泥に突っ込んだ。すぐさま起き上がった彼女の足元で、重いものが着弾するこごった音がした。


 その音を聞くなりミルカはブーツを蹴り上げ、氷の壁を出現させる。


 ブーツの底に補助文様を描き、それにマギを流し込むことで、タイムラグのない魔術の展開を可能にしたのだ。折しも天候は雨、使うマギも少量で済む。

 だが続けざまに放たれたつぶては、脆い氷の壁など簡単に打ち砕いてしまった。泥の中にぽとりと落ちた小さなつぶてをつまみ上げ、ミルカはダンの後を追う。

 ろくな雨具もなく、ただジャケットのフードをかぶっただけの彼は、一心不乱に駆けていた。長い脚が俊敏にひらめくさまは、牡鹿の力強い走りを想起させる。


 その背中にミルカは叫んだ。


 「誰かに狙われてる!」

 「誰であろうと追いつかせません! ……右の方です!」


 ダンの操る鉄矢は、近距離ならば捜索の真似事もできるらしかった。驟雨の中で、銀色の矢が行先を示すようにぽつんと浮かび上がっている。

 ミルカは走りながら、時折放たれる鉄のつぶてを氷の壁でしのいだ。手の中のそれをよくよく見れば、悪意に満ちた文様が施されてある。

 ひしゃげてよく分からないが、貴族の家紋らしきものまで見える。術士の程度にもよるだろうが、これを体に撃ち込まれればしばらくは動けないだろう。もっともこのつぶて自体が致命傷になる確率の方が高いが。


 相手はこちらの生死にあまり頓着していないようだ。ぞっとしない。


 木々の隙間を俊敏に駆け抜け、広い場所に飛び出たダンが突如足を止めた。


 「見つけた! ミルカ、三分時間を稼いで貰えますか。転移魔術を使います」

 「了解っ!」


 ドラゴンの赤ん坊は、くすんだピンク色の体をしていた。泥の中にくったりと埋もれ、小枝や落葉にまみれている。さほど大きくはない。体長はダンの身長と同じくらいだ。


 それは既に遺体となっている。


 ダンはその体を、油を引いた帆布で覆うと、素早く手を合わせた。そしてその上に座標計算機を乗せ、計算を開始する。

 ミルカはポケットから羊皮紙を取り出すと、円環の補助文様を空中に描画させ、そこに様々な意匠を書き足した。ほの赤い光がまるで警告するように明滅を始める。


 「いたぞ!」


 木々をかき分けて武装した男たちが現れる。数は四人、誰もがクロスボウだの光線銃だのを手にしており、しかも身なりが良い。十分に報酬を貰っていることの証だ。蛇の家紋があしらわれた武装は丁寧に手入れされ、その目は油断なくこちらの動きを見張っている。

 ミルカは目を眇めて男たちの様子を窺う。交渉の余地はあるだろうか?

 ――ない。

 男たちは既に弾込めを終えているし、冷徹な眼差しはこの手の仕事に長けているもののそれである。議論の段階(ルビコン)はとっくに過ぎていた。


 「お兄さんたち、何者?」

 「葬儀社の人間だな。お前もまとめて始末してやる」

 「短気だなあ。この雨の中でよくやるよ、ほんとに」


 ダンと遺体が射線に入っていないことを確認すると、ミルカは四人の顔を挑発するようにじろりと眺めた。


 「誰の差し金? 答えるんなら手加減してあげてもいいわよ」

 「分かっているんだろう、葬儀屋め。ドラゴンと人間が再び交流するなど、あってはならないことだ」

 「へえ?」


 ミルカは素早く考えを巡らせる。ターヴィの掲げる、ドラゴンと人間が再び共存する世界を拒否する人間がいるのだろう。彼らはまず、最もドラゴンに近い木龍葬儀社を狙い、ドラゴンに関する知識を遮断しようとしているのかもしれない。

 

――要するに、リグの共同掘削から手を引けということなのだろう。


 「ま、何でもいいけど、そう簡単にやられてあげる気はないよ」

 「そう言っていられるのも今の内だ。俺たちは本気だぞ」


 男がクロスボウの引き金を引いた。

 矢の切っ先は、遺体にまっすぐに向けられている。

 

 ――体が、勝手に動いていた。

 ミルカの体は俊敏に反応し、赤ん坊の遺体に覆い被さっていた。矢は彼女の足元に突き刺さり、鈍い音を立てた。

 ダンは呆気に取られてそれを見ている。

 男たちが下卑た笑い声をあげた。


 「馬鹿な真似を。死体を庇って何になる!」

 「黙りなさい」


 地を這うような低い声。

 ミルカが顔を上げる。口元を歪めた彼女の呼気が白く立ち上っている。

 爛々と輝く青い目には、虹彩とは少し異なる模様が浮かび上がっていて、ダンは息を呑んだ。

  異形のそれを、綺麗だと思ってしまった自分が恐ろしかった。


 「次にダンを狙ったら、お前たちの脳天をぶち抜く」


 空気にひびが入る。

 降りしきる雨が霰に変わる。ミルカの魔術文様は未だ宙に浮いたまま、何の変化も見せていないと言うのに。周囲の温度が急激に下がり、吐く息が白く染まり始める。

 ミルカは男たちの顔をじっと見ている。その艶やかな唇が弧を描いた。


 文様がぼうっと赤く輝きだす。男たちは散開してミルカの魔術の射程外に出ようとしたが、足が縫いとめられたように動かない。靴底が凍り付いている。

 ミルカが靴底に仕込んだ補助文様で、地面に氷を張って足止めしたのだ。

 訓練を受けている男たちは慌てずに引き金を引いた。ミルカに向けて複数の礫が発せられたが、それは降りしきる氷の塊に全て叩き落とされた。


 氷の塊。それは雨を凍らせたもの。

  男たちが少女のコントロールに絶句する。雨が落ちるスピードは秒速7メートル。それだけの範囲を五感でとらえた挙句にその一部だけを凍らせ、しかも射出された複数の礫に正確に当てる――。


 もはや異形とも言うべきその精度に驚嘆したのが愚かだった。驚く間があれば脇目も振らず逃げるべきだった。


 「今――ダンを狙ったわね?」


 ミルカの目に再び文様が浮かび上がったかと思うと、幾何学的な文様が彼女の全身をさっと駆け抜けて行った。まるで彼女の内側に強い光源があって、皮膚の文様からそれが漏れ出ているような、そんな印象を受けた。


 けれどそれは一瞬のこと、ミルカはもういつもの姿でそこに立っている。


 吐く息はいっそう白い。

 世界が凍る。冷気がその場を支配する。

 ものみな全て凍てつかす冷気の源は、ミルカ・モナード。


 男たちはミルカについてのブリーフィングも受けていたはずだった。元警備隊所属。抜きんでた実力を持つその少女に、その実力以外の特筆すべき事項はなかった。

 ほんとうは、連綿と受け継ぐその血脈にこそ警戒しなければならなかったのに。

 雨が降っていたのが災いした。湿った男たちの体は見る間に凍りつく。魂ごと凍らせるような霜に覆われ、既に樹氷と化した木々の狭間で芸術品のように固まってゆく。

 窮鼠の力でクロスボウを射出しようとしたが、こわばって動かない。呼吸をしようともがいても、すでにその肺は凍り付いている。


 ミルカの操る冷たいマギが血管を通じて全身に広がり、自由と熱を簒奪する。

 それは無音の征服。抗う事を許さぬ沈黙の殺戮。


 ほうっと息を吐く少女の眼前に、文様の残滓がちろちろと瞬いている。

 男たちは全身を白く染め、立ったまま凍り付いていた。出来そこないの氷の彫像は、雨に打たれて僅かな光を反射している。


 「ミルカ」


 ダンの声は微かに震えていた。あれ、とミルカは思う。そちらには冷気が行かないようにしたはずだったが。

 果たしてダンと遺体は無事だった。雨に濡れてはいたが、彼のすみれ色のまなざしは、微動だにせずミルカを射抜いている。


 「その魔術は……それは一体、どこで」


 言いかけてダンは唇を軽く噛む。しばらく俯いていた青年は、すぐに元の、葬儀士の顔つきに戻った。


 「転移魔術の準備は整いました。私たちもこれで帰ります。……パンデモニウムの登録書を調べなければ」


 目を伏せたミルカは、帆布に覆われた遺体に触れようとして、その手を引っ込めた。霜に覆われたその手は、母の抱擁さえ知らない体には冷たすぎるだろう。

 その代わりミルカは声をかけた。


 「こんな雨の中、一人で心細かったでしょう。暖かいところへ帰りましょうね」

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