第二話

 世界をつつがなく回してゆくためには、エネルギーが必要だ。

 

 魔術エネルギーの源であるマギは、自然界のどこにでも存在している。血と同様に生物の体内を巡っているものもあれば、石の形をとるものもあるし、大気中に分散しているものもある。

 けれど液体として存在し、最も効率よく採取できる状態のマギは、地中の奥底にのみ見つけることができた。ゆえに人々は花の蜜を吸う蝶の如く、細長い管を地中に下ろして液体のマギを採取する。

 

 使われるのは鉄のパイプだ。腐食に強く、マギの蚕食にも耐えうるよう、モリブデン等の魔術加工が施された金属を配合したそれは、一本の長さがおおよそ十二メートルほど。直径は三メートルほどなので、パイプを通すための井戸は、リグにもよるが直径おおよそ十メートルが相場だろうか。

 そのパイプにはネジが切られているので、カップリングと呼ばれるもので繋いで長くすることができる。

 そうして繋げて長くしたパイプを、やぐらを使って地中に下ろし、マギを採掘するのだ。採掘方法は様々だ。圧力をかけてマギを噴出させたり、より純度の高い液体にして吸い上げたり、マギの埋蔵量によって方法は異なる。


 このリグでは抽出器、及び魔術を操る人間―術士によってマギを高純度の液体にし、井戸に通したパイプで吸い上げるやり方を取っていた。最もオーソドックス、かつ安くあげられる手法である。

 そしてその為の施設はリグと呼ばれている。昼夜の別なく稼働するこの施設には様々な人間が起居している。リグを稼働する為の技術者、採掘したマギを運搬可能な液体、ないしは固形に圧縮する術士、そしてマギにたかる生物や、不法侵入者を撃退するための警備隊といった面々だ。

 そしてミルカはこの警備隊の一員である。

 警備隊はひ弱な技術者たちに替わって、荒事への対処を求められるのが常だ。

 例えば今回のように。

  

 申し訳程度の扉、というより腰の位置程までの高さの柵しかない、むき出しの昇降機(エレベーター)に乗り込んだミルカは、カラビナの状態を確かめ、文様補助の羊皮紙の枚数を数える。

 この衝撃だ、異変を察知したアイアンウルフが群れで襲ってこないとも限らない。

 研究員の男は、ミルカの背中に電信通話機を背負わせた。


 「何で潜るのに電信通話機(ハコ)背負わなきゃいけないんですか」

 「厚生省からのお達しだ。これからドラゴンの専門家が通信してくるらしいから、現場の人間に必ず繋がるようにしておけ、だとさ」

 「お喋りできる余裕があればいいんですけどね。それで、状況は」

 「とりあえずマギの漏出は止めたが、パイプの破損状態が気になる。新しいパイプは至急で発注をかけているが、落下したパイプの量によってはリグを止めざるを得なくなるかもしれん」

 「了解。確認します。私の任務はドラゴンの状態確認、および脱落したパイプの状況と長さの確認ということですね」

 「ああ。いずれも優先度高、君一人で降ろさざるを得ないのは申し訳ないのだが、魔術を扱うのは君が一番上手い」

 「いえ、第三区画ともなればスペースに余裕はありませんし、単身降下はやむなしと考えます。それで、ドラゴンの推定箇所は?どんな風に突っ込んできたんでしょうか」

 「第二区画と第三区画の境界辺りだろうな。頭部がパイプ部分にめり込んでひしゃげてる。上顎がないのはその時に損傷したのかも知れない」

 「井戸の底に落ちてたら回収が面倒ですね……。ドラゴンの血って、触ったらまずいんでしたっけ」


 その質問に応えるかのように、電信通話機が着信を告げるベルを鳴らす。ミルカは後ろに手を回して受信のスイッチを入れた。


 「ハロー、こちらオンショアリグ。警備隊のミルカ・モナードです」

 『ワイナミョイネン葬儀社殿より電信が繋がっております。お繋ぎして宜しいですね』


 こんな時間帯でも交換手の声はきびきびとしている。ワイナミョイネン葬儀社という社名に小首を傾げながらも、ミルカは交換手にイエスと返した。ぷつ、と電信を切り替える特有の音がして、雑音と共に会話が始まる。


 『ハロー、オンショアリグ、こちらはワイナミョイネン葬儀社のダンケルク・ハッキネンです。ドラゴンの葬儀を専門に扱っています』


 聞こえてきた声は涼やかな男の声だった。多少早口だがよく通る小気味のいい口調に、ミルカはまだぼやけていた脳が完全に覚醒するのを感じた。


 「こちらはミルカ・モナード。只今より、死体があると思われる地中に降下します」

 『よろしくお願いします。ドラゴンの発見からどのくらいの時間が経過していますか』

 「十五分といったところでしょうか。さほど時間は経っていません」

 『さほど? とんでもない、十五分も経ってしまった。私たちは出遅れました、ミルカ・モナード。速やかに地中への降下を開始してください』

 

 これでも迅速に対応した方だ。だのに出遅れたと言われてミルカは鼻白む。

 声を聞く限り自分と同年代のようだが、その物言いは教師のように押しつけがましい。友達にはしたくないタイプだ。

 

 「降下しますが、しかし、どうしてそんなに急ぐんですか」

 『十五分というのは、ドラゴンに寄生していた寄生虫が散逸するのに充分な時間です。本来であれば死体を発見してすぐ寄生虫を凍結するのが望ましい』

 「寄生虫? そんなものがいるんですか?」

 『います。あなたの皮膚に必ずダニがいるように。しかしドラゴンの種類によって寄生虫の数は決まっていますから、しらみつぶしに探すのも難しくはないでしょう。毒を持っている種類もいますから気を付けて。低温に弱いですから、凍らせれば動きは止まります』

 「か、簡単に言ってくれますけどねえ、パイプの近くに潜るのは一苦労なんですよ。暑いし、狭いし」

 『文句を言う暇があれば直ちに降下を開始して下さい。暑かろうと寒かろうと、寄生虫は全て見つけ出さなければならないのです。ドラゴンたちは寄生虫も自分たちの体の一部と考えていますから、全数揃わねば葬儀も出せない』

 

 てきぱきとした言葉は頼もしいが、ミルカの仕事はどんどん積み上がってゆく。

 

 「遠くからなら何とでも言えるでしょうけど」

 『それに関しては失礼をお詫びします。今全速力で向かっているのですが、そちらまでは三十キロ程度はありますから』

 「い、今こっちへ向かってるの?」

 

 思わず敬語を使うことを忘れてしまう。深夜なのに。通報をしてからまだいくらも経っていないのに。

 なるほど初動が遅いと言われるわけだ。ミルカはぎゅっと拳を握りしめ、プロになり切っていなかった自分の意識を切り替える。

 

 『ドラゴンの特徴は今のところ不明と聞いております。従ってまだ種類の特定ができていませんから、確実なことは申し上げられませんが、ドラゴンには決して触れないようにして下さい。その血が人間にとって毒になるドラゴンもいますから。温度が高いのであれば血は揮発するでしょうから、なるべく風上に立つようにして下さい』

 「そういう情報が知りたかったんです。他に注意事項は?」

 『ざっと二十七ほどありますが、一度に言っても注意が散漫になるので、たった一つきりの原理原則だけお伝え致します。そのドラゴンはお亡くなりになった状態のまま、ご遺族の元へ帰さなければなりません。遺体の損壊は許されないものと思って下さい』

 「まあ、そちらは葬儀社ですから仕方ないと思います。でもここにはアイアンウルフの群れがいます。多少の損壊はやむを得ないかと……」

 『二度言わせないで下さい。遺体の損壊は、断じて、許されません。アイアンウルフを決して近づけないように。私も急ぎ向かいます』

 

 通話が切れた。

 ミルカはふんと鼻息一つ漏らすと、電信通話機のスイッチを落とした。

 

 「ドラゴン葬儀社ねえ。死体にたかって甘い蜜を吸うハゲワシみたいな連中だろ。死体から貴重な胆石だの鱗だのを剥いで荒稼ぎしてるって聞くぜ」

 「そうなの?道理で感じが悪いわけね」

 「俺も実物を見たことがあるわけじゃねえけどさ。まあ、頑張れよ」

 

 ティムと技術者の男に見送られながら、ミルカは第二区画に降下する。

 昇降機は地上から第一区画、第一区画から第二区画を繋ぐものと二種類あるので、途中で乗り換えなければならない。第二区画から第三区画までに至っては、鉄梯子での降下を余儀なくされる。


 ミルカが収まっている昇降機の筺体はほとんど剥き出しなので、不用意に身を乗り出したりすると、パイプやその他の機器にぶつかってしまう。


 まだミルカがここに配属されたばかりの頃、先輩が負傷する現場に居合わせたことがあった。用心深い先輩だったが、たまたまその日は疲れていたのか、昇降機の低いドアの上に両手をついてもたれかかっていた。

 そして猛スピードで降下する昇降機の筺体の外に、たまたまシュリンプラット用の罠の蓋が突き出していて――。

 ばつん、という音と共に、先輩の小指がポップコーンの如く弾け飛んだのだ。


 それからミルカは、昇降機に乗っているときは決して筺体の外に体を出さないようにしている。

 ぶつかるだけなら小指を一本失う程度で済むが、床板と柵程度しかない簡素な昇降機のことだ、衝撃が大きければ、そのまま落下する可能性も十分にある。

 一つの区画は長ければ一キロほどもあるから―落ちたときのことを考えるだけで恐ろしい。トマトのようにくしゃりと頭が潰れるくらいなら、まだ原状を留めているだけましと言うものである。


 本来であれば地中に穴を掘り、パイプを降下するだけでマギの採掘は可能なのだ。しかしこうやって、危険を冒してまで人が降りられるようにしている理由は何かと言えば。


 「……いるわね」


 むき出しの土面から、シュリンプラットが顔を出しているのがちらりと見えた。ラットと言っても大きな飼い猫ほどの大きさもあるので、群れで襲われれば人間などひとたまりもない。もっとも臆病な性質なので、あちらから攻撃を仕掛けてくることは滅多にないのだが、問題はそこではない。


 ラットがいればそれを喰うアイアンウルフもまた近くにいる、ということだ。狼の亜種であるこのいきものは、ラットだけでは飽き足らず、ぶら下がっているパイプをも胃の腑に収めてしまう暴食の悪徳を有していた。

 アイアンウルフは、歳を経た固体ともなれば魔術さえ操ってのける。遠隔操作での罠や魔術など簡単に無効化し、パイプを破壊してマギを掠め取ってしまうのだから、リグにとって厄介な存在だ。

 パイプを製造する鉄鋼屋の中には、パイプの表面に彼らが嫌う液体を塗布するところもあるが、それさえも焼け石に水、悪辣な暴食の前に屈した。


 それだけならまだいいが、マギ採掘には欠かせない遠隔望遠術式(カメラ)をも無効化してしまう場合がある。そうなると作業に支障が出てきてしまう。

 ゆえに原始的ではあるものの、こうして警備隊員が降下して、定期的に彼らを駆除する必要があるのだ。

 そのための昇降機。そのための警備隊員。

 

 ミルカを乗せた昇降機は、申し訳程度の明かりに照らされながら、蒸し暑い井戸内を猛スピードで降下する。

 第一区画は問題なく通過する。当直の隊員に事態を伝え、第五種のアラートが発令されていることを再度確認した。およそ生ある害獣は見つけ次第全て殺し、リグ内の安全を保つ。それが彼らの仕事だ。

 パイプを壁面に固定するスタビライザーが幾つか破損していたが、この程度であればすぐに修復できる。被害は軽微であるように思われた。

 

 しかし第二区画に至る頃には、ミルカの五感が既に異変を拾っていた。

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