輪廻の繋ぎ目

第19話

 白に塗り潰された夢は、長くは続かない。

 現実が夢を浸食していき、淡藤の記憶は闇に取り込まれていく。それでも夢を引きずりながら目を開ければ、視界に青いカーテンが飛び込んでくる。


「……今の前世の夢だよね」


 ベッドの上、藤花は体を起こす。

 初めて前世の夢を見た日と同じだった。


 夢だと断言することが憚れるような現実感のある夢。


 手に菖蒲の感触、菖蒲がつまんだ頬には痛みがわずかに残っているような気がする。どちらもこの体で感じたものだと言われたら信じてしまいそうなほど、生々しい夢だった。

 藤花は、ゆっくりと頬を撫でる。


「本当にあったことみたい」


 ぼそりと呟いて、ベッドにもう一度寝転がる。


 いつも見る夢は、目が覚めると煙のように消えてしまう。覚えていることも霧がかかったようにぼうっとしていて、時間とともに水に流されるように頭の中から抜けていく。


 だが、前世の夢は違う。


 解像度が普通の夢とは異なる。映像と言うよりも、今まさに自分が体験しているような夢だ。はっきりとした形を持ち、頭の中に居座っている。他の記憶にその場所を明け渡すつもりもないようで、前回見た夢もずっと鮮明なまま頭に残っていた。


 難点があるとしたら、時間順に見ることができないことだ。淡藤が経験した出来事をシャッフルし、ランダムに見せられている。

 今日見た夢は前回の続きではなく、それよりも過去にあった出来事で、塔に連れて来られて初めて菖蒲に会った日のことだった。“蛍”という新しい人物も出てきた。


 彼女は高圧的で、いかにも塔を管理している側という態度の女性だった。あまり良い印象を持たなかったが、管理官という立場を考えると、この先淡藤と菖蒲に深く関わってくる可能性がある。


「そうだ、電話!」


 藤花は飛び起き、枕元に置いているスマートフォンを手に取る。

 一刻も早く、夢に見たことを伝えたい相手がいた。


「あの人のこと、菖子も知ってるのかな」


 はやる気持ちを抑え、アプリを起動して菖子を呼び出そうとする。だが、あることに気がついて時間を確認した。


 午前十時十五分。


 最近の藤花にしては、早起きだ。だが、高校生に電話をかける時間ではない。


「……授業中、だよね」


 できれば、今すぐにでも菖子に蛍のことを聞いてみたいと思うが、藤花は手を止めた。

 菖子なら、藤花から電話があったことに気がつけば授業を抜け出して電話をかけ直してくることくらいのことはしそうに思える。藤花は不真面目な行動を促すようなことは避けるべきだと考えて、メッセージを送ることに決める。


『夢のことで話したいことがあるから、学校終わったら会える?』


 やはり、すぐに返信があるわけではなかった。

 当然だという気持ちと早く返事が欲しいという気持ちが混ざり合い、心の中にマーブル模様を描き出す。


 藤花は淀みかけた空気を払うように頬をぱんっと叩き、スマートフォンを使って“淡藤”のアカウントにログインする。


 顔を洗って、朝食を食べて。


 今、やるべきことは他にいくつかある。それはわかっているが、昨日作ったアカウントが気になって、前世の仲間から連絡がないかと画面を見た。しかし、藤花の求めるものはそこにはない。自分のアカウントを調べても、友人からの反応があるくらいでめぼしい情報はない。SNS内を検索しても知りたいことは見つからず、検索サイトの検索結果が変わることもなかった。


 藤花はスマートフォンを布団の上に放り投げ、カーテンを開けて朝の光を部屋へ招き入れる。窓ガラス越しでも感じる熱に、エアコンのリモコンを探す。机の上にリモコンを置いたことを思い出し、ベッドを降りてエアコンを入れる。

 しかし、すぐに涼しくなるわけもなく、藤花は「暑い」と呟いて椅子に腰掛けた。


 ――もしかしたら。


 変わるはずがないと知りながらも、藤花はノートパソコンの電源を入れてブラウザを起動する。スマートフォンで確認したばかりの淡藤のアカウントにログインするが、やはり結果は変わらない。自分のアカウントも、SNS内も、検索サイトも、数分前に見たばかりのものと同じものを表示するだけだった。


 当然だと藤花は思う。

 一晩という短い時間で仲間が見つかったり、手がかりが増えるなら、もうすでにいくつかの情報が藤花の元に集まっているはずだ。


 ため息を一つついて、見たばかりの夢を反芻する。

 塔の内部は、前に見た夢と同じ無機質な白い空間だった。

 だが、十九歳だった二人は十七歳で、パジャマを着ていた二人は日本の高校生のような制服を着ていた。


 何かがおかしい。


 初めて見た夢もそうだったが、前世――過去の出来事にしては夢の中に現代的な雰囲気が漂っている。

 塔の内部、身に付けている服。

 顔立ちや髪型も、今よりも古い時代のものとは思えない。

 どれも、今の日本にありそうなものだった。


 藤花は菖子が口にした“前世の夢”という言葉を盲目的に信じ、見た夢を前世だと思い込んでいた。しかし、あの夢が前世だという確証はないのだ。


 現代か未来。

 そう言われた方がしっくりとくる。

 ただ、夢に見ているものが前世ではないのだとしたら何なのか。それがわからない。


 藤花は夢に隠された真実を見つけ出そうと、記憶の奥底へと潜っていく。頭の中にある引き出しという引き出しを開け、これまで見つけることができなかった記憶の欠片を探そうとする。


 だが、それは地図もなく道しるべのない道を歩いているようなもので、目的のものが見つかることはない。そもそもゴールがどこなのかもわからずに歩き出しているのだから、探し物が見つかるわけもなかった。


 いくら考えても、答えはでない。

 藤花は早々に真実を求めるという行為を放棄し、立ち上がる。スマートフォンに視線を向けるが、菖子からの連絡はまだないようだった。


「お昼にするかな」


 健康的とは言えないが朝食と昼食をまとめて食べることにして、スマートフォンを持って部屋を出る。


 洗面台で顔を洗い、キッチンに向かう。

 冷蔵庫をあさってサラダを作り、ハムとトーストをのせた皿をテーブルに並べると、スマートフォンがメッセージの着信を知らせるランプを光らせていた。


 画面を見れば、急かすように『大丈夫! どこに行けばいい?』という文字が踊っている。


『学校終わったら、この前のファミレス集合。授業は真面目に受けること!』


 手早く文字を打ち込んで、返信する。

 高校生だった頃の記憶は遠くなりつつあり、学校というものがこの時間、授業中なのか休み時間なのかわからない。だが、高校に入ったばかりの女の子に道を踏み外すような真似をさせたいわけではないから、先生に怒られるようなことはしないで欲しかった。


 藤花は、少しばかり焼きすぎたトーストに齧り付く。粉々に砕かれたパンが舌に苦みを残して、食道を通る。


 六月に屋上で出会った少女は、急速に距離を詰めてきていた。深く関わるつもりがなかったはずが、藤花は自分を慕ってくる菖子に気を許しつつある。


 他人から向けられる好意は、行き過ぎなければ心地が良いものだ。誰かの一番になることは、自分という存在を無条件に肯定されているようで悪い気はしない。


 藤花は、ふう、と息を吐き出して、皿の上のトーストとハムを胃の中に片付け、サラダを咀嚼する。


 洗い物をして、キッチンを後にする。

 部屋へ戻ると、藤花は電源を入れたままのノートパソコンの前に座った。


 会社を辞めてから、まだ一ヶ月も経っていない。

 だが、家族はもう一ヶ月になると言う。


 藤花はため息交じりにブラウザを立ち上げ、求人サイトを開く。そして、気が乗らないまま何か良い仕事がないかと探し始めた。

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