第17話

「村瀬さん以外に、前世の記憶がある人って知ってる?」


 今日、菖子を呼んだ理由。

 藤花はそれを口にした。


「知らない」


 短く、だが、疑いようのない口調で菖子が答える。


「私のこと探してるときに、見つからなかったの?」

「探すって言っても、学校や街で聞いて歩くわけにもいかないし。ネットでしか探せなかったから、見つからなかった」

「そっか。私も探してみたんだけど、見つからなくて」


 菖子の言葉は予想通りのものだったが、藤花は落胆を隠せない。


 前世というあやふやで怪しげなものを探すという行為は無駄足になる確率の高いもので、仲間が簡単に見つかるわけがないことは知っている。実際、藤花も前世の記憶を持つ人物を見つけることができずにいる。


 そもそも、いるかどうかすらわからない存在なのだ。仲間を探すという行為は、砂糖の山から塩の粒を探す行為に近い。それでも藤花は探すという行為を諦めきれず、菖子に尋ねる。


「今も探してる?」

「藤花と会ってからは、探してない。それに、もし仲間みたいな人が見つかったら藤花に言ってる」

「そうだよね」


 脱力したように言い、アイスコーヒーを飲む。

 グラスについた水滴が手のひらを濡らす。

 湿った手がやけに気持ちが悪くて、藤花は大きく息を吐き出した。


「……探したい人がいるの?」


 明るい光が差し込む部屋に、わずかに不安が滲んだ声が漂う。


「そういうわけじゃないけど、仲間がいるなら会ってみたいなって」


 藤花は明るく、軽い声色で、菖子の声を打ち消す。


 菖蒲色の髪をした少女には、危ういところがある。過去には、屋上から飛び降りようとしていた。それを考えると、不安に駆られて感情の均衡が崩れたときに、想像もできないような行動を起こすのではないかと落ち着かなかった。


「会ってどうするの?」

「話がしたいかな。何か思い出すかもしれないし」


 藤花は菖子を安心させるように、柔らかな声で言う。


「じゃあ、一緒に探そうよ」

「菖子と?」

「そう。一人で探すより、効率が良いでしょ。それに、もし仲間が見つかったら、藤花が何か思い出すかもしれないし、あたしも前世のことをもっと知りたい」


 菖子の不安は吹き飛ばされたのか、声に明るい色が混じり始める。


「思い出さないかもしれないよ?」

「わかってる。でも、思い出すかもしれない。だったら、探したい」

「じゃあ、一緒に探そうか」


 懇願するとまではいかないが、強く乞うように言われて頷くと、菖子が笑顔を見せた。

 背伸びをするような大人びた行動が多い菖子だが、彼女は今、年相応の表情をしていた。藤花は、いつも高校生らしくいてくれたらいいのにと思う。


 二人の関係を一足飛びに進ませるような行動は、心臓に悪い。年上として上に立ちたいというわけではないが、主導権を握られっぱなしというのは決まりが悪い。


 仲間を見つけて前世の記憶を取り戻すことができれば、今よりも対等な関係に近づけそうな気がする。

 藤花は、長い髪を指先に絡ませる。

 エアコンから吹き出る風が少しだけ冷たくて、温度を一度上げた。


「ねえ、藤花は前世のことどうやって探してたの?」


 氷が溶けきったアイスコーヒーを飲みながら、菖子が問いかけてくる。


「SNSのチェックとかかな。書き込んだり、ネットで検索もしたけど、それっぽい人見つからないんだよね」


 藤花がため息交じりに答えると、菖子の瞳の奥に光が宿った。そのキラキラと輝いた目が、真っ直ぐに藤花へ向けられる。嫌な予感がして目をそらしたが、期待に満ちた声が部屋に響いた。


「藤花のアカウントって?」

「ない」

「今、SNSに書き込んだって」

「書き込んでない」


 藤花は、菖子の言葉を片っ端から否定する。だが、口に出した言葉が菖子の頭から消えることはない。少女は笑みを浮かべながら、藤花を追い詰める。


「教えてよ」

「教えても意味がないから。手がかり、なかったし」

「手がかりなくても知りたい」

「教えたくない」

「なんで? 教えられないようなアカウントなの?」


 やけに気取った言葉で前世のことを書いた。

 それを菖子に見せるという行為は避けたい。

 だが、同じやりとりを繰り返していても話は進まない。諦めようとしない菖子に根を上げた藤花は、念を押すように言った。


「……笑わない?」

「笑うような書き込みがあるの?」

「…………」

「わかった。笑わない」

「あと、先に菖子のアカウント教えて。あるでしょ?」

「いいよ。見る?」


 菖子がテーブルの横に置いてあった鞄から、スマートフォンを取り出す。

 藤花がそれをテーブル越しに受け取ると、そこには菖蒲の花で飾られたSNSの画面があった。菖子のアカウントらしいそれには、たわいもない短い書き込みが連なっている。どれも日付の間隔が空いているところを見ると、熱心にSNSをやっているというわけではなそうだった。


「藤花は?」


 菖子に促され、藤花は渋々と机の上からノートパソコンを持ってくる。テーブルの上で電源を入れると、SNSの画面を表示して菖子に見せた。


「……ポエムだね」


 つらつらと書き込みを読んだ菖子がぼそりと呟く。


「うるさい」


 前世を遠回しに書いた結果、詩のようになった。

 藤花は、ただそれだけだと言い訳のように付け加える。


「これ、友達とか見てるんだよね?」

「悪い?」

「恥ずかしくない?」

「アカウント削除する」


 藤花はきっぱりと告げ、菖子に向けていたノートパソコンをくるりと自分の方へと向けた。設定画面を表示して、アカウントを削除する項目を探しているところで菖子に手を掴まれる。


「ごめん、冗談だから。削除するのはやめなよ」


 真剣な声に顔を上げると、真面目な顔をした菖子が目に映った。藤花は長い髪をくしゃくしゃとかき上げ、大きく息を吐く。


 大人げなかった。


 時々、こうして感情にまかせて行動してしまうことがある。そして、後悔をする。藤花は何度か経験した失敗に目を閉じると、心を落ち着かせてからゆっくりと開く。

 削除はやめておく、と小さく口にすると、ほっとしたように菖子が言った。


「そう言えば、淡藤も行動力があってさ。猫が飼えないからって、突然、猫のぬいぐるみ作り始めたりとか」

「そんなことがあったんだ」


 自分が知らない前世の話に、藤花は興味を引かれる。


「うん。ぬいぐるみを作る布がもらえないからって、シーツ切って縫い始めて。大変だったんだから」

「シーツ切ってって。それ、怒られないの?」

「反省室に送られた」

「……淡藤って馬鹿なの?」


 眠るために必須とは言わないが、おそらく塔の備品であろうものを切り裂いてぬいぐるみの材料にするなど、常識を持ち合わせた人間のすることではない。馬鹿だという表現は、それほど間違っていないだろうと藤花は思う。

 だが、菖子がすぐにそれを否定した。


「馬鹿じゃないよ。問題児なだけ」

「そう言えば、ファミレスでも問題児だって言ってたっけ。……あまり良い人じゃなさそうだなあ」


 藤花は、淡藤という人間に好ましい感情を持てない。菖子の話を聞いていると、前世の自分だと言われてもピンとこない人物がさらに遠ざかっていくような気がする。


「良い人だよ。私は好きだもん。藤花も思い出せば、悪い人じゃないってわかるよ」

「早くわかりたいもんだけど」


 他人事のように言ってから、視線をノートパソコンの画面へ落とす。藤花がSNSを流し見ていると、菖子が急に大きな声を出した。


「そうだ。新しいアカウント作らない?」

「どんな?」

「前世用のアカウント。淡藤か、菖蒲のどっちかの名前で作って、ポエムじゃなくてもっと前世のことを詳しく書いたら気がつく人がいるかも」

「ポエムは余計だってばっ。でも、それ用のアカウントを作るのはいいね。前世の記憶があるなら、私たちみたいにネットで探してそうだし」

「でしょ。藤花、今すぐ作れる?」

「まかせて」


 とんとん拍子に話が進み、藤花は菖子とともに淡藤の名前で新しいアカウントを作る。

 プロフィールには、菖子のことや仲間を探していることを書く。そして、検索のキーワードになりそうな塔のこと、能力のこと、夢のことといった思いついたことを書き込む。


 随分と怪しげなものができあがったが、前世に関するアカウントということを考えれば仕方がなかった。だが、まともではない人間を呼び寄せそうな雰囲気があり、藤花は高校生の菖子に任せるのではなく自分でアカウントを管理することに決める。


「翠にも、仲間を探すことになったって話しておくけど、いい?」

「いいよ」


 藤花は軽く答えて、ノートパソコンの電源を切る。

 壁の掛け時計を見ると、夕方が近づいていた。


「ねえ、藤花」

「なに?」

「仲間を探すなら、これからもここに来て良いんだよね?」

「学校、サボったりしなければね」

「約束する」

「なら、いいよ。あと、変なことしないで」

「それは約束できない」


 菖子が呼吸をするようにあっさりと言う。しかし、菖子の好きにさせるつもりのない藤花は強い口調で告げる。


「じゃあ、だめ」

「……しないように努力する」


 少しばかり躊躇ったあと、菖子の自信のなさそうな声が聞こえてくる。藤花は、頼りのない返事に不安を覚える。だが、今はそれで良しとした。


 それから、二人でとりとめのない話をする。

 共通点が前世しかない菖子と話せることは限られていたが、藤花にとって菖子という人間とともに過ごす時間は苦にならないものだった。


 気がつけば日が傾き、空が燃えるような赤に染まりかけていた。藤花は菖子を送り届けることにして、車を出すために立ち上がる。

 小さな鞄を持ってドアの前、部屋を出る前にTシャツの裾を掴まれる。藤花が何事かと振り返ると、菖子が掠れた声で言った。


「早く思い出してよ」


 苦しげにも聞こえる声に、藤花は返す言葉が浮かばない。

 いつものように、軽くあしらえばいい。

 そう思うが、二人の間に流れる空気はそれを許しそうになかった。


 菖子が手を伸ばし、藤花の耳に触れる。ゆっくりと輪郭をなぞる指先に抵抗せずにいると、抱きしめられてしまう。

 藤花は菖子を押しのけようとして、迷う。結局、背中に手を回すと、子どもをあやすように心臓の裏あたりをぽんぽんと叩いた。

 菖蒲色に染めた少しくせのある髪が目に映る。


「思い出したら教えるから」


 藤花はそう言って、菖子の背中を撫でた。

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