52 レゾネに載らない物語

 夜が明けて、満身創痍の芸術家は朝の日差しとともに最後の確認を行う。

 は思い通りに描いた姿形か。

 モチーフの変異は起きていないか。

 全身全霊で向き合った作品か。


 彼女は美しい天使だった。

 その羽化する瞬間を見てはいないけれど。

 飛び立つ姿を見てはいないけれど。

 もしも本当に美しいその造形を己の作品として落とし込めたなら。

 この世で最も儚く、最も尊く、最も美しいものが生み出せたなら。

 死んでもいいとさえ思えた。


 ああ、いつか本物の天使に出会えたなら。

 その時は髪の一本すら、爪の一欠すら逃さず描写しよう。

 ああ、だからこそ。

 頭の中で想像しうる天使像には騙されない。

 ここで生み出すものは空想の産物でなく、偶像の類でもなく、己のあるがまま、見た、知った、覚えた、感じた、彼女自身でなければならないのだ。



 再び畑を訪れたリリーたちは驚愕した。

 そこにあったのは燃え尽きたりんごの木で象られたウェンディの姿そのものであった。

 色こそ黒く朽ちてしまっているが、大きさや質感といいまさしくウェンディそのもので、今にも動き出しそうなほど躍動感に溢れている。

「…………っ」

 呆然と眺めていたリリーの頬に一筋の涙が溢れる。

 ぽっかりと頃に空いた穴に飛び込んできそうなほど、その彫像は精巧に作られていた。

 そして、それらは燃え尽きた木の数だけ点在している。


「スゴイのです……まるでウェンディちゃんが生きているみたいなのです。ジョウロで水をあげようとしている姿、りんごを収穫しようと手を伸ばしている姿、しゃがんでお野菜を見つめる姿、そのどれもが今にも動き出しそうな……」

 サータは口をぽかんと開けて、ただただ感動した想いを口にする。

「これは俺の想像だが、天使どもが『必要ないもの』として燃やしたりんごの木には黄金のりんごが実っていたのかもしれない。燃えた木にはそのどれにもウェンディの『想い』が残されていた。……よほど熱心に祈りを捧げたのだろうな」

 無言のまま、泣きそうな顔でその光景を見ていたグラが気持ちを落ち着かせるように大きく息を吐いてからワールドを見る。

「……アンタ、基本合理主義だし理詰めで物事を考えるくせに、こういうときだけ想いがどうのこうのってズルくない……?」

「事実だからな。それにいかに技術だけ優れたところで、想いを乗せられなければ芸術家として失格だ。――そんな風に芸術家は思うのさ」

 そう言ってニヤリと笑う。

 それを見て、ああ、いつもの彼だと少し安心する。


「ウェンディ……ウェンディ!」

 リリーがその彫像に近づく。

 間近で見てもその美しさは、あどけなさは、彼女らしさは変わらない。


 そっと手を触れてみる。

 暖かな光に包まれるような、そんな感覚にリリーはそっと目を閉じる。

 感じるままに手を伸ばし、温もりのする方へ導かれる。


「……ああ、リリー!」

「ウェンディ、ウェンディなのね!」

「ごめんなさい、あなたにばかり重荷を背負わせてしまって」

「何を言ってるの。辛かったのはあなたの方なのに!」

「ねえ、リリー。あなたは、楽しかった? あれから一緒に遊ぶこともほとんどできなくなっちゃったけど、一緒に秘密を共有して、うまくやろうってふるまってきて。……大変だったけど、私は楽しかったの」

「もちろんよ! 楽しくないはずがない! もっと、ずっと、一緒に、いられ、たら……って……」

「そう、良かった。ずっと、怖かったの。こんなにうまく行き過ぎていて、いつか終わりが来るんじゃないかって。でも、それで良かったんだ」

「…………」

「これは私のわがまま。ねぇ、リリー。あなたは生きて。私の知らないことをたくさん見て、知って、ああ、それからこの村のアップルパイも続けてほしいわ」

「……ふふ。ウェンディったら、よくばりさんね」

「リリーったら。……あっ、もう、そろそろ時間だわ」

「えっ、ちょっと待って! まだ話したいことはたくさん――」

「大丈夫、きっといつかまた会えるわ。天使にな……も、忘れ……れ、ば――」

「ウェンディ! ウェンディ! ねぇ、ねぇってば!」


 リリーがウェンディに抱きつくと、その彫像は跡形もなく散ってしまった。

 まるで初めから何もなかったように。

「――ま、素材が素材だけに長くは保たないな」

「……芸術は儚いのです」

「野ざらしじゃいつか崩れ去るだろうし、雨風にあたってもそれまで。といっても動かせるわけでもなし、時限付きの芸術だな」

 残すべきもの、残してはならないもの。

 彼の中でははっきりと区別があり、全てが永劫不変であるべきとは考えていない。


「……聖女に頼るのはこれきりだ。これからはお前たちが考え、村を残していかなければならない」

「はい」

「……ん?」

 なにやら、村の入口の方で人の声がする。



「――ここか、アップルパイのうまい村ってのは」

「ああ、なんせ運び屋ディランのお墨付きだ」

「こんなところに隠れた名産があるとは、いやあ楽しみだ」

 新たな旅人たちがこぞって村に押し寄せていた。

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