その6 異世界戦線、異常なし。なんて騙されるわけないでしょ、ちょっと!

 それから数日、祖父からは特になんの音沙汰もなかった。


 僕は二日ぶりの塾へ行き、しかしまったく集中することができず小テストは散々な点数重ねるばかりだった。もっとも、僕がこんな状況下で落ち着いて実力を発揮できるような人間だったなら、そもそも自分のことを凡人だなんて卑下しはしない。こんなもんだろう。



「考えたんだが、やっぱり遠距離で攻撃できる武器がないことにはどうにもならないな」


 ある晩、どうにも気になってとうとう電話を掛けてみると、あっさり繋がった向こうの祖父はそう言った。


「でも、そっちにそんなものはないでしょ?」


 スピーカーフォンにして数学の宿題を片付けながら祖父と現実味のない話をする。


「ないなぁ。だから、こっちへ持ってこられる武器を考えるしかない」


 あの隙間を通せる遠距離武器。しかし、三センチあるかどうかの隙間、だ。

 おもちゃの水鉄砲だってきっと通らないだろう。


「……ねぇ、おじいちゃん。あの隙間って、もう少し広げられないのかな?」


 いっそ扉の一部を切り取ってしまうとか。


「そうだな、いけるかもしれないが。……いけなかったとき、取り返しがつかないからなぁ。少し怖い。最後の手段だな」


 この祖父にも怖いものとかあるんだなぁ。と僕は思いました。


「じゃあ、今の状態で通せるものってことだよね。えーと、弓とか?」


 シンプルな弓なら通せないこともない気がする。


「弓な。通るかも知らんが、問題は俺が射てるかだな」

「実は弓道の経験がある、とか」

「ない」


 これがラノベとかなら、実はかつてのインカレ優勝者で無双展開とかになるんだろうが、そんなご都合主義は残念ながら存在しなかった。

 となれば、素人の射る矢なんてマシュマ〇マンの落とす耳クソみたいなものだ。


「なんだそりゃ。さすがにもうちっとマシ……でもないか、やっぱり」


 おじいちゃんの矢は耳クソということに決まった。


「でもじゃあ、どうすんの?」


 そう聞くと、祖父は事も無げにこう言った。


「持って来られないなら、こっちで作るしかないだろ」



 そんな会話の翌日、僕宛にまた荷物が届く。相変わらず笑ってるみたいなデザインの愉快な箱でなんだか恨めしい。

 とりあえず開けてみれば、入っていたのは大量の巻かれた細い針金、黒い缶型の謎部品、チューブ、釘などなど。いまいちよく分からないものばかりである。

 さて、祖父は正気なのだろうか。

 よく分からない。けれども、ともかく僕はこれを届けるしかない。前よりかは幾分小さい鞄へ荷物を詰め込み、僕は家を出た。


 今日は日曜なので塾はない。かわりに模試があったが、受けたところでろくな結果の出ないことは目に見えている。

 休みの連絡を頼もうと思った母は、どうやら仕事が修羅場のようで、声をかけるのも憚られる状態だった。今日はあえなく無断欠席で仕方ないだろう。……よく考えれば日曜なのだから父がいてもよかりそうなものだが、そういえば朝から姿が見えない。仕事か、接待か。僕の知るところではない。


 幾日かぶりに会う祖母はなんら変わることのない柔和な微笑みで、僕はそれに漠然とした後ろめたさを感じた。


「いちおうこれ、おみやげ」


 途中で買ってきた羊羹の紙袋を手渡す。あらぁとそちらへ目をやった祖母は、僕の鞄の異様な膨らみに気がつかない。よし。


「まぁ、漣ちゃん。そんな気使わなくっていいのに」


 嬉しそうに顔を綻ばせつつ、しかし祖母はちらりと確かに僕の鞄を見遣った。訂正。彼女にはきっとばれている。

 僕はおよそ羊羹購入代金の三倍ほどの小遣いをもらい、一緒に食べようと言う祖母に詫びをいれて待ってもらうことにして、そそくさと二階へ上がりこんだ。


「おじいちゃん、来たよ」


 ノックと共に声をかけるが、待てど暮らせど返事がない。おかしいな。出掛けているんだろうか。

 祖父のスマホへ掛けてみる。あえなく圏外のアナウンスが流れるのみだった。

 迂闊だった。来る時間を事前に知らせておくべきだった。どうせひきこもりなんだから必ずいるに違いないとでも僕は思ってたのか。相手はひきこもっていないひきこもりだというのに。

 八つ当たり的に栓ないことを考えながら、ともかく鞄の中身を隙間から祖父の部屋へ送り込み、押し込んでおく。よし。


 一通りの作業を終え、さて手持ち無沙汰になった僕は階下に降りることにする。

 ダイニングテーブルでは、祖母が翻訳のお仕事を広げていた。


「おばあちゃん。あ、ごめん、取り込み中?」


 祖母は屈託のない笑みを浮かべ、大きなフランス語辞書を閉じた。


「いいえ、大丈夫よ。漣ちゃんの羊羹、いただきましょうか」


 そう言って席を立つ。代わりにテーブルに着きながら、僕は祖母の年季の入った仕事道具をなんとはなしに眺める。


「漣ちゃん、今日のおじいちゃんはどうだった?」


 羊羹を切るために背を向けたままの祖母の問いは、とてもさりげない。

 しかし、まさかおじいちゃんは出掛けてていなかったなどと答えられるわけもなく、僕はしどろもどろしてしまう。


「あ、うんと、今日は、その、あんまり話せなかった、かな」

「そう」


 祖母の声色はやや憂いを帯びたようだった。しまったと思うが、これもなにも祖父が折悪しくいなかったのが悪い。

 でも、羊羹と湯のみを載せたお盆を持って振り返った祖母の顔は、声ほど憂いに沈んでいるようではなかった。


「はい、お待ちどおさま。今日は煎茶ね」

「うん、ありがとう」


 こうして一緒に食べるなら、栗が入ってるやつにすればよかった。とちょっと後悔する。


「漣ちゃん、もう受ける学校は決めたの?」


 上品に羊羹を小さくしながら祖母が尋ねてくる。我が身内で僕のことを受験生としてまともに扱ってくれるのは、この祖母ぐらいだ。


「まだ。いくつか絞ってはあるけど、二学期の内申と模試の偏差値出てから決めるつもり」

「そう、大変ねぇ。……無理におじいちゃんに付き合わなくったっていいからね、漣ちゃん」


 おばあちゃんは僕とじいちゃんがなにをしてると思っているんだろう。

 僕は、無理してないから大丈夫とでも答えるしかない。


大輔だいすけはともかく。お母さんも変わらず忙しそうなの?」


 父は既に祖母からも ともかく扱いされていた。


「うん。連載が二本になってなんだかんだ忙しそう」

「あら。売れっ子さんね」


 僕のスマホが小さく鳴る。通信アプリの通知だ。友達の誰かが僕の姿が模試会場にないのを心配してきたのかと思ったが、なんのことはない、祖父だった。帰ってきたらしい。


 “荷物ありがとう。まだいるのか?” “いるよ。おばあちゃんと羊羹食べてる” “羊羹? いいな。俺も食べたい。持ってきて”


 わがままだな、この人。

 祖母になんと説明すればいいのかとても困る。けれど、事実を正直に伝えるしかなかった。


「……おばあちゃん、おじいちゃんも羊羹食べたいって……」


 スマホへ視線を逸らしながら言っても、その言葉に祖母がぽかんとするのが分かった。そりゃおばあちゃんには、おじいちゃんが僕のスマホに羊羹を要求してくるなんてどんな状況かよく分からないだろう。


「……おじいちゃんが? 羊羹を?」

「うん。僕が持っていくから、ちょっと切ってあげてくれる?」


 そう聞いたあとの祖母の動きは迅速だった。とんでもない使命を帯びたかの様相で祖父の羊羹とお茶を用意した。

 駄目だ。もう絶対おばあちゃんは、なにかを汲み取りすぎてる。


「お願いね」


 たぶん羊羹以上のなにかを託され、僕は祖父の部屋へ送り出された。

 いいんだろうか、これで。

 多少の逡巡は感じるものの、かといって他にどうする術もない。僕は祖父の部屋をノックしながら羊羹ののった皿を扉下の隙間へ差し入れた。

 厚めに切られていた羊羹が、扉とギリギリ触りそうだった。危なかった。


「おじいちゃん、羊羹」

「おおお、漣ちゃんありがとう」


 扉の向こうから、大変非常にやたらと嬉しそうな声がする。うん、おじいちゃんが元気なのは、いいことだ。


「おばあちゃんがお茶も煎れてくれたけど。湯のみは通らないよ」

「しょうがないな。それは漣ちゃんが飲んでくれ」


 さっきもういただいたので遠慮します。


「ところでさぁ、おじいちゃん。あの材料でなに作るつもりなの?」


 祖父は電話では教えてくれなかったし、実際に届いたものもあまり武器になった姿の想像できる材料ではなかった。


「ああ、あれか。あれは、コイルガンの材料だ」

「え、コイルガン? てなに?」

「ガン、つまり銃器だ」


 それは、分かる。


「つまり、火薬の力ではなく、コイルの力で弾を射出する銃器だな」

「コイルって、あの銅線とかをぐるぐる巻いたやつでしょ。コイルの力って?」

「コイルに電流を流すとどうなる?」

「……磁界が生まれる」

「その向きを確認する法則は?」

「……右ネジの法則」

「お、ちゃんと理科やってるな」


 さすがにそのぐらいで褒められても微妙だ。


「じゃあ、コイルに電流が流れたときに近くに金属があったらどうなる?」

「えーと。磁界の磁力に引き寄せられる?」

「そう。コイルの中に吸い込まれる。吸い込まれた瞬間に電流を止めると、動いていた金属はそのまま等速運動を続けてコイルから飛び出す。それがつまり」

「慣性の法則?」

「ん、そうだ。そういう仕組みの銃だ」


 なんとなく祖父の言う仕組みは分かったが。果たしてそんな中学生理科電気の集大成みたいなやつが、本当に武器として有効なのか?


「いや、これが案外馬鹿にならない。そりゃ基本原理は単純で、それだけじゃあ大した弾は撃てないが。コイルを多段式、つまりリニアモーターのシステムで加速をつければ、ま、人間一人殺せる程度の代物なら簡単に作れる」


 さすがに弾は音速を超えないが、などと言われてもちょっと想像できない。


「いやでも。そうは言っても大砲みたいなやつが作れるわけじゃないんでしょ? さすがに、あのを倒そうってのは無理があるんじゃない?」

「ああ。さすがにアレは無理だろうな」


 ではなぜコイルガンなんて作ろうというのだ。そしてどうしようというのか。


「まぁ問題ない。俺が狙っているのはアレじゃぁなくって、根っこの方だからな」

「根っこ? え、足下を狙おうってこと?」


 将を射んと欲すればまず馬を射よ。か?

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