第06話 鬼を討つ

 初依頼の進捗は順調だった。

 内容も正直、たやすい。雑魚魔物を倒して素材を集めるだけ。厄介な魔物の数を減らし、加工などに有用な部位を集められる、銅級カッパー冒険者・トレイラーの基礎中の基礎。

 休憩中に何度か確認したが、やはり俺のランクは鉄級アイアンだった。普通の鉄級アイアンなら仕事は、もっと賢くない魔物や小さな害獣、たとえばネズミとかの始末だ。

 それでも従っているのは、助かるという気持ちも確かにあったから。

 アルキスは少しばかり口が悪いものの、面倒見は良い。

 今も、実地で魔物相手の素材集めを練習させつつ、暇を見つけては鉱級ミネラルが本来は実践で得る情報を口頭で教えてくれている。たまに確認として問題を出される。これは暇であるなし関係なしに。

 この、一分一秒丹念に仕込まれている感じ。

 日本での鍛錬の日々を思い出す……師匠は無事に、俺に代わる後継者を見つけられるだろうか。

 現在、俺たちは多頭蛇と出会った――そして俺たちが出会った場所でもある、ラクラスの森の浅いところで狩りをしている。

 しかし雑魚魔物とはいえ小石を投げる程度の能はあるし、森人エルフにはただの森でも人間の俺にとっては完全に山登りなので高低差が鬱陶しい。戦闘では常に不利を強いられていると言っていい。

 それにしても。

 俺を冒険者に仕立てあげようとしている森人エルフ娘は、どうにも勾配の急なところをわざと選んでいる気がする。

 ちらりと後ろを見れば、アルキスは空を見上げていた。白い喉が見える。……エロい、じゃなくて退屈そうだ。既に何度も戦いぶりは披露したので、目新しいものはないと考えたのだろう。

 そんなことを考えているうちに、周囲に生きた敵がいなくなった。

 散乱している死体は獣鬼コボルド

 背が低くてすばしっこい。

 細い全身を、びっしりと鱗が覆っている生物だ。

 頭は犬、というか狼に似ている。毛の代わりに鱗が生えているが。

 体色は緑ばかりだが、身長差は激しい。

 低い奴で百センチくらい、高い奴だと百四十センチほど。

 とれる素材は爪と目玉。肉はうまいらしいが、俺は食わなかった。

 ……翻訳の奇跡のせいで、至近距離まで近付いてきたこいつらの声が聞こえたからというのは、内緒だ。

 次の日も獣鬼コボルド退治から始まった。

 素材収集も手慣れてきて、一匹あたりきちんと爪を八つ、目を二つ得られるようになった。爪が八つなのは、妖鬼の手には指が四本しかなく、足の爪は素材にならないからだ。

 三日目の朝、野営地から出立してすぐの場所にそれはあった。

 アルキスのお眼鏡に適う、ぽっかりと口を開けた洞窟だ。

「ジン。あんたはここに、どういう魔物がいると思う?」

「大きい魔物だ。四メートルはくだらない、はずだ」

「そうね。個体差はあるけど、だいたい五メートルよ」

 でかいな。そんなの大丈夫なのか。

「足の数は?」

 問われて周囲の地面に視線を落とすと、ちらほらと足跡が見えた。

「二足歩行だと思う。足跡が四つ足のそれじゃない」

「上出来。私に訊ねられる前に見立てておければ満点ね」

「そりゃどうも」

「上からの攻撃は死角になるし、重そうだから気を付けるよ」

 ちょっとだけ悔しかったので、そう付け加えておいた。

「分かっているならいいわ。……死んじゃ駄目だからね」

「えっ、あ、お、おうっ」

 なんでいきなりそういうドキッとすること言うのこの子!?

 アルキスの話によると、この洞窟には地鬼トロルという魔物が住まっているらしい。ちょっとまだ動悸が収まってないけど大丈夫かな。

「さて。ここを制圧すれば依頼達成よ」

「やっと獣鬼コボルド狩りの日々から解放されるのか……」

 がくりと項垂れた俺の耳に、残酷な宣告が届く。

「そんなわけないでしょう。鬼種オーガは何もないところから発生するし、素材の需要はいつでもあるの。狩れるだけ狩る、できれば根こそぎ。それが冒険者のマナーよ。だから……帰りもたっぷり収穫しましょうね」

 アルキスはにっこりと笑った。いや、やっぱりにやりとだった。

 魔物とはいえ、生態系には影響しているから皆殺しにしてはならない。ただし鬼と名のつく種族はその限りではない。

 可憐な笑みとともに放たれた言葉を聞いて、俺は絶望交じりの目で洞窟を見る。

 洞窟には血の臭いが充満している。

 それから何か、甘ったるい香りも漂っているような。

地鬼トロルの体臭よ」

 と言われたときは、吐きそうになった。

 ともあれ言われるがままに洞窟の周囲十数メートル、地上部分の探索を進める。

 また洞窟内を肉眼で見える範囲まで、石ころ投げに始まり、棒で壁を叩いたり、草を潰して塗ったりしていく。

 すべて終わる頃には、日はもう高く昇っていた。

 しかし時間をかけた甲斐あって、賢しき地鬼トロル・ワイズマンという理知的な個体がいないと結論を得られた。そいつがいると、罠があったりこちらの常習的狩り口に乗ってこなかったりして厄介らしい。

「見ていなさい」

 アルキスが、魔法マジックの袋・バッグから取り出した瓶をいくつか投げ込んだ後に弓を構える。

 引き絞って、放つ。気のせいかもしれないが、放たれた瞬間、矢が炎に包まれた――いや、炎になったヽヽヽような気がした。

地鬼トロルはね、炎にすごく弱いの。酸にもだけどね。酸まみれになったあいつらは絶対に人に向かって突進してくるけど、火炙りになってると単に暴れるだけだから、みんな炎を使っているわ。魔道士がいるなら酸より使いやすい、っていうのもあるし」

 彼女が説明している間にも、洞窟の奥から地鳴りのような足音が四つ、近付いてきていた。

 言葉を聞き取るのに支障はないが――近い。

「気をつけないといけないのは皮膚の硬度よ。あたしは奇跡で強化できるからいいけど、普通なら矢は目玉にしか通らないし、他の武器も愚手ね。炎も酸も持ってないパーティは、地鬼トロルと出会ったら逃げ出すのが定石ってわけ」

「ふうん――」

 洞窟の中で、何かが蠢いた。

「つまり俺の剣が本当になんでも斬れるのか、試そうってわけか」

「そういうこと。……あ、魔法で誤魔化すのは駄目だからね。感知の奇跡アストラル・センスで見張っておくから」

「そもそも使えないし。それより……もし危なくなったら、どうすればいいんだ」

「本当に危ないと思ったら逃げなさい。あんたが逃げ出したら、あたしも奇跡を解除して援護するけど……大きな奇跡を使うと反動があるから、すぐには助けられないわよ。余裕は持ってね」

「分かった。じゃあ動けるようになるまでは逃げ切ってみせよう」

 勝つのが一番だけどな。

「そうね。頑張りなさい。あ、最後に一つ。喉のあたりは極力、傷つけないでね。素材になるから。じゃあ――来るわよ」

 飛び出してきたのは、まさに五メートルほどの体躯を持つ緑色の巨人だった。鬼種オーガは緑色が多いのだろうか。

 特徴的なのは、その頭。

 単に首が短いのだろう、頭部は半ばまで胴体に埋まり、不釣り合いに大きいせいで下顎の先が鳩尾みぞおちまで届いている。見ているだけで不安を誘う造形だ。

 耳まで裂けた口からは、ぬらりと光る牙が覗いていた。

 それから、ぴんと伸ばせば地面につくほど長い腕。逆に足は短い。しかし四肢はどれも太い。

 獣鬼コボルドとは比べるべくもない。明白に異形の化け物だ。

 筋肉で固めた全身には、誰にも彼にも炎の装飾がなされている。苦悶か憤怒か、唸り声を上げるその顔は、ひどく恐ろしいものに見えた。

 視界の端で何かが動いた。

 アルキスだと分かったときにはもう遅い。彼女は最初に出てきた地鬼トロルの眉間へとナイフを突き立て、その柄へと着地している。

 鉄製の短剣を支点にして、軽い身体をうまくひねった。絶命した一匹目の後頭部を蹴飛ばし、もう次目掛けて跳んでいる。

 二匹目はなるほど、味方の陰から現れた敵に対して多少なりと対応を試みることができた。

 一直線に跳躍してきたアルキスに向けて、その大きな口を目一杯開いたのだ。やはり甘い匂いを漂わせた口が開き、牙がぐるりと並ぶ。

 まるで蜜で、虫を誘う花びらのようにも見えた。

 ……いや、毒々し過ぎるか。

 アルキスは空中で、真上に飛んだ。

 いや、やはり跳んだのだ。

 彼女の足元に少しだけ光の膜が見えた。おそらく盾の奇跡シールドのようなものがあるのか、足場を作るだけの奇跡があるのか。

 ともかく頭上うえをとられた地鬼トロルは為す術もなく――

黄昏の釵リーパーズ・ディール!!」

 奇跡による一撃を受けて倒れた。

「間抜けにもほどがあるわね」

 洞窟の入り口のすぐ上にナイフを刺して足場を作り、アルキスは言った。

 ……そのまま仁王立ちとかしてくれないかな。

 屋根の上の盗賊のような姿勢だと、ギリギリ見えないのだ。何がとは言わないが。

「最初の二匹はサービスにしといてあげるわ」

 ――あたしが見たいのは戦いの強さじゃなくて、本当に『万物を斬り徹す』なんてことができるかどうかだから。

 そう言って妖艶に笑ったアルキスの視線は、試すようなものに変わっている。

 サービスと言ったが、見本の意味もあったのだろう。額を貫く分には、素材に影響はないらしい。

 俺は細剣レイピアを強く握り直し、地鬼トロルを待つ。

 三匹目。

 読み通り、トロルは俺に向かって突撃してきた。冷静に躱したはいいものの、左腕はいまだ炎上を続けている。目の前にあるのはその左腕と、殴るべき標的おれがいなくなったせいで、拳の半ばまでが地面に埋まった右腕。選択は当然後者。

 脳天を頂くために足をかけて――踏み外した。

「うおっ!?」

 なんだこの皮膚、めっちゃぬるぬるする! キモっ!

 レイピアを握っているのとは逆の手――必然的に左手を地につき、宙返りをうつ。どうにか無事に着地はできた。しかし一合目で仕留められなかったか。

 四匹目は今まさに洞窟から出ようというところ。いける。

 まずはがむしゃらに振るわれた左腕を躱す。入り込むのは懐、さらに股下。

 両足首を斬った。

 切断するほどではない。切り返しを優先して浅くやっただけだ。おそらくはそれだけで、バランスを崩して反撃どころではなくなるだろう。だが念のために動脈のある|(はずの)太腿あたりを斬りつけておく。

 そして直進。四匹目に向かう。

 流石に足元を警戒してきた四匹目。ガードを深くした腕をそのまま輪切り、足を斬って身長を低くする。

 アルキスにならって眉間を、足元を斬り抜けてしまったので後頭部側から、一突きにしておく。

 びくりと一度痙攣した。

 さて、あとは最後になってしまった三匹目だけだ――

 ――と、俺の身体の上に影がさした。

「なにっ!?」

 攻撃は右側から。

 レイピアを盾代わりにしつつ、思いつきでここにも『斬り徹し』を試してみる。すると面白いことに、防御に使ったレイピアに触れたトロルの腕が見事に断たれぐふっ!?

 身体が数メートルも吹き飛んだ。

 とにかく立ち上がって、レイピアの切っ先を向ける。

 当たったのは脇腹。手をやれば、真っ赤な血が大量に流れ出ている。

 いや。

 トロルの手首から先が一つ、離れた場所に落ちていた。

 鎧をまさぐる。

 傷はない。

 ということは返り血だ。

 どうやらアルキスは、随分といい鎧を買ってくれたようだ。

 並みの武器じゃ刃が立たない皮膚を、破城槌のような勢いでぶつけられて、死なずに済んだばかりか傷はない。

 素晴らしいな。

 しかし反省点だな、さっきのは。

 くそったれ。簡単に考えて実行してしまったが、『斬り徹し』はやっぱり防御には使えない。線の攻撃を点で斬ることになってしまって、残った部分が慣性そのまま、自分に降りかかってくる。

 今後の参考にしておこう。

 そうして俺は、反省とは裏腹に怒りに任せてレイピアを振るい――トロルの首を、斬り落とした。

 ……しまった。

 喉は残さないと駄目なんだった。

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