ツリフネソウのせい


~ 九月十九日(木) 

さすがに教卓と入れ替えたらわかります ~


 ツリフネソウの花言葉

    私に触れないで下さい




「神の手……、神の手はどこ……」



 エセナの村から南西に広がる泥炭地は、道行く者を三つの色で迎え入れる。

 どこまでも続くぬかるんだ地面。そこに埋まる暗い色の草となにがしかの骨。朽ち果てた木と一羽のカラス。

 ……時の流れの吹き溜まり。この地には、茶と緑と、死の色だけが横たわっているのだ。


 王国の南西端に位置するエセナ。収穫量こそ少ないものの、良質な小麦を作ることで有名な村。北に広がる小麦畑は、勤勉な村人が総出で手を、目をかけるため、毎年その黄金色を王国で最も美しく輝かせる。

 信仰に厚く、犯罪もなく、誰もがここに生まれて幸せだと口にするエセナには、隠された裏の顔が二つあった。


 一つは、南西の泥炭地を越えた先にある村の共同墓所。代々、村の者が最後に眠る場所として使われていたその場所に、いつからか真夏にも雪が降り積もるようになり、獣でも魔族でもない怪異が現れるようになったのだ。

 その青白い霧は確かに人間の姿をしていて、通りがかった人の手を強引に掴んで離さない。その手は氷のように冷たく、恐怖に駆られて霧を振り払おうとしても、こちらからはその体へ振れることもできずに素通りしてしまう。


 腕が徐々に凍り付き、誰もが泣いて許しを請うと。その霧は、


「これじゃない」


 とだけ言い残して、何処かへと消えてしまうのだ。



 そしてもう一つ。エセナの裏の顔、その恐怖とは……。


「だからね、お嬢ちゃん。どんなに辛くても決して神様へのお祈りを欠かしちゃいけないの。そうすれば本当に辛い時に、神様が必ず手を差し伸べてくれるのよ?」


 老婆に、貴重な薬である『茶』を一服いただきながら、マールは思った。良質な小麦が採れるこの村は。パンで有名なこの村は。時代から取り残された風習に、未だにしがみついているのだなと。

 それを悪とは思えない。否、善に属する領域なのだろう。だが、信仰心とは度が過ぎると、場合によっては毒にもなる。


「…………行くぞ」

「あ、はい。……おばあさん、貴重なお茶をありがとうございました」

「いいのよ。神へ首を垂れることができるあなたに、幸あらんことを」


 祈りをささげる老婆に対して丁寧にお礼をしたマールは、敷居の外で待っていたバロータの元へ慌てて走る。彼は、玄関先へ掲げられた神の言葉へ礼をするのを嫌がり、敷居を跨がせてはもらえなかったのだ。


「……ここは、関わりたくない村なんだ」


 バロータは泥炭地へと足を向けながら、マールへ振り向きもせずにつぶやく。

 そんな二人は、こそこそと家の影から様子をうかがう敵対心ばかりの視線を痛いほど背中に感じていた。


「関わりたくないって、どういうこと? ここに来たことがあるの?」


 マールがいつもより速く歩みを進めるバロータに難儀しながら横へ並んで話しかけると、仮面の男は珍しく昔話を始めたのだった。


「俺はここから遥か西、セレスタン公国の生まれなんだが……、訳あって国を追われて、命からがらここまで逃げて来たんだ」

「そんなバロータを、この村が受け入れてくれなかったから恨んでいるの?」


 さもありなん。これほどまでに信仰心に厚い村だ、余所者には冷たかろう。

 そう思ったマールだったが、意外にもバロータの返事は彼女の考えを否定した。


「いや。俺は、ネイルという少女に助けられた。あいつがいなかったら、俺は今頃この沼に骨になって浮かんでいたことだろう」


 そう呟きながら足を止め、どこまでも続く泥炭地を見つめたバロータ。

 マールは、ドラゴン殺しの剣士様は女の子に助けられてばっかりねと軽口を叩こうとしたのだが、いつもとは異なる真剣さに包まれた彼の雰囲気を察して、無言のまま先を促した。


「無論、その行為に否定的な声は小さく無かった。だがネイルは、神がそうお命じになられたからと言って、俺の世話を続けてくれたんだ。……毎日、五度も祈りを捧げるあいつの姿を見て正直気持ち悪かったが。まあ、感謝はしたさ」


 バロータは腰嚢から手に隠れてしまう程の小瓶を出すと、その蓋の具合を確認した後、ビンの内側、底の部分に書かれた文字をじっと見つめる。

 それが気になったのだろう。マールは背伸びをしていると、不意に底が覗けるように、目の前へ瓶が突き出された。


「ウスヌ文字? ……『神殿』って書いてあるの?」


 バロータは無言で肯定を示すと、コルクの蓋を異音と共に瓶へ差し込んだ。


「ここには、古臭い風習があってな。悪いことをした子供は、この先にある墓所で墓穴に落とされるんだ」

「……酷い」

「ああ。そしてそんな子供を救うか見捨てるか、決めるのは神ってことになっているらしい」

「え? どういうこと?」


 少女の問いから逃げるかのように、剣士はぬかるみへ足を進める。そして長い嘆息を経てようやく開いた口から出た言葉は、ひどく苦々しい語気をはらんでいた。


「大抵、子供は自力で穴から這い出して来るんだが、それは神ってやつが手を差し伸べたことになるんだよ、この村じゃ」

「ああ……、なるほどね」


 それではあべこべだということに、マールは気付いた。本当に神を信じている子供は、神様が手を差し伸べるまで待ち続ける事だろう。


「じゃあ、ネイルさんみたいな信心深い子が落とされたら大変ね」


 何の気なしに口にした言葉。だが、マールは自分が取り返しのつかないことをしたのだと、バロータの歯ぎしりによって気付かされる。


「……あいつは、生まれて初めて。俺を助けた罪を問われて穴に落とされたんだ」

「うそ……。そ、それじゃあ……」

「そうだ。あいつは、俺が伸ばした腕には掴まろうとしなかった。あなたは神ではないってな。……俺はバカな女を助け出そうとしているのを村の連中に見つかって、ここを追い出されることになった」


 ネイルがその後どうなったか。考えるまでもない。だが、マールはそこで初めて気が付いて、小さく悲鳴をあげたのだ。


「じゃあ、お墓に出るゴーストって! まさか!」

「考えるまでもないだろう。夏でも雪の降り積もる墓所と怪異。その噂が聞こえるようになったのは、俺がここを追い出された後らしいからな」

「だ、だめ! ネイルさんをダンジョンヘ連れて行って、どうする気なの!?」


 後ろから、バロータの腕に全身でしがみついて止める少女。その表情は、必死さの中に心からの悲しさが浮かぶ。


 今まで何度もマールの勇気と優しさに驚かされてきたバロータには、さすがにこの行動は予測がついていたのだろう。歩みを止めて、マールの金髪を優しく撫でてあげながら、訳を話した。


「ここに、セレスタンへ攻め込むための前線基地を作ることが決定したんだ。カタリーナの命令でな。……だから、ネイルが落ち着ける場所へ連れて行ってやろうと思ったんだ」


 そしてバロータは小瓶の蓋を開きながら墓所へ向ける。


「あいつらに捕まえられて、人殺しの道具にでもされたら……、神の野郎がネイルに手を差し伸べてくれなくなっちまうからな」


 すると、前方に見えていた白い墓所から、まるで地面を這うようにゆっくりと雪が延びてきて、二人に近付く。


「…………散々人を殺してきた俺が、こんなこと言うのはおかしいか?」


 小瓶を目掛けて伸びてくる雪の上を、ゆっくりと進む青い霧は、バロータの記憶に寸分たがわぬ優しい笑みを浮かべていた。


「おかしくない。……だって人は、成長するものよ」


 もはや、足下まで雪が覆い尽くしても恐怖など微塵も感じない二人。

 だがそんな彼らの胸に、冷たくて痛い小さなとげが、切ない言葉と共に刺さったのだった。




「神の手……、神の手はどこ……」




 ~🌹~🌹~🌹~




「孫の手……、孫の手はどこ……」



 ひとが悲しいシナリオを読んで胸を痛めているというのに。

 鞄をあさりながら、俺の頭まで痛くしてくれたこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をドラゴンの形に結い上げて。

 そこに、昨日に引き続き。


 不思議な形シリーズの。

 紫色をしたツリフネソウを三本活けているのです。


「ネイルちゃんの真似なんかしなさんな。定規でいいじゃないですか」

「あの手首の返しを分かってないとは。道久君もとんだあまちゃんなの」


 はいはい。

 あまちゃんで結構ですが。


「それより、君が持っているそいつに気が気ではありません」


 何でも出てくる鞄からひょっこり顔を出して。

 君が左手で握ったままの、そのアイテム。


「まさかそれで背中を掻く気ではないですよね?」

「こいつは一文字違いでまるで役に立たないの」


 なるほど、確かに一文字違い。

 でも、背中を掻くのにそれなり都合よくありませんか?


 熊の手。


「君に突っ込む行為がどれほどバカバカしいかよく知っている俺ではありますが」

「だったらそんな無駄なことしてないで一緒に探すの」

「いえ、やっぱり聞かずにはいられません。それ、どうしたの?」


 ようやく顔をこちらへ向けて。

 右手を、恐らくギリギリ届かない痒い所を目指して背中へ回しながら。


 左手の、熊の手を俺に突き出して。

 穂咲が説明するには。


「まーくんに頼まれたの。東京でも売ってるんだけど、高いんだって」

「いくらダリアさんだって料理できないでしょうよこんなもの」

「料理?」

「違うの?」

「これ、置物」

「ややこしいわ!」


 なんて精巧に作られた模造品。

 でも。


「……置物って。こんなの置いたらセンスを疑われるのです」

「でも、便利なんだって」

「なにに」

「背中掻くのに」


 ……もう突っ込むまい。


 俺は再び孫の手を探し出した穂咲を放って。

 目下、最大の問題について考えます。


 文化祭の方は。

 ようやく学校中、すべてのクラスと部活の協力を得ることに成功して。


 仕事は山積みながらも。

 ひと段落ついたので。


 三角関係の方を。

 一体どうしたものか。


 役者間違いと自覚しながらも。

 頭を捻ります。


 ……大人しい坂上さんは。

 引っ込み思案の瀬古君のことが好きで。

 そんな彼は、行動力と冷静さを兼ね備えた。

 野口さんのことが好きで。


 約束してしまったとは言え。

 瀬古君と野口さんをくっ付けることに尽力するのは。

 坂上さんに気が引けるのです。


 彼女の場合。

 もしもそんな事態になっても。

 我慢して、愚痴の一つも零さないでしょうし。


 ……ん?


「……ちょっとまーくんに聞きたいことがあるのです」

「何を?」

「ダリアさんめちゃくちゃモテたでしょうに。どうやって口説いたのでしょう?」


 絶世の美女に。

 その辺のおっさん。


 今更思えば。

 妙な夫婦なのです。


「前に言ってたの。覚えてない?」

「なんて言ってましたっけ?」

「まーくんはダリアさんに、夫婦になった後の幸せは、自分で勝手に探せって言ったの」

「…………ああ、何となく思い出しました。でもそれ、ほんとにプロポーズなのでしょうか?」


 この変なプロポーズの言葉を聞いて。

 カンナさんは、しきりに感心していましたけど。


 俺にはさっぱり分かりません。


「高校生の恋愛と、大人の恋愛は違うのでしょうか」

「難しいから分かんないの。でも、気持ちを言葉にしなきゃ何にも伝わらないってことだけは分かるの」


 それはそうですよね。

 俺も同意です。


 言葉にするのが苦手だから。

 瀬古君は俺達に頼んだのでしょうけど。


 でも、最後には結局。

 自分の口で伝えなければいけないのです。


「……よし、決めました」


 三人にとって。

 迷惑かもしれませんが。

 恨まれることになるかもしれませんが。


「言わなきゃ始まらない。……俺、押すことに決めました」

「何を?」

「背中」

「…………じゃあ、あたしもするの」

「え? 君もみんなの背中を押すの?」

「掻くの」

「あれ!? そんな話だった???」


 悲しそうに。

 背中に手を回して。


 狙いの位置まで届いてないのと。

 無言で訴えかけるこの人。


 ……まるで俺の話を聞いていなかったのですね。


「だれかの手を借りたいとこなの」

「やれやれ。借りたいと来れば……」


 君の後、俺が目を通したシナリオ。

 分かりますよね。


 俺はニヤリと笑いながら。

 雰囲気を作って。

 かすれた声で言いました。


「猫の手……」

「そんなので掻いたら大惨事なの」

「え? ……乗ってくれると思ったのに」


 俺がシナリオを指差すと。

 穂咲はやれやれと肩をすくめます。


「そんなの乗らないの。欲しかったの? 合いの手……」

「乗ってるじゃないですか。しかし、ずいぶん上手く返しましたね。だったら俺も出すのです」

「何を?」

「奥の手……」


 俺は、道久の手で掻いてあげようと手を伸ばしたのですが。


 ぴしりとはたかれたのでした。


「痛いのです」

「簡単に乙女に触らないの。じゃないとパンパンになっちゃうの」

「はあ。君のほっぺたが?」

「違うの」


 そして穂咲は廊下を指差しながら。

 パンパンになるところを教えてくれました。


「道久君の足……」


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