クロユリのせい


 ~ 八月二十八日(水) 45センチ ~


  クロユリの花言葉 狂おしい恋



 花瓶。

 必要なのに。


 どれだけお願いしても。

 ずっと断り続ける頑固者。


 席もびっくりするほど遠ざけて。

 まる一日、怒りっぱなしだったあいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を俺の側へサイドテールにして。

 クロユリを一輪突き立てていたのですけれど。


 本人はそっぽを向いたままなのに。

 お花だけくるりと俺を向いていたので。

 呪われるかと思ったのです。



 さて、そちらも気にはなりますが。

 こちらはこちらで難航中。


「ずるいのです! なんでも願いを聞いてくれるって言ったじゃないですか!」

「いやああ! あたしはここから離れたくない!!

「お付き合いしてくださいよ!」

「ひえええええええ!」


 レジに抱き着いたまま頑として動かないこの人は。

 綺麗なお姉さんこと、ひいらぎ晴花はるかさん。


 人の心を汲み取ることができる。

 心優しい女性なのです。


 そんな女性が。

 どうしても俺には必要。


 他のお客様の目が気にはなりますが。

 俺の、一世一代の口説き。

 ここで引くわけにはいかないのです!


「いい加減、観念して欲しいのです!」

「そんな簡単に観念できないわよ!」

「さあ、レジから手を離すのです!」

「いやあああああ!」


 そんな俺たちの前に。

 立ちふさがる二つの影。


 この手のことには障害がつきものと言いますか。


 おじゃま虫二匹が。

 腹と目くじらを立てながら。


 真剣な俺を叱りつけるのです。


「連日うるせえ! すぐ出てけ!」

「いえ、そういうわけにはまいりません!」

「この店アタシに紹介しといてツブす気かよおっさん!」

「大丈夫! コンロ周りを一新できる程度には儲けてますから!」

「それもてめえが原因なんだよバカ秋山!」


 なんで俺のせいになっているのです?

 あなたが油を溢れさせたせいではないですか。


「何と言われようと、こればっかりは引けません! 俺は真剣に晴花さんを口説き落としているのですから!」

「ひええええええ!」


 とうとう、カウンターに上がって。

 体全体でレジに抱き着いてしまった晴花さんを。


 ぐいぐい引っ張って無理やり剥がそうとしてみましたけれど。


「くっ……! なんというパワー! それより、なんでここまでしてレジ自体がみじんも動かないのです!?」

「そりゃ、こいつが何度も家に持って帰ろうとするからやむなく……、じゃねえ!」

「おっさんにはお花先輩がいるだろうが!」

「そうだ! 見損なったぞ!」

「穂咲には穂咲の道があるのです! 俺の道を共に歩むのは、晴花さんのみ!」

「ひえええええええ!」


 晴花さん。

 耳どころか首まで真っ赤にさせて抵抗してますけど。


「秋山! 今日はこの後編み物教室で貸し切りになるんだ!」

「そうだ! ほのぼの空間で修羅場なんかごめんだぜ!」

「と、言う事だそうですので、晴花さん! すぐにOKの返事を!」

「いやあああ!」


 この大騒ぎ。

 普通でしたらお客さんも逃げ出すことと思うのですが。


 さすがにこの時間になると。

 店にいるのは常連さんばかりなので。


 面白がってご覧になっているようです。


 でも、これは見世物なんかじゃなくて。

 真剣なお願いなわけで。


「晴花さんが付き合ってくれなきゃ、おれの未来は真っ暗なのです!」

「そんな重たいこと言われたらなおさら嫌!」

「そこを曲げて! 俺と付き合ってください!」

「ひええええええ!」


 レジにしがみつく晴花さん。

 それを引っ張る俺。

 そして俺を引っ張るカンナさんに。

 カンナさんを引っ張る雛ちゃん。


 これがレジではなくカブだったなら。

 もうちょいで抜けるところ。


 せーの。


「よいしょー!」

「いやあああ!」

「よいしょー!」

「いやあああ!」

「さあ、観念して俺と付き合ってください!」

「あ…………、秋山君?」


 ん?


 自動ドアのところから聞こえたのは。

 耳慣れた、気弱な声。


 晴花さんにしがみついた姿勢のまま振り向くと。

 そこにいるのは……。


「おや。いらっしゃいませ」


 おばあちゃんの手を引いた。

 神尾さんだったのです。


 ああ、そういえば

 編み物教室の先生。

 いいんちょのおばあさまでしたよね。


「おばあさまをお連れしたのですね? さすが優しい神尾さんなのです」

「あた、あたしは……」

「ん? どうしました?」


 いいんちょは。

 大きく見開いた目で俺を見つめながら。

 首から下げた瓶の蓋をきゅぽんと開けると。


「ななな、何も見てないし、何も聞こえなかったし、誰にも言わないから……」


 そうつぶやくと。


 錠剤を飲み込みながら。

 駅へ向かってしまいました



 ……ええと。


 見てないし、聞こえていない。


 何のお話かわかりませんが。

 ならばもともと。

 誰にも言えないのでは?


 不思議なことをつぶやいたいいんちょの後姿を。

 俺は、首をひねりながら見送ったのでした。


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