第2話『木の上で消えた男』

「そ、そんなのないよ!」

 僕は絶句した。

「仕方がないでしょう。約束はしたけど、事件の解決依頼が来たんだから」



 先日僕は、人間が闇に呑み込まれ、次々と消えてしまうという怪事件に巻きこまれた。事件の目撃者だった僕は、藤岡美奈子という高校の同級生に詳しく話したことで、彼女と関わることになった。彼女は何と、超能力を駆使するエスパーであり、その能力を生かして未成年ながら、警察の難事件の捜査にも協力しているらしい。

 で、最初の事件で僕が役にたったご褒美として、今日の放課後美奈子ちゃんからクリームソーダをおごってもらう約束をしたんだが……それが今まさに反故にされそうになっているのだ。



「聞き込みだけで放課後まるまる潰れそうだし。そのうちに夕飯になっちゃうから、やっぱまた今度だね」

 美奈子ちゃんは、あくまでもビジネスライクでクールだ。

 ちょっとくらい、僕に気があってもいいのにな。

「ああん、残念! 安藤ちゃんにはどうしても、クリームソーダおごってあげたいんだからぁん!」

 ……と、身をくねらせてそのくらいは言ってほしい。

 次の瞬間、周囲の空気が凍るのを感じた。

「あ~ん~ど~う~」

 美奈子ちゃんの目が怒っている。しまった、彼女は人の心の中を読めるんだった! 今そのチカラを使うのは、反則だ。

「ヘンなことを想像した罰だ。アンタ、今回も助手として私に付き合いなさい」



 僕たちが目指す家は、学校からそう遠くはない住宅街の中にあった。

「いらっしゃい。……あらまぁ、まだ学生さんだとは聞いてなかったわ。とりあえず、上がって」

 その家のおばさんは、そう言って玄関に二人分のスリッパを用意してくれた。

「お、お邪魔します」

 通されたリビングの窓から外を見ると、もう日が傾きかけてオレンジ色の夕日が滲んでいた。

 あとで聞いた話だが、美奈子ちゃんは警察でどうにも煮詰まった未解決事件などを時折任されるのだそうだ。常識的な捜査では真相に迫れない事件でも、美奈子ちゃんの特殊能力をもってすれば、解決の糸口がつかめることも多いらしい。

 今回の事件も、ちょうどそういう事件だった。

 事件の内容は警察の情報であらかた分かっているが、やはり関係者から直接聞く方が絶対にいい。

 


 ちなみに、今回の場合は『失踪事件』である。

 僕らが訪ねたのは、今目の前にいるおばさんであり、失踪者の母親。

 いなくなったのは、この家のおばさんの息子である博司さん。26歳で独身、大手家具メーカーで家具のデザインやら設計やらをしているらしい。

 父親は、博司さんが高校生の時に家を出、そのまま離婚。だからおばさんと博司さんの二人暮らし。

 半月前、ちょうど仕事が休みだった博司さんは、行先も告げずブラリと外にでかけた。いつもなら、夕食時には帰ってくるらしいのだが、帰ってこない。

 深夜0時になっても、帰るどころか電話連絡すらない。母親思いで、きっちりした性格の博司さんならあり得ないことなので、おばさんは心配した。

 でも、いくらただ事ではないとはいえ、26歳の大人のことでそう簡単に警察沙汰というのもどうかと思ったらしい。そりゃあ、うちの子にも連絡もなく朝帰りなんていうような、浮いた話のひとつやふたつそろそろあってもいいし、生きてりゃ色んなこともあるでしょうよ……とおばさんは思い直した。

 しかし、母親のポジティブな解釈もむなしく、それから3日経っても、博司さんは戻らない。さすがにこれは、ということで博司さんの失踪を警察に届けた。

 博司さん失踪からすでに半月以上が経つが、未だに博司さんは見つからない。

 事件の概要は、そんなところだ。



「……で、博司さんをどこかで見かけた、というような有力な手がかりというか、情報は寄せられましたか?」

 出されたお茶をすすりながら、美奈子ちゃんが聞く。

「はい、たったひとつだけ」

 それを聞いて美奈子ちゃんは身を乗り出した。警察側では、まったくと言っていいほど情報がなかったから。

「博司がどこかに出かけてくる、と言った失踪の始まりの日なんですが——」

 おばさんは、そこでちょっと言いにくそうな、ためらうような表情をした。

 それを見逃さなかった美奈子ちゃんは、優しく言った。

「どんなお話でも大丈夫ですよ。気にせず、聞いたままを教えてください。今の状況では、どんな情報も貴重ですから」

 背中を押されて決心が付いたのか、役に立たない情報かもしれないですけど、と前置きをした上で、おばさんはこういう話をしてくれた。



「この住宅街の裏が、ちょっとした山になってますよね。住宅と山との境目に、たいそう立派な木が立っているのをご存知ですか?うちの子はあそこが昔から好きでしてね。何か辛いことがあると、その木に登って景色を見てたようです。

 私はその木のに登ったことがないから分かりませんが、博司が言うにはそこからの眺めがすごくいいんだそうですよ。もしも、自分に好きな彼女でもできたら、ここからの風景を見せてあげたい、なんてことも冗談交じりに言ってました。じゃあ、彼女にするならちょっとお転婆な子にしないと、とか言って笑ってましたわ。

 ご近所の方がね、あの日博司が、その木に登っていたのを見た、というんです。

 時間は、だいたい夕方4時頃。これまでの情報では、それが博司を見たという唯一の情報なんです——」



 ヒントは、失踪当日裏山の木の上にいた、というそれだけか。

 その後の博司さんの足取りも、不明。

 母親とは仲もよく、会社のことでも特に悩んでいるとか問題があるということもなく、なんら失踪の動機となりそうなことは浮かび上がってこない。故意でないとすると、何かの事件に巻きこまれたか……

 僕と美奈子ちゃんは、博司さんのおばさんの家を辞したあと、いくつか聞いておいた「博司さんの行く可能性のありそうな場所」をまわることにした。やはり、捜査は「足」がものを言うからね。



 結果から言うと、足を運んだどの場所からも、何の手掛かりも出なかった。

 聞き込みもしたが、目撃情報は皆無だった。

 美奈子ちゃんは、博司さんがちょっとでもその場所に来ていたらサイコメトリー(残留思念の読み取り)で手がかりがつかめると考えた。失踪しなければならないようなことが起きたのら、何か通常より強い感情が場に残るはずだ、と。

 でも、美奈子ちゃんによるとどの場所でも、そういう異常事態が起ったような 「力場の乱れ」 は感じられなかったのだそうだ。結局その夜は何の収穫もなく、僕らはそれぞれ家路についた。



 次の日。

 もうこの事件に関して打てる手はなく、調べられるとしたらもうあの「木」しかなくなった。

「最後まで、あきらめるわけにはいかないでしょ」

 そう言い張る美奈子ちゃんに引っ張られるようにしてやって来たのは、博司さんが最後に目撃されたあの裏山の木。僕の感覚では、そんな場所が失踪と関係があるように思えない。

「ま、そう言いなさんな。何か分かるかもしれないじゃない。それにしても立派な木よねぇ」

 美奈子ちゃんは、そっと木に手を振れた。

 集中できるように静かにしてようと思ったけど、ついついふと思いついたことを、何気に口に出してしまい、しまったと思った。

「案外、博司さんは木の上で消えたんだったりしてね! はは、そんなバカなことないよね……」

 自分の言ったことのバカさ加減に恐縮したが、美奈子ちゃんはびっくりするようなことを言った。

「いや、それ案外当たってるかも」




【それから5日後】


「お久しぶりです」

 僕と美奈子ちゃんは、休みの日曜日を利用して、朝から博司さんの実家を訪ねた。あらかじめアポは取ってあった。「博司さんのことで、お知らせしたいことが」 と伝えると、おばさんは絶句していた。

「見つかった」 のならそう言うはずだし、「知らせたいことがある」という言い方に何か良くない知らせなのでは、と身構えたのかもしれない。

 実は、僕たちがこれから伝えようとしているのは、ある意味悪い知らせかもしれない。でも、そこに少しは残された者の救いになる部分もあると信じたい。

 失踪したまま、何も知らないでいるよりは、はるかに良いことなのだと信じて。



「博司さんの居場所が分かりました」

 お茶をいれるおばさんの背中が、一瞬びくっとした。

「でも、残念なお知らせがあります。博司さんを、ここに連れてくることはできないんです」

 おばさんは、僕らからの電話があった時点で、何かの覚悟めいたものをしていたのかもしれない。

「大丈夫です。何でもおっしゃってください」

「博司さんは——」

 美奈子ちゃんは、まるで大阪にいましたとか北海道にいました、というのと変わらない調子で、こう告げた。

「1945年の日本へ行ってしまいました」



 さて、ここからする話は、僕が美奈子ちゃんの話を横で聞き、忘れていない限りのことを物語調に話してみる。彼女の言葉をそのまま字に起こすよりは、聞きやすいだろうと思うから。



 慎太郎、という若者がいた。

 彼は働き者で、他人に優しい男だった。人望もあり、たいそう人にも好かれた。

 非凡な男だったが、家が貧しく学問を修めて認められるチャンスとも無縁で、結局父の代から続く大工仕事を継ぐことになった。

 彼には許嫁 (婚約者) がいた。

 名前は、「志乃」。

 幼馴染で、何をするにも一緒だった仲だ。

 慎太郎は、仕事の疲れをとりたい時や気分転換の時に、木登りをするのが常であった。そこから遠くを見渡せば、ちっぽけな自分が、神様か何かになったような気分になるのだった。

 ずっと一人でそれをしてきた慎太郎だったが、志乃という婚約者ができてからは、彼女とも一緒に木に登るようになった。祝言をあげる (結婚する) までにまだ半年以上あったが、慎太郎は将来を夢見てか、こんなことをいつも言っていたようだ。

「オレの夢はなぁ、お前さんと生まれてきた子どもとここに登ってな、家族でこの木の上から世界を眺めることなんよ。それまでお互いに、元気でいような。幸せになろうな——」



 1945年3月10日。

 東京の空が、紅(くれない)に染まった。世に言う 『東京大空襲』 である。

 火は容赦なく街を、人を襲い、阿鼻叫喚の地獄絵図がそこここに展開した。

 木造ボロ屋の二階にいた慎太郎は、必死に逃げようとしたが、焼夷弾が四方に落ち、逃げ場もない。火の回りが残酷なほど早かった。

 市場に買い物に出かけていた志乃が、やっとの思いで家に戻ってみると——

 彼女が最後に見たのは、「ごめんな」とでも言いたそうな、困り顔の慎太郎の顔であった。それも一瞬のことで、すぐさま火の粉で覆われて、赤い色以外何も見えなくなった。

 志乃の脳裏に繰り返される、結婚を誓った男の声。

「将来、生まれたこどもとお前とで、あの木に登ろうな。それまでは、お互い元気でいなくちゃなー」



 いやあああああああああああああ



 志乃は、半狂乱で彷徨い歩いた。

 いつの間にか、慎太郎が愛したあの木の前まで来ていた。

 そこだけは、まだ火の手がきておらず、無事であった。

 どこにそんな体力が残っていたのかは知らないが、志乃は木をよじ登った。

 やけどの広がった皮膚が木にこすれて、どれだけ痛かっただろう。

 いや、あまりにも思いの世界が強すぎて、もはや痛覚さえ忘れていただろうか。

「まだ、祝言もあげてないよ? ややこも、まだやないですか……あんた」

 瞳には炎の呑まれた街並みが映し出されていたが、狂気の宿った志乃の目は、もはやそれを見てはいない。

「帰ってきてええええええええ」



 美奈子ちゃんでも、これには筋の通る説明が付けられない、と言った。

 彼女は、「木の記憶」 を読み取った。

 そして超能力で時間を巻き戻して、1945年当時のその木から見たものを再現して、追体験してみたらしい。博司さんの最後の目撃情報が、3月10日。東京大空襲で、慎太郎が焼け死んだのが3月10日。博司さんが木に登っていた時間と、志乃が木の上で 「帰ってきて」 と絶叫した時間が重なる。

 私にも科学的にどうの、は分からないけど、人の想いの強さと千年もそこに立ち続けてきた「木」の何らかのエネルギー的介入がそこにあったのだと思う——。美奈子ちゃんはそう言う。

 ベタな話にすれば、二人の若い男女の憐れな運命に木が同情した、ということになるのだろうか。

 さて。ここからは1945年の東京にいる博司さんにコンタクトを試みた美奈子ちゃんが、彼自身から聞いた話になる。



 僕は、少しだけ木に登ってリラックスするつもりでした。

 その後、本屋にでも行ってから、家に帰ってテレビでも見ようと。

 でも、結果そんな日常は二度と自分に来ない、と後で分かったのですが。

 木の上からの風景が、いきなり変わりました。

 近代的な建物は消え、いつも見えているのとは違う光景がいきなり現れました。

 みんな燃えているんです。昔ながらの街並みのような場所が、どこもかしこも。

 何が何だか訳が分からずにいると、横に人の気配がしました。

 他にも誰かが木に登っていたことにも驚きましたが、さらに驚いたのはそれが女性であったこと、そして彼女が僕を見て 「慎太郎さん!」 と言って抱きついてきたことです。

 まるで、僕のことを昔から知っているかのようでした。



 ここからは、この時代にいても頭に響いてくる「美奈子」という女性の声との対話で分かった内容です。なぜか僕は、何か運命の要請のようなもので、同じ日付同じ時刻、同じ場所に居合わせた縁でか、1945年に「呼ばれた」ようです。

 美奈子さんが言うには、僕と慎太郎さんという男は、何らかのつながりがあるらしい。ただ、関連する場所にいた、ということだけでもないようです。誰でもよかったわけじゃなく、むしろ僕であることに意味があった。

 だって、驚きましたよ。あとで志乃さんが見せてくれたモノクロの写真。そこには慎太郎さんが写っていたんですが、僕は鏡を見てるのか、と思いましたよ!

 志乃さんが僕を見て、「慎太郎さんが生きていた」と錯覚しても仕方がない、と思えるほどでした。



 焼けた後の東京で、僕らの生活は困窮を極めました。

 食べ物を得るのに必死です。その上で余力があれば、街の復興に着手しました。

 現代で家具作りをしていたおかげで、木工には心得があります。近代的な知識と技術を出し過ぎて、歴史がおかしくならないように気を付けながらのことでした。

 志乃ですが、当時は精神科という分野自体がないに等しかったですが、どうも心の病気に近いものになっていると感じました。美奈子さんの情報では、志乃さんは慎太郎さんが死ぬのを実際に見ている。いくら、後から彼そっくりの僕が現れたからといって、慎太郎さん本人だと思うことはあり得ないと思うのです。

 でも彼女は、僕を信太郎だと言い張る。結婚しよう、幸せになろうと言ってくる。多分、慎太郎さんを失った絶望が深すぎて、罪のない「思い込み」が生まれたんでしょうね。

 真実を受け入れたら、自分が壊れてしまう。それを守るために、あくまでも僕は慎太郎さんが実は助かっていたのだということでなければならない。その心理的操作をした自覚を、志乃さんは深層意識下に封印した。



 僕は、志乃さんと結婚しました。

 子どもも、生まれました。子どもが生まれてからの志乃さんは、相変わらず僕を慎太郎さんだと認識している以外、何も問題はなくなりました。本当に明るくなり、幸せいっぱいに生きています。

 お母さん。

 実はね、僕も幸せなんです。

 今では、妻と子どもが生きがいです。

 どれだけ、お母さんのいる現代に戻りたいと思ったことか。

 いきなりいなくなって、心配しているだろうなと。

 美奈子さんの声が言うには、「木がもう意識を閉ざして何も協力しようとしないので、あなたが現代に戻る手段はない」 ということでした。正解が何なのかなんて僕には分かりませんが、木はもしかしたら、僕が現代に帰らずここで生きるのが一番良いのだ、と考えているのかもしれません。



 この前、夢の中にもうひとりの僕が現れました。

 それは勘違いで、しばらくしてそれは慎太郎さんだと分かりました。

 彼は、「大変なことを押しつけてしまって、すまない」 と言っていました。

 それだけ、志乃さんを自分の手で幸せにしてあげられなかったこと、家族で木に登ってそこから見える風景を楽しむことができなかったことが悔しく、僕に頼ってでも成し遂げたかったんでしょう。

 最近では、何だか僕が慎太郎さんであり、慎太郎さんが僕であり……

 二人ともどちらも「自分」であるかのような錯覚さえ起こしてきています。

 とにかく、僕は戻れません。いや、例え戻れるとしても、戻りません。

 僕はこの時代で、しっかりと生きていきます。

 どうか、こんなわがままな息子をおゆるしください。

 お母さんも、どうかお元気で—— 



 長い長い、信じがたいような話を、美奈子ちゃんは一気にしゃべった。

 話自体はホラ話と言われても仕方がないものだが、淡々としゃべる美奈子ちゃんの声の奥に、何とも言えないやるせなさと、おばさんへの配慮というか優しさのようなものが込められている感じがした。

 僕としては 「おばさんは美奈子ちゃんの話をウソだと思っていない」 と、見ていて感じた。

「お母さん」

 美奈子ちゃんは、おばさんではなくお母さんと呼びかけて、不思議な行動に出た。おばさんの手を、いきなり握ったのである。

「言葉だけでは残酷でしょう。今から、博司さんがあちらで見たもの聞いたもの、そのすべての体験をあなたの意識に送ります。途中、ところどころお辛い場面もあると思いますが、世界でったひとりの博司さんの母なら、きっと受け止めきれるでしょう」

 おばさんの体が、急にガクガク震え出した。

 それは、時間にして20分ほどもあっただろうか。

 おばさんは、所々泣いたり叫んだりした。それ以外の時間も、始終震えていた。

「……これで終わりです。これが、失踪事件の真相です」



「あの子が、少なくとも本心から望む通りに生きていることが分かっただけでも、よかったと思います」

 僕らが帰り際、だいぶ気分が落ち着いたおばさんはそう言って、玄関先まで見送ってくれた。

「どうも、お邪魔しました」

 あさはかな僕は、もうそれですべてが終わったと思ってしまっていた。

 美奈子ちゃんは、玄関のドアを開けて出ずに、もう一度おばさんに向き直った。

「……あの、もうひとつお母さんに言わなきゃいけないことがあります」

 妙に玄関の外を気にしながら、美奈子ちゃんは僕には想像もできなかったことを言った。



 博司さんは、東京大空襲の年から26歳で生き始めました。

 残念がら、志乃さんも博司さんも、もう亡くなられています。

 でも、お二人の子どもは、今でもご健在でした。息子さんが一人。

 実は、勝手をしてすみませんが、もう今外にお呼びしてあるのです。

 博司さんや志乃さんの写真も沢山残っているそうです。今日はそれも持ってきていただきました。私も見せてもらいましたが、博司さんと志乃さん、そして息子さんの3人が木に登っている写真もありました。そういう意味では、慎太郎さんの願いは叶ったと言えるでしょう。

 複雑な時間差のせいで、もう初老の「お孫さん」になっちゃいますが、どうか会ってあげてください。お孫さんは、博司さんがこれまで頑張ってきたことの、唯一残っている結晶なのですから——」

 少しの間、誰も声を発さなかった。

 おばさんは、無言で首を縦に振った。

「……では」

 美奈子ちゃんがゆっくりドアを開けると、そこには博司さんの面影がある50代くらいの男性がいた。

 


 僕には、その玄関に慎太郎さんも博司さんも、そして志乃さんまでもが立っているような気がした。

 おばさんは、時空を超えて巡り合ったお孫さんを見て、確かにこう挨拶した。



「おかえりなさい」

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