エピローグ

第43話 守恒とみんな

 世界のおよそ半分を襲った“モブレイヴ”から、一週間と三日が明けた。


 各国が、「あれはなんだったのか」と喧々諤々の議論を交わしていた。


「公表する気はないのか、氷月ひづきさんよ」


 サブの問いに、氷月は、「まだ」と答える。


「この宇宙とは異なる世界の存在を、地球人類われわれは知る用意ができていない」

「そういうもんかね。あれ? こういう会話のある映画が昔あったな。ほら、最後にピカッと光るアイテムで相棒の記憶を消しちゃうやつ(※)」

「ああ、あったな。そんな便利なものは我々に無いから、今まさに必死の情報統制をおこなっている最中だよ」

「ご苦労なことだな。さて、俺はしがないバンドマンに戻るよ。また何かあったら言ってくれ」


 大きな事件は一つ終わった。しかし、こんなことは、この世界で、常日頃から起こっていることだ。それを、サブはよく知っていた。


「割と近い時期に招集をかけるよ。異世界の“ゲート”が、一斉に開く前兆がある―――守恒もりつねにも、来て欲しいんだがね」

「まだ、あっちの世界にいるのか」

「恐らく。我々は出入り口の正門を監視するだけだ。入った形跡はあるが、出た痕跡はない」

「なんてこっただな。でもまぁ、恋人をいつまでも待たすようなことをする奴じゃないだろう」


 サブの予断に、氷月も頷く。


「世界を救う恋だ。二人は末永く幸せに暮らしました、じゃなきゃあ、つまらない」


 墨守恒は、未だに帰らなかった。


※ 映画『メン・イン・ブラック(1997年公開)』のこと。


※※


 裁判を間近に控えた若月わかつき志朗しろうの邸宅に、東亜民援事務局長の克也かつやが訪ねた。


「若月先生、此度は誠にありがとうございました」

「領海、領空侵犯、不法入国に大立ち回り。ご苦労なことだったな」

「いえいえ、先生ほどでは」


 お代官と越後屋のようなふざけた会話を繰り広げ、ひとしきり笑い合ったのち、克也は居住まいを正して言った。


「裁判について、助力は惜しみません。ただし、ルールを捻じ曲げるようなことはなしです」

「そんなことは、私も考えていないよ」


 おや、と思った。現役の頃は、そうした危ない橋を何度も渡ってきた男の変節。


「変わりましたな、若月先生」

「ふむ。認めがたいが、若者の在り方に毒を抜かれてしまったね」

「あなたもですか」


 若月は怪訝な顔。その目に、不敵な克也の笑みが映る。


「東亜を、良い国にしたいのです。まずは独裁政権をなんとかしようと」

「それは、つまり……その」


 口ごもる若月。口を開く克也。


「はい、クーデタ」

「あー!!」


 大声でその先を遮る若月。笑う克也。


「日本にとっても、悪い話ではないはずだ。ご協力をお願いいたします」

「私は何も聞いていないぞ」

「いいえ、聞いて頂きます。かくめ」

「いー!!」


 守恒の行動が、世界の歴史すら動かそうとしていた。


※※


 その週の土曜日。カフェ・シューメイカーにて。


「守恒ざばぁ、いづまでもお慕いじでおりまずぅ~」

「スミスぅぅぅ、早く帰ってきてくれぇぇぇ。もう一日十二時間労働は嫌だぁ、神への冒涜だよこれはぁぁぁぁ」

「うるっさいわ! どいつもこいつも!」


 ラン店主ちちを一喝しつつ、てきぱきと働く涼風。母の静佳しずかも出張って、一家総動員体制だ。


「こんにちは」


 新たな客が入ってきた。静佳が張りのある声で迎える。


「いらっしゃいませ! あら、お父さんじゃないですか」

「どうも、お忙しい時間に来てしまいましたか」

「いえいえ、旦那マスターがちょっと痩せてくれて丁度いいくらいですよ」


 守恒の父・邦治くにはる。守恒が“消失”してしまってからは、毎日ここに通っていた。


「スミス君、いつまで休暇取るつもりなのかしら。そろそろ有給もなくなっちゃうのに―――ご心配、ですよね」


 静佳がいつものコーヒーを出しながら言う。


「いえ、それほど心配はしていません。こちらは、された身ですし、それに―――」


 自嘲と、少しの誇らしさを感じる口調で、邦治はこう続けた。


「あいつは、大事な“嫁”をほったらかしにし続ける奴ではないでしょうし」


 守恒の帰りを、誰一人、疑っていなかった。


※※


 同日。夜。とあるライブハウスにて。倉本くらもと一馬かずまの緊急ワンマンライブ。開演五分前。


「あわわわわわ」

「エト、すごい震えてるじゃない。私が真緒まおとのアレで使う〇ーターの三倍くらい」

一奈かずなさんっ!!」


 元ひきこもり特有の人混み恐怖症ゆえ、ガタガタと震える絵斗那えとなを、一奈がド下ネタで言い表し、真緒が血相を変える。


「大丈夫。誰も聞いてやしないから。あんたが絶頂するときの方がうるさ―――」

「その辺にしておけよ一奈」

「え?」


 聞きなれたセリフ。思わず声のした方を向くと、その主は絵斗那だった。どうやら発作が収まった様子。


「なんだ、エトかぁ。びっくりしたじゃない」

「それはどうも」

「なんかその言い方も守恒に似てるな」


 男物のジャケットにジーンズ。相変わらずの男装だが、やはり可愛く見られてしまう。


 そんなままならぬ後輩に驚かされた一奈は、真緒にこう言われる。


「彼女の隣で、ほかの男のことを考えるなんてどういう了見ですか、一奈さん?」

「お、言うようになったじゃない。今晩はホテルで朝までコース……いや、ダメだ。明日試合だわ」


 木瀬川高校女子サッカー部の、県大会決勝だった。


「咲久と私なしでよく勝ち上がったわ。絶対勝たなきゃ」

「応援しに行きますよ。ね、貝塚さんも」

「また人ごみに行かねばならんのか……」


 絵斗那が憂鬱そうに呟く。

 同時に、盛大なEDMが流れ、一馬が登場した。


「一奈さんの横で言うのもなんですが、かっこいいですね」

「いや、我が兄ながら同意見だよ」

「しかし、墨には一歩劣るな」

「「それはない」」


 絵斗那の、贔屓の引き倒し極まったコメントは、一奈真緒かずまおカップルから声を揃えて叩き返される。


「しかし、お言葉ですが先輩方」


 絵斗那は食い下がる。


「一馬さんの方は、墨のことが大好きなようです」

「「それな」」


 ステージに堂々登場した一馬の第一声は、これだった。


「みんなありがとう! 今日は『倉本一馬ワンマンライブ~墨守恒、出禁処分解除パーティ』に来てくれて本当に嬉しいぜ! さぁ、肝心な奴が来てねぇんだけど、楽しんでこー!! ツネぇ!! とっとと帰って来いよォー!!!!」


 守恒の世界は、彼をずっと待っている。


※※


 同日同時刻。木瀬川河川敷サッカーグラウンドにて。


「お姉ちゃん、もう一本!」

「はぁ……この化けモンが……!」


 明日の試合に備え、軽めの練習で切り上げた木瀬川女子サッカー部。しかし、部長が姉を伴って居残り練習を続けていた。


 東亜から救出された咲久は衰弱していたが、三日で回復し、その二日後には練習を始め、そして明日の本番を控えていた。


 僅かにあったメンタルの迷いが消え失せ、いよいよ咲希さきが先にスタミナ切れを起こすまでになっていた。


 疲労困憊ひろうこんぱいの姉はしかし、満足そうに凶暴な笑みを浮かべていた。


「よし、このサイボーグ姉ちゃんがぶっ倒れるまで付き合ってやるよ妹」

「うん! 明日はPK戦までもつれるかもだからね! とことんやるよ!」


 守恒のことをおくびにも出さず、気丈に待ち続ける少女が、その右足を振り抜いた。

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