聖女最後のお役目です 2

 女性の腕の中、それまで閉じていた赤ちゃんの目が、ぱちりと開く。

 透明度の高い氷のような青い瞳が私を映すと、ぱあっと笑みを浮かべて、もみじのような両手をこちらに差し出してきた。

 小さな口から出てくる、う、とかあ、とかの喃語なんごが可愛らしさ爆発で耳が溶けるかと思った次の瞬間。


「まま」

「〜〜〜ッ!!??」


 あっぶない!! 鼻血吹くかと思った!!!

 ま、って、ママのことだよね。え、私のこと、お母さん(仮)認定?

 冗談でなく衝撃で胸が痛い……なんだこの破壊力。


「本物のお母さん」がいるのに、出された両手を受け取っていいものかどうかアワアワする私に、女性はふわりと微笑んだ。

 うう、こちらは目が痛くなるくらいの美人っぷりで、ちっとも気が休まらない……!


『この子がね、今はまだ大人になりたくないと言うの』

「えっ?」

『自分がすぐに大人になったらリィエは離れてしまうから、このままでいいって。うふふ、甘えっ子ね』

「かーしゃま、めっ」


 ぷくぷくした両手を動かして女性の口を塞ぐと、恥ずかしそうに口を尖らせる……これなんて可愛い生き物。


 どこかに飛んでいきそうな意識をどうにか引き戻した私に、女性は竜の生態について簡単に話してくれた。

 竜は、つがいは持つが、家族は持たない。

 そのため、生まれてすぐ成体となり、あくまで個として生きるのだそうだ。

 親による保育や情を必要としないのが普通なのだが、どうもこの子は違うらしい、と美しい女性は楽しげに首を傾げる。


『人間だった私の血が強いのかもしれないわね。違う世界から連れてきてしまった貴女に、さらにこんなことをお願いするのは気が引けるのだけど……もう少しの間、この子の聖女でいてくれないかしら』


 とどめのように『我が子の成長に直接関われない私の代わりに』なんて寂しげ美女に言われれたら、断れるわけがない。

 生まれたら離れなきゃ――そう思っていたはずだったのに、二つ返事で頷いていた。


 我に返って、あ、と思ったものの、いかにも安心したような涙目で感謝されてしまえば、撤回などできるはずもなく。

 ……頑張ろう。甘やかしすぎないように、でも、本当のご両親の分も愛情をたっぷりと。

 で、できるかな? いささか不安になった私に、舌足らずな声がかかる。


「りぃーえ、まま?」

「ふぐっ」


 水分量の多い瞳で見上げながら、どうして抱っこしてくれないの、と言いたげに両手を一生懸命に私に伸ばしてくる。

 残りの殻を足元に置いて受け取った小さな子は、私の胸にすっぽりと収まった。


 卵が消えて以来、空いてしまった隙間がまた満たされる。いろんなものが込み上げて泣きたくなってしまった。

 目頭が熱くなるのを誤魔化して下を向く。ぴったりとくっつく子と目が合うと、照れたように私の胸に顔を隠し、隙間から見上げて、それは嬉しそうに笑った。


「……かわいい」


 なけなしの庇護欲が湧き上がる。

 きゅっと抱きしめると同じように私の服を握り返し、小さくあくびをして目を握りこぶしでこする。

 まだあまり起きていられないのだろう。そのまま軽く揺すれば、素直に瞼が下がって寝息に変わった。


 それを一緒に見守っていた女性は、眠った子へそっと手を伸ばす。

 名残惜しそうに額にかかる前髪を横に流すと、数歩離れた竜のもとへと戻った。


 触れる指先にさえ、愛しさが込められているのが伝わってくる。

 なのになぜ――


「……聖女を見つけないまま、卵を人の手に預けるのは不安ではなかったですか?」

『そうですね……でも、信じていましたし。約束でしたから』

「約束、ですか」

『ええ』


 自分を虐げた王太子が、臨終の際に願ったのだという。

 ――いつか許せる時が来たら、試練を与えてほしい。必ずそれを克服してみせるから、その時こそ自分やこの国を忘れて幸せになってほしい、と――


『持ちうる魔力の全てを込めた言葉は誓約となります。命を懸けた彼の贖罪は、強制と効力を持ちました』

「それは……」

『祖国を荒れた状態のまま、原因の一端である私が国を捨てたことがずっと気がかりでした……それも、ようやく解けました』


 これで自分は人の世界から完全に離れる、と呟く女性の体に、竜の尾が巻きつく。


『あの方も、全くの悪人ではなかったのです。ただ、ご自身の魔力に絡め取られて、逃れることができなくて……彼の子孫に伝えてくださいね。周囲の助けがあれば、同じ轍は踏まないはずだと』


 切なそうに目を伏せた女性を守るように、竜が顔を寄せてなにかを話しかける。


『――、――』

『ああ、そうね。この子に贈り物があるのですって』


 低く響く竜の言葉を伝えてくれることには、こちらの青竜氏のお仲間の赤竜さんが、誕生祝いを用意しているらしい。


『……え、妖精に? まあ、そうなの』

「ど、どうしましたか?」


 美しい顔を困ったように曇らせるから、思わず訊いてしまった。

 言いにくそうにしながらも、竜の言葉を訳してくれる。


『この子のお友達になれそうな子を見つけたはいいけれど、周囲が不穏だったそうなの。それで、両親から取り上げて、安全なところに避難させるよう妖精に命じたのですって』


 贈り物って、モノではなく友達ですか。びっくりだ。

 ああ、でも、『魔王』と友人付き合いできる人間となると、魔力の相性とかも大事なのかもしれない。


『かわいそうに、命を狙われていたのね。保護したその子は妖精国ではなく、魔女の元に預けてあるそうよ』

「はあ、そうなんで……って、え?」


 それってもしかして――妖精の取り替え子のシチュエーション?

 まず真っ先にダレンさんの顔が浮かんで、そういえば、ミルトラの王太子の子どもがどうとか閣下が言ってたことと、エドナさんにかかってきた通話を思い出して……んんん?! 


 もしや、もしやですよ。

 その「贈り物のお友達」って、隣国王太子殿下のお子様ですか?!

 そして、預け先の魔女って、エドナさんのお友達ですか?!


「あ、あの、伺っていいですか? ええと――」


 へえ、とか、ほう、とか、ええっとか、感嘆詞ばかりが出る会話をしばらく交わして。

 水に揺らいで溶けるように消えていく竜と女性を、眠っている子と二人で見送ったのだった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る