グリナウィディの魔女 4

 箒に乗ったエドナさんの姿が見えなくなるのに、時間はかからなかった。


「おぉー……」


 夕焼け空に残されたのは、薄い飛行機雲のような微かな白煙。それも、そよそよと吹く風に消えていく。

 間もなく、空飛ぶ箒の痕跡もすっかり消えると、ほぅとため息がでた。

 箒で飛ぶ魔女なんて、絵本の世界そのものだ。


 ジョディさん達から魔術を教えてもらったり、魔石も、ヴォルちゃんという魔物も知っているけれど、こういう分かりやすい「魔法」を目の当たりにするのは初めて。

 あ、あの昇降盤は別。あれは魔道具というより、絶叫マシンだから。


 名残惜しく空を眺めていると、視線を感じる。

 疑問も持たずに見上げたら、すぐ傍の斜め上からこっちをガン見するダレンさんと、ばっちり目が合った。


「っ!」

「ダレンさんっ?」


 距離を取ろうとしたのか、慌ててぐいっとのけぞったダレンさんは、窓の横枠にしたたかに頭をぶつける。

 うわ、ゴヅンって鈍い音がしたよ。痛い。これは痛い。


「だい、大丈夫ですか?」


 痛みで声も出せないらしい。

 ぶつけたこめかみを含む顔半分を押さえたまま、ダレンさんはよろよろと反対の手を壁に付こうとした。


「あっ、そこ」

「!!」


 今度は、足元に転がっていた空瓶に躓いて盛大に転んでしまった。

 その拍子に、山になっていた積み本が崩れて……ダレンさん、まさに踏んだり蹴ったり。


「だ、大丈夫です?」

「……そう見えるか?」

「じゃないですよね……っぷ、くふ」


 本の下から力ない声が返ってくる――悪いけど、コントのような展開に堪えきれず笑ってしまう。


 あんなに不愛想で、街では私のことを驚かせた張本人が、エドナさんに叱られてシュンとして、頭ぶつけて躓いて、最終的に本まみれ。

 この短時間でイメージが崩されまくったよ。おかげで、苦手意識もけっこうやわらいだ気がする。


「ごめんなさい、立てます?」


 笑いを引っ込めて差し出した私の手に気がつくと、ダレンさんはものすごく意外そうな顔をして固まった。

 え、なに。抱き上げるのは無理だけど、立つ支えくらいにはなれるよ?


「……いや」

「あ、はい」


 たっぷり十秒くらいしてからようやく返事があって、手を引っ込めるとダレンさんは少しふらつきながら自分で立ち上がった。

 ぶつけたこめかみを庇うように当てた手で髪が上がって、顔がよく見える。今は、気まずいのか目がちょっと泳いでいる。


「っと、布とかありますか?」


 ぱっと見、血は出ていない。でもたんこぶくらいはできているだろうし、冷やしたほうがいいだろうな。

 タオルか手ぬぐいか、ときょろきょろ探すが収納場所など分からない。布の山はあるけれど、どう見ても仕立てる前の反物っぽいし。


 そんな私にまた意外そうな顔をしたダレンさんは、手近な棚を開けて薄手のタオルを取り出した。

 お、ちょうどいいのあるじゃん!

 でもダレンさんは、それを持ったまま動かない。


「ええと、それを冷たい水で濡らして」

「水?」


 ん? 手当ての仕方を知らないの? 

 それとも異世界ここではやらない?


 患部を冷やすのだとやり方を説明すると、拍子抜けするくらい従順にダレンさんは頷いて、布を持ったのと反対の手の平を上に向ける。


 ――あ、珍しく手袋をしていない。

 台所を片づけていたからだろうけれど、なんか新鮮。


 そんなことを思っている間のわずか数秒で、ダレンさんの手の上には水球がぽかりと出現した。


「わ?!」


 そのままふわりと布の上に移された水の球は、ぱしゃりと液体に戻って濡れタオルが出来上がる……わお。

 魔法だ、魔法! あれ、魔術かな? ああもう、どっちでもいいや。すごい! そういえば、こういう魔法を見るのも初めてだ! 


「ちょ、ちょっと触らせてもらっていいです? わあ、ちゃんと冷たい……!」


 まさに、冷蔵庫から出したばかりのような冷たさ。

 思わず近寄った私にダレンさんがぎょっとしたようだけど、だって、気になるし!


「これでいいのか」

「あ、はい。で、ぶつけたところに当てて冷やして――って、ハイごめんなさい、触りません」


 傷を確認しようと、ダレンさんの頭に手を近づけたら、大げさに後ずさりされてしまった。

 触れられたくないほど痛いんだろうけど、不用意に動くとまた転ぶよ? 


 触らないから、の気持ちを込めてホールドアップのように手を上げると、ダレンさんはようやく自分で布をこめかみに当てる。

 そんなに難しくないと思うんだけど、かなり手つきはぎこちない。 


 気付けばもうじき夕日も沈むようで、部屋の中はだんだん暗くなってきていた。

 抱っこ帯の中の卵は、さっきからおとなしい。眠ってはいないようだけど、疲れたのかもしれないな。


「ええと……エドナさんに『話は本人から聞くように』って言われました」


 そう伝えると、ダレンさんの肩がピクリと動く。

 うん、そのこと忘れていないよ。


 でもね。


「その前に、明かりをつけてお茶にしませんか?」


 とりあえず、喉が渇いた。

 ティーテーブルには置きっぱなしのカップ。

 そちらを指させば、ダレンさんはまた鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたのだった。





 窓のカーテンは引かれ、リビングには明かりが灯された。

 私はさっきと同じソファーに。エドナさんがいた向かいの椅子には、今はダレンさんが掛けている。


 淹れなおす、と台所に戻ろうとしたダレンさんを引き止めて、やや冷めた紅茶を飲んでいる。

 加えた蜂蜜の甘さがじんわりと染み込むようで、非常においしい。体が糖分を欲しているのが分かる……思ったより疲れてたんだな。

 遠慮せずに二杯目をカップに注いだ頃、ようやくダレンさんもお茶を飲んだ。


「エドナさんはお師匠様だそうで」

「……ああ」

「こちらの家で長いこと暮らしていたと」

「聞いたのか?」

「少しだけ――っていうか、こっちで話していた内容、台所にも聞こえてたんじゃ?」


 ここと台所の間に、厚い扉などはない。

 その質問に、ダレンさんは首を振る。どうやらエドナさんは、リビングと台所の音声を遮断する魔法を使ったらしい。

 どうりで、お友達魔女さんの大騒ぎの時にも顔を出さなかったわけだ。


「それで、ダレンさん。説明してもらえますね?」


 ダレンさんはカップと、こめかみに当てていたタオルをテーブルに置くと小さく息を吐いた。



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