第三章-08 転校生は暗殺者

「――コードネーム・ラクーンとしての彼女は死んだ。彼女はそのコードネームを捨てたの。出て来て、カスミ。兄さんはもう知っているみたいだから」


 ミカが手招きすると、加純はシャッターの外から、優の前に姿を現した。


「今ここにいるのは、暗殺者のラクーンではない。兄さんと私の友達の『阿澄 加純』だよ」

「どういうこと……? まさか、あなた裏切ったの!?」


 優の隣でニコルが叫ぶ。


「………………」


 加純は気まずそうに優とニコルから目線を逸らす。

 出来ることならこのまま優に自分の正体を知られないまま退場するつもりでいた。

 だけど、ミカは加純に言った。

『兄さんのことを信じて』と。

 ちゃんと謝れば優は加純のことを許してくれる。本当の自分を曝け出しても、優なら受け入れてくれる。

 自分がそうだったから、と。


「加純……!」


 ニコルに拘束された優は、加純の姿を見るなり目を大きく見開いていた。

 ――謝ったって加賀美くんは許してはくれないだろう。

 ――どんな顔をして会えばいいのだろう。

 ここに来るまでに、様々な思いを巡らせていた。

 そんな加純に対し、優は開口一番にこう言った。


「良かった……! 生きてて……!」

「えっ……?」


 加純は優の方へ視線を戻す。


「ミカが殺してしまったかと心配してたんだよ。いやー。良かった、良かった。ホントに良かった……」


 優は心の底から安堵して言った。

 その表情は穏やかだった。いつも見せてくれる優しい表情だった。


「……何で? もう知っているんでしょ? 私は加賀美くんを殺そうとしてたんだよ? どうしてそんな優しい言葉がかけられるの?」

「ん? いや、まあなんつーか。アレじゃん。お前は俺が憎くて殺そうとしてたわけじゃないんだろ? きっとお前にはお前の事情があるだろうしさ」

「いやいや! おかしいよ! 何でそんな物わかりがいいの!? 暗殺者だよ!? 人を殺すのが仕事だよ!? 私のことが怖くないの!?」

「まあ、全く気にならないってのは嘘になるけど、大した問題じゃないっていうかさ。暗殺者である前に、加純は俺の大事な友達だから」

「……っ!」


 その瞬間、加純は涙を抑えられなくなった。

 ――なんて自分は馬鹿だったのだろう。


 俺が加純にこんな風に言えるのは、ミカという前例があったからなのもあったし、加純に対する信頼の厚さもあった。

 誰にだって隠したい秘密くらいあるもんさ。秘密の一つや二つ、ドンと来いだっつーの。

 それに、ミカが言うには、加純はラクーンというコードネームを捨てたって話だ。それってつまり、もう俺を殺すつもりはないってことだし、尚更何の問題もない。


「ちっ……。使えない子……」


 泣きながらその場にしゃがみ込んだ加純を見ながら、俺のすぐ横にいるニコルが呟いた。

 そうだ。たとえ加純が俺の暗殺をやめたとしても、まだこいつが残っている。もう一人の暗殺者ウルヴァリン。依然、俺の命がやばいことに違いない。


「兄さんを解放しなさい」


 ミカがこちらに近づいて来る。


「それ以上、近づかないで!」


 すると、ニコルは俺の首元にナイフを当てた。


「近づけばこいつを殺すわよ!」


 丸っきり映画の悪役の台詞だった。ベタ過ぎてこれが映画だったなら笑えただろうが、実際に渦中にいるので全然笑えなかった。冷たいナイフの刃先が首に当てられているのだ。ニコルがちょっと力を入れれば頸動脈とかいうのが切られて俺は瞬く間に昇天してしまう状況である。

 この状況、映画だと『俺に構わず逃げろ!』とかいうシーンもあるが、そんなセリフよく言えるなと感心する。『ひえええ! 助けてぇ!』とかいう情けないセリフすら言えない。恐怖で身体が硬直して口が開けないのだ。

 しかし、そんな俺とは対照的に、ミカは余裕の態度だった。


「そんな脅し無駄よ」

「脅し? これは命令よ」


 ニコルが今までにないドスの利いた声で言う。

 それでもミカは冷静なままだ。俺とは違いミカにとってはこの程度すらもピンチの内に入らないというのだろうか。


「兄さんを殺せば、マイクロチップの在りかは分からなくなる。マイクロチップの場所が分からない限り、あなたは兄さんを殺せないのでしょ?」

「っ!」


 ニコルが俺の真横でビクリとしている。

 どうしたんだニコルのやつ。一体ミカは何の話をしているんだ。


 ミカの目の前では、ニコルが優の首元にナイフを当てているが、ミカには何の脅しにもならなかった。ニコルは図星を突かれたという表情をしながら動揺している。

 ミカは知っている。組織に属するニコルは、トレバーが流した嘘の情報『マイクロチップのコピーの隠し場所を知っているのは優だけだ』という情報を信じている。だから、ミカの指摘通り、ニコルはチップの在りかを聞くまでは優を殺すことが出来ないのだ。

 少なくとも、ボスの命令が下るまでは、勝手な判断は出来ない。『マイクロチップの場所を聞き出すまでは殺すな』というのがボスからの命令。今、優を殺すことは、ボスの命令を無視することになってしまう。


「……マイクロチップのことも組織のこともよく知っている風ね。あなたホントに何者なの。組織のデータベースにも載っていなかった――」


 ニコルは「まさか」という表情を作る。


「ファントム……? あの伝説的暗殺者の……?」


 すぐに「いいやそんな訳ない」と首を振る。


「兄さんを解放しなさい」


 ミカはさらに距離を詰める。


「そうね……。あなたの言う通り、今、私は優を殺せない……。おそらく、優がマイクロチップを持っているっていうのはガセでしょうね。あなたが組織に流した偽の情報ってところかしら。けど、それが嘘だと確定するまではボスは私に殺しを命じないし、命令を受けるまでは、私は殺しを実行出来ない。それが私たち働きバチ。勝手な行動は許されない存在なのだから」


 そう言いながら、ニコルは優の首元からナイフを離した。


「……けど、任務を邪魔するあなたは別よ。だって、ボスから『邪魔者の生死は問われていない』んだからね」


 その瞬間。

 ニコルはつい今まで優の首に当てていたナイフをミカに目掛けて放り投げた。


「…………」


 ミカは難なくそれを避けた。ナイフは背後のコンクリートの壁に突き刺さる。


「……加賀美 ミカ・ミラー。あなた、どう考えても普通の子じゃないようね。私たちと同じ、特別な訓練を受けて来た戦士。そして、組織のこともよく知っているみたい。個人的にはあなたにとても興味があるけど、口を封じさせてもらうしかなさそうね」


 ニコルは新しいナイフを取り出した。さっきの拷問器具と同じ。まるで手品のようにどこからともなく出現させている。

 ニコルはナイフを構え、今度は自らミカの方に近づく。縛られている優は逃げ出せないので、そのまま放置してだ。


「あなたのことも、あなたを殺してから、ゆっくり優に拷問(しつもん)することにするわ。あなたと違って、訓練を受けていない彼が、私からの拷問(しつもん)に答えないはずがないのだから」


 距離にして二人の間は10メートル。

 その地点で、ニコルはミカにナイフを投げた。

 ミカがそれをかわすと、新たなナイフをまるで魔法のように生み出し、次のナイフを投げる。

 二本、三本、四本。

 弾丸のように次々に発射する。


「これが私の暗殺術! 身体中に仕込んだ暗器よ! 雨のように飛び交うナイフ! 果たして耐えられるのかしら! アハハッ!」


 しかし。


「――え?」


 その全てを払い除け。


「ふぎゃあっ!」


 ミカは懐に飛び込み、ニコルの顎に掌底を叩き込んだ。

 ニコルは後方に吹き飛び、背中から倒れる。


「う、うううううう……」


 大の字になって倒れるニコル。

 どうやら面と向かっての戦闘力は、ミカが圧倒的に上だったようだ。

 しかしミカは慢心することなく、素早く次の行動に出た。ニコルをうつ伏せにひっくり返し、両手を後ろに交差させて押さえつける。顎への強打で一時的にグロッキー状態となっているが、正気を取り戻して反撃をされないようにするためだ。

 これで完璧にマウントを取った状態となった。

 ミカの完全勝利だ。

 それにしてもあまりにあっけない幕切れである。


「ニコルちゃん……」


 加純はこの結果が初めから見えていた。ついさっき実際に戦い合ったのだから、ミカの能力は既に把握している。だから、一切手も口も出さなかった。

 同僚(なかま)の敗北を見届け、複雑な表情するが、加純も望んだ結果だ。

 これで優の命を救うことが出来る。


「終わりよ、ウルヴァリン。降伏しなさい」


 ニコルを組み伏せたミカは、落ちていたナイフの一本を拾い上げ、倒れたニコルのうなじにそれを向ける。


「ふん……。さっさと殺しなさいよ……。言っておくけど、私は加純のようにひよったりしないから。さっさと仕留めないと、また優を狙うわよ。ここで逃げたとしても、地獄の果てまで狙い続ける。そう思うことね」


 加純は口出し出来ない。

 かつての仲間がいかに組織へ忠誠を誓っているのか知っているからだ。ニコルはボスの命令には絶対に従う。ボスが殺せと言っている以上殺すし、マイクロチップを回収するまでは殺すなと言われれば殺さない。

 ここで仕留めなければ、確実に優にとっての脅威となるのだ。


「………………」


 そのことはミカも察している。

 だから。

 優を守るためにナイフを振り上げた。


「やめろ、ミカ!」

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