第三章-06 転校生は暗殺者

「――いい加減に白状したらどうかしら?」


 コンクリートの壁に囲まれた閉鎖された空間。窓はない。唯一の出入口と思われるシャッターは締め切られている。外の様子は分からない。場所はおろか、今が何時なのかも分からない。

 手足を縛られた俺は、ニコルにナイフを突きつけられ、マイクロチップの場所を教えろと脅されていた。

 可愛い女の子にナイフを突きつけられる。

 これが初めてではないが、全く慣れるものではなかった。


「あなた、自分の立場が分かっているの? この状況、逃げることなんて出来ない。マイクロチップさえ渡してくれたらすぐ楽になれるっていうのに。――それとも、拷問でもして欲しいのかしら」


 ニコルの口から出た拷問という単語に俺は身震いする。映画なんかでは見たことがある。捕まえたスパイなんかを痛い目に遭わせて秘密を吐かせるアレだ。

 そんなことされるなんて絶対嫌だし怖い。答えられるものならすぐにでも答えてしまいたいが、知らないことを答えられるはずがないだろ。あの夜、穴熊(バジャー)から渡されたマイクロチップなら、組織が回収したはずだし、家に帰った時には俺はもう持っていなかった。

 ニコルに見下ろされながら、俺は困惑の表情を作ることしか出来ない。


「ふーん。そっか。本当に拷問されたいわけね」

「ちょっ!? ま、待てよ! マイクロチップって何のことだよ!? そんなの俺は知らないぞ!」


 俺は恐怖で声を上ずらせながら言う。


「もう、惚けちゃって。フフッ。往生際が悪くて可愛いわよ、優」


 ニコルは身動き出来ない俺の顎を弄ぶようにして擦る。


「……ああ、もしかして、これって時間稼ぎのつもりかしら? 妹ちゃんが助けに来てくれるまでの。あなた、あの子がまるでヒーローのようにここに颯爽と駆けつけてくれるって思っているのね」


 時間稼ぎだって? いやいや、そんなつもりはない。そんなプロっぽい駆け引きが俺に出来るわけないだろ。


「言っておくけど、頼みの妹ちゃんはここには来られないわよ。GPSで追いかけようとでも思っていたんでしょうけど、そんなことに気づかないと思うの?」


 GPSって何のことだ?

 あっ。そう言えば、もしも俺が組織の刺客に捕まるようなことがあれば、俺のスマホのGPSを頼りに探せるとかミカが言っていたな。

 そうだよ! それならミカが助けに来られるじゃないか!


「残念だけど、無駄よ。ここに来るまでの道中、あなたのスマホはカバンから取り出して、私のパートナーに渡したから。妹ちゃんの追走をかわすためにね。今頃、見当違いのところを追いかけているかしら」


 一瞬見えた希望が、一瞬で打ち消された。

 ニコルは愉快そうに笑う。


「もしかしたら、もう加純に始末されているかもね。妹ちゃんはターゲットではなかったけど、組織に盾突いたのだから当然の報いよね。ボスからは邪魔者は消していいって言われているし、きっとあの子、もう殺っちゃってるでしょうね。フフッ。可哀相な妹ちゃん」

「………………おい。今、なんつった?」


 聞き捨てならなかった。

 ミカが殺されているという部分ももちろんなのだが、俺はニコルが口にした名前を聞き逃さなかった。


「ん? ああ、もうこの際だからネタバレしてあげるわね。あなたの学校のクラス委員長の阿澄 加純は、私と同じ組織のエージェントなの。あなたを狙う暗殺者の一人ってわけ」


 おい。

 何を言っているんだこいつ。

 嘘だ。

 嘘だそんなの。

 こいつは嘘を言っている。

 あいつとはクラスが1年から一緒だった。1年でも2年でもクラス委員長だった。いつもみんなに気を遣える優しいやつで、俺の大事なクラスメイトだ。

 ミカがクラスに馴染めるようになったのもあいつのお蔭だ。

 優しい加純が暗殺者なわけがないだろ。

 優しい加純がずっと俺たちを騙していたわけがないだろ。


「あの夜、裏切り者の穴熊(バジャー)を学校におびき寄せたのもあの子の手柄。私もあの子の指揮の下、ボスの命令に従い、マイクロチップを狙う裏切り者が穴熊(バジャー)だと突き止め、仕留めてみせた。ボスはその功績を大いに称えてくれたわ」


 それじゃあ何か。あの夜に、加純も学校の中にいたっていうのかよ。


「……だけど、あなたというイレギュラーを取り逃したのはあの子の大きなミスだった。独断であの子はあなたをそのまま家に帰らせることにした。すぐにその報はボスに伝えられ、改めて命令が下された。『マイクロチップに関わった者は全て消せ』と。ボスはあの子にあなたの暗殺を命じたの。けど、それも上手くいかなかった。まさか、妹ちゃんが邪魔してくるなんてね。で、しょうがなく、私が追加で派遣されたってわけ。こういう回りくどい仕込みはあの子、得意ではないから。二人体制であなたを追い詰めることになったの」


 そう言ってニコルは笑う。


「……………………………」


 無反応な俺を見ながら、ニコルはますます上機嫌に笑う。


「あれあれ? ショックが大きかったみたいね。それはそうよね。信じていたお友達に裏切られ、命を狙われていたんだから。もういっそ白状して楽になっちゃったら? それとも、やっぱり痛い目に遭わないと答えられないのかしら?」


 そう言うと、どこからか、ニコルは妙なものを取り出して来た。


「良いことを教えてあげる。私はね、暗殺の他にも拷問も得意分野なの。他人を痛めつけるのって結構クセになるのよね」


 それは、ペンチのようなかたちの器具だった。


「ナイフでちょっとずつ痛めつけるのもいいけど、これ、すごく便利なのよ。爪を剥ぐのにも使えるし、歯を捥ぎ取るのも簡単。さあ、どっちがお好み? あなたはどんな表情で悶えてくれるのかしら?」


 ニコルはその器具を俺の目の前でカチカチとさせながら何やら恐ろしいことを言っている。だけど、ショックのあまり俺の頭にはほとんど入って来なかった。

 加純が暗殺者……。

 あの加純が……。

 ああ、くそ。

 妹が暗殺者で、転校生が暗殺者で、仲の良いクラス委員長まで暗殺者だった。

 何なんだよ、これ……。俺の周りどうなってんだよ……。

 もういっそ笑えて来たぞ……。


 ミカは加純と対峙していた。

 二人は人気のない廃工場へと辿り着いた。ミカは逃走を謀ったのだが、上手く撒くことが出来ず、加純の猛攻によってここまで追い詰められてしまったのである。

 ミカと加純の攻防は続いていた。

 一方的に加純がミカを攻撃し、それをミカがかわし続けるというかたちで。


「……もうやめて、カスミ。私たちは友達じゃなかったの?」


 加純(ともだち)とは戦いたくない。

 ミカの思いはそれだけだった。


「友達、か……。あのね、ミカちゃん。私ってね、ミカちゃんが思っているようないい子じゃないんだ。むしろ最低な女の子なんだよ。私はあなたを利用したんだもん」

「利用……?」


 今、加純はミカを殺そうとしている。だがそれは、優暗殺とマイクロチップ回収の弊害を取り除くための行動。利用という言葉の使い方は間違っていると思う。

 加純は一時攻撃を止め、語りを続ける。


「……私がミカちゃんと仲良くしたのも、全部、加賀美くんに近づくためだったんだよ。ミカちゃんに優しくしていたのも、加賀美くんに頼りにしてもらいたかったから。そうすれば、あの人の側にいつでもいられると思ったからなんだよ」

「ちょっと待って。それはおかしい。兄さんが組織に命を狙われるようになったのは、あの夜、穴熊(バジャー)と出会ってから。だけど、カスミが私に良くしてくれたのはもっとずっと前からだった。あの夜以前の話なら、兄さんに近づくために私を利用する必要がないじゃない」


 そのミカの言葉に対し、加純は眉間にシワを寄せる。

「……あなたには分からないんでしょうね。あなたが出会うずっと前から、私は加賀美くんと一緒にいたんだから。私がどうしてあの人の側にいたいと思っているのかなんて、想像も出来ないんでしょうね」

「………………」


 加純の言う通り、ミカには彼女の思いは分からなかった。ミカと優が出会ったのは去年の暮れ。加純は優と出会ったのはそれよりも前。

 優と加純の二人には、ミカの知らない物語が存在するのだ。


「加賀美くんに想いを伝えるつもりもなかった。私はただあの人と一緒にいられればそれだけで良かったの。幸せな毎日だった。……けど、あの日から全部おかしくなった。あの夜、私はあの任務の作戦リーダーを務めていた。裏切り者の掃討計画の。運悪く、加賀美くんはそれに巻き込まれてしまった」


 加純は全てを語った。

 孤児だった自分は、とある暗殺一家に養子として迎え入れられ、幼少期から暗殺者として育てられた。家は組織とも繋がりがあり、表向きは一般の学校で通いながらも、裏では組織からの任務をこなしていた。

 あの日もそうだった。

 自分が通う学校で行われる作戦。生徒として潜り込んでいて、校内の設備や周辺の地理にも詳しい加純が作戦の指揮を執ることになった。

 その作戦とは、裏切り者の処刑だ。

 組織のボスは、日本の学校に重要機密を隠していた。何故そんな場所に隠していたのか、その理由は直属の部下も知らない。ともかく『機密文書・黒』と呼ばれるそれを学校内から回収することをボスは命じた。

 さらにボスは、裏切り者を吊るし上げることにこの機密文書を利用した。ボスの正体を突き止めようとする裏切り者の勢力が存在するというリークがあったからだ。

 まんまと裏切り者の穴熊(バジャー)はそれにかかり、『機密文書・黒』を奪おうとするも、ボスの処刑を受けることになった。

 その夜、学校内に籠城する穴熊(バジャー)をコードネーム・浣熊(ラクーン)の指揮の元、武装した組織のエージェントたちが追い詰めた。

 しかし、その時、不測の事態が起こる。

 加賀美 優だ。

 彼はどういう訳か――後に、忘れ物のスマホを取りにやって来たことが判明する――人気のない学校に入り込もうとしたのだ。

 学校周囲は完全に包囲されている。作戦リーダーの加純が指示すれば、配備されているスナイパーの手で優を抹殺することは簡単だった。

 だが、加純が取った行動は『見逃す』だった。

 部下たちには、余計な殺しは後々無駄な証拠を残す可能性があると説明し、そうさせた。


「……それじゃあ、あの夜、カスミが兄さんを助けてくれたってこと?」

「そうだよ。あの状況。普通なら加賀美くんはあの夜に真っ先に消されていたでしょうね。重要な組織の作戦を目撃してしまったんだから。作戦リーダーの私が庇ったから生きて帰れたんだよ。マイクロチップを回収した後、家に無傷で送り届けたのも私。……けどね、もうそれも無駄になった。あの後、すぐにボスは命じて来た。私に殺せと。穴熊(バジャー)と接触した少年を、加賀美 優を殺せと」

「っ!」


 加純が再び激しい殴打をミカに振るって来た。

 二発、三発。寸前で避ける。

 その間も、うわ言のように加純は話を続ける。


「どうしてなの……。どうして私が加賀美くんを殺さなきゃならないの……。どうして……」

「カスミ……」

「私はあなたよりずっと前から加賀美くんと一緒にいた! あの夜の学校の時だって、私が加賀美くんを守った! あなたより先に私はあの人を守っていたんだ! なのにどうして!? どうして私がこっち側で、あなたがそっち側なの! そんなのズルいよ! 不公平だよ!」


 加純は慟哭しながら、ミカに攻撃を続ける。

 その拳は虚しく空を切り続ける。


「私だって加賀美くんを助けたい! 私では加賀美くんの役に立てないの!? どうして!? どうして私が殺す側にならなくちゃいけないのよ!」


 ミカはさっき加純に言った。

『加純では優を救えない』と。

 その言葉を聞いて、初めて加純はミカの目の前で心を乱し、暗殺者であることをミカに見破られた。

 加純にとって、加賀美 優という人間は、それほど特別な存在なのだ。

 妹のミカと同じで。


「……カスミはそんなに兄さんのことが大事なんだね」

「そうだよ……! あなたよりも私の方がずっと前からそうだった! 急に妹になって、急に加賀美くんと一緒にいるようになったあなたよりも、私はずっと前からそうだったよ!」


 子どもの駄々のような、そんな泣き声だった。

 彼女は怒りで拳を振るっている。悔しさで拳を振るっている。ミカに対してだろうか。己に降りかかった運命に対してだろうか。その両方だろうか。

 ミカは知らない。どうして加純が優に対して強い気持ちを抱いているのか。彼女が指摘するように、ミカの方が優と出会ったのは後。それまでの二人を知らない。二人にどれ程の絆があるのか知らない。

 少なくとも、自分と変わらない強い気持ちを抱いていることは、ひしひしと伝わって来た。


「……ねえ、カスミ。だったらこれからも守ればいいじゃない。そんなに兄さんのことが大事なら、あなたも兄さんのことを組織から守り抜けばいいじゃない」


 ミカの言葉に、加純は鼻で笑ってみせる。


「組織を裏切れって言いたいの? 無理だよ。ミカちゃんは知らないからそんなことが言えるんだよ。組織の巨大さを。ボスの恐ろしさを。私がここで裏切ったところで、別の暗殺者がやって来る。加賀美くんを守り切ることなんて出来っこない」

「うん、知っているよ。組織がどういう存在なのかも。どれほどの力を持っているのかも。だけど、それでも私はやるよ。兄さんを守ってみせる」


 ミカは地面に落ちていた鉄パイプを拾い上げる。

 そして、まるで剣道の構えのように両手で握ってみせた。

 鉄パイプの先を――剣先を加純(ともだち)に向けながら。


「たとえ相手がどんな大きな組織だろうと。私は兄さんを守り抜く。……カスミ。友達のあなたと戦ってでも」


 それは、宣言だった。

 開戦を告げる。

 友と戦う決意を告げる。


「……ミカちゃんはどうしてそんなことが出来るの……。組織の恐ろしさを知っているんでしょ……!? なのにどうしてそんなことが言えるのよ!?」


 ミカは迷いなく言う。


「あの人が私の兄さんで、私はあの人の妹だからだよ」


 ミカの表情にも迷いはなかった。


「……減らず口を……! なら、止めてみなさいよ! 私を! 私から加賀美くんを守ってみなさいよ!」


 加純は大きく左足を踏み込む。


「うああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 そのままミカの鼻先に向けて右の拳を突き出した。


「………………………………………」


 ミカはそれを鉄パイプで――付け焼き刃の剣で迎え撃つ。

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