第三章-02 転校生は暗殺者
ミカが付きっ切りで俺を警護するようになってから2週間以上が過ぎた。
加純やクラスのみんなからの指摘があり反省したのか、ミカは身の振り方を改め、露骨な俺への接近はしなくなった。さりげなく俺の近くにいて、俺の周囲を見張ってくれている。
その一方で、組織への対応はトレバーさんが進めてくれている。だが、具体的にどういう『対応』を取るつもりなのかは教えてくれていない。穏便に済ませて欲しいところなのだが、きっとそういうわけにはいかないだろう。相手は殺しを躊躇しないような犯罪組織だ。こちらもそれ相応の覚悟を決めないと行けない。
今のところ組織の刺客に襲われるようなことは一度もないし、特にそれらしい異変も起こっていない。トレバーさんの言うように、ミカが常に側にいることが牽制となって、二人の暗殺者は俺に手を出すことが出来ないでいるのだろうか。
平和だ。
本来なら当たり前のことなのだが、あまりに平和だ。
何も起こらないまま日々が過ぎ、段々と組織のことや自分が命を狙われていることへの意識も薄れて行った。実はもう組織は俺の暗殺なんてとっくにやめてしまったのではないかと気楽に思うようにもなっていた。
そんな中だった。
6月も後半に差し掛かり、いよいよ夏を感じるようになった頃。
俺の身の周りで、ある大きな変化が起こった。
「ねえねえ、知ってる? 今日から転校生が来るんだってさ」
クラスの連中の会話から察するに、このクラスに転校生がやって来るらしい。
「へえ。夏休み前のこんな中途半端な時期に珍しいね」
確かに、こんな時期に転校生というのも変な話だ。元々、ミカも転校生ではあるが、クラスにやって来たのは新年度からだった。夏休み明けの二学期からとかの区切りの時期なら分かるのだが、どういうことだ。まあその転校生には何か特別な事情があるのだろう。
そんなわけで朝のホームルーム。担任と共にその人物は教室に現れた。
その途端、クラスがざわつく。
転校生は金髪ツインテールの外国人の女の子だった。
4月に外国からの転校生であるミカがやって来たばかりなので二番煎じ感はあったが、皆、特に男子たちは色めき立っている。
その女の子が、ミカに負けず劣らずの美少女だったからである。
それだけではない。顔立ちはミカよりも幼く、身長も低めなのだが、身体付きのある部分だけミカよりずっと『大人』だった。
胸だ。
デカい。
これが海外仕込みのバディだとでも言うのか。
クラスの視線を一身に浴びながら、転校生の金髪少女は、黒板に筆記体の英語で何かをスラスラと書いた。
「ニコル・トリニティです! イギリスから来ました! みんな、よろしくね!」
どうやら黒板に書いたのは自分の名前だったらしい。そして、このニコルという女の子はミカと同じで日本語がペラペラのようである。
ただ、ミカとは対照的な女の子だった。ミカは落ち着いていてクールな子だが、ニコルは明るい雰囲気の子だった。ミカが初めてクラスに来た時はというと、不愛想で挨拶らしい挨拶なんて皆無だったのだが、それに比べてニコルは、快活にハキハキと自己紹介をしている。
俺はふとミカの方を見てみる。
ミカは無表情でじっと転校生のニコルを眺めていた。
ミカにとっては同じ海外からの転校生だし、同じ立場のクラスメイトとなる。
二人が仲良くなれるといいな。
ミカにまた友達が増えるといいな。
その時の俺は、ただ呑気にそんなことを思っていた。
休み時間。早速、みんなで転校生のニコルを囲む。恒例の転校生への質問攻めタイムだ。
話してみると、ニコルはやはりミカとは対照的な子だった。今にしてみれば正体を隠すためであったが、ミカは質問をされても自分のことをみんなに話そうとしなかった。それとは真逆で、ニコルは祖国のイギリスのこと、家族のこと、転校の理由など、包み隠さずフレンドリーに話してくれた。
ニコルは資産家のお嬢様で、以前から興味のあった日本に親に頼んで留学して来たそうだ。中でも日本のアニメやゲームにとても関心があるらしく、それらが目当てなのだと楽しそうに語った。
ちなみに、本来は4月にこの学校に入学する予定だったが、手続きの不備があったりなどでこの変な時期に伸びてしまったとのこと。
「よろしくね、ニコルちゃん。私はクラス委員長の阿澄 加純。分からないことがあったら何でも聞いて」
ミカの時と同じで、加純は愛想よく転校生のニコルに話し掛けている。クラス委員長としての立場抜きでも、同じことをしているだろう。俺は加純とは1年の頃から一緒だし、そういう性格のやつだということはよく知っている。
「ありがとう! よろしくね、加純ちゃん!」
ニコルも負けない愛想のいい笑顔で加純と握手する。
今では考えられないことだが、ミカは加純に同じようにされた時、握手すら拒んでいたっけな。あの時、俺は、初めてミカに怒ってしまった。兄として妹の態度が許せなかったのもあるが、友達の加純の優しさを踏みにじられたと思ったからだ。
それが今では二人は仲の良い友達同士。最初は孤立気味だったミカも、クラスの輪に入れるようになった。人ってのは変わるもんだなと、俺はしみじみ思った。
それから、みんなからのニコルへの質問攻めタイムが終わり、皆がニコルの囲みを解いて落ち着いた時だった。
「――ねえ、あなた」
「え?」
俺が机に座って次の授業の準備をしていると、ニコルが話し掛けて来た。席が隣同士ってわけでもないのだが、わざわざ俺のところまでやって来てどうしたのだろう。
「名前は何て言うの?」
「俺? 加賀美 優だけど」
「ふーん。そう。優……。優って言うのね……」
ニコルは確認するように俺の名前を繰り返した。
「優。あなたとお近づきになれて私、とても嬉しいわ」
「え? あ、そ、そう? うん、よろしくな……」
俺の顔を観察するように眺めながら、ニコルは笑顔を浮かべている。そうやってますます俺に近寄って来た。
おいおい、何なんだ……。
何か妙に距離が近いんだけど……。
外国人特有の距離感なのだろうか。フレンドリーな性格の子なのでこれくらい普通のことなのだろうか。あんまり近寄ってくるもんだから、豊満な胸がすぐ俺の目の前にあるんだけどいいのでしょうか。椅子に座る俺をニコルは楽しげな顔で見下ろしている。
それにしても、間近の真正面で見ても、めちゃくちゃ可愛い子だなあ。
パッチリした大きな目を見ていると吸い込まれそうになる。
俺はついついニコルに見惚れてしまっていた。
「きゃっ!?」
だが、唐突にニコルの愛らしい顔が遠ざかった。
誰かに後ろに引っ張られて後ずさりするような動きだった。いや、ようなというか、実際、腕を後ろから引っ張られてそうなったのだ。
ミカだ。
いつの間にか、ニコルの真後ろにはミカが立っていて、ニコルの腕を掴んでいた。
俺もニコルもミカが近くにいることに気づいていなかった。さっきからずっと、ニコルがみんなから質問攻めにされている間も姿がないなとは思っていたが、気配を消して俺のことを見守っていたようだ。
そしてどういう訳か、俺と喋っていたニコルの腕を掴み、俺から無理やり引き離したのだ。
「な、なに……? なんなの……?」
「…………」
困惑するニコルの腕を掴んだまま、ミカは黙って見つめている。
やがて。
「――兄さんに近づかないで」
ふいに冷たく言い放つと、ミカは振り払うようにニコルの手を離した。
それから、ニコルから俺を守るように立ちふさがる。
ニコルは顔を強張らせながらビクついている。今日が初対面の相手に突然そんな態度を取られればそうなっても当たり前というものだ。
「お、おい! 何やってんだよ、ミカ!?」
呆気に取られていた俺だが、ようやく我に返り、椅子から立ち上がってミカを叱りつけるように言った。
だが、ミカは何の返事もしない。
俺を背中に隠したままニコルと対峙している。
「な、何なの、この子……?」
「わ、悪い、ニコル。こいつ、俺の妹なんだよ」
「え……? 優の妹……? この子が……?」
ニコルがますます混乱している様子なので、俺はニコルにミカが義理の妹だということを説明した。
「あ、ああ、そうなんだ……。だから、全然似てないのね……」
一つ疑問が解消されたようだが、ミカが敵意剥き出しの表情で自分を見つめていることには全く理解が出来ていない様子である。
俺自身も、どうしてミカがニコルに対してこんな態度を取っているのか理解していなかった。
教室にいる連中も様子がおかしいことに気づき、こっちを見てざわついている。
ミカとニコル。ただでさえ目立つ外見の二人だ。クラス中が二人の動向に注目している。
「どうしたの? 何かあった?」
クラスを代表するようにして、委員長の加純が不安げな表情で俺たちに近づいて来た。
只ならぬ表情でニコルを見つめるミカ。それを見ながら怯えるニコル。そんな二人を見比べながら加純は困惑している。
「……もしかして、喧嘩とかかな?」
「分かんないよ……。急にこの子が私を睨んで来て……。私、あなたに何かした? でも、今日が初対面だよね? まだ話したこともないのに、どうして……?」
ニコルは今にも泣き出しそうな表情でミカに尋ねる。
やはりミカは何も答えようとしない。
ただ黙ってニコルを見つめたままだ。
「ねえ、ミカちゃん。ニコルちゃんと何かあったのかな? 何か気にいらないことでもあったの? 同じ外国からの転校生なんだし、仲良く出来ないかな?」
加純は優しくミカに言う。まるで小さな子どもを窘めるような感じでだ。
しかし。
「カスミには関係ないことだから、放っておいて」
ミカはニコルを睨んだまま、加純を突き放すようにそれだけ言った。
「え……」
それを受けて出た加純の声色は、ショックに溢れていた。
「……っ!」
その瞬間、俺はとうとう我慢ならずミカの腕を掴んだ。
「……すまん、ちょっと、妹と話してくるよ」
「あっ! 加賀美くん!?」
加純やニコルを教室に残し、俺はミカを廊下に連れ出した。
人気のない階段の踊り場。
そこで俺はミカに面と向かう。
「……なあ、ミカ。一体どういうつもりだ。さっきのあの態度は何なんだよ……?」
基本、ミカには甘い俺ではあるが、兄として悪いことは悪いときちんと注意するのも優しさだと思い、強めの語気で言う。
俺は滅多にミカに怒ったりはしないが、さすがに見過ごせる状況ではなかった。誰がどう見てもさっきのミカの態度は酷い。ニコルは外国からの転校生。初めての日本の学校で、始めての登校日。期待も不安も一杯の中でいきなりのあの仕打ちだ。ショックは計り知れないだろう。最悪、明日から学校に来なくなってしまうかもしれない。
おまけにだ。大事な友達の加純にまであんな冷たい態度を取るなんてどうかしている。加純はニコルだけでなく、ミカにも気遣って声をかけてくれたっていうのに。
それをあんな風に突き放してしまうなんて。
「何であんなことをしたんだ……? 黙っていちゃ分かんないだろ……。どういうつもりなんだ、ミカ!」
「……どういうつもり? それはこっちの台詞よ、兄さん」
ミカは謝ることもなく、ようやく返して来た返事がそれだった。
「あんな風に容易く接近を許すなんてどうかしているわよ。あの転校生には注意して」
「へ? 注意するって、何をだよ?」
思いもよらぬミカの言葉に俺は困惑し、説教ムードを解除してしまう。
「兄さんはお気楽過ぎる。どう考えても怪しすぎるでしょ?」
「何がだ? 金髪の外国人で珍しいといえば珍しいけど、普通の可愛い女の子だろ? 明るく元気で怪しさとは無縁のタイプじゃないか。俺はああいう子、結構好きだぞ」
ミカは大きくため息をついた。
「……こんな変な時期に転校して来たこと。そしてクラスの他の誰でもない、いきなり兄さんに話し掛けて来たこと。もしかしたら、どこかに武器を隠し持っていて、あのまま兄さんに攻撃を仕掛けていたかもしれない」
教室の方を見ながら、ミカは緊張の面持ちで言う。
そんなミカの様子を見て、俺はようやく察した。
「おい、おい、ミカ。それじゃあまさかニコルが組織の刺客とでも言いたいのかよ?」
「その可能性は極めて高いと思う」
今度は逆に俺がため息をついた。
「……あのなあ、ミカ。俺を守るために暗殺者を警戒してくれていることは感謝しているけどさ、クラスメイトをそんな風な目で見るもんじゃないぞ。そいつはいくら何でも無理があるだろ。よく考えてみろ。転校生の美少女が暗殺者なんて、そんなとんでも展開があるわけないだろ。漫画やラノベじゃあるまいし」
「……………………」
ミカが何やら言いたげな表情をしているが俺は続ける。
「確かにこんな時期にいきなり転校して来たのはタイミングが良すぎる。急に俺なんかに絡んで来ようとするのも変だ。でもさ、それならそれであからさますぎやしないか? 本当にあの子が暗殺者なら、もっと怪しまれないように行動すると思うぞ」
「いいえ、そんなことはない。むしろ常套手段よ。『まさかそんなはずは』『この人に限ってそんな』そう思わせるね。……実際、兄さんは私に命を狙われているって気づいていなかったんでしょ? 私が露骨に接近しても、まさか暗殺しようだなんて思ってもいなかった。そう言っていたのは兄さんよ」
「あ」
言われてみれば確かにそうだった。
ていうか俺ってば、つい最近『妹が暗殺者』というとんでも展開を体験したばかりではないか。むしろそっちの方が『転校生が暗殺者』よりもレアなケースかもしれない。
「組織が転校生としてこの学校に刺客を潜り込ませるなんて造作もないことのはずよ。クラスメイトになれば簡単に兄さんに近づける。クラスメイトなら気を許すだろうし、暗殺のチャンスも増えるでしょうね。高校生の子どもが暗殺者なんて『普通は』思わないから」
ミカの言い分は分かる。組織の力は警察や政治の世界にも及んでいるって話だし、組織の人間の経歴を詐称するなんて朝飯前のことだろう。たとえ相手が俺と同い年だろうと、ミカという実例がある。ミカのように幼少期から鍛えられて来た人間ならば、組織の暗殺者として立派に仕事をこなせるのだろう。
しかしだ。
「……そんな証拠どこにあるんだよ。あくまで可能性の話だろ? 組織の刺客だって決まってもいないのにあんな風な態度を取るのはどうかと思うぞ」
「確かにあの子が暗殺者だという証拠なんてない。でも、用心に越したことはないわ。忘れないで、兄さん。兄さんは目的のためなら手段を選ばないような者たちに命を狙われていることを。信用出来ない人間を簡単に近づけてはダメよ。確実に信用出来ると思える人間以外は敵だと思うの。あのニコルという子もそう。素性が分からない以上、彼女も『敵』よ。ほんの少しでもグレーである以上、全て『黒』と思うこと。それが戦場での鉄則」
おそらく尊敬するトレバーさんから習ったことなのだろう。ミカは譲らない、そんな表情を俺に向けている。
「……ミカ、お前の言いたいことは分かる。だけど、ここは戦場じゃない。ニコルが組織と関係なかったらどうするんだ。ニコルの気持ちも考えてやれよ。あいつはお前と一緒で、右も左も分からない外国から来たばかりの転校生なんだ。不安なことが一杯ある中で、いきなりあんなことされたらどう思う?」
「…………」
わざわざ転校生を傷つけようとしてやっていることではない。ミカがそんなことをする子でないことを俺も分かってはいる。俺を守ろうとしてやっていることなのだ。
それでもさっきの態度は褒められるのものではない。ミカはコミュニケーションが苦手だし、ただでさえ誤解されやすい性格をしているんだ。何も知らない人間からすれば、ミカがニコルに意地悪をしているようにしか見えないだろう。ニコルは外国からの転校生でミカと同じ境遇だ。せっかく仲の良い友達になれるかもしれないチャンスを棒に振ってしまっている。
ミカは俺を守るということに集中し過ぎて他のことが疎かになっている。それだけ俺のことを大事に思ってくれているのは嬉しいが、素直に喜べる事態ではない。
「あんなことをされたら、あの子はお前のことを嫌ってしまうし、クラスのみんなだってお前のことを良く思わない。そんなのダメだろ?」
俺を守れたとしても、ミカがクラスで孤立してしまう。そんなことを俺は望まない。
しかし、俺の想いが伝わっていないのだろう、ミカの表情は変わらない。
「関係ないよ、そんなの」
「……何だって?」
「そんなこと知ったことじゃないって言っているの。あの子や他の子が私のことをどう思おうが関係ない。兄さんの命が優先よ。私がみんなに嫌われたところで、死にはしないし」
「ミカッ!」
俺はついつい声を荒げる。
すると、ミカの表情が初めて動揺に変わった。
「……どうして? どうして兄さんは怒っているの? 私は兄さんを守ろうとしているのに」
「……ッ!?」
ミカの悲しげな声に俺は罪悪感を覚える。
「分からないよ……。兄さんはどうしてあの子を庇おうとするの……? 私よりあの子のことを信じるの?」
「違う! そういうことじゃない! 俺はな、ミカが周りから嫌われるようなことをしてまで守って欲しくなんかないんだよ。もちろん、俺は自分の命が大事だけど、妹のお前のことだって大事なんだ。お前が不幸になってまで自分が幸せになりたいなんて思わない」
「…………っ」
ミカは驚いた顔をする。
「情けないけど、俺には自分を守る力なんてない。だからお前にボディーガードをしてもらっているけど、それだって辛いんだ。いくらミカが強くても危険な目に遭わせることになる。俺は自分の命と同じくらい妹のお前が大事なんだからな」
「……やっぱり兄さんはよく分からないことを言う。自分の命と私が同じくらい大事だなんて。そんなのおかしいよ」
「本当に分からないのか? だったら、どうしてお前は俺のこと体を張って守ろうとしてくれているんだ?」
「……え?」
「何日も、何日も、自分の時間を犠牲にして。身に危険だって及ぶのに。トレバーさんに言いつけられたわけでも、誰かからの依頼でもない。それなのに何でミカは俺を守ってくれているんだよ?」
「……それは……。その……」
ミカは大きく戸惑っている。
どうやらミカは自分の気持ちが何なのかよく分からずに俺のことを守ろうとしていたのだ。
だけど、俺には分かるぞ。
きっとお前も俺と同じ気持ちのはずだ、ミカ。
お前は俺を大事な家族だと思ってくれているんだ。だから、全力で守ろうとしてくれているんだ。それってお前だって俺のことを自分の命と同じくらいに大事に思ってくれているってことなんじゃないのか。
「ミカ、俺のこと心配してくれてありがとうな。ニコルのこと、注意はするよ。だけど、あの子が暗殺者だと決まったわけじゃないし、さっきみたいに邪険にする必要はない。あの子もクラスの仲間だからな。きっといい友達になれる。とりあえず、後でニコルに謝っておけよ」
「………………」
ミカはあまり納得のいっていない様子だ。不服そうに唇を尖らせている。
「それとだ。加純にもちゃんと謝っておくんだぞ」
「……え? カスミに? どうして?」
「加純には関係ない、だなんて冷たい言い方してたじゃないか。加純、あれすごくショックだったと思うぞ」
「そう……なの? だって、カスミには関係のないことでしょ?」
「いや、まあ、それはそうなんだけどさ……。もうちょい言い方があるっていうかさ……。加純は友達だし、お前のことを心配してるんだ。それを関係ないなんて言い方されたら悲しい気持ちになると思うぞ」
「……そうか。そうなのね」
やはりミカは無自覚でキツイ言葉を言ってしまっていたようだ。俺の説明を聞いてかなり後悔している様子である。
加純には俺も一緒に謝ってやると言ったら、ミカはちょっとは安心していた。
「ほら、次の授業が始まるぞ。教室に戻ろう、ミカ。クラスのみんなと同じようにニコルとも普通に、な?」
「……うん、分かったよ」
ようやく頷いてくれたので、俺はミカと一緒に教室の方に向かった。
「……ねえ、兄さん。私が兄さんを守る理由なんだけど……」
「ん? 何だ?」
「…………ううん。……何でもないよ」
気のせいか、ミカの頬が少し赤いように見えた。
まさか体調が悪いのか? 俺を守るためにずっと気を張ってるもんな……。
いくらミカが強くても、こんなことを続けていては身体を壊してしまう。組織のこと、早く何とかしないとな……。
ニコルはあっという間にクラスに溶け込んだ。
とにかく明るい性格で、男女問わず積極的に周囲に声を掛けて行って、もうクラスメイトの何人かと遊びに行く約束までしている。その様子を見ていると、ミカとはやはり対照的な子だ。ミカが俺や加純の助力を受けながら2ヵ月近くかかったことを、ニコルは僅か半日で成し遂げたのである。
最初に俺に話し掛けて来たのはたまたまだったのだろう。ニコルは俺を含めたクラス全員と仲良くしようとしている。だとすれば、やはりミカの早とちりだったようだ。わざわざ俺を狙って近づこうとしたわけではなかったのだ。
「ねえ、優」
放課後になると、またニコルが俺に話し掛けて来た。
ミカが加純ら女子たちと喋っている時を見計らってだ。ニコルは気づいていないようだが、ミカは女子たちの輪にいながらも、警戒してこちらに視線を送って来ている。
「……妹ちゃん、もう機嫌直ったかな?」
そう言いながらニコルはミカの方を見る。ミカは視線をすぐに逸らした。
先ほどのことを、俺は既にミカに謝らせている。ちょっと朝に嫌なことがあって虫の居所が悪かったんだと俺から説明し、ミカは加純とニコルに頭を下げていた。
優しい加純は気にしてないと笑っていたし、ニコルの方も同じような感じだった。
「ああ、もう大丈夫だと思うよ。ホント、悪かったな」
ニコルは嬉しそうに笑う。
「ううん、いいんだ! けど、良かったよ、嫌われてなくて! 私、妹ちゃんとも仲良くなりたいし!」
何という屈託のない笑顔だ。人の良さがにじみ出ている。
こんないい子が組織の刺客だなんて俺にはとても思えない。もしもこの子が俺を狙う暗殺者だとすれば、この笑顔も演技ということになるではないか。
プロの暗殺者ならそれくらい出来るというのだろうか。だけど俺には信じられない。トレバーさんと共に裏の世界で生きていたとはいえ、ミカが疑い深すぎるだけではないだろうか。確かにこのタイミングで外国人の転校生というのは作為的なものを感じるが、偶然と思っていいのではないか。この笑顔が偽物とは俺にどうしても思えない。
と、どうしたのだろう。
ふいにニコルの笑顔が消える。
何やら真剣な表情で俺のことを見ているのだ。
「ねえ、優……。ちょっとあなたに聞きたいことがあるの……」
「ん? なんだ、ニコル?」
「……前にどこかで私たち、会ったことないかな?」
「え?」
思いもしない質問だったので、俺は戸惑う。
ニコルとは今日、初めて会うからだ。それ以前に会った覚えなんてないし、こんな可愛い子なら確実に記憶に残っているはずだ。
俺が一方的に忘れているだけなら失礼だが、嘘をつくのはもっと失礼だろうし俺は正直に答えることにした。
「……いや、多分、初めて会うと思うけど」
「そっか……」
ニコルは残念そうに言う。もしかして小さい頃に会っていて、その時のことを俺だけが覚えていないとかそういうパターンだろうか。
「すまん、ニコル。もしかして、俺が忘れてるだけなのかな?」
「ううん。そういうわけじゃないの。……なんだろう。私ね、あなたと初めて会った気がしないんだ」
わざとらしいくらいに含みを持たせて言ってくる。
駄目だ。やっぱり覚えがない。絶対に俺はニコルを見るのは今日が初めてのはずだ。もしかしたら人ごみですれ違っていて、ニコルの方だけ俺を見たことがあるのかもしれない。
「ゴメンね。急にこんなこと言われたら困っちゃうよね?」
「あ、いや、そんなことないけど……」
ニコルは大きな瞳でじっと俺を見つめている。
「……ねえ、優。あのさ……。この後、時間あるかな?」
「え? 別に大丈夫だけど。放課後、予定とかはないし」
「じゃあさ、ちょっと人気のないところに行かない? 話したいことがあるし」
「……人気のないところ? ここじゃダメなのか?」
「他の人には聞かれたくない大事な話なの。どうしても二人きりでしたい大事な、ね」
ニコル、急にどうしたんだろ。
わざわざ俺と二人きりでしたい話だって……?
「あ、ああ……。まあ、いいけど……」
「ホント!? ヤッター! ありがとっ!」
そう言ってニコルがはしゃぐ中、俺は教室で他の女子たちと一緒にいるミカと視線が合う。
そうやって俺たちは無言でコンタクトを取る。
――ミカ、早速チャンスが来たぞ。
俺はミカとあることを取り決めていた。
ミカはニコルが俺を狙う暗殺者だと考えている。しかし、その証拠は何もない。ニコルが組織の刺客かどうか見極めるには、向こうからボロを出すのを待つしかないだろう。
そのためには機会を与える必要がある。
俺と二人きりになることだ。
ニコルが組織の刺客だとすれば、皆の目がある中では、俺に手出しはして来ない。つまり、二人きりにならない限りは、襲われる心配はない。人狼ゲームのように、1対1にならなければ答えは永久に分からないのだ。
そんなわけで、俺はその解答を求めて放課後、人気のない校舎裏にやって来た。
ニコルと二人きりで会うために。
危険な行動ではあるが、トレバーさんも言っていた、守勢にいても何も変わらないと。この先ずっと、新しいクラスメイトを疑ったままで生活することを俺には耐えられない。
あくまでこれは、ニコルが黒であることを証明するのではなく、白であることを証明するためのこと。
ミカのニコルへの疑いを晴らすためのこと。そうすればきっと二人も友達になれるはずだ。
そんな思いで俺は校舎裏にやって来た。
「ありがとうね、優。わざわざ来てくれて」
「ああ、構わないよ。で、何だよ、話って?」
俺はニコルと二人きりで面と向かう。今、周囲には誰もいない。女子はおろか、外でミカ以外の人間と二人きりになるのなんてめちゃくちゃ久しぶりのことだった。
というのは、表面上ではあるが。
何故なら、ミカがどこかに身を潜めて、今も俺のことを見守ってくれているからだ。
もしも、ミカの予想通りニコルが組織の暗殺者で俺を襲ってくる素振りを見せたら、ただちに取り押さえるという段取りである。
俺は緊張を顔に出さないように努める。怪しまれたら作戦もくそもない。
けど、ニコルが本当に暗殺者だったらどうしよう……。
どこかに武器を隠し持っていていきなり俺に襲い掛かって来たら……。
残念ながら俺には身を守る術がない。ミカのような卓越した戦闘能力はおろか、まともに殴り合いの喧嘩すらしたことがないへっぽこ男子高校生だ。
どこに隠れているかは俺にも分からないが、影で見守ってくれているミカを信じるしかない。
俺の命を守ってくれることを。
「あのね、優。実は私ね――」
俺は生唾を飲み込んだ。
いざという時、逃げ出せるように心づもりをする。
そうやってニコルの次の行動を待つ。
「――あなたのこと、気にいっちゃったの」
ニコルは満面の笑みで言った。
「え? ……ど、どういうことだ?」
「んっと、ストレートに言うわね。あなたのこと、好きになったの」
不測の事態に俺は一時停止する。
「…………は……? 好き? 好きって何……?」
「だから……。えっと……。も、もう、恥ずかしいんだからね。……あなたのこと好きだから、出来れば恋人になって欲しいってことよ」
え。
え。え。
ええええええええええええええええええええええ!?
はあ!? うっそだろ! マジかよ! そんなことあんの!?
これって告白ってやつだよな!?
噂にはかねがねから聞いてたけどリアルにあるの!? 女の子からの告白とか都市伝説じゃないの!?
「ちょっ! ちょ、ちょっと待てよ! 本当かよ! な、なんで俺を好きになったんだ!? 今日会ったばっかりでろくに会話だってしてないよな!?」
「えっとね……。一目惚れってやつかな……」
ニコルは恥ずかしそうに言う。
「一目見てビビッと来たの! 運命を感じたっていうかさ!」
そう言えばさっき、今日、俺と初めて会った気がしないとか何とか言っていたな。なるほど、あれは過去に本当に会ったことがあるってことじゃなくて、俺に運命を感じたっていう意味だったのか。そうか、そうか、これでようやく納得出来たぞ。
いやいや、待て待て。
こんな可愛い子に惚れられるとかマジかよ。
ついさっきまで感じていたドキドキとはまた別のドキドキで胸が高まっている。俺は彼女なんて出来たことがないし、女の子に告白されるのだってもちろんこれが初めてのことだ。
さて、何て返事をしたらいいものか……。
「ニ、ニコル……。あの、その……。お、俺は……」
「あっ! 返事とかはまだいいの! いきなりで優も驚いただろうし、私たち今日会ったばかりで答えづらいと思うから!」
「え!? あ、ああ、そうだな……!」
うん、確かにその通りだ。二コルは見た目がめちゃくちゃ可愛いし、性格も明るく元気でとてもいい子だとは思うが、今日会ったばかり。さすがにまだそういう気持ちにはならない。
とは思いつつも、向こうが好意を持っているというのを知っては、どうしても意識をしてしまうではないか。
やばい。
元々可愛いとは思っていたが、さっきよりもこの子ことがもっと可愛く見えて来た。
俺、この子のこと、好きかもしんない……。
いや、冷静になれ! 告白されて舞い上がっているだけだ!
「そうだ! とりあえずさ! 次の日曜日、デートしましょうよ!」
思いついた表情でニコルはポンと手を打つ。
「デ、デート!?」
「うん! 恋人になる前のお試しデート! 二人で街に遊びに行きましょ! 私、日本に引っ越して来たばっかりで誰かに案内してもらいたいって思ってたから、ちょうどいいわ!」
「なるほど! いいな、それ! 行く、行くよ! もちろん、行くよ!」
俺は興奮気味に言う。
告白されたのもだし、女の子からデートに誘われるなんて生まれて初めてのことだった。ニコルに街の案内をしてやりたいと思っていたし、断る理由などどこにもない。
俺たちは連絡を取り合えるようにスマホの番号を交換した。
詳しい待ち合わせの時間や場所は追って相談しようということで、今日は解散となった。
俺はニコルを校門まで見送る。
「それじゃあ、次の日曜日、楽しみにしてるね、優!」
ニコルは俺に手を振って楽しそうに帰って行った。
暫く背中を見届け、ニコルの姿が見えなくなった途端、俺は。
「っしゃああああぁぁぁぁぁぁッ!」
これでもかというガッツポーズを作った。校門を通りかかった他の生徒たちにヤバイやつを見る目で見られているが構うもんか。
未だに心臓がドキドキしている。
おいおい、楽しみ過ぎるぞ……。
デートってどんな服着て行けばいいんだろ……。
「――何をやっているの、兄さん」
いきなり後ろから冷たい声を掛けられ、俺は「うひゃっ!?」と大袈裟に飛び跳ねる。
振り返ってすぐそこにいたのは、ジトッとした目を俺に向けているミカだった。
ニコルからの告白が嬉しすぎてすっかり存在を忘れてしまっていた。どこかで隠れて俺たちを覗いていたのだが、ニコルがいなくなったのを確認してから姿を現したらしい。
「お、おう、ミカ! ハハッ。やっぱあの子、暗殺者なんかじゃなかったみたいだぞ。お前の早とちりだよ。いやあ、いきなり人気のないところに呼び出されて何かと思ったら、まさか告白されるなんてな。そりゃあ、二人きりでしたい話だよなあ」
妹にバッチリ告白されている場面を見られてしまっていたことに気づき、急に恥ずかしくなって来た。ミカはどう思ったのだろう。さっきから不機嫌そうにしているけど、ひょっとしてヤキモチを焼いたりしてくれているのだろうか。なーんて、さすがにそれは自意識過剰かな。
「にしても、ホント良かったよ。二人きりになっても俺に何もしてこなかったし、これであの子が暗殺者じゃなかったことが証明されたわけだ。ニコルが暗殺者なら、さっきの絶好のチャンスに襲い掛かって来たはずだしな」
「……いいえ、兄さん。これではっきりしたわ」
「え? 何が?」
「あの子が組織の刺客だということがよ」
ニコルが帰って行った方向を見ながら、ミカはそう呟いた。
「…………は? はあ!? 何だって!? 待て待て、どうしてだよ!? 人目のないところで二人きりで会っても襲い掛かって来なかったわけだし、これで容疑者から外れたことになるんじゃないのか!?」
「いいえ。あれだけでは容疑から外れたとは言えない。むしろ、彼女が兄さんを狙う暗殺者だという明確な証拠を手に入れることが出来たわ」
マジかよ。俺に告白をしていたようにしか見えなかったぞ。怪しい素振りなんて一つも見せなかったし、少なくとも俺には何も分からなかった。常人では判別出来ない殺気でも見えていたのだろうか。元暗殺者だったミカなら、相手が暗殺者かどうか見抜く能力も高いということなのだろうか。
「証拠は、兄さんに一目惚れしたとか言っていることよ」
「へ?」
「だって兄さんに一目惚れするなんてあり得ないでしょ? 兄さんのどこに一目惚れする要素があるって言うの? どう考えても作り話。これが動かぬ証拠よ」
「…………………」
何の迷いもなく言ってのけるミカに対して、俺はぐうの音も出なかった。「いやいや、そんなことないから! 俺に一目惚れする女の子もいるから!」という否定の出来ない自分が情けなくもあった。冷静になってみれば、こんな上手い話があるわけがない。
「あの告白は、間違いなく兄さんを陥れるための作戦よ。目撃者を恐れて学校の中では実行に移さなかっただけのこと。デートだとか言って兄さんをどこかに連れ出して、確実に暗殺しようとしているのよ。兄さんは既にやつの術中にハマっているわ。女の子に持ち上げられていい気になっていたんじゃないの? あ、俺、モテちゃってるわとか思っていたんじゃないの? そして、気を許してしまったんじゃないの?」
ああ、もうやめて! それ以上はやめて! 俺のライフ完全にゼロだから!
ミカには悪意がないし、もちろん俺を傷つける意思などない。あくまで冷静な分析を話しているに過ぎないのだが、それが逆にタチが悪い。怒るに怒れないのだ。
「いい、兄さん? 絶対にあの子とデートなんて行ってはダメよ。兄さんを連れ出して確実に始末する気に決まっているから。いい? 絶対よ? 絶対行ってはダメだからね」
ミカはこれでもかと俺にしつこく言って来た。まるで俺とニコルがデートすることにヤキモチを焼いているのかと勘違いしそうになるが、そういうわけではないだろう。あくまで俺の命を心配してのことだ。
ミカのジト目を見ながら、俺は頷く。
「ああ……。分かったよ、ミカ……」
俺がどうするか、とっくに答えは決まっていた。
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