【First Album】4th Track:うちいでてみれば


 「それでは明日の天気です。……地方上空に分厚い雲が覆い、激しいにわか雨が降るでしょう。傘をお忘れないようにお出かけ下さい」

 商店街のショウウインドウに飾られた時代遅れの古いブラウン管のテレビ。それから流れる天気予報。――誰が望んだのか。ここ数日の天気は晴れることが無く、雨が続いていた。梅雨ではあったものの、晴れ間を見ることが無かった。

 

 「チクショウ、傘忘れちまったよ」

 伊織は、急に降り始めた雨空を見てぼやいた。「紫吹」と言う名前の不良少女。自分の目の前で腫れた頬を抑えながら、涙目で父を睨むその姿。その頬は何度殴られたか分からないほどに、痣(あざ)が出来上がっていたので忘れるはずもない。


 **

 「もう……うちに来るな。祭儀で使う楽器は他の店に頼んでくれ。これ以上、家庭の恥を晒したくないんだ」

 伊織が個人的に尋ねると、壽(ことぶき)から深々と頭を下げられ、隔(へだ)てるような溝を感じていた。このことを、親父は知っているだろうか。いや、知った所で……親父はどんな顔をするだろうか。どうしてアイツは楽器を弾いていたのだろうか。

 頭の中でぐるぐると考えが過ぎる。父と喧嘩はあれど仲良くしてきた伊織にとって、娘の顔を殴る父を想像出来なかったのだ。悪い妄想が膨らむ。

 「チクショウ、何であんなめんどくさい女のことが引っかかるんだよ!ああああっ!!」

 伊織は叫びながら霧前市の商店街のアーケードを走り抜けた。商店街の人達は笑いながら伊織の姿を見ていた。

 「……青春だねぇ」


 **

 ――伊織は家に着くと、ぬか床をかき混ぜながら夕食の準備をするひのに対して、訪ねるように言った。ひのは訝(いぶか)しげな顔をしていた。

 「なぁ、お袋。家庭内暴力ってどう思う?」

 「アンタ、何を唐突に言うんだよ。気が狂ったのか?どう見たってうちが家庭円満なの知ってるじゃないか」

 「はぁ、話を最後まで聞いてくれよ。あのな、俺の学校にいる不良の女が親父の知り合いの娘でさ、ひっどい暴力を振るわれてたんだよ」

 「……ふん、それで?」

 「この前親父と一緒に、その女の家に行ったら、親父が目の前で娘のこと殴ってよ。止める間もなく喧嘩おっぱじめて、親父もろとも摘まみ出されちまって……」

 ひのはしばらく考え込んだ後、知っていたかのように呟いた。

 「……神崎和楽器店だね」

 「ど、どうしてわかったんだよ!」

 「壽(ことぶき)さんとうちの死んだ親父が酒飲み仲間でさ、かれこれ半世紀はやってってる老舗の楽器店だよ。ただな、壽さんのご両親が、立て続けに逝っちまってさ。経験も技術も身につかないうちに親父さんが亡くなった挙げ句、その後に、最近お袋さんも亡くなっちまったから、おそらく家庭内はぐちゃぐちゃなんだよ。アンタ……言っとくけど面倒ごとに首突っ込むなよ?」


 伊織はなんとなく状況を察していた。寂しさの裏返しの罵倒と、物憂げな表情で父を睨む紫吹の痛々しい姿。学校にもふらふらと通っては授業も受けずに孤高の一匹狼を気取って、挙げ句誰からも寄りつかれない。放っておける訳がなかった。自分の中に騒ぐお節介な血が彼女に世話を焼こうとしていたのだから。

 「なぁ、お袋。うちに三味線あったよな?出してくれねぇか?」

 「あ?アンタさ、いきなり何を言い出すのさ。うちにある楽器はね、かなりの値打ち物で、壊したらただじゃおかないよ!」

 「うるせぇ。俺もよくわかんねぇんだよ……ただ、三味線って何なのかも知らないくせに、偉そうにあのクソ女に抗弁垂れたくねぇんだよ」

 「ったく、……首突っ込むなって言ったのに、突っ込む気満々じゃないか。誰に似たのか知らんけど、天邪鬼にも程があるわ」

 ひのは文句を言いながら、ぬかまみれの手で「土蔵の鍵」を伊織に投げ渡した。

 「アンタが小さい頃から尻叩かれて閉じ込められた裏の蔵に『津軽三味線』が何個かあるはずだよ。いい?……壊すなよ?」

 「わーってるって」

 「音楽センスもないくせによく言うわ。この馬鹿が」

 ひのは悪態を吐きながら、伊織を台所から閉め出すと戸を閉めてしまった。

 

**

 ――錆び付いて重い土蔵の扉を引き開けた。中はとても薄暗く、埃まみれの書籍や、骨董品などが並んでいた。

 「俺がガキの頃に、いたずらして夕暮れまで閉じ込められたんだよな……へへっ、懐かしいぜ」

 楼雀組が祭儀の時に使う盃(さかずき)や、笙(しょう)や尺八なども中に大切にしまい込まれてあり、布の被いを取ると、漆塗り(うるしぬり)の箱に収納された三味線が入っていた。話によると、三味線自体は皮の張り替えで物自体が長持ちする物ではなく、「ヴィンテージ物」と言うよりも、工芸品として高価な物が多いらしい。

 この一角にある和楽器の数々は、それでも百万円以上する高価な代物ばかりだった。


 伊織が周囲を眺めながら三味線を探していると、一匹の斑尾猫が鳴きながら蔵に入ってきた。

「……ナー」

 「おー、五六文(ごろふみ)。どうした?」

 「五六文(ごろふみ)」。動物愛護団体に所属する鷹山ご夫妻が可愛がっていた猫である。鷹山夫妻は十年前に、京介達の元に猫を預け、海外へと旅立ったらしい。現在では熱帯雨林で生態系を保全する活動に携わっているとかで、行ったっきり連絡が途絶えてしまった。もしかしたら、一生涯を終える覚悟で猫を託していったのだろうか。

 そんな託された猫だが、ずっと謎に包まれていることが一つあった。何故か、三十年飼っても老いずに元気に生きているのだ。黒と白の斑(まだら)模様が一つも白髪に変わることも無く、毛艶も良く、背筋はピンと張って筋肉も衰(おとろ)えることがない。

 五六文は甘えた声を出しながら、伊織の足首に擦り寄ってきた。

 「今はお取り込み中なんだ。……悪いな」

 「ナー……」

 

 五六文は伊織の目の先の木箱に飛び乗ると、毛繕いを始めた。一瞬、その特徴的な斑尾(まだらお)が窓の光に照らされて二つに裂けた気がした。伊織は目を瞬(しばたた)かせて、目を疑った。

 「猫叉?!まぁいいや、早く出てくれ。用事は済んだら鍵を掛けるんだからよ!」

 「……くしっ!」

 五六文が埃(ほこり)にむずむずして、人間臭いくしゃみを放った。斑尾が完全に二つに分かれ、伊織は仰け反って後ろの木箱を崩すようにぶっ倒れた。

 「ばっ、化け猫!!」

 「バレてしまったか!……だじぇ」

 呟くように五六文が言う。そして肉厚な猫の手で伊織の口を押さえながら言った。

 「ここで見たことを内緒にしておけ……さもないと……出て行くから……だじぇ」


 **

 伊織の頭に真っ先に浮かんだのは、ショックで寝込む父親の京介の姿だった。愛猫家(あいびょうか)である彼が、気の病で伏せっているのを見たくはないし、不憫(ふびん)極まりない。もしも何をしたかと聞かれたら、後々面倒になるし、一匹の猫を巡って組全体が動くこともかるく予想できた。伊織は無言で何度も首を振ると、お腹から五六文が飛び退(の)いた。

 五六文は、三味線のケースに飛び乗ると、毛繕いをしていた。それを見た伊織は、追い払おうとして、またもや口に手を当てられる。

 

 「中棹(ちゅうざお)三味線。別名、津軽三味線。お前はこの弦楽器をどこまで知っているんだじぇ?」

 何を言い出すかと思えば、猫又が三味線のうんちくを語り始めた。伊織は自分の頭がついにおかしくなったのかと、思って何度も目を擦っていた。

 「は?いきなり何を言い出すんだよ!喋り出したと思ったら」

「伊達に俺も長くは生きとらんわ。青二才が。俺の「同胞の皮」が張られている三味線のことくらい、触りたかったら調べておけ……だじぇ」

 「こんのクソ猫がっ!」

 伊織が捕まえようと飛びかかったが、五六文は華麗なステップで伊織の頬を引っ掻いて向かいの木箱に飛び移った。引っ掻き傷に悶える伊織に対して、五六文は偉そうに説教を垂れた。

 「ふん。これだから若造はダメだ。少しでもその歴史背景や特徴を覚えておかないとならん。我々、猫の魂が宿っているか・ら・よ・け・いになっ!!」

 伊織は面倒に思ったが、反抗しても引っ掻き傷が増えるだけだ。大人しく聞き従うことにした。

 「……三味線は大きく分けて三種類。『細棹(ほそざお)』『中棹(ちゅうざお)』『太棹(ふとざお)』があるんだじぇ。短い歌歌に節を付け、組歌が作られ、そして地域ごとに歌が作られて、『地歌(じうた)』となった。そこで用いられたのが『中棹三味線』なんだじぇ」

 毛繕いしながら語る五六文に対し、伊織は舌を巻いていた。

 「詳しいな、お前……」

 「伊達に生きてないよ。俺のおやっさんの『四五文(しごふみ)』は明治時代から生きていたからな。いろんな歴史を教えてもらったんだじぇ。そして、もっともぽぴゅらあな三味線がこれなんだが、『長唄弾く細棹と、低音が特徴の太棹』。そしてもう一つの中棹と、この三つが主流なんだじぇ。お前にこれが使いこなせるとは到底思えないがな。ふふん」

 「くっ……こいつ!」

 馬鹿にする五六文に掴みかかったが、伊織は取り逃し、舞い上がる埃と轟音を立てながら倒れ込むように埋もれてしまった。


 「若ぁー……大丈夫っすかぁ。すげぇ物音がしたんすけど」

 組員が覗き込むと、伊織は柱の角に頭を強く打ち付けたらしく、気絶していた。


**

 夜になり、伊織は自分の身体のあざや引っ掻き傷の手当てをしながらぶつぶつ文句を言っていた。妹の一颯(いぶき)は、その惨めな格好を見てけたけたと笑っていた。

 「兄貴、野良猫と喧嘩でもしたのか?」

 「うるせぇ。お前に言ってもわかんねーよ!」

 「親父にいろんなとこに連れまわされて、その後にいきなり三味線に触りたい。とか言ったらしいじゃんか。話によると女に掴みかかられたらしいしなぁ。ついてねぇっつーか。女運が悪いんじゃねぇの?」

 「お前、俺のことをどこまで聞いてるんだ?」

 「ああ。大体の事情は察してる。親父、……私には甘いから」

 浅葱家の女は強い。京介は他に類を見ない父親であったが、世間一般の娘に甘い父親でもあった。だから洗いざらい「娘との話のタネ」に、伊織の失態をバラしてしまったのかも知れない。一颯は舌を出していた。伊織は頭を抱えてため息を吐いた。

 「あんのクソ親父……猫以外は興味ねぇのかよ……」

 伊織はチラリと蔵から持って帰ってきた三味線を見た。言われてみれば、小学校時代にリコーダーに触れて以来、楽器そのものに触れていない気がする。紫吹の馬鹿にする顔が頭の中をよぎった。

 ――……はっ、だっせぇ!所詮、そんなもんかよ!――


 ムカムカした。妹にも馬鹿にされ、猫叉にも馬鹿にされ。伊織は撥(ばち)を取ると、正座して、三味線を膝に乗せた。腕を振り上げて撥を弦に乗せた。

 「……で?どうやって弾くんだっけ?」

 勢いは良かったものの、先が思いやられる。そんなお年頃だった。

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