最終話 魔王城モールへようこそ!


「――ええっ! あいつ、寝込んでるんですか!?」


 ベヒモスが空を飛んだとでも聞かされたようなリアクションのヤスヤに、わたしは思わず苦笑する。


「自分で動くのが久々過ぎて、疲れが出たみたいです。とはいえ、昨日には熱も下がってましたから、そろそろ大丈夫だとは思いますが」


 地下大聖堂での戦いから二日。

 這う這うの体で地上へと帰還したわたしたちを待っていたのは、今にも原身に戻りそうな剣幕でカイルさんに迫る副店長と、他人事のような顔でのらくらとそれを抑えている店長だった。「うわ」と思った瞬間には見つかって、逃げる間もなく突撃被弾。聖騎士が間に入ってくれなければ、とどめを刺されていたかもしれない。副店長の心配で死ぬところだった。


 そんな中、ふと動きを止めたヴァルくんに気がついた。

 視線の先には怒涛の〈魔王討伐百周年式典〉からふらりと姿を消していた人がいて、それはいつものことだったから、わたしは何の気もなく相手を紹介した。


「そういえば、ヴァルくんはまだ会ったことなかったんでしたっけ。あんまり店にはいないんですけど、この方が、うちの店長ですよ」


 我らが〈魔王の書庫〉の店長は、放浪癖のある変人である。いや、か。

 巨大な鷲を原身とする彼が人化した姿は、それもまたかなりの巨体である。ただ熊のようなアウレリオとは違い、ひょろりと縦長な印象の体格だ。羽毛めいた髪はバサバサとした薄灰色。深い眼窩にはまった金色の両眼には、瞳孔を取り巻き常に動き続ける虹色の輪があって、見るものにその異質さを誇示するようだ。


 しかしその時、店長は、その目をこれ以上なく見開いていた。


「これはこれは……ずいぶんと珍しい御方にお会いしたものだ」

「それはこちらの台詞ですよ、グエルン・アブイ。まさかまだ、貴方がここの書庫を根城としていたとは」


 呆れたような、懐かしむような。そんなやり取りに目を瞬いていると、周囲から離れるように移動しながら、二人はなのだとわたしに教えてくれた――つまり、魔王時代からの。

 それにしても、リリム相手とは違い、まったく警戒した様子がない。そんなヴァルくんを不思議に思っていると、彼はさらに驚くことを言い出した。


「貴方がいるならちょうどよかった。城がこの有り様ですから、行き場に困っていたところだったんです。しばらく身を寄せさせてもらえませんか?」

「ああ、どうぞどうぞ。汚いところですが、その小ささなら寝場所くらいはなんとか作れますから」

「ええっ! ヴァルくん、店長の家に住むんですか?」


 放浪癖のある変鳥である。しかも今の返答からして、ろくな生活環境ではないだろう。思わず批難めいた声を上げたわたしに、ヴァルくんは「他にやりようもないでしょう」と疲れたように息をつく。


「身体が戻った以上、私にも休める場所が必要です。その点、事情を話せる彼が最適ですから。それとも、貴女のところに住まわせてもらえますか?」

「う、うちは……独身寮なので」


 どもった一瞬に頭を過ぎったのは、魔力で作られていた成人体の彼の姿だ。

 顎に触れた長い指。わたしを軽々と抱き上げた逞しい腕。繋いだ大きな手のひらを思うと、なぜか平静ではいられない。……本体が戻ったのだから、あの魔力体を作る理由もないと、そんなことはちゃんとわかっているのに。


 なにはともあれそういうわけで、ヴァルくんは、店長宅でお世話になることとなった。そしてその日のうちに、熱を出して寝込んでしまったのだ。


 ……翌日の昼頃、その話を店長から聞かされたわたしの気持ちを察してほしい。


 いったんは遠慮していた慰労有給をその場で取り、すべての仕事を店長に押し付けて、わたしはヴァルくんの看病へと直行した。寝込んでいる子どもを一人放置するなんて、いくらなんでも非道が過ぎる。

 城外西にある店長の一軒家は、想像通りの魔窟状態だった。世界中のガラクタが集まっているような有様で、わたしはまず、家中の換気と掃除から始めなくてはならなかった。家政婦か。

 幸いにしてヴァルくんの体調は思ったほどには悪くなく、夕食にはもう、固形物を食べられるようになっていた。あの調子なら、もう大丈夫なはずだけど。


「まだ心配は心配なので、これから様子を見に行くんです」


 かいつまんだ説明の最後、ヤスヤたちにそう告げる。

 わたしは今日も慰労有給を取っていた。保護者である店長の代わりに、わたしがヴァルくんの看病をする。そのわたしの代わりとして、店長が出勤してこき使われる。実に妥当だ。

 城下町の民宿に泊まっていたというヤスヤたちとは、魔王城モールの城門を出たところで出会った。開口一番に「約束通り、あいつに会いにきました」なんて言われて、少し迷ったものの、現状を包み隠さず話したところだ。

 、ヤスヤは素直に頷いてくれる。


「体調悪いんじゃ仕方ないか……。わかりました、また出直してきます」

「ありがとうございます、助かります。あと……もしよかったら、せっかくお会いできたので、ついでに聞きたいことがあるんですけど」

「聞きたいこと? ですか?」


 首を傾げた相手に、わたしは頷く。


「あの日のことです。あの日、大海蛇シーサーペントがいたとはいえ、どうしてあの場所まで来られたのかずっと不思議で」


 後になって知ったことだが、あの地下大聖堂のステンドグラスがあったのは、魔王島の真裏、波飛沫に洗われる断崖絶壁だったらしい。確かに大海蛇ならば来ること自体は可能だろうが、そもそも、その場所にわたしたちがいると、どうやって知ることができたのか。

 尋ねたわたしに、身を乗り出したのはエウラリアだった。


「貴女のあの、猫妖精ケット・シーのおかげですわ」

「猫妖精?」

「ええ。城門前で足止めをされていた時に、急に現れて口をききましたの」


 ――『あの〈聖紋〉を持つ少女の居場所なら、私が教えてあげますよ』と。


 フベルトは怪しんで止めたらしいが、ヤスヤは当然それに飛びつき、エウラリアも全力で協力したらしい。その結果があのステンドグラスかち割り事件だった、と事の真相を知らされて、わたしは少し天を仰いだ。そういうことですか。

 その猫妖精はいつの間にか消えていたらしいが、気まぐれな猫の気まぐれな妖精だ。特に不審には思われていなかったらしい。


 納得したわたしは、それじゃあと人差し指を立てる。


「あとひとつだけ、ヤスヤくんに聞きたいんですが」

「はい」

「――きみが負っている〈使命〉って、結局、どういうものなんですか?」


 もちろん、こっちが本題だ。

 見開かれた黒い瞳を真っ直ぐ見据え、わたしは続ける。


「ヤスヤくんの〈使命〉が、本当に『魔王を倒すこと』だとしたら。わたしにとって、きみはあのリリムと同じか、それ以上の害悪になります。……だけどわたしは、できることなら……きみを、そんな風には考えたくない」


 うるさいし眩しいし、異世界人なのを除いても、住む世界が違う人間だと思っていた。けれど、短くても同じ時間を一緒に過ごして、妹や仲間たちへの思いやりの深さを目の当たりにして、いつの間にか、馴染んでしまっていた自分がいた。


 思い出すのは、中庭の東屋。本の話をしていたヴァルくんとヤスヤのことだ。

 ……ああしていた二人の敵対なんて、できることなら見たくない。


 ぐっと手を握るわたしに返されたのは、けれど、なんとも朗らかな答えだった。


「ああ――それなら大丈夫ですよ」

「大丈夫?」

「もちろん。だって俺の〈使命〉は、そんな物騒なことじゃないですから」


 見返すわたしに、ヤスヤは夏の太陽のようにニカッと笑う。


が俺に言ったのは――」


 そうして聞かされた彼の〈使命〉に、わたしは思わず、百年前の勇者ユウタロウをしばき倒したくなった。







「なるほど――その上で私を迎えに来たということは、特に危険な話ではなかったということですね」

「察しが良過ぎて話す手間が皆無……まあ実際そうなんですけど」


 額や首筋に触れて熱を確かめたり、朝食の準備をしたりしながら城門前でのことを話すと、ヴァルくんにはなんともあっさり看破された。展開が早い。

 だいたい予想していた通り、彼の体調はずいぶんよくなっていた。食欲も完全回復したようで、持参したバナナスコーンに野菜たっぷりスープをつけると、朝からモリモリ食べてくれた。これだけ食べられれば大丈夫だ。超元気。


「それで結局、どんな大層な〈使命〉だったんですか?」


 そう話が戻ったのは、店長の家を出た直後だった。片付けだの準備だのでバタついて、なんかもうそれも察しているんじゃないかと思い込んでいたのだけれど、さすがにそこまでではなかったらしい。

 大通りへと歩きながら、わたしは「驚きますよ」と前置いて言う。


「『自分たちが作り上げた百年後の未来を、その世界を、あの偏屈な魔王に見せてやってほしい』――ですって」

「……ふっ」


 思わずといった風に零された笑い。それがあまりに柔らかくて、春に飛ぶ綿毛のようで、見入ってしまった自分にそっと驚く。

 ……嘘でしょ。子ども相手なのに。

 わたしの微かな動揺など知らぬまま、彼は心底おかしそうに笑う。


「信じられませんね。貴女が言っていた通りだった、ということですか」

「……わたしこそ信じられなかったですよ。本気でそこまで理想主義者だったなんて」


 あの時の自分のこじつけが、まさか本当だったなんて。

 それを知る人はヴァルくんしかいないことも忘れて、からかっているのかとヤスヤを責めてしまうところだった。けれど。


「ケイちゃんが聞いたのも、同じ内容だったらしいです。今この世界では失われた〈聖紋〉で、魔王さんの封印結界を解いてほしい、とか」

「なるほど。リリムの暴走があろうがなかろうが、結果は同じようなものだったと」


 異世界から来た勇者には、いったいどれだけの力があるのだろう。

 己の死後に新たな二人を呼び寄せた挙句、天が授けると言われた〈聖紋〉を与えてしまうだなんて。それが本当に本当なら、あの『勇者叙事詩』に歌われた荒唐無稽な物事も、すべて事実だったのではないかと思えてくる。


「でも多分、そうなっていたら、いろいろと違うこともありましたよ」

「ふふ、そうですね。少なくとも、こうも自然に、聖騎士団との繋がりもできなかったでしょうしね」


 事の顛末を見届けたグラティアは、偉大なる先祖の真実を、聖騎士団長たる叔父だけには報告せざるを得ないと言っていた。しかし不用意に口外できないことに変わりはなく、おそらくは相互不干渉に落ち着くだろうと、溜め息を交えながら。


「……聖火騎士団のほうは、どうするんですか?」


 アウレリオとは、あれ以来、顔を合わせていない。しかし、栄華のため不死鳥フェニックスの加護を求める彼らこそ、不干渉ではいてくれないような気がする。

 それでもヴァルくんは、問題ないとばかりに首を振った。


「一応、交渉の種はあるので、平和的に解決できると思いますよ」

「交渉の種……ですか?」

「心配はいりません。はまだ、書庫の本を読み尽くしてすらいませんから。今しばらくは、誰のいいようにされるつもりもありませんよ」


 その返答に、足を止めた。

 不審そうに見上げてきた紅い双眸に、わたしはぶっきらぼうに言い返す。


「……できれば『今しばらく』と言わず、ずっと、その気概でいてください」


 あれだけのことがあってなお、未だに覗く退廃的思考に、そのもちもちほっぺたをつねりたい気持ちになる。そうする代わりのその言葉に、相手は僅かに目を瞬き、それから淡く苦笑した。


「そうですね。……貴女がそう望むなら」

「望みますとも。貴方がそう望まなくても」


 差し出した右手。それをいつものように握り返してくれる小さな手に、感じてしまうのはある種の奇跡だ。この稀有な存在を、手放したくないと強く思う。


 ……変だな、わたし子どもは嫌いなはずなのに。


 まあ厳密には子どもでもないからな、と納得しようとするけれど、それはそれで、なんだかどうにも落ち着かない。子どもといるのは苦手なのに、でいてもらわないと困るような……ううん、ちょっとこれ考えるのやめよ。なんだか大変よくない方向に着地しそうな気がする。はい終わり。


 そうして大通りを歩くうちに、巨大な城壁と門が迫ってくる。数日前の事件もどこ吹く風で、にぎやかさを取り戻した城の威容を見上げ、ふと思う。


 ……もしかしたらこの〈魔王城モール〉も、彼に見せつけられる世界ができるまで、その肉体を安全に守っておくための盾だったのかもしれない。


 で閉ざした扉の奥、〈聖紋〉でしか解けない結界の中に眠らせて。決して誰にも知らせずに、それでいて不要な破壊も調査もされないように。

 いつか訪れる、その時まで。


 ……さすがにもう、そこまでは確かめようもないけれど。


「そういえばヴァルくん、真正面からちゃんとここに来るの、初めてじゃないですか?」

「ああ、そういえばそうですね」


 我らが〈魔王の書庫〉に現れて、昼は城内を居場所にし、夜は本体へと戻っていた魔力体のヴァルくんは、そもそも城外に出たことさえほとんどないはずだ。猫型を取ってからは何度か一緒に外へ出たけど、そもそも魔力体の時点で、はまったく動いてはいなかったわけで。

 わたしは少し考えて、城門をくぐったところで足を止める。


「どうかしましたか?」

「いえ。今更ですが、せっかくなので」


 大噴水の周りからはずっと、すべての種族を象った植木が、前庭中に広く点在している。もちろん、魔王時代にはなかったものだ。そんな和やかな憩いの場と化した庭園を前に、堂々と聳え続けてきたかつての魔王城――。


 そこから隣へと目を移して、わたしは、自由な片手で行く先を示す。

 そして、とびきりの接客笑顔で、彼を歓迎した。




「――魔王城モールへようこそ!」






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