第18話 魔導書も御伽話も同じ本


「……そういえば俺、ずっと気になってたんですけど」


 ふいにヤスヤがそう言い出したのは、三日目の昼ごはんの時だった。

 東館ベーカリーの名物商品、特大三獣サンド(牛・豚・鶏のロースト肉入り)にかぶりつき、咀嚼して呑み込んだ後に首を傾げる。


「上の階で浮かんで回っている、あの光る本って、いったいなんなんですか?」

「……え、今頃?」


 彼らが来店してもうしばらくだ。それなのにまさか今頃、〈魔王の書庫うち〉のシンボルともいえるアレについて聞いてくるとは。とっくに納得して、受け入れているものだと思っていた。

 あまりの驚きについ敬語を忘れると、ヤスヤは「いやあ」と照れたように笑う。


「気付くのは気付いてたんですけど、それどころじゃなかったというか。こうやってみんなで作業するのにも慣れてきて、『そういえばアレなんなんだろうなあ』と思って」

「ああ、なるほど」


 それだけ心の余裕が出てきたということだろう。初日は机に額を打ち付けるほど切羽詰まっていたようだし、彼にとっては、経過はともかく妹のためになにかをやれているということが大事なのかもしれない。


 ……今なら聞く耳を持ってくれそうだけど、エウラリアと約束したからなあ。


 昨日の今日で乙女の約束を破るのは、さすがにまずいとわたしでも思う。世の中ままならないものだなあ、と儚い気分に浸りつつ、わたしは自家製サンドイッチを片手に、最初の質問に話を戻した。


「あれは魔王時代の魔導書、『ナーハフォルガーの書』です」

「――へえ、あれが」


 その名にいち早く反応したのは、意外にもフベルト少年だった。エウラリア以外にはたいてい無関心だった彼が身を乗り出す姿に、ヤスヤが目を丸くする。


「なんだフベルト、お前知ってるのか?」

「知っているもなにも! 百年前、勇者とともに旅した聖女が、そのあまりの危険さに封印したといわれる魔王城で最強・最高の魔導書だ! ……そうか、あの輝きは〈聖紋〉結界のものだったのか! ああ、伝説の魔導書が、まさかあんな無造作に置かれているとは!」

「……あの、一応弁明させてもらいますけど、あれはわたしたちが意図して置いているものではないですからね。百年前からずっと、あそこにあるものですから」


 瞳をきらきらと輝かせ、早口でまくし立てるフベルトにそっと訴える。


 二階東側にある『ナーハフォルガーの書』は、それを封じる〈聖紋〉結界のために、誰にも触れることができない。軽い接触でも痺れが走り、なおも触れば皮膚が焼ける。それでも無理に手を掛ければ、耐え難い激痛とともに触れた先から炭化して、抗う間もなく全身が崩れ去ってしまうという。

 淡い光を放つ球形の結界は、美しくもあり、恐ろしくもあるものなのだ。


 そう続けて説明すると、東屋に集った面々は、ごくりと神妙に息を呑んだ。


「〈聖紋〉結界って……そんなにもすごいものなんですか」

「すごいですよ。我々現代の管理者としては、盗難の心配もしなくていいし、非常にありがたい結界です」

「現実的ですわね……即物的というか」

「……聖女が遺した結界だぞ? もっとロマンとか感じないのか?」


 エウラリアとフベルトにはなにやら言われているが、実際、わたしはありがたく思っているのだから問題ないはずだ。ロマンで犯罪は防げない。実刑必須。


「〈せいもん〉のけっかいって、おなじ〈せいもん〉をもつひとにしか、とけないものなんですよね」


 それまで黙々とハムサンドを食べていたヴァルくんが、ふと、思い出したように会話に入ってくる。


「それいがいのひとは、どんなにまりょくがつよくても、どんなにあたまがかしこくても、ぜったいにとくことができないんです」

「へえ、そうなのか? よく知ってるな」

「おみせでよんだほんに、かいてありました。――〈せいもん〉は、からあたえられた。そのをもつものだけが、〈せいもん〉をさせられる。それいがいのものは、たとえでもてをだせない、と」


 ……あっ、これはたぶん、読書の成果じゃなくて実体験だな。


 あるいはその両方かもしれないが、なんとなく、体験部分に重きが置かれている気がする。そういえば、大陸の各地にも〈聖紋〉結界で封じられた魔物や魔術具があるらしいし、自分が封印される前からいろいろ調べていたのかもしれない。城の自室に研究工房を持つような人だし。

 それでもどうにもできないのだから、やはり〈聖紋〉は強いのだ。


「……そういえば、ヴァルもあそこの本を読んでるんだよな。古くて難しそうな本ばっかりなのに、すごいんだな」


 少しぽかんとして聞いていたヤスヤが、感心したように何度も頷く。

 言われたヴァルくんは、こてん、と首を傾げた。


「べつに、すごくはないです。よめないほんは、よみません。ぼくは、ぼくによめるほんをよんでいるだけですから」

「いや、あそこに読める本があるのがすごい。俺なんて、圭のことがなければ、自分から本を読もうなんて思わないぞ」

「ヤスヤおにいさんは、ほんがきらいですか?」

「うーん……嫌いとまでは言わんが、なんだろうな。眠くなるからな」


 仲良く交流を深めている二人に、なんとも言えない気分になる。そしてやっぱり、ヤスヤの読書基礎力はかなりの低さらしい。どうあがいても戦力外か。


 本を読む気はないヤスヤだが、年下を構うことは好きらしい。「どんな本が好きなんだ?」とヴァルくんに尋ね、ヴァルくんも素直にそれに答えている。


「いまは、むかしのおはなしをよんでいるんです。にしのほうの、みずべのおうこくでかかれたおはなしです」

「西というと、キューマ湖のほうか。……ん? あの辺りに王国があったか?」

「きっと遥か昔の話ですわ。フィニクス帝国の拡大期に呑み込まれてしまった国として、キューマ湖岸の人間王の国があったと記憶してますから」


 ということは、魔王時代よりさらに前。最も後の帝国拡大期に当たるとしても、八百年近く昔の本ということになる。写本でもかなり古い部類のはずだ。


 ……それはもはや、単なる物語集ではなく、歴史資料ではないだろうか。


 うちが〈魔王の書庫〉として開店する際、歴史的価値の高いものや危険なものは、首都へと運ばれたと聞いていた。それなのにまさか、そのレベルのものが残っているとは。販売業が主とはいえ、全然まったく知らなかった。

 ひそかに職場の蔵書に対して戦慄しているわたしも知らず、ヴァルくんはにこにこと、自分が読んでいる本の話を続ける。


「まものにさらわれたおひめさまを、きしがたすけるおはなしとか。さんにんしまいが、しあわせなけっこんをめざすおはなしとか。りくにあこがれたにんぎょのおひめさまが、あしをてにいれるおはなしとか。いろいろあって、おもしろいですよ」

「おっ? 最後の話は、似たようなのが地球にもあるな。そっちは確か……人間の王子様に恋をして、自分も人間になろうとする人魚姫の話だったが」

「へえ、にたおはなしがあるんですね」


 すごいです、と無邪気に手を叩いたヴァルくんは、その笑顔のまま、同じ空間にいる人魚マーフォークの姫へと目を向ける。


「おはなしのおひめさまは、じぶんの〈だいじなもの〉とひきかえにして、おびれをあしにしてもらうんですよ。エウラリアおねえさんも、なにかとひきかえにして、そのあしをてにいれたんですか?」

「――まさか」


 一瞬きょとんとしたエウラリアは、引き攣ったように笑って返す。


「あたくしこれでも、正真正銘の姫君ですのよ。自身の一族が有する魔法薬を使うのに、いちいち代償なんて必要ありませんわ。あなた、いくら子どもで分別がないからといって、そこまで安く見ないでくださる?」


 ビシッと空気が固まった気がした。気位の高いエウラリアにとって、どうやら先の質問は、相当に屈辱的なものだったらしい。

 それなのに、同じくきょとんとしたヴァルくんは、ああ、と笑う。


「ほんもののおひめさまは、じぶんでなんでもつかえてしまうんですね。すごいです!」

「え? そ……そうかしら?」

「そういえば、まーふぉーくのおうぞくは、まりょくもたかいって、ほかのほんにかいてありました。エウラリアおねえさんも、まほうがとくいなんですか?」

「そ、そうですわね。あたくし、一族の中でも魔力は強いほうですし? 領主一族にしか扱えない魔法も、あたくしにとっては、児戯にも等しいものですから?」

「わあ、すごいです!」


 ……ぱちぱちぱち、と拍手をするヴァルくんこそ、児戯にも等しい感覚で、人魚姫のプライドを操っていたように見えるのだけど。わたしの心が汚れてるのかな。その辺、あまり否定はできないけどな。


 なんにせよ、彼女の爆発を止めてくれたことはありがたい。和やかさを取り戻した東屋をほっと見回していたわたしは、ふと、ケイちゃんが俯き固まっていることに気がついた。え、なんだか顔色も悪い気がする。


「ケイちゃん、大丈夫ですか? なんだか調子が悪そうですが……」

「っ!」


 はっと顔を上げたケイちゃんは、無理しているとわかる笑顔で首を振る。大丈夫だと思われたいのだろうが、そうは問屋が卸さない。妹思いなお兄ちゃんがすぐさま覗き込み、「本当だぞ圭。無理するな」と眉毛を八の字にする。


「本館に医務室がありますから、少し休んだほうがいいですよ。案内します」


 食事を終えていたわたしが立ち上がると、まだ食べていた他の面々からも「そうしたほうがいいぞ」「後で迎えに行きますわ」と声がかかる。それに圧されて頷いたケイちゃんを連れて、わたしは本館一階に向かった。


 その途中、ふと袖を引かれて振り向くと、青褪めた顔のケイちゃんがそっと自分の喉を押さえていた。


「ケイちゃん?」


 痛むのかと尋ねても首を振り、なにかを言いたげにするものの、伝える手段がなく諦める。ヤスヤがいなくては、わたしたちは筆談すらできないのだ。


 ……あとで、ヤスヤも交えて聞いてみよう。


 不安げな女の子を前にしてそうするしかできない自分自身が、申し訳なくもどかしく、そしてなにより、情けなかった。




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