第16話 花よりクッキー、バナナスコーン


 ヤスヤと二人がかりでお説教を施して、ヴァルくんの口から「もうしません」と反省の言葉を聞いた後で、ようやくお昼休憩となる。この調べものの期間、わたしは〈魔王の書庫〉では戦力外通告されているので、他との時間調整もいらない。ちょっと気楽な自由時間だ。


「俺たちはフードコートに行くんですけど、ユッテさんは社食とかですか? ヴァルは俺たちと一緒に行くか?」

「いえ。ぼくとユッテおねえさんは、そとでおべんとうをたべるんです。ユッテおねえさんてづくりの」


 ここのところ、実はそういうことになっている。

 フードコートなら比較的安価とはいえ、毎日の外食は、さすがに財布に厳しい。しかも最近は二人分である。それならいっそと思い切って、簡単な弁当を作ることにしたのだ。早起きはつらいけれど、財布事情よりは融通がきく。


 ……そもそも〈魔力人形〉だという彼にとって、本当に食事が必要なのかどうかも怪しいのだが。見た目にはただの子どもだから、「おなかがすきました」と言われたら、放っておくこともできないのだけど。


 そんな事情はわたしたちだけのもので、なにも知らないヤスヤは、ぱっと表情を明るくした。


「おお! 確かに外で食べるのも、スカッとして気持ちよさそうだ! ユッテさん、俺たちもなにか買ってきて、一緒に食べてもいいですか?」

「えっ……ええ」


 きらきらと大型犬のような目でそう聞かれて、「いや無理です」と言えるわたしなら苦労しない。圧され気味に頷くと、ヤスヤは「よっし! みんなにも言ってきます!」と拳を上げて走り出す。あっと思って注意する直前、しかし自分で気付いたらしく、ピタリと走りかけの体勢で固まり、それから早歩きに変更していた。


 ……悪い子では、ないんだよなあ。


 ちょっと声が大きくて、ちょっと勢いが強すぎて、ちょっと女心がわからないだけで。悪い子ではないけれど、でもやっぱり、わたしには眩しい。


 そんなことを思いながら用意をしてバックヤードから出ると、ちょうど戻ってきた女子二人に、ヤスヤが事情を話しているところだった。


「そうだユッテさん、圭のことお願いしてもいいですか? こいつの分は、俺のと一緒に買ってくるので!」


 声が出せないケイちゃんは、自分で買い物をするのも不便なのだろう。本人がそれでいいのなら、と了承すると、ヤスヤはかいがいしく妹の注文を取り始めた。


「ミノバーガーがあったから、あれでいいか? チーズのだろ? 飲み物はどうする? 炭酸とそれ以外……それ以外か。コーヒーよりはジュースだよな?」


 ヤスヤが問いかけるたびに、ケイちゃんは、こくこく頷いたり、ふるふる首を振ったり、こてんと首を傾げたりして応えている。声がなくても通じ合うさまに、兄妹仲の良さが見えるようだった。……ちょっと羨ましい。


 本館と北館の間、中庭にある東屋で待つことを告げて、ヤスヤとエウラリアの背中を見送る。人魚のお姫さまはデート気分らしく、非常に足取りが軽かった。楽しそうでなにより。


「それじゃあ、ちょっとここで待ちましょうか」


 季節の花が育てられた中庭は、広大な前庭とも、実用的な裏庭とも違う、瀟洒な雰囲気がある場所だ。かつてはここも魔王城らしい庭だったのかもしれないが、今となっては、木の精霊ドライアドの加護篤き美しい庭園となっている。


 しかしまあ、ヴァルくんにとっては『花よりクッキー』らしい。「おなかすきました。ぼくはまてません」と宣言されたので、東屋のテーブルに彼の分の弁当を広げてやる。今日は三種のサンドイッチとバナナスコーン、それから簡易の野菜スープだ。わたしでも結構な量なのに、この子は平気でぺろりと食べる。

 お行儀よく「いただきます」をしてから、両手でサンドイッチを持ち齧りだす。なんだかリスみたいだな、とそれを眺めていたら、ふとケイちゃんも彼をじっと見ていることに気がついた。彼……というよりは、その手元を。


「……よかったら、少し食べながら待ちますか?」


 びくっと飛び上がったケイちゃんは、顔を真っ赤にして慌てて首を横に振る。けれど直後、その動きに刺激されてか、ぐうう、と小さくお腹が鳴った。

 ……あらまあ、耳や指先まで真っ赤っか。可愛い子だな。


「量のことなら大丈夫ですよ。いつも、少し多めにしてありますから」

「…………」ふるふる。

「それとも、なにか食べられないものが入ってます?」

「! ……」ふるふるふる。

「それならどうぞ。姉や兄ほどの腕はないですが、一応、この子の合格点ももらった出来ですよ。よかったら味見してください」


 少しだけ、とわたしの分を差し出すと、ケイちゃんはなおも躊躇いながら、結局ぺこりと頭を下げた。そしておずおずとバナナスコーンを取って、またぺこりと頭を下げてから齧りつく。その顔がぱっと晴れるのを見届けて、わたしもひとつ、同じものを手に取った。小さめに焼いたので、二口齧ればお腹に収まる。


 もぐもぐごくん、と呑み込んだケイちゃんが、なにかを言おうと勢い込んで口を開く。けれどそこから声は出なくて、はっとしたように喉を押さえた彼女の顔が、みるみるうちに曇っていく。

 それを見ていたヴァルくんが、横から「ケイおねえさん」と呼びかけた。

 そして無邪気に小首を傾げて、単刀直入にずばりと聞く。


「こえがでないって、どんなかんじなんですか? のどがいたいんですか? へんなかんじなんですか? それとも、なんともないんですか?」

「ちょ、ちょっとヴァルくん……」


 こんなタイミングでそんなデリケートなことを聞くのはいかがなものか。慌てて止めに入ろうとしたわたしに、しかしヴァルくんは、不機嫌そうに眉を寄せる。


「だって、ちゃんときかないとわかんないですよ。あたまがいたいのも、ずきずきとか、しくしくとか、がんがんとか、げんいんによっていろいろあるじゃないですか。かぜでこえがでないのと、なやみごとでこえがでないのは、ちがいますよ」


 そうでしょう? と言われて「うっ」と呻いてしまう。

 一理ある。そういえば、具体的にどういう状態でどう声が出ないのか、まだきちんと聞いていなかった。「闇雲に探してどうにかなると思っているんですか」とバカにするような紅い目から逃れるように、わたしは、ケイちゃんに向き直った。


「あの……そういうことなので」

「…………」

「わからないことは、わからないでいいです。答えたくないことは、答えなくても大丈夫。なのでちょっとだけ詳しく、今の状態を教えてください」


 こくり、と頷いたケイちゃんに、わたしは少しずつ質問を重ねていった。


 ――そうしてわかったところによると、どうやら、喉に痛みも違和感もなく、ただ声が声にならない状態らしい。喉は問題なく開くのに、どこかで音が消えるのだ。

 さらに聞けば、声が出なくなった最初の日、その時だけ、彼女は奇妙な感覚に襲われたのだという。わたしの語彙力から選んでもらった結果、それは『喉を絞られるような』『なにかが抜き取られるような』感覚だったらしい。


「それはやっぱり……普通の病気ではない気がしますね」

「…………」


 ケイちゃんは喉を押さえ、少し躊躇ってから、こくりと頷く。ヤスヤはああ言っていたけれど、本人としても、その可能性の高さを承知しているのだろう。


 ……呪い。呪いかあ。専門外にもほどがあるなあ。


 できれば手を貸してあげたい、治してあげたいけれど、ミジンコ魔力のわたしにはどうすればいいかわからない。やはり専門呪医にかかってもらうのが、一番いいと思うのだけど。

 説得すべきは、ケイちゃんではなくヤスヤのほうだ。そう考えていたその矢先、エウラリアとフベルトを連れた本人が、ミノバーガーの袋を片手にやってくる。そのまま自然に会話は流れて、ケイちゃんとの話もそれきりになった。


 ……どのタイミングで説得するか。どうすれば聞き入れてもらえるか。


 一通り蔵書を漁ってからでいいだろう、と思っていたけれど、ケイちゃんの負担を考えると、やはりそうも言っていられない。どうにかなんとかできないか。


 悶々と悩むわたしの隣で、ぺろりと完食したヴァルくんが、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。




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