第2章

第11話 二通の手紙


 その手紙が届いたのは、地下大聖堂でわたしが人知れず世界の危機を救ってから、十日ほど後のことだった。


「ユッテ、ユッーテ、ユッテちゃーん♪」


 今日も今日とて昼から出勤で、のんびりと身支度をしていたわたしの部屋を、誰かが歌いながらノックした。誰かといっても、声で見当はついている。寮母さんの相棒である妖精犬クー・シーのムムだ。

 ドアを開けると、ハウンド系の大型犬に似た彼女が、光沢のある赤茶色の尻尾を振っていた。背中にかけられた鞄から、器用に手紙を抜き取って差し出す。


「お手紙へがみですよれふほー、まとめてまほめへ二通にふう!」

「いつもありがとうございます」


 手紙を受け取って頭を撫でると、ムムは嬉しそうに前足を踏みしめて笑う。普通の犬もそうだけど、案外、彼らの表情ってわかるものだよね。可愛い。

 せっかく来てくれたのだからと、先日、作り過ぎてしまったスモモジャムをムムと寮母さんにもお裾分けする。妖精犬のムムは甘党で、「一緒に食べてね」と言うと飛び上がって喜んだ。可愛い。


 踊る足取りで次へと向かう彼女を見送り、部屋に戻って手紙に目をやる。

 そしてその差出人に、和み気分が一気に吹き飛んだ。


「うわ……カーヤとクルトからだ。なんでわざわざ一通ずつ……」


 同じ住所、同じ郵便局から届いた二通の手紙。

 なんだか嫌な予感がして、ともかく心を落ち着かせようと、途中だった身支度に戻る。最低限のメイクをして、栗色の髪をポニーテールにして、伸びかけの前髪が目に入らないよう整える。深緑の目を隠すように仕事用のメガネをかけて、シャツのボタンを上までとめる。スカートよし。ベストよし。いつでも出られる。わたしは大丈夫。

 そうして気持ちを整えて、再び、二通の手紙と向き合った。


 ……どうか面倒事じゃありませんように。


 封を切りながらのそんな切実なお祈りは、しかし実際、遅過ぎた。手紙がここにある時点で、その内容が二日前に書かれたものである時点で、そして差出人があの二人である時点で、すべては遅過ぎたのだ。

 二通に目を通したわたしは、思いの丈を、虚空に吠えた。


「――はぁあ!?」





「あら、ユッテちゃん。ずいぶん早いですわね。今日はお昼からだったはずですけれど」

「おはようございます……仕事の前に、ちょっと約束がありまして」


 お上品に驚いている副店長にはそう言って、〈書庫〉の上階に上がらせてもらう。今、早急に会いたい人物は、いつでも必ずそこにいるのだ。

 二階の閲覧スペースまでやってきたわたしは、そこのソファーで大きな革装丁の本を読む相手に、「おはようございます」と声をかけた。ちらりと紅い目を上げた相手は、わざとらしく小首を傾げる。


「おはようございます。約束のお相手はまだのようですよ。待つなら静かにお願いしますね」

「地獄耳ですね……」

「魔王ですから」


 聞く能力があるにしたって、ピンポイントで聞いてなくてもよくないだろうか。店内には他のお客も、店員もいるというのに。

 ちょっと呆れてしまうけれど、今はどうでもいいことだ。私は首を横に振る。


「違いますよ。ヴァルくんに会いに来たんです」

「おや、当日にデートのお誘いですか? 風情もなにもありませんね」

「外見年齢がプラス十五歳してからほざいてください。……もう、冗談でなく、本当に、急ぎで聞いてもらいたいことがあるんですよ」


 良い子の楽しい煽り合いをしている場合ではないのだ。

 こちらの焦燥感が通じたのか、ヴァルくんは怪訝そうにしながらも、本を閉じて顔を上げてくれる。それに身を乗り出して、わたしは低く、早口で告げる。

 自分でもまだ、意味がよくわかっていないことを。


「――異世界からの少年少女が、うちの実家の紹介で、ここに来るらしいんです」

「は?」





 さすがに場所を選ぼうと、ちょうど昼前のフードコートに下りる。幸い、ピーク時までまだ時間があるためか、テーブル席に人影は少ない。

 余計な詮索を買わないようそれぞれミノバーガーセットを購入して、大きなガラス窓から中庭が見える隅っこの席に陣を張る。ぽつぽついる利用客も遠く、多少、妙な話をしていても大丈夫な場所だ。

 正面に座ったヴァルくんが、「それで」と先に口火を切った。


「いったいどういうことなんですか? 異世界の人間がやってくる、というのは」

「実は今朝……といってもついさっき、この手紙が届いたんです」


 そう言って、ムムから受け取った二通の手紙をテーブルに置く。


「両方とも、ですか?」

「そうです。こっちの分厚いほうが姉からのもので、こっちの薄いほうが兄からのものです。……内容は同じなんですけど」


 説明しながら、それぞれの封を開けて便箋を取り出す。


 ヴァルくんが先に手に取ったのは、姉の手紙のほうだった。『やっほー、ユッテちゃん! 元気? お姉ちゃんは超元気! この間もベリーの採取に行こうとしたら巨大蜜蜂ビッグ・ビーに襲われてね、やったーと思ってボコボコにして、おいしい蜂蜜ゲットしちゃった!』から始まる、十枚にわたる超大作だ。

 途中から頭が痛そうな顔になりつつ、一応最後まで読んだらしいヴァルくんは、眉間を押さえて「なんですかこれ」と呟く。


「巨大蜜蜂と首都最新の焼き菓子の感想以外、ほぼ意味不明なんですが」

「それを端的にしたのが、こっちです」


 さっと差し出すのは兄のほう。姉と同じ便箋を使って、そこに書かれているのはたった一文。


「『異世界人を二人、そっちにやった』」

「端的が過ぎます」

「ですよね」


 足して二で割ってようやく普通、というやつだ。書いた本人たちもそうだけど、手紙となると余計に際立つ。


「この二人に関しては、昔からこうなんで放っておいてください。母のお腹の中で、のとんでもない性質分配をしてきた双子なんで」


 そのくせ、一方的で天才的で自己中心的なところは足並み揃えて飛び抜けているのだから、本当に厄介な人たちなのだ。特に、近親たるわたしにとって。

 そんな双子のことは置いといて、と手紙の内容に話を戻す。


「それぞれ合わせて読解すると、こういうことらしいです。――『異世界からきたっていう少年少女がうちに立ち寄ったけど、なにやら困っているようだったので、魔王時代の古い本がたくさんある〈魔王の書庫アンタのところ〉を紹介しておいたよ! 後はよろしく!』」


 呆れた顔で「よく読解できますね。コレを」と感心するヴァルくんに、「妹ですからね」と返して溜め息をつく。ああ、思い出したくないアレやソレまで記憶から引きずり出されてきた。忘却魔法が来い。

 両手でこめかみをぐりぐりするわたしを余所に、ヴァルくんはテーブルを、指先でトントンと叩く。


「異世界からの人間、ですか。……実際、どれだけ信憑性があるんでしょう」

「わかりません。わかりませんけど、この二人が意見を同じくした時には、要注意なんです。本能と理性が、同じ結論を出しているようなものですから」

「……実体験ですか」

「妹ですからね」


 忘却魔法が来い。

 ……なんて不毛な他力本願はやめにして、自力で無理矢理、思考の隅に記憶を追いやる。今はそんなものの相手をしている場合ではないのだ。もっと大変な問題が目の前にある。

 テーブルを指で叩きながら、考え込むようにヴァルくんが呟く。


「封印から百年がたち、復活の兆しを見せた〈魔王〉……そしてそこにやってくる、異世界からの来訪者……ですか」

「……どう考えても、これって、無関係ではないですよね?」

「その二つだけではなんとも言えませんが、先日の〈聖紋〉結界の活性化を思うと、可能性は高くなるようにも思えますね」


 地下大聖堂で、触れた瞬間に光を放った虹色の泉を思い出す。まさかあの出来事まで異世界人と関係があるとは、微塵も考えていなかった。

 けれど、確かにそうだ。百年前の伝説でも、世界の祈りに呼ばれた勇者ユウタロウを導いたのは、〈聖紋〉を宿した聖女だったのだから。新たな異世界人の出現に、また〈聖紋〉が関わっていてもおかしくない。

 そして、そんな異世界人がここにやってくるとなれば。


「……ヴァルくん、どうするんですか?」

「どう、というのは?」

「もし、その人たちが〈魔王〉の復活に気付いていたら……ここに来て、気付いてしまったら。それって、いろんな意味で危険なんじゃないですか?」


 双子の手紙だけでは、相手がどんな人間かまではわからない。ユウタロウのような理想主義者ならまだしも、漫画で流行った「悪・即・斬!」みたいなタイプだったら最悪だ。こちらが売り言葉を買わないとも限らないし、そうなるとこの〈魔王城モール〉が殺戮の舞台になってしまう。

 家を離れてようやく手に入れた、わたしのこの平穏を、そんなわけのわからないことで壊されては堪らない。

 そう手に汗握るわたしに向かって、しかしヴァルくんは気負いなく、「別にどうもする気はありませんよ」と首を振った。


「今の私は『ヴァル』ですからね。これまで通り、変わりません。下手に動いて、あちらに勘付かれるのもくだらないですし」

「そう……ですか」


 落ち着いた意見に、肩の力が抜けていく。


 ……そうか。今は〈魔王〉じゃないんだから、相手を迎え撃つ必要はないのか。


 異世界人とは断固として戦うなんて言われたら大ごとだったけど、そういうつもりがないのなら、こちらも気を張る必要はない。


「……なんだか、ようやくお腹が空いてきた気がします」

「時間がかかり過ぎです。ポテトはもう冷めてしまいましたよ」


 一足先に食べ始めていたヴァルくんの言葉通り、熱々だったポテトもバーガーもすっかり冷めて、ジュースの氷は解けていた。しかし、それでもおいしいのがミノバーガーだ。九十年の歴史はダテじゃない。


 出勤時間を気にしながらもきちんと噛んで食べ切って、人が増え始めたフードコートを、わたしとヴァルくんは後にした。




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