四章 金星と闇の大祭 2—1
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待つあいだ、魚波は考えた。
考えたくはなかったが、時間は持てあますほどある。いやでも、そのことに思考はかたむく。
犯人は今御子らしき者をねらっている。
最初に早乙女。今御子の最有力候補だ。なにしろ、二十年前の大祭で、御子を宿している。が、早乙女のなかに御子はいなかった。
すると、今度はおトラだ。
おトラ、寺内夫婦が一夜にして殺された。
三人とも不自然に若く、それが今御子っぽく見えた。
でも、きっと今御子ではなかった。元御子でさえなかった。
もし一度でも御子を宿していれば、若返りのために巫子の死肉を食むようなまねはしなくても、よかったのだから。
そのあと、いったん、殺人はやんだ。
誰が今御子なのか、さっぱり、わからなくなったからだ。
そして、最後に一男。
一男は御宿りがあったと宣言した。
今度こそ、確実に今御子だ。それで、おそわれて、腹を裂かれた。犯人は一男の腹を裂きながら、何かを探していた。「ない。ない」と言いながら。
そうだ。だから、自分は怖くなったのだ。
犯人が探しているのは、御子だ。
村人のなかの誰かが宿しているはずの御子を探している。
御子を宿していそうな人たちを次々におそって、その腹のなかを確かめていたのだ。
(御子になれば……不老不死になれる)
ふっと気が遠くなった。
犯人は不死になろうとしている。いや、あるいは不老が目的かもしれない。
たとえば、おトラ。
亭主の勝よりさきに老いることが苦で、巫子の死肉をむさぼっていた。
おトラなら、御子を宿して老いなくなることは至福だったはずだ。愛する人と同じ時の流れを生きることができる。
(誰だ? 人を殺して奪ってでも、御子になりたいと思う……そぎゃんやつ、村におったか?)
巫子や元御子じゃない。あきらかに常人だ。
もともと不老長寿の巫子や元御子なら、すでに老いの苦悩からは解放されている。
自分が不老長寿ではないことに、激しい
おトラのように巫子と結婚した常人。
または常人であるがために、巫子と結婚をゆるされない人物。
(銀次? 竹子? でも、そぎゃんこと言ったら、うちの母さんだって、元御子といっしょの常人だ。親父より二十も年上に見える)
威は何も言わなかったが、内心、思っていたはずだ。ずいぶん年の離れた夫婦だなと。村の事情を知るまでは。
母は巫子をみごもったことがある。胎児のころの魚波や雪絵を通して、ほんの少しだけ、御子さまのお力をわけあたえられている。本当の年より、二十は若く見える。
それでも、元御子の父にくらべたら……。
もしも……もしも、母が父と熊谷の女房の浮気を知れば? 一男と一子のことを知っていたとしたら……? 悔しくはなかっただろうか?
いや、そんなはずはない。
あの優しい母が、そんなことのために何人もの人を殺すはずがない。
自分の母のことを疑うなんて、どうかしてる。
今夜、御子を宿せば、魚波が狙われる。
だから、疑心暗鬼になっているのだ。
魚波は気持ちをおちつけるために、深呼吸した。
人影が近づいてきたのは、そのときだ。
ヒイラギの葉のすきまから、月光にてらされる細い道が見える。
背の高い男が、一人で、その道を歩いてくる。
今御子か?
でも、なんだろう。この不安な感じ。
一男を襲ったのも、背の高い男だった……。
魚波はあとずさった。
背中が岩かべに当たる。
そして、ようやく、洞くつが奥に続いていることに気づいた。人ひとりが入っていられるだけの、お堂のようなものだと思っていたが、せまいなりに通路がある。
そういえば、昨夜、茜が言っていた。
この場から動くなとか、なんとか。
茜は奥があることを知ってたわけだ。
しかし、なぜ、魚波が奥へ行くことを禁じたのか。
なかが、とても広くて迷うからだろうか?
魚波は手さぐりで奥へ向かっていった。
暗いから長く感じたが、たぶん、距離は、ほんの三、四メートル。
奥は行き止まりだ。
急にころびかけてしまった。つきあたりが一段、高くなっていたからだ。
手でまさぐると、祭壇のようになっている。
そのさきに手をのばして、魚波はビクリとした。
なんだろう。
やわらかいものに、ふれた。
なんだか、おぼえのある、この感触は……。
(人……?)
ちょうど、人肌のような、かたさ。
魚波は着物のたもとに、ロウソクとマッチを入れてきたことを思いだした。何かの役に立つかと考えたのだ。
手の感覚だけでマッチをすり、ロウソクに火をつける。小さな火でも、ずいぶん明るく感じた。
その火で祭壇をふりかえった魚波は、がくぜんとした。自分の見ているものが信じられない。
それは、たしかに人だ。
でも、とっくに死んだはずの人だ。
「砂雁——」
老人のように真っ白になった髪。
だが、外貌は、まだ二十代に見える。
二十年前、早乙女と交代で還俗した、社の巫子。砂雁だ。
そうだ。砂雁は還俗した。なのに、これまで一度も還俗後の砂雁を村のなかで見ていない。
巫子は髪が白変すると、またたくまに寿命がつきるから、とっくに死んだものだと思っていた。
魚波が子どものころ、とても可愛がってくれた砂雁。あのころとまったく変わっていない。
眠っているのだろうか?
それとも、眠っているように見える死体か?
どっちにしろ、どうして、こんなところに砂雁がいるのだろう?
もしかして、茜は、ここに砂雁がいることを知っていたのか? だから、魚波に奥へ行くなと……?
魚波は砂雁の頰に、そっとふれてみた。
とつぜん、砂雁の目がひらいた。
魚波を見て、にっこりと微笑む。
美しい砂雁。
歴代の『巫子』のなかでも、一、二位をあらそう美貌とうたわれていた。
白変のせいか、全身の肌から色素がぬけ、瞳も青く変わっていた。ますます陶器の人形めいて美しい。
「ナミちゃん。君が来うのを待っちょったよ」
砂雁は起きあがり、魚波を抱きしめた。
女の着物をきて、化粧をしていても、砂雁には、ひとめで魚波だとわかったらしい。
「砂雁……」
「あんまり、あのころと変わっちょらんなあ。でも、もう大人だ。ナミちゃん。今なら一つになれる」
砂雁の手が、魚波の肩をつかむ。
魚波を抱きよせ、くちづけようとした。
魚波は抵抗した。
ロウソクが足元にころがり、ふっと火が消える。
ふたたび、暗闇に包まれる。
魚波は、どうにか砂雁の腕からぬけだした。
「ナミちゃん——」
「砂雁のことは好きだけど、そういうのはイヤだ」
よろめくように、入口のほうへ逃げていく。
その背に、砂雁の声が追ってくる。
「忘れたか? ナミちゃんが泣いちょったけん……約束したが? 大人になったら、もどってくうと」
泣いてた? 約束?
なんのことだろう?
わけがわからなくて、魚波は、ただ逃げだした。
格子戸まで来ると、すぐ外のあたりを光がチラチラしていた。かいちゅう電灯の光だ。男が外をウロウロしている。
そうだった。誰かが近づいてきていたのだった。
今御子なのだろうか。
腹背に敵で、もう、どうしたらいいのか、わからない。
こんなとき、威がいてくれたら、助けてくれるのに。
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