三章 巫子えらびと消えた死体 3—2


(二十年前、殺された川上一家は、祖父母、父母、サトさん、弟の太郎。全部で六人。全員、巫子や元御子で……)


あれっ?——と、魚波は思った。

今、一瞬、何かが心にひっかかった。

でも、それが、なんだったのか、思いなおそうとしたときには、それは思考の底にしずんでしまっていた。

池の底に、すうっと、もぐりこんでしまった小石みたい。二度と手の届かないどこかに消えてしまう。


しかたないので、最初の考えを熟考する。


(六人の死体を寺内夫婦だけで、全部、食いつくすことはできんだろう。自分やつが食べるぶん以外は、村人に売っただないか? その一人がおトラさん……)


女心だ。

トラの亭主は巫子の勝。二人は幼なじみで、ほんとに愛しあっていた。だが、二人の愛が深ければ深いほど、流れていく時間が残酷な形をとっていく。

自分だけが年をとる現実を、女のトラは、他人が思うより、はるかに重く悩んでいたに違いない。

だから、寺内の誘いに乗った。


そう思えば、なぜ、トラと寺内夫婦が一晩で殺されたのか、説明がつく気がする。


犯人は川上家の親せきか?


寺内たちのしてることに気づいて、復讐したのではないか……。


(川上家の親せきと言えば、みんな、女か。サトさんの叔母さんの、おヨネさんや、お万さん)


どうも、ぴんとこない。


トラや寺内夫婦の遺体の激しい損傷を考えれば、女の犯行とは、ちょっと思えないのだが。


それは、ヨネさんや万さんの息子もいないわけではない。殺された伯父伯母やイトコのために、復讐を考えることが、まったくないわけではないだろう。


だが、血が遠くなるほど、その可能性も薄くなる。


親兄弟ならともかく、イトコのことで、はたして人殺しまでするものか……。


何か見落としているのかもしれない。


川上家の関連以外で……。


考えこんでいた魚波は、龍臣の呼びかけで、我に返った。


「とにかく、今後は、こんなことが起こらないようにしないとな。また長老会議だよ。さあ、みんな、もう帰ろう」と、下男たちをさきに帰す。


「じゃあな。魚波」と言って、自分も歩きかけた龍臣が、ふと立ち止まる。


「そうそう。明日になったら、知らせに行くつもりだった。大祭の前に、巫子選びをする。おまえ、一男、雪ちゃんの三人が、一晩ずつ、御宿り場に、こもる。御子のえらんだ者が、神社の巫子になる。そのつもりでいてくれ」


ふいをつかれて、魚波は凍りついた。


「待ってごしなはい。雪絵は、のけてごしならんか(雪絵は除外してもらえませんか)。わがなる(私がなる)。わがなるけん。お願いします」


無我夢中で、魚波は地べたに土下座した。


雪絵を助けたい一心だ。


魚波の恋は、何があっても、一生かなわない。


ならば、せめて、雪絵には幸せになってもらいたい。


墓場の土に頭をこすりつける魚波を見て、龍臣は苦い顔をする。


「……すまん。おれの一存では決められない。御子の意思に、したがうしかない」


そうではないと、魚波は思った。


巫子選びは形式だ。


巫子の雪絵が、よそ者と結婚すると、先行き何かと困ったことになる。だから、今のうちに、その芽をつみとっておくつもりなのだ。


サトのときと同じだ。


雪絵と威を引き離すための口実である。


今御子が誰なのか、魚波は知らない。


が、おそらく、長老たちは、その正体をつかんでいるのではないか。内々に、その人物と話がついているのだろうと思う。


去っていく龍臣を、魚波は見送った。


墓石のかげから、威が現れる。


月光のせいか、顔色が青い。いや、月光のせいばかりではないだろう。あまりにも奇想天外な話を立て続けに聞いたのだから。


「魚波」


今度こそ、ひとことも言い逃れをゆるさないという表情だ。魚波は覚悟を決めた。


「……いったい、どこから話したら、いいだあかねえ」

「じゃあ、話してくれるのか?」


そのとき、魚波はひらめいた。

話すより、いい方法を。


墓穴の近くに、立てかけたままのクワがある。


魚波がクワをにぎりしめたので、威は、ギョッとした。魚波に殺されるとでも思ったのだろうか。


「威さん。あんたにだけは知られたくなかった」

「よせ。魚波——」


あわてふためいて、威はあとずさる。

その威の前に、魚波は左腕をさしだした。

墓石の上にのせ、固定する。


「魚波……?」


何かが違うと、威も感じた。


そう。魚波は威を傷つける気など、毛頭ない。

傷つけるのは、威ではない。


「やめろ……何をする気だ?」


魚波は無言のまま、クワをふりおろした。自分の左腕の上に。


「——やめろッ!」


威が叫んだときには、クワは魚波の左手を切り落としていた。激痛におそわれ、魚波は気が遠くなった。


「魚波ッ!」


かけよる威の腕のなかに、ふらふら倒れこむ。


だが、よく見れば、腕は皮一枚で、ぶらさがっていた。完全に切断されてはいない。


「……自分では、うまく切り落とせんもんだねえ」

「なにしてるんだ! 医者だ。いますぐ、竹小路先生のとこに行こう」


威は村に唯一の医者の名を言った。

が、魚波は首をふった。ぶらさがった左手首を右手で支え、傷口にあてがう。

あまりの痛みに、涙とあえぎ声が止まらない。


「痛い……痛いよ。威さん」

「しっかりしろ。今、病院につれてってやる」


威は魚波をかかえて走りだす。


魚波は、ちぎれかけた腕を抱いたまま、運ばれていった。でも、威の胸で月を見あげているうちに、だんだん痛みは、にぶく、遠くなっていく。意識も、はっきりしてきた。


「威さん……わも、こぎゃん大ケガは初めてだった。でも、もういいみたいだわ」

「あきらめるな。すぐ手術してもらえば、きっと、大丈夫。よくなる」


威は勘違いしてる。

魚波は威の首を、両腕でかかえた。


「そげだない(そうじゃない)。もう、治った」


するすると、威の首に腕をからめる。


威は石化したように、立ち止まる。

何が起こったか理解できないような目で、魚波を見おろす。

やはり、妖怪だと思われただろうか。


「威さん。だけん(だから)、あんたにだけは知られたくなかった」


魚波は威の胸に顔をうずめて泣いた。


きっと、ののしられる。

次の瞬間には、「うわあッ、化け物だ!」と言って、ほうりだされてしまう。

威は何もかもすてて、村から逃げだすだろう。


そして、村のおきてをやぶった魚波は、見せしめに殺されるのだ。


ひたいを撃たれても死なない巫子だから、その死は苦しいものになる。

村じゅうの人にカマや包丁で刺され、それでも死なずに、のたうちまわるのだ。


そのときになって、自分は後悔するのだろうか?

よそ者なんて信じたことを。

この世には、友情という貴いものが存在するのだなんて、夢見たことを。


とつぜん、魚波は地面にくずれおちた。


威が腰をぬかしたのだ。魚波をかかえたまま、道ばたにしゃがみこむ。

さすがに、これは、豪胆な威も許容範囲を超えたらしい。


「ウソ……じゃないよな? 手品……とか?」

「わは手品のやりかたなんか知らん」

「……そうだよな」


威は、まだ『うわあっ、バケモノだ!』とは言わない。まじまじと魚波を見つめる。

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