第11話

『――で、結局、収まる所に収まったわけだな』

「おかげさまでな、兄さん」

 その日は朝早くにハルト兄さんと電話していた。時差で、あっちは真夜中らしい――今はどこにいるのやら。目覚めて間もなく、伸びをしながら部屋を見渡す。

 そこは、六畳間の部屋――工事が終わり、小綺麗な内装になった部屋。

 ホテル暮らしは終わりを告げ、つい数日前に戻ってきた次第だった。

『異境狩りは、日本警察に引き渡した。アイリ殿、ユウキ殿はしばらくそっちに逗留――折を見て、南総里見に連れていく感じだな』

「ああ、二人とも挨拶したい様子だし」

 ちなみに、この前、アイリの兄のユウキと挨拶をした。人の良さそうな笑顔を浮かべた、とても吸血鬼には見えない人だった。ただ、やはりと言うべきか、紫外線には弱く、夜にしか活動しないらしい。

 二人から重ねて礼を受け取り、今度、里に案内することを約束した。

「まあ、何はともあれ、全て一件が解決したわけで――」

『そうだな。で、サラちゃんは護衛の任を解かれた――って感じか』

 兄さんの確認に、ああ、と答えて目をつむる。ため息交じりに告げる。

「まあ、仕方ないよな。護衛に関しては」

『ああ、それは仕方ない――けど、感謝しろよ? リント』

「ああ――」

 何に関しては、もう聞くまでもない。兄さんはくつくつと含み笑いを響かせる。

『じゃあ、まあ、何かあったらまた連絡しろ』

「ああ、次は――何もなければ、定期連絡のときに」

『おう。じゃあな』

 電話を切る。スマホを消して放り出し、背伸びをしながら欠伸を一つ。

 まだ寝ぼけた頭で、洗面台に向かい、冷たい水で顔を洗う。そうやって頭をすっきりさせると――こんこん、と控えめなノック。

 来たか。自然と笑みが込み上げるのを自覚しつつ、僕は玄関に向かって扉を開ける。

「や、おはよう」

「うん――おはようっ、お兄ちゃんっ!」

 僕の挨拶に元気よく応じた――茶髪犬耳の少女、サラがえへへ、と笑み零れた。


 護衛の任から外され、里に戻ることが指示されたサラ。

 だが、それに待ったを掛けたのは――ハルト兄さんだった。

『いい機会だから、ついでに社会勉強させてみたらどうですか?』

 その提案に、長老は少しだけ渋い顔を見せたが、サラの、残りたい、という意思表示もあり、サラは正式にこちらで暮らすことになったのだ。

 隣の部屋で正式に入居。僕の大学の付属高校に秋から編入することに決まっている。

 サラは結構、頭がいい。編入試験も、さらっと受かったようだ。


「でも、折角、付き合ったのに、別居って――倦怠期?」

「バカ言うな。サラに飽きるわけ、ないだろ?」

「えへへ……」

 一緒に朝食を囲みながら、のんびりとした朝の時間を過ごす。二人で作った朝食を、向き合って食べていると、サラは機嫌よさげに尻尾を揺らしている。

「まあ、お父さんにはまだ言っていないしね。言ったら、面倒くさそうだし」

「面倒くさそうって――まあ、あの人過保護だからな」

 別のアパートを借りて、二人の距離を引き離すことぐらいやりかねない。

「まずは、外堀から埋めないと――ハルトさんに、お兄ちゃんのお父さん、お母さん……身内を固めてから、歓迎ムードを作れば、もう既成事実も同然だよね?」

「まあ、そうかもしれないが――焦らんでもいいぞ? いざとなれば、僕がケリをつけるし――封印を解いてでも」

「あはは、大人げないよ。お兄ちゃん。でも、嬉しいなあ」

 和やかな会話。少しだけサラは頬を手に当てながら、犬耳をぴこぴこ跳ねさせる。

「だから、今は――ゆっくりと、日々を暮らしていこう。一緒に」

「うん、焦らずにお互いのことをもっと知って、だね」

 幼なじみだから、全部知っている。なんて傲慢は言わない。

 幼なじみだからこそ、知らないことだってあるのだ。

 そういう意味だと、お隣さん同士、というのは恋人と家族の中間で――いい距離感なのかもしれない。

 それともう一つ。お隣さん同士であることには、僕にとって重要な意味がある。

「ほんと、幼なじみだから知らなかったけど……サラって、意外と夜が激しいんだな」

「えへっ、狼ですから」

「ごまかさない。まあ――そうなのかもしれないけど」

 人狼という獣人は、満月に近づくと、徐々に理性を野性が上回っていく。

 それ故に、男の人狼は意外と難儀をするらしく、場合によっては山籠もりをすることもあるらしい。山を駆けずり回って、本能を満たすのだ。

 だからこそ――月が満ちている間のサラは、その……ひたすら、すごかった。

 初めてだったのに、なあ……。

 それを思い起こしていると、サラは顔を赤らめてもじもじとする。

「そんな、あんまり思い出さないで。お兄ちゃん」

「わ、悪い……」

 しばらく朝なのに気まずい空気になる。味噌汁を啜りながら、目を閉じて心を落ち着ける。

 つまり、お隣さん同士――同居しないのは、つまり、僕の貞操の自衛のためだった。

 適正な、恋人関係を保つのにも、一役買うはずである。

「――ねえ、お兄ちゃん」

「うん?」

「今日、何にも用事、ないよね?」

「……ありませんけど」

「一日中、ゆっくり、できるよね?」

「……まあ、そうですね」

「でも、今日はデキない日だよ?」

「……ちょっと安心した自分がいます」

「とにかく、一日中、ゆっくり、ヤれるよね?」

「……ヤろうと思えばね」


 適正な、恋人関係――を保てるのだろうか……?


 そわそわとするサラは、食事に手をついていない。頬も上気させながら、ちらちらとこちらを伺っている。完全に、発情しているわな……。

 黙って味噌汁をすすり、一息つくと――小さく顔を逸らしながら一言だけ。

「……食い終わってからな」

「……うんっ」

 まあ、焦らずに自分たちに、適した距離感を見つければいい。そう言い聞かせながら、僕はゆっくりと緑茶を口に運び。

 目の前で、照れくさそうに笑う、お隣さんの犬耳幼なじみを見つめ返した。

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