第9話

 それは、少し前の作戦会議――。


『アイリ殿、力写しの鏡について質問ですが――あれは、力の片鱗。つまり血液か何かがあれば〈異能〉をコピーできるのではないですか?』

 それはもはや、質問というより確認だった。その言葉に、アイリは息を呑んで頷く。

「はい、それで間違いないです――でも、どうして……」

「それだったら全てつじつまが合うんだよ。アイリ」

 疑問に思ったアイリに、僕はため息交じりに説明をする。

「異境狩りが使う複数の〈異能〉――それらは、全て『力写しの鏡』によって発動されているんだ。異境狩りは、狩ってきた異境人の血液をコレクションして、いつでも任意の〈異能〉を使えるようになっている――道理で、厄介なわけだ」

『そうなると、動機も筋が通るな。異境狩りは、他の使える異能を増やすために次々と異境人を襲っていったわけだ。腹立たしいことこの上ないが……』

 手品のタネは全て割れた。その確認を終えた、僕と兄さんは視線を交わし合い、作戦を確認し合った――。


「第一目標は、もちろん、サラやアイリの兄の救出。だけど、それに並列して行うべきだったのが、この『力写しの鏡』の奪還――これさえ奪えれば、異能は失われるから」

 だが、それは竜人の力を以てしてでも容易ではない。

 だからこそ、隙を作らせた。吸血鬼の〈異能〉を誘い出し、それを封印することで、一気に異境狩りを拘束。奪い取ったのだ。

 我ながら力任せで強引なやり方だったが――。

「ま、それなりに僕も腹が立っていたんでね――僕の、大切な人に手を出されて」

 ごつっと倒れ伏す男の頭を蹴る。もう、力の封印をかけたので、さすがに力はもうない。それどころか、かなりの激戦で消耗していた。

 まさか、セイレーンや雪女の異能まで持っているとは思わなかったからな。さすがに、竜の息吹まで出すのは大人げないとは思ったんだが……。

「よぅ、リント――終わったみたいだな」

「ああ、親父、一応縛ってはある。これで、終わりだ」

 顔を出した親父に、足元のそいつを転がしてみせる。虫の息のそいつに、親父は屈んで様子を確かめ――軽く目を見開いた。

「驚いたな――こいつは、異境の人間じゃない。ただの、一般人だ」

「ああ、ただ『力写しの鏡』で暴れ回っていただけみたいだ――僕たちの〈異能〉を悪用して、悪さをしていた可能性は、あるな」

「――ったく、面倒なことをしてくれるぜ。今回は、まだ大事にならなかったが……これで異境の存在が明るみになれば、俺たちは生き辛くなるっつーのに」

 よっこいせ、と親父は肩にその男を乱暴に担ぎ上げる。そして、労わるように厳つい笑顔を見せる。

「――よくやったな。リント。ひとまず、これにて一件落着だ。俺はこいつをしょっ引いて里に戻る。事後処理の方は任せておけ」

「ああ、親父、任せた」

 頼もしい親父の後ろ姿を見守りながら――入れ替わりに、ひょい、と顔を出した人影。僕はそれを見つめて、苦笑いしながら歩み寄る。

「サラ、無事そうで何より――」

 話しかけた瞬間、ぱっと彼女は地を蹴った。言葉を遮るように、懐に滑り込まれ――ぎゅっと抱きしめられる――小さな、身体が震えていた。

「よかった……お兄ちゃんが、無事で、本当に……」

「それは、こっちの台詞だ」

 抱きつく少女の身体を少しだけ引き離す――外傷も着衣の乱れもない。無事を確認してから、もう一度、ぎゅっと抱きしめる――。

「よかった――無事に、助け出せて……」

「ありがとう……でも、お兄ちゃん、なんでこんなに無茶して……」

 サラの声は、震えていた。そっと抱擁を拒むように、胸に手が当てられる――。

「本当は、私が、守らないといけないのに――」

 聞いて、いられなかった。拒もうとする力を無視して、強く抱きしめる。

 言葉に詰まった彼女に、僕はそっと頭を撫でながら告げる。

「護衛だから、とか、そんなの関係ない――こうやって前線に出てきたのは、僕がそうしたかったから――僕の手で、サラを助けたかったから」

「どう、して……?」

 掠れた声に、僕は思わず黙り込む。そっと身体を離すと、今にも泣き出しそうな瞳が揺れていた。困惑と混乱――そんな合間で揺れるような、色合い。

 なだめるように、そっと彼女の頬を撫でる。そして、口を開いた。


「サラのことが――好き、だから」


 もう、迷わなかった。心から出た本音が、すんなりと口から出せる。

 恥ずかしい気持ちも――今は、押し殺す。ただ、見開かれたサラの目を見つめ返す。


「幼なじみとか、そういう気持ちもあるけど――それとは別に、好きだって気づいたんだ」


 きっと、その気持ちは昔からあった。

 だけど、気づかないふりをしていた。

 今の関係が、とても居心地が良かったから。

 幼なじみとしての、ふざけ合っている関係。

 その距離感で満足していた。このままでいいと思って。

 この関係が、壊れることを――心のどこかで、恐れていたんだと思う。

 だけど――。


「サラが、いなくなって初めて気づいたんだ――この気持ちに」


 その手の中には、サラがいてくれる――そのことが、たまらなく嬉しい。

 この手の中から、サラがいなくなる――そのことが、ひどく怖い。

 僕の傍で、サラが笑ってくれる――それだけで、胸が温かくなる。

 どこかで、サラが泣いてしまう――それだけで、胸が痛い。


 サラのことを、いつでも、考えてしまう。

 まるで、心の片隅に、彼女が居場所を作ってしまったようで。

 そのことに――ようやく、気づいたんだ。


「攫われて初めて気づくなんて――お兄ちゃん失格かな。僕は」


 苦笑い交じりに、僕はサラの頭を撫でると――揺れていた瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれる。感情があふれるように、ぼろぼろ、と。

 だけど、その表情は嬉しそうにくしゃりと歪んでいて――泣き笑いのよう。

 彼女は震える手で、僕の背に手を回し――ぐりぐりと、顔を押し付ける。

 そして――胸の中で、くぐもった声がした。


「ずるいよ、お兄ちゃん――ずるい、ずるいぃ……!」


 抱き締め返される。細い力に籠り、ぎゅっと抱きしめられ――弾かれたように声が上がった。


「私も、大好きっ――お兄ちゃんが、好きなのっ!」


 ぐりぐりと額が押し付けられる。そのまま、うううっ、と唸るような声。

 そっとその髪を梳き、頬を撫でて――顎にそっと手を添える。

 持ち上げると、真っ赤な顔で潤んだ瞳で見つめられた――熱い吐息と、揺れる犬耳。目が合った瞬間、彼女は睫毛を震わせ、目を閉じた。

 んっ、と顎を持ち上げ、唇を突き出す――まるで、何かをねだるように。

 分かり切っている。そっと僕はサラの頬に手を当て、顔を近づけ――そっと、唇を触れ合せた。ちょこん、と触れ合うだけ。

 それだけでも、どきどきしてしまう――顔を離すと、サラは熱っぽく吐息を漏らす。

「あつい、よ……お兄ちゃん……」

 とろけるような目つきで――熱に浮かされたようにつぶやくサラ。

 僕も、あつい。胸が、高鳴り過ぎて、どうにかなりそうだ。

 サラと、こんなことをするなんて――。

 そんな困惑以上より、嬉しくて――ぎゅっと、身体を抱き締め直す。

「さぁ、帰ろう。サラ……僕たちの家に」

「……うん、だけど、お兄ちゃん」

「うん?」

「もう少し、このままでも、いいかな……?」

「……ああ、気の済むまで」

 そうして、僕とサラは、深夜の廃工場で――気が済むまで、抱き締め合っていた。

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