第4話

 拓朗は帰り、アイリはおやすみと言って隣の部屋に帰っていき――。

 やっと静かになった部屋で、湯上りのサラはいつものように僕の膝に座ってきた。

「ね、お兄ちゃん、ドライヤーやってっ」

「全く――そろそろ、一人でやって欲しいけど」

「いいじゃん……今日は、全然、お兄ちゃんに甘えられなかったし……」

 拗ねたような口ぶりで、サラはぐいぐいと濡れた頭を胸板に押し付けてくる。その頭を軽く撫で、ドライヤーのスイッチを入れる。

 熱風をかけながら、髪を丁寧に梳いていく――心地よさげに耳を垂れさせる、その彼女の耳の後ろを時折撫でると、彼女は身を震わせる。

「ん――気持ちいい……ふうぅ……今日の疲れが取れるみたいだよ……」

「今日はよくはしゃいでいたからな」

「ひどいよ、お兄ちゃん、人を着せ替え人形みたいにして」

「悪かったって。でも――折角買ったし、たまには着てくれると嬉しい」

「う……善処します」

 少しだけ耳が熱を帯びているのは、ドライヤーのせいだけじゃないだろう。満遍なく湿り気を取り、尻尾にドライヤーを当てていく。

 もふもふと感触を楽しみつつ――ふと、サラの声が真剣味を帯びる。

「ねえ、お兄ちゃん――どう思う? 今回、少し泳いでみたけど」

「そうだな。少し判断は難しいが……」

 今回の買い物で、襲撃者は仕掛けてこなかった。もちろん、こちらのことを警戒してのことか、あるいは拓朗などの一般人を巻き込むことを避けてかもしれないが――。

「とにかく、相手も様子見、だろう。あきらめているとは考えにくいし」

「だね。判断材料が少なすぎるし、ひとまず受けに回り続けるしかない」

 異境狩りにしろ、アイリの襲撃者にしろ、襲いに来たところを撃退するしかない。そうして時間を稼ぎ、ハルト兄さんの報告を待つしかないのだ。

 ただ、と彼女は不安そうに眉をひそめ、声をひそめて言う。

「仮に、アイリが黒幕である可能性は?」

「ああ、兄さんもそれを懸念していたな」

 アイリの兄の行方不明が、自作自演。あるいは、虚偽であり、それを口実に僕や兄さんの元に忍び寄り、寝首を掻こうとしている可能性――。

 それを重々加味しながら、僕は振る。

「だが、考えづらい。すぐに、事実が発覚する内容である上に、事態が大掛かり過ぎる。それに――サラも、接していて、分かっただろう?」

「……うん、アイリは絶対にそんな悪い子じゃない……感じたよ」

 サラは小声で告げる。少しだけ、消沈しているような声に、横から顔を覗き込む。

「どうした? サラ」

「ううん――私、意地が悪いな、って少し自己嫌悪しちゃって。悪い子じゃないって知っているのに、お兄ちゃんに疑うように仕向けて……」

「護衛として懸念事項をはっきりさせるのは重要だろう?」

「だけど……やっぱり、ちょっとだけアイリに嫉妬している、かな」

 寂しそうな一言と共に少しだけ顔を背ける。サラがそんな態度を取るのは、珍しい。ドライヤーと共に、尻尾を梳いていると、彼女はぽつぽつと続ける。

「アイリって……可愛いし、礼儀正しいし、料理もできるし、お洒落で……女の子っぽいから……やっぱり、お兄ちゃんもそっちの子の方が――」

 全部、言わせなかった。ドライヤーを切ると、彼女の小さな身体を後ろからしっかり抱きしめる。昔みたいに――だけど、昔より大切に。

「――え?」

 固まってしまった少女の耳元で、僕はそっと告げる。

「僕は、一緒にいてくれる人が――サラじゃないと、いやだよ」

「え――それ、って、どういう……?」

 掠れた声。思わず、僕の頬が熱くなるのを感じる。照れ隠しに、わしゃわしゃと乾かしたばかりの頭を撫でた。

「わっ、ちょっ、お兄ちゃんっ!?」

「ほら、乾かし終わったぞ。とっとと寝る支度しろ」

 膝の上からサラを強引にどかすと、彼女はよろめきながらベッドに倒れる。むすっと頬を膨らませながら、両手を振り上げた。

「お兄ちゃんの乱暴者――っ!」

「はいはい、僕はシャワー浴びて来るから」

 僕はひらひら手を振りながら、浴室に行く――顔が、熱い。


 冷たい水で、頭を冷やしたい気分だった。


 翌朝――隣のアイリの部屋。


「ん――ふわぁ……」

 アイリは目を覚ますと、ぐっと伸びをした。寝ぼけ眼で、ふらふらと洗面台に行き、水で顔を洗って意識をはっきりさせる。

 そのまま、窓を開けると、新鮮な空気を吸い込み、深呼吸――。

 朝の涼しい風に目を細めながら、時計に視線をやれば――大分、時間が経っている。

「いけない、もうリントたち、朝食作っちゃったかな……」

 急いで、着替えを始める。新しい服を選び、顔を綻ばせる。

「リントとサラと一緒に買った服――ふふ、サラは新しい服を着てくれるでしょうか?」

 そんなことを思いながら、新しいブラウスに袖を通す――。


 不意に、何かが背筋に走った。微かな、感覚――。


「まさか……異境の力?」

 異境の人間は、異境の力を使ったのを感じ取れる。だが、これはさりげない気配だった。二人は感じ取れただろうか?

「とにかく、急がないと――」

 アイリは支度もそこそこに早く二人と合流しようと、扉に手を掛けた。

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