第5話 起動

 この時代、廃止された刑罰に死刑があった。おそらく人類社会が誕生した時から存在していた刑罰が廃止されたのは、人道的な理由よりも人間としての尊厳を奪う全身拘束刑が導入されたことが大きい。全身拘束刑はそれほど忌諱される刑罰だった。


 全身拘束刑とは人間的な外観を奪われ、人間としての思考をも奪われ。機械すなわち人類に奉仕するだけの存在になることであった。執行されると機械生命体として加工され、ロボットにしかみえない姿になるわけだ。もっとも、自分で望んでサイボーグ化という名の改造を受ける者も存在するし、完治不可能な疾病や重傷を受けた者も同様な改造を受ける事もある。


 それに対する政府の公式見解は、死刑は死を以って罪を償うものであったが、なんらかの事情で自殺するものも存在したし、また尊厳死という名の安楽死を選ぶものもいる。だから、自ら望まぬ機械化を施されることは死刑もしくは終身刑に代わる厳罰である。というものであった。


 だから愛莉は柴田技師長によって機械化措置を受けガイノイドとされた。ガイノイドとは通常女性型アンドロイドの意味であり、素材から製造された機械のことであるが、人間由来の素材で作られた機械という扱いだった。だから愛莉は人間ではなく、人類に奉仕する機械生命体アイリに生まれ変わった。全身拘束刑とは存在はしているかもしれないが、人間でなくなることであった。アイリは軍事用女性型ガイノイドの外観をしていた。


 アイリがガイノイドとして目覚めたのは、全身拘束刑の執行から一週間後だった。意識がない間にボディは徹底的にチェックされ、一般的なAI搭載型ガイノイドと同じようにリースに出しても問題がない事が確認された。あとは、実際に稼働させる最終チェックだった。


 この時代、アンドロイドやガイノイドなどの機械生命体は政府機関がほぼすべてを所有しリースする形態だった。それは人間並みもしくはそれ以上の能力がある機体を民間所有にしておく危険性を防ぐもので、厳しく管理されていた。そういった機械生命体の中に刑罰によって改造された者もいたわけだ。だからリース先の中には「元人間」が「素材」になっているとは知らない場合すらあった。


 「それでは、起動チャック! 読み上げて!」柴田技師長の表情はどこか暗かった。その顔には何か苦汁に満ちていた。普段だったら、自分の手でロボットに改造した罪人を喜々として対応しているというのにである。



 「おはようございます。私はヤマムラ・アイリ。製造番号102-66-0075です。製造方法は機密です。タイプは特殊合成樹脂および人造生体組織と超複合材によるメタリック・ガイノイドです。用途は多目的、現在は未設定です」


 初期設定のデータがアイリの人工音声によって開示された。表向きは人間を材料にしたガイノイドと分からないようになっていった。それはアイリも同じだった。この時のアイリの電脳に刻まれていた愛莉のパーソナルデータはインストールされた「記録」と自分で認知していた。最初から「ガイノイド」として製造されたと思い込まされた状態だった。それは統括するソフトによるものだった。人間の性格をベースにした方が。より人間らしい反応が出来るという設計思考とされていた。


 実際、元人間だと明らかにする場合は「サイバノイド・サイボーグ」などと区別されるが、アイリは「ガイノイド」、工業製品扱いでしかなかった。悪い表現でいえば「人間の身体をリサイクルして製造したロボット」というわけだ。だから、アイリはこのまま邪魔が入らなければ、そのまま十年間はガイノイドとして稼働するはずだった。愛莉という人間など存在しないし。


 「それでは、アイリ。身体を動かして見なさい! いい?」


 「はい、かしこまりました! マスター!」


 そのとき、アイリは記録バンクの中で自分が愛莉という人間で製造された存在だと分かっていたが、それはデータとしか認識しなかった。今の電脳化されたアイリには自由な自我など存在しなかった。それが全身拘束刑の本質だった。人間ではないのだアイリは! 後は順調にガイノイドとして稼働すればいいわけだ。


 アイリは仮マスターに登録されている柴田技師長の指示で起き上がり始めた。全身はメタリックなダークブルーをした武骨な外骨格に覆われ、関節部にはパットがありロボットそのものだった。またボディラインは女性らしい流線型を描いていたが、背中や腰にはオプションパーツを装着するユニットの凸凹があった。そして顔面は唇と鼻筋は人間らしい輪郭のフェイスガードをしていたが、目の部分はバイザーが装着され、表情などなかった。機械そのものであった。これが、人間の少女を素材にしたガイノイドなどと思う者は誰もいないはずだ。


 「マスター! 稼働に問題ありません。人造生体組織に少し拒絶反応がありますが、構成物質の投与で対処できます。機体内部の平均温度は36度01です。また人造濾過装置の稼働率に若干問題があります。電脳内のジャンクデータに多少の動揺がありますが、対処可能です」


 アイリがいったジャンクデータとは愛莉だったときの自我の事だ。電脳化によって多少のロスはあるが脳細胞に記憶されていた情報は電子素子内のデータに置き換えられていた。だから自我の再現は可能であるが、そんなことは実行不可能な措置を受けていた。自我を奪う事も全身拘束刑だから! アイリはただのガイノイドだから!


 「それはよろしい! アイリ! 自分はどんな存在なのか言いなさい!」


 柴田技師長は少しつまらなそうな表情をしていた。いつもなら殺人を犯したような女に全身拘束刑を施して、ただ指令に従ってしか稼働できない存在にして、社会正義を実現できたという満足感でいっぱいだというのにである。重罪人が機械になることで罪を償う手助けができると喜んでいるのに!


 「はい、私はヤマムラ・アイリ。製造番号102-66-0075です。罪を償う為に素材になった罪人から誕生したガイノイドです。大多数の人類の社会福祉の為に奉仕する忠実な機械です。はやく用途を決定してください!」


 「罪を償う、というのは今後一切第三者にしゃべらないことね。あなたは機械なんだから。その記憶は人格形成用のものなんだからね。変な事は言わないでね」



 「はい! かしこまりました!」


 そのとき、アイリは本当にただの機械でしかなかった。電脳化された愛莉の大脳皮質は高性能AIと同様な動きしか出来なかった。また身体はロボットでしかなかった。万が一、解体されることがあれば、機密保持の為に人間だったと分かる内臓は一瞬にして溶解する一種の自爆装置まで備えられていた。


 しかし、そのときだった。柴田技師長の元にメールが入って来た。その内容に彼女は驚いて、急いでスタッフに録画を止めるように指示した。そして起動試験を終了したと宣言した後で、別の作業をはじめた。一時的にアイリを起動停止状態にした後で、頭部になにやら器具を取り付けた。それは、アイリの電脳とリンクしているデータ送信システムの機能を麻痺させる措置だった。そして、アイリを再稼働させた。


 「マスター、稼働試験は中断しております。続きをお願いします。リース先が決定しておりますから、クライアントにクレームが入りますよ」


 アイリの人工音声は少し抑揚があり、人間らしい雰囲気はあったが、それも電子音でしかなかった。携帯電話の音声みたいな感じであった。でも、本当は感情などなかった。プログラムがそう言わせているだけだから。そんなアイリに柴田は思わぬことを言い始めた。


 「はい! そうですね! でもね、ここにいる男がね、あんたに用があるっていうのよね! だから、ちょっとした作業をするそうよ! よかったわね、あんたは完全なガイノイドじゃなくなるのよ! わたしには不満でしかないけどさ!」


 不機嫌な柴田技師長の後ろに、一人の中年の男が近寄って来た。この場にいるのが似つかわしくないふざけた姿をしていた。その男が機械だったアイリに用があるという。

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