第56話 勝利の宴

 宴の日に、小春は北門へと向かった。

 すでに大勢の人々が集まっていた。卓上にはいろいろな料理や酒が並び、さらに大府の中から料理を積んだ荷車がやって来る。

 小春の姿を見つけると、人々の間から歓声が上がった。

 その声に驚きながらも、小春は人の輪の中に入っていった。

「みんな聞いてくれ。我々は鬼の魔の手から逃れることができた。全てはこの小春殿のおかげだ」

 歓声の鳴り止まない中、桜雪が大きな声で叫んだ。

 桜雪の声に、さらに大きな歓声が上がる。

「今日は、鬼を退治したお祝いにささやかながら宴を用意した。皆、思う存分楽しんでくれ」

 こうして、宴は始まった。

「月影殿はまだ来ないのですか?」

 桜雪が、小春に尋ねた。

「その、兄者はこういうのが苦手で、少し前に仙蛇の谷へと戻ったんだ」

 小春が、きまりが悪そうに告げた。

 桜雪は少し驚いた顔をしたが

「そうですか・・・この場で御礼を言いたかったのだが、残念です」

 と言った。

「すまない。無理にでも止めればよかったかな?」

「いや、小春殿が気にすることはない。月影殿の分まで楽しんで下さい」

 たくさんの人々が小春に感謝の言葉を投げかけた。小春が妖怪であることは誰も気にしていなかった。

 今まで、人間たちからこれほど感謝されたことはなかった。その状況を小春は、なぜか不思議に感じた。

 人間とはおかしな生き物である。仲間だと認め合うことで、団結して封術のように信じられないほどの力を出すことがある。

 しかし、その団結が崩れたとき、自ら滅びを選ぶのも人間である。

 妖怪は、お互いに争うことはほとんどない。その代わりに、団結して大きな力を得るようなこともない。

 これだけ人々に感謝されても、小春には、そんな人間たちの輪にあえて加わろうという気持ちは起きなかった。

 その気になれば、白魂や森神村で暮らすこともできるかもしれない。

 しかし、村の中で暮らすようになっても、自分は人間とは距離を置くことになるだろうと小春は思った。

 料理を運ぶのに大忙しだった晶紀が、ようやく一段落ついたのか、小春の下へとやって来た。

「小春様、料理のほうはいかがですか?」

 晶紀が小春に尋ねた。

「うん、おいしいよ」

「よかった。私が作った料理もありますのよ」

「これだけの料理を作るなんて、大変じゃなかったのか?」

「たくさんのお店が手伝って下さったのです。おかげでいろんな料理が用意できましたわ」

「でも、交渉するのも大変だったろう」

「そんなことありません。みなさん、快く引き受けて下さいました」

「晶紀さんの人徳のおかげかな?」

「そんな、小春様のためにと声を掛けただけです。誰もが小春様に感謝しているのです」

 晶紀が話をしている最中に、正宗が突然現れた。

「小春さん、お酒は召し上がりますか?」

 手にはお酒の入った木製の器を携えていた。

「ああ、いただくよ」

 小春は、正宗から器を受け取った。

「大府では、酒を飲む器は木製と決まっているのだそうですよ」

 晶紀の言葉に

「酔っ払って落としても割れないからですよ」

 と正宗が言い足した。

 小春は、酒に口をつけた。酸味があり、独特の渋みも感じられる。

「ぶどうから作られたお酒です」

 正宗が小春に説明した。

「初めて飲んだよ。おいしいな」

 小春は、米から作られるにごり酒しか今まで飲んだことがなかった。初めて飲んだその味に

「もう少し飲んでみたいな」

 と正宗に頼んだ。

「あちらに樽がありますから、そこで試飲しましょう。他にもいろんな種類のお酒がありますよ。晶紀さんもいかがですか?」

 正宗の誘いに、小春も晶紀も酒のある場所まで移動することにした。

 そこには、たくさんの樽が並んでいた。全て違う酒なのだろうかと小春は思った。

「さあ、今日は飲み明かしましょう」

 正宗が嬉しそうに叫んだ。


 宴は途切れることなく続いていた。

 楽しそうに歓談する集団や、歌って踊り回る人たち、すっかり酔いつぶれて座り込む者もいた。

 三玉や伊之助、そして佐助の姿もあった。伊之助は両腕を骨折したため副木で固定され、妻に料理を食べさせてもらっていた。佐助以外は、小春に初めて会い

「こんなに可愛らしい方が鬼を退治してしまうとは驚いたな」

 と目を丸くした。

「晶紀さんから聞いたよ。おかげで助かった。ありがとう」

 小春の言葉を聞いて、三玉は笑いながら

「いや、晶紀殿の必死の訴えがなかったら、我々も動かなかった。全ては晶紀殿のおかげです」

 と言った。

 紫音の姿もあった。まだ完治しているわけではないが、外を出歩けるまでには回復したようだ。

「俺の右腕の敵を討ってくれたようだな。感謝するよ」

 小春にそう言って、紫音は笑ってみせた。

 そんな中、晶紀はいろいろな酒を試飲しているうちに酔いが回ったようである。

「小春様、本当に今日は楽しいですねえ」

 晶紀の目の焦点が定まっていないように見えた。

「晶紀さん、大丈夫か?」

 小春の問いかけに

「なにがですか?」

 と晶紀は聞き返した。

「結構、飲んだみたいですね。大丈夫かな?」

 正宗も心配になった。

「今日は小春様のために料理を作ったのですよ。もっと食べていただかなくちゃ」

「いや、もう十分いただいたよ。ありがとう」

「では、お酒はいかがですか?」

「お酒も、もういいかな」

「今日は小春様にも楽しんでいただかなくちゃ」

 晶紀が、ふらふらと卓上に残った料理のほうへと歩いていった。

「晶紀さん、危ない」

 つまづいて転びそうになった晶紀を小春が慌てて片腕で支えた。

「小春様・・・」

 晶紀は、小春の顔をじっと眺める。

 突然、晶紀が涙を流し始めた。

「小春様、どうか遠くへ行かないで下さい。ずっと、ここにいて下さい。お願い・・・」

 晶紀はそう言って、小春にしがみついてきた。

「晶紀さん、どうしたんだ?」

 急に泣き始めた晶紀を見て小春は戸惑った。

「晶紀さん、泣き上戸なのかな?」

 正宗は、晶紀の姿を見てつぶやいた。

 その様子に気がついて桜雪がやって来た。

「晶紀殿はどうしたんだ?」

 桜雪が正宗に尋ねる。

「少し飲みすぎたようで」

 正宗の返答を聞いて

「少し、休ませたほうがいいだろう。朝からずっと準備で忙しかったはずだ」

 と、小春と晶紀のいる場所へと向かった。

「晶紀さん、少し休んだほうがいい。仮眠のための寝床があるから、そこまで行こう」

 桜雪が晶紀の顔を覗き込みながら話しかけたが

「いやです。小春様が消えていなくなるなんて、私、耐えられません」

 と晶紀は小春から離れようとしなかった。

「私はここにいるから。じゃあ、いっしょに寝床まで行こう」

 小春は、晶紀を抱えたまま桜雪といっしょに歩き始めた。


 仮眠場所には、すでに何人かが眠っていた。疲れて眠っている者も中にはいたが、大半は酒に酔いつぶれた者ばかりだ。

 そのひとつに晶紀を寝かせた。晶紀は、泣き疲れて眠ってしまったようだ。

「いや、まいったな」

 桜雪が頭を掻きながらつぶやいた。

「調子よく飲んでいたから大丈夫だと思っていたんだが。途中で止めればよかったな」

 小春は晶紀の顔を見ながら、そう口にした。

 桜雪が、小春のほうを向いて尋ねた。

「さっき、晶紀殿が気になることを言っていたが、消えていなくなるとはどういうことですか?」

 小春は、桜雪に本当のことを言うべきか迷ったが、今は隠しておくことにした。

「いや、大府には入ることができないからな。いつか、ここを去るときが来るということさ」

「それなら、拙者は結界を解く許可が得られるまで年寄衆に訴えるつもりです。いつか、大府に妖怪が入ることができるようにしたい」

「妖怪の中には、人間に敵対している者もいる。それに悪い奴も」

「人間だって同じです。現に、大府は妖怪に敵対しているようなものでしょう」

 そう言った後、桜雪はしばらく下を向いていたが、再び小春の顔を見て話を続けた。

「実は、青鬼に襲われた時にある妖怪に助けられましてな。以前、命を助けた妖怪だったが、その恩返しのつもりだったのでしょう。しかし、その妖怪は命を落としてしまった。それが悔やまれて仕方がないのです」

「だから、結界を解こうと?」

「大府は妖怪の手で救われた。その大府が妖怪と敵対しているなんておかしいですからね」

「妖怪が人間を救う、か・・・」

 小春には、それがなんだか滑稽に感じた。

「小春様・・・行かないで」

 晶紀の寝言に、小春も桜雪も晶紀の顔をじっと見つめた。

 また、晶紀の目から涙が落ちる。

「晶紀殿は、よほど小春殿に去ってほしくないと見える」

 桜雪は微笑みながら晶紀の顔を見ていたが、視線を小春のほうへ向けて

「拙者も同じ気持ちです」

 と真剣な顔で訴えるように言った。


 宴はそのまま夜まで続き、そして夜が明けた。

 小春もかなり疲れたらしく、木に寄りかかって座ったまま眠っていた。

 目が覚めた頃には、ほとんどの物が片付けられていた。

「いつの間にか、眠っていたようだな」

 そう言って、小春は立ち上がった。

 晶紀が、頭を抱えながらふらふらと歩いているのが見えた。

「晶紀さん、無理しないで休んでいなさい」

 晶紀が勤めている店の主人だろうか。晶紀に声を掛けた。

「いえ、皆さんが働いているのに休むわけにはいきませんわ」

 無理に笑みを浮かべて晶紀は応えた。

「しかし、もうほとんど片付いたから、あとは我々だけでできるよ」

「晶紀殿、そんな状態では怪我をするぞ。あとは他の者に任せておきなさい」

 桜雪も近づいてきて晶紀に注意した。

「わかりました。それでは、少し休ませてもらいます」

 そう言って近づいてきた晶紀に小春は

「晶紀さん、大丈夫か?」

 と尋ねた。

「大丈夫です」

 と晶紀は答えたが、どう見ても大丈夫なようには見えない。

「ちょっと飲みすぎたようだな」

 腰に手を当てて、小春はニヤリと笑った。

「楽しかったもので、つい」

 晶紀は、下を向いたままつぶやくように言った。

 周囲を見ると、ほとんどの者は大府の中へと帰っていったようだ。

 あとは片付けをしている者が残っているだけのように見えた。

「久しぶりに楽しめた気がするな」

 小春はそう言うと、腕を上げて思い切り伸びをした。

「英雄殿に楽しんでいただけて、私達も頑張った甲斐があります」

 晶紀に話しかけていた店の主人らしき男性が笑みを浮かべて話しかけてきた。

 恰幅のいい、料理をするよりは兵士のほうが向いているような体格だが、非常に穏やかな顔つきだ。

「英雄だなんて、よしてくれ」

「いや、大府では未来永劫、英雄として語り継がれることでしょう」

「忘れずにいてもらえるのなら、それは嬉しいな」

 小春がそう口にすると、晶紀の顔が少し曇った。

「小春殿、話があるのだが」

 桜雪が小春に声を掛けた。

「なんだい?」

「あの仮眠場所だが、そのまま残しておくことにしたんだ。小春殿がよければ、あの場所を使ってもらおうと思ってな」

 仮眠場所は、立派な天幕で覆われ、一人で寝泊まりするのには十分な広さがあった。

「本当かい? それなら使わせてもらおうかな。ありがとう」

「本来なら、大府の中にある宿に泊まってもらいたいところだが、すまない」

「気にしてないよ。でも、いつか、結界がいらなくなるといいな」

「それまで、ここにいてくれると嬉しいよ」

 桜雪のその言葉に、小春は笑みを浮かべるだけだった。


「私も手伝いますわ」

 小春が荷物を取りに行こうとすると、晶紀もそう言って付いてきた。

「休憩していたほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫です。まだまだ平気です」

 二人は、山の麓に向かって堀伝いの道を歩いていった。

「もう、すっかり葉が赤く色づきましたね」

「これから、寒くなってくるんだろうな」

「不思議ですね。季節が巡る度に暑くなったり、寒くなったり。変わることなく続いているなんて」

 晶紀の言葉を聞いて、小春も初めて気付いた。季節は、遠い昔から変わることなく巡ってきた。

「そうだな。木々はどうやって、季節が変わることを知るんだろうな」

「誰かに教えてもらえるわけでもないのに、不思議ですね」

 小春が空を見上げて

「そう言えば、このあたりは雪が降るのかな?」

 と何気なく口にした。

「どうでしょうか。白魂では雪が積もると大変でしたね」

「私は雪で遊べたから楽しかったけどな」

「そうですか。私は雪は苦手でした。寒くなる時期もあまり好きではありませんでしたわ。寒くなる前の、今の時期が一番好きです」

「私は寒い時期も好きだったよ。でも、一番好きなのは、寒い時期が終わって暖かくなる季節かな。桜が咲くと、華やかになるしな」

「桜ですか。このあたりにも桜の木はあるんでしょうか?」

 晶紀は、森のほうを眺めた。

「道沿いの木は桜じゃないのかな」

 小春も森を見ながら答えた。

「このあたりが桜の花でいっぱいになるのですね。素敵でしょうね」

 晶紀は、小春のほうを向いて

「小春様、いっしょに桜の花を見ましょう」

 と話を続けた。

 何も言わない小春に、晶紀はなおも食い下がった。

「約束して下さい、小春様。私といっしょに桜の花を見ると」

「晶紀さん・・・」

 小春は、道沿いに満開の桜が並ぶ様を思い浮かべた。

 薄桃色の花びらが雪のように舞う中を歩く自分の姿を考えてみた。

 しかし、その姿は自分ではなかった。見知らぬ女性の姿だった。

 長い黒髪に銀色の瞳が印象的な一人の女性が桜の木の下を歩いている。

 小春はその女性に会ったことはない。しかし、それが誰なのか分かった。

「不思議なものだな」

「えっ?」

 小春の言葉に、晶紀は戸惑った。

「すまない、晶紀さん。私は、桜の花を見ることはないだろう」

 小春の決心が固いことを晶紀は悟った。それでも、諦めることができない。

「それなら、私もお供するまでです」

「馬鹿なことを言うな」

 小春が立ち止まり、晶紀のほうを向いて叫んだ。

「たとえ私がこのまま生き続けても、いつか別れの日は来るんだぞ」

「妖怪に比べれば、人の一生なんて短いものでしょ? 私が死んでからでもいいではありませんか」

「私だって、晶紀さんが老いていく姿を見たくはないんだ」

「なら、せめて・・・」

 晶紀の目から涙がこぼれる。

「せめて、桜の花が咲く時まで・・・」

 晶紀はそう言うと下を向いてしまった。

 その姿をしばらくは眺めていた小春であったが

「晶紀さん、今からあの刀のあるところまで行こう」

 と言って、また歩き出した。

 晶紀は、その後ろを黙って付いていくことしかできなかった。


 二人は、山を登った。晶紀は、まだ下を向いたままだ。

 刀は、山の頂に残したままであった。それは淡い光に包まれていた。

「この刀は生きていて、喜んでいる」

 小春が晶紀にそう言った。

 小春が刀に触れようとすると、弾き返された。

「誰にも触れられたくないわけだ」

 小春が刀の前に座る。

「ここで私が真の名前を告げれば、私は消え去り、刀は人間の姿に戻る」

 晶紀のほうを向いて

「やるのはすごく簡単なことだ」

 と言った。

「小春様はそれでもいいのですか?」

「不思議なものでな、この世に未練など全くないんだ。これも、定めなのかな」

「そんな・・・」

 晶紀は絶句してしまった。

「今はただ、この人を早く元の姿に戻してあげたいと思うばかりだ」

 刀のほうに視線を落とし、小春はそう言った後、今度は晶紀の顔を見つめて

「でも、晶紀さんが私のことを放してくれないから、なかなかできずにいるんだ」

 と言葉を投げかけた。

「晶紀さんが笑顔で私のことを送ってくれないと、私はいつまでも旅立つことができない」

 小春はまた刀のほうを見た。

「この人を元に戻すこともできない」

 無言の時間が流れた。冷たい風が落ち葉を運び、二人の足元を通り過ぎていった。

「私は、消え去るわけではない。違う世界へ旅立つんだ」

「でも、それは夢だったのかも知れません」

「私は信じるよ、死後の世界を。だから、いつの日かきっと晶紀さんにも会える」

 その言葉を聞いても、晶紀は下を向いたままだった。

「晶紀さんが、私を見送ることができるようになるまで、待つことにするよ」

 小春は、晶紀に約束した。

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