第44話 悪霊の巣

 小春と晶紀が逃げようと走り去るのに、なぜか怪物は追ってこなかった。

 相手の姿が見えなくなったところで二人は立ち止まる。

「いったい、どこではぐれたんだろうか」

 小春が疑問を投げかけても、晶紀には答えようがない。

「とにかく、この手を離さないようにしましょう」

 晶紀の言葉に小春はうなずいた。

 しばらくは何事もなく進むことができた。不気味な声もしなければ、あの化け物が現れる気配もない。

「もう、あきらめたのでしょうか?」

「それならいいんだけど」

 そう話していた時、遠くから泣き声が聞こえてきた。どうやら子供らしい。

「こんなところに子供が?」

「化け物かも知れない。用心したほうがいいよ」

 泣き声はだんだん近づいてくる。やがて霧の中に灰色の小さな人影が一つ、浮かび上がっているのを晶紀が見つけた。

「あそこに人がいますよ」

「人かどうか分からないよ。気をつけて」

 小春はそう言いながらも、その人影に近づいていった。

 見た目は小さな子供だった。白い着物を着て、立ったまま泣いている。顔は下を向いていて見えない。

「こんなところで、どうしたんだい?」

 小春が子供に尋ねた。すると子供はびっくりして顔を上げた。どうやら、二人が近づいていたことに気づかなかったらしい。

「お姉さんたち、誰? こんなところで何してるの?」

 逆に子供に質問された。どうやら男の子のようだ。晶紀がそれに答える。

「私達はこの場所から出ようとしているんだけど、途中で化け物に襲われたの」

「あの化け物は悪い奴だよ。あいつのせいで、僕はここに閉じ込められているんだ」

「まあ、かわいそう・・・」

 晶紀は、小春の方を向いて

「小春様、この子も一緒に連れていきませんか」

 と言った。

「ちょっと待った。お前、今までこんな所に一人でいたのか?」

 小春は、男の子が一人でいることに疑いの目を向けているようだ。

「そうだよ。ここに閉じ込められてから、もう何回季節が巡ったか覚えていないや」

「いったい、どうやって生活してたんだ?」

「毎日、夜になると、こうして泣いていることしかできないんだ。僕、早く成仏したいのに」

「成仏?」

 晶紀が聞き返した。

「僕は遠い昔に病気で死んじゃったんだ。でも、お父やお母が悲しむから、成仏できなくて彷徨っていたら、ここに引き寄せられてしまったんだ。もう、お父もお母も死んで成仏しているのに、僕だけここに一人残されて、寂しくて泣いているんだよ」

 小春と晶紀は顔を見合わせた。

「つまり、あなたは幽霊?」

「うん」

 なんとも幽霊らしからぬその風貌に、小春と晶紀は思わず吹き出してしまった。

「僕、なんかおかしいこと言った?」

「いや、そういうわけじゃない。私は小春、こちらは晶紀さんだ。名前はなんて言うんだい?」

「弥太郎」

「私達はここから脱出するつもりだ。一緒について来るかい?」

 弥太郎という名の亡霊は大きくうなずいた。


「方向はこちらで合っていると思うんだけど」

 小春が歩きながら晶紀に話し掛けた。

 小春は晶紀と手をつなぎ、弥太郎は晶紀の袖をつかんでいた。幽霊が人間と手をつなぐことはできないようだが、なぜか袖は握ることができるらしい。

「合っているよ。でも、あいつが待ち構えていると思う」

 弥太郎が、晶紀の代わりに小春に答えた。

「あの化け物は、何者なんだ?」

「僕もよく知らないけど、悪い霊がたくさん集まってできたみたい」

「悪霊の寄せ集めみたいなものか」

 小春は今まで人間や妖怪を相手にしたことはあるが、幽霊と闘ったことはない。相手を刀で斬ることができるのか、今まで闘った相手は斬っても手応えがなかっただけに、小春は少し不安だった。

 進むうちに、だんだんと灰色の霧が立ち込めてきた。ヒソヒソと誰かが話す声が至るところから聞こえる。

「また、声が聞こえてきました。いったい、誰かしら?」

 晶紀の問いに弥太郎が答える。

「ここには僕と同じ幽霊がたくさんいるよ。お姉さんたちを見て何か話しているみたい」

「弥太郎くんには見えるの?」

「うん。道の両側に並んで僕たちを見てる」

 そう聞いて、晶紀は慌ててあたりを見回した。

「何も見えないわ」

「この人達は悪いことはしないから心配ないよ」

 弥太郎は最初そう言ったが、やがて話し声が笑い声に変わり、叫び声まで聞こえてくると

「悪い奴らも集まりだしたよ。気を付けた方がいい」

 と言い直した。

 そのうち、小春や晶紀にも道の両脇にぼんやりと浮かぶ白い霊の姿が見えてきた。それはだんだんと人の形になり、顔もはっきりと分かるようになった。血まみれの顔の男、青白く痩せこけた女、中には顔が潰れて男か女か区別できない幽霊もいる。

 ゆらゆらと小春たちに近づく者まで現れ始めた。それらは弥太郎に手を伸ばしてくる。どうやら、弥太郎を捕まえようとしているらしい。

「いやだ、あっちに行け」

 弥太郎が晶紀の背中に隠れる。小春は大刀を片手に持ち、近づいてくる幽霊たちに容赦なく斬りつけた。しかし、煙のように消え去るだけで、すぐにまた現れる。

 それでも小春は幽霊を追い払おうと刀を振り回した。斬ることは無理でも、幽霊たちは弥太郎を捕まえることができないようなので、ある程度の効果はあるらしい。

 そのうち、幽霊の一人がつぶやいた。

「それは、もしかして鬼の剣・・・」

 幽霊たちの標的が弥太郎から小春へと変わった。

「憎らしや・・・恨めしや・・・」

「壊せ・・・破壊しろ・・・」

 憎しみの言葉を吐きながら小春に挑みかかるが、刀で斬り裂かれ霧散してしまう。それでも攻撃を止めようとしない幽霊たちに、小春もうんざりして

「走れ。逃げるぞ」

 と晶紀たちに向かって叫んだ。

 小春は走りながら、近づく幽霊たちを次々と倒していく。

「弥太郎くん、付いてこれる?」

 晶紀が弥太郎に尋ねた。

「僕は幽霊だから、大丈夫だよ」

 幽霊には足がないと言うが、弥太郎には足がちゃんと付いていた。しかし、足を使って走るのではなく、飛んで移動するようだ。だから、小春たちに苦もなくついていくことができた。

「もう少しで洞窟の入り口にたどり着くはずだ」

 小春が言う通り、迷宮へ続く洞窟への入り口は目と鼻の先にあった。洞窟に入ってしまえば、幽霊たちは追ってこないだろうというのが小春の予想だ。

 その予想は正しいのだろう。容易には脱出させてくれないらしい。突然、前方から冷気が吹き付けてきた。目の前に黒い影が現れ、小春たちは立ち止まった。

 影の中から出てきたのは、あの寄せ集めの化け物だ。この化け物を倒さなければ、ここから脱出することはできない。そう悟った小春は、闘う覚悟を決めた。


 巨大な化け物を前に、小春は大刀を中段に構えた。化け物の方は、小春の姿を骸骨の獣の頭がじっと見ているらしい。しかし、目に当たる部分は穴が開いているだけで、本当に見ているのかどうかは分からない。

 化け物は、そのまま動く気配がない。両者睨み合ったまま、長い時間が過ぎていく。その間、晶紀と弥太郎だけでなく、さっきまで執拗に小春に近づいてきた幽霊たちも、動きを止めていた。

「貴様、鬼の剣の所有者か」

 化け物が喋った。地獄の底から響いてくるような重く不快な声だ。

「殺せ・・・」

「八つ裂きにしろ・・・」

 周囲からも不気味な声が聞こえてくる。小春の持つ大刀によほどの恨みがあるようだ。

「どうしてこんなにも小春様を目の敵に?」

 晶紀が小さな声で弥太郎に尋ねた。

「僕もよく知らないけど、奴らは昔、刀に变化し損ねたみたいだよ」

「つまり、刀へと生まれ変わったのを妬んでいるのね」

 悪霊の正体、それは過去に鉄斎の力で刀へと変化しようとし、失敗した者たちだった。そのうち、弥太郎のような他の霊までおびき寄せられ、数多くの亡霊が住み着くようになったらしい。

「あきらめろ、貴様ごときに我は倒せぬ」

 化け物はそう言って、長い触手を振り回した。

「やってみなけりゃ分からないだろ」

 小春も一歩も退かない。また、両者の睨み合いがしばらく続いた。

「そっちが来ないなら、こちらから行くぞ」

 小春は、一歩踏み出す。すると、それに合わせて化け物は一歩退いた。どうやら、小春とは間合いを取るつもりのようだ。長い触手で攻撃できる分、相手にとってはその方が有利である。

 それを悟った小春が一気に間合いを詰めようとした時、目の前に刃が飛んできた。ついに相手が触手で攻撃を仕掛けてきたのだ。小春は、その刃を大刀でなんとか受け止めた。

 しかし、受け止めた瞬間、小春の体は後ろに吹き飛ばされた。地面に倒れた小春の下に、晶紀と弥太郎が慌てて近づいてきた。

「大丈夫ですか、小春様」

「なんかよく分からんが、あの刃に触れた瞬間にふっとばされたようだ」

 化け物の放った一撃には、今まで積もり積もった怨念がこもっていた。その念をまともに受けては、さすがの小春も耐えられない。

 相手が次の手を繰り出してきた。横薙ぎに小春の首を狙った一撃だ。

「伏せろ!」

 小春が叫びながら姿勢を低くする。晶紀と弥太郎も慌てて頭を引っ込めた。

 唸りを上げて刃が頭上をかすめていく。間髪入れずに次の攻撃が放たれた。

「晶紀さん、私から離れるんだ」

 そう言いながら、小春は化け物の方へ駆け出した。その小春めがけて刃が走る。このままでは小春は刃に裂かれてしまう。

 しかし、刃は空を切った。小春は刃が届く直前に、突然走るスピードを速めたのだ。刃は、小春の背後を通過していく。

「やあ!」

 気合とともに、小春が触手へ刀を振り下ろした。刃は見事に触手を切り離す。霧のごとく手応えのない亡霊たちとは違い、化け物の方は実体があり、刀で斬ることができるようだ。

 間髪入れず、小春の頭上からもう一方の刃が襲いかかる。小春はその気配を察知して、それを受け止めようと刀を持ち上げた。

 刃同士がぶつかり、その衝撃で地面に溜まっていた灰色の霧が周囲に撒き散らされる。念の力は凄まじく、小春は片膝をついた。

 小春は、その一撃を受け止めるだけで精一杯だった。両腕がしびれてしまい、うまく刀を持つことができない。その場に刀を落とし、両手を地面についてしまう。

 その小春の体に、刃を切り離された方の触手が巻き付いた。そのまま持ち上げられてしまうが、刀を持たない小春はどうすることもできない。

 触手が徐々に体を締め付けていく。そのままじわじわと絞め殺してしまおうと考えているらしい。それを見ていた晶紀が

「大変! なんとかして助けなくちゃ」

 と弥太郎に向かって言った。

「でも、まだあの鎌みたいのが残っているから、そのまま近づけば斬られちゃうよ。見つからないように近づく方法はないかな」

 弥太郎は冷静だった。足下に広がる霧を見て

「地面に伏せて移動すれば、霧に隠れて見つからないよ」

 と晶紀に応えた。晶紀は一度大きくうなずいて、地面に這いつくばった。


「このまま絞め殺そうか、それとも一気に斬り裂いてしまおうか」

 化け物の言葉に

「じわじわと殺せ」

「いや、早く殺してしまえ」

 と周囲の悪霊たちが応える。小春は触手に締め付けられて苦悶の表情を浮かべていた。自分の体から触手を引き離そうとしても、触手の力はあまりにも強く、小春の腕はまだしびれた状態なので、まるで歯が立たない。

「面白いことを思いついた。まずはこいつの両腕を斬ってしまおう。それから今度は両足を斬るのだ。潰れて死ぬか、斬られて死ぬか、それを見るのも一興」

 刃が小春の方へゆっくりと近づいてきた。

「そんなに容易く斬らせはしないぞ」

 小春が刃を素手で捕らえようと構えた時、触手の締め付けが少し強くなった。小春は悲鳴を上げて締め付ける触手を両手でつかむ。

 刃が小春の右腕に伸びていく。このままでは小春の右腕が切り落とされてしまうという時、大刀を持った晶紀が、小春の近くからすっと立ち上がった。

「えい!」

 掛け声とともに、晶紀が触手に対して斬りつける。どちらの触手を狙っていたのかは分からないが、偶然にも両方の触手に刃が当たった。

 見事、晶紀は二本の触手を同時に斬り裂いた。小春の体は地面に落ち、霧の中に隠れる。晶紀も素早く霧に紛れ、小春の下へと近づいた。

「小春様、しっかり!」

 小春は苦しそうな表情で晶紀を見つめた。

「晶紀さん、助けてくれたのか・・・」

 小春はまだ闘える状態ではなかった。晶紀は思案した後、いったん逃げようと考えた。

「小春様、まずはここから離れましょう。動けますか」

「なんとか這うことはできそうだ」

 二人はゆっくりと化け物から遠ざかろうとした。そのとき、カサカサという音が聞こえてきた。あの化け物が近づいてきたらしい。

 細い脚を器用に動かして、化け物は二人の行方を探していた。灰色の霧は溜まった泥のように流れ、地面を見ることはほとんどできない。そのため、泥の中に潜む魚でも探るかのように、脚を使っているわけだ。

 二人の頭上が暗くなった。どうやら、化け物の体がちょうど上にあるらしい。

「晶紀さん、刀を貸してくれ」

 晶紀から大刀を受け取り、小春はありったけの力を込めて上空に刀を突き立てた。

 化け物の背中は甲虫のように硬い殻に覆われていたが、腹の方は柔らかい皮膚しかなかった。刃は見事に腹に突き刺さり、化け物は思わず悲鳴を上げた。

 小春は刀を突き立てたまま化け物の頭の方へと走った。体を縦に斬り裂かれ、さしもの化け物もひとたまりもない。どうと倒れ、黒い煙となって天に昇っていった。

 それと同時に、あたりにいた悪霊たちも姿を消してしまい、不気味な声は聞こえなくなった。

 小春は息を切らしながら、刀を持ったまま立ちすくんでいた。晶紀が立ち上がりあたりを見回す。

「やりました、小春様。あの化け物をやっつけました」

 そう言って晶紀が小春に抱きつくと、小春はその勢いに負けて倒れてしまった。

「いてて・・・」

「小春様、ごめんなさい」

 晶紀が慌てて小春から離れた。気がつけば、いつの間にか霧が晴れている。

 小春は上半身だけ起こして周囲を見回した。

「亡霊たちもいなくなったな。ようやく静かになったよ」

「そういえば、弥太郎くんはどうしたのかしら?」

 弥太郎の姿を探したが、どこにも見当たらない。

「もしかして、成仏できたのかな?」

 小春が微笑むのを見た晶紀は

「きっとそうですね・・・ようやく両親に会うことができるのですね」

 と涙ぐんだ。下を向いて涙を拭っていたときである。晶紀が地面に何かを見つけた。

「あれを見て下さい」

 そう言って晶紀が指差した場所は、炎に照らされて地面が明るくなっていた。その地面に何か書かれている。

『こはるおねえさん あきおねえさん どうもありがとう ぼくはてんごくにいくことができるよ』

 地面に書かれた文字を読んだ後、小春と晶紀は顔を見合わせ、一緒に笑った。

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