第40話 魂鋼
呆然とする小春を尻目に、晶紀は鉄斎のそばへと近づいていった。
「お前は、こんな所で何をしているのだ?」
晶紀は鉄斎に問うた。
「解放されるのを待っている」
「解放?」
「この忌むべき身体から解放される時を待っているのだ」
「何を言うか。こうして生まれ変わることができたのだぞ。しかも、人間さえ絶えなければ永遠に生きていられる。こんな素晴らしいことはないだろう」
「偽りの身体など要らぬ」
静かにそうつぶやいた鉄斎の顔を見て晶紀は不敵な笑みを浮かべ
「ならば、この俺が引導を渡してやろうか」
と言った。
「お前はいったい誰だ?」
鉄斎の問いに晶紀は答えた。
「炎獄童子の名を知っているか、鉄斎よ」
「・・・ふん、鬼が乗り移っておったか。哀れな」
哀れとは、晶紀のことを指しているのだろうか。
晶紀の言葉に小春も反応した。
「晶紀さん、まさか・・・」
晶紀は、絶句したままの小春へ顔を向け
「その刀を渡してもらおう」
と言い、手を差し伸べた。
「晶紀さんの身体から出ていけ、鬼よ」
小春は叫んだが、晶紀は笑みを浮かべたまま
「この身体、気に入っておるのでな。しかし、刀を渡さないのならこの身体、壊してしまおうか。この女の命は潰えるだろう。それでもよいのか?」
と言って、小春に近づいて来た。
動くことのできない小春に、なおも
「小春様、私の身体が欲しかったのではありませぬか? このままでは、私を抱くことはできなくなりますよ」
とからかうように話し掛け、炎獄童子は大声で笑い出す。
その笑い声を聞いて、小春は背中の大刀を手に取り構えた。
「私を殺すというのですか?」
炎獄童子が口元に笑みを浮かべたまま問い掛ける。
「炎獄童子よ。貴様を倒すため地の果てまででも追い掛けてやる」
小春は怒りに満ちた顔で炎獄童子を睨みつけた。
「いいだろう、殺したくば殺すがいい」
炎獄童子はそう言って両腕を水平に伸ばす。その顔には、嘲りの表情が含まれていた。
しばらくの間、両者の睨み合いは続いた。しかし、最後には小春が下を向き、刀を下ろしてしまった。
小春が大刀を地面に置いて、その場から離れていく。
炎獄童子が大刀を手に持ち、鉄斎の方を向いて言った。
「ふふっ。ようやく手に入れたぞ、貴様が鍛えたという刀を」
「その刀を得てどうするつもりだ」
「手始めに、この女を始末してやろうか」
炎獄童子がそう言いながら刃を小春の方へと向けた。
「ふん、試してみるがいい」
鉄斎が言い終わるか否かというところで、炎獄童子は一気に小春との間合いを詰め、脳天めがけて大刀を振り下ろした。
小春はその瞬間、目を閉じて自分の頭がかち割られる姿を想像した。
しかし、炎獄童子の一撃は空を切った。小春にはかすりもしない。
今度は横薙ぎに胴を払った。刃は胴に当たる前に上を向き、炎獄童子の腕が持ち上がってしまった。
「これは・・・」
偽の小春が大刀で小春を突いた時、その刃が逸れてしまったことを炎獄童子は思い出した。
「その刀で真の所有者を倒すことはできぬ」
鉄斎が炎獄童子に告げた。
「ならば、この手で直接葬るのみ」
炎獄童子が刀を捨てて小春に飛びかかってきた。小春はかろうじて炎獄童子の両腕をつかんだまま倒れてしまった。
炎獄童子の手は小春の首へと近づいていく。首を絞めて殺すつもりだろう。人間とは思えないその力に、小春は抗うことができなかった。
あと少しで、炎獄童子の手が小春の首へと届きそうになった時である。突然、炎獄童子の動きが止まった。
「貴様・・・なにを・・・」
炎獄童子の視界にある小春の顔が霞んで見える。視界がだんだんと暗くなり、その暗闇の中で月影の顔がおぼろげに現れた。
炎獄童子は、晶紀の体から元の鬼の体に自分の魂が戻されていく感覚を覚え、慌てて小春から離れた。
小春は立ち上がり、呆然とする炎獄童子を睨みつける。
「どうやら効果があるようだな」
そう言って、小春は炎獄童子に近づいていった。
小春は、精神を集中して結界を張ったのだ。『口移し』も妖術である以上、結界の影響を受けるということである。このまま小春に捕まれば、炎獄童子の魂は晶紀の体から追い出されるだろう。
炎獄童子は、小春の隠された能力を察したようだ。すぐに落ちていた大刀を掴んで自分の首に刃を向けた。
「それ以上、近寄るな。この女の命はないぞ」
小春の歩みが止まった。
「卑怯!」
小春の叫びを聞いて、炎獄童子の顔に笑みが戻った。
「どうしてくれようか・・・」
近寄れば結界によって晶紀の体から追い出される。かと言って、小春に近づかなければ始末することはできない。炎獄童子はどうやって小春の命を奪うか思案しながらも、この時間を楽しんでいた。
しかし、ひとつ気がかりなことがあった。先程見えた月影の顔である。自分の体の近くに月影がいるのではないかと考えていたその時である。突然、体中に痛みが走った。
「ぐおっ」
その場に突然倒れたかと思うと、まるで昆虫がひっくり返った時のように手足をばたつかせ、炎獄童子はやがて気を失った。
小春は、その姿をただ呆然と見ていることしかできなかった。
月影は、眠ったように動かない炎獄童子の姿を見て、この場で葬ることに決めた。
「炎坊よ、悪く思うな」
月影は左手を掲げた。たちまち六本の白い刃が現れる。
その刃を同時に操り、月影は炎獄童子を切り裂いていった。
腕が、足が、そして首が、あっという間に切り離されて、地面へと落ちていった。
さしもの炎獄童子も、抜け殻となった身体を守ることは不可能だ。これが『口移し』の最大の弱点であろう。だから、冬音は決して儀式の場に誰も近づけないよう念押ししたのだろうが、その言葉は月影には届いていなかった。
哀れ、炎獄童子はあっけない最期を遂げることになった。解体された炎獄童子の身体はそのまま黒い煙となって消えていってしまった。
そして、お互いに知らぬことではあるが、月影のおかげで小春と晶紀は命拾いしたことになるわけだ。
「これで、鬼との休戦協定は破棄されたことになるな」
月影はニヤリと笑いながらつぶやいた。
小春は、ゆっくりと晶紀の方へ近づいた。
晶紀は、身体を横たえたまま動かない。
小春は晶紀の胸に耳をあてた。心臓の鼓動は動いている。生きていることが分かり、小春は胸を撫で下ろした。
落ちている刀を拾い上げて背中に戻した後、小春は晶紀をそのままにして鉄斎の下へと近づいていった。
「鉄斎、お前に聞きたいことがある」
小春が鉄斎に話し掛ける。
「何を尋ねるのだ?」
鉄斎が一つの目で小春の方を見た。
「お前は私の父親なのか?」
「・・・そうとも言えるな」
「では、母親は誰なのだ?」
「母親などおらん」
「いない?」
「そうだ。お前に母親はいない」
小春にはその言葉が理解できない。
「母親がいなくてどうやって生まれてくるのだ?」
背中の大刀を構えて
「人間から、私は貴様が手篭めにした女性から生まれたのだと聞かされた。本当のことを教えろ」
と問い詰める小春に、鉄斎は質問で返す。
「真実を聞いてどうする?」
「もし、人間の言ったことが本当ならば、私はお前を許さない。この場で斬り伏せてやる」
小春は怒りの表情を浮かべて鉄斎に言い放った。
「その愚かな人間の言うことをお前は信じるのか?」
鉄斎の言葉に、小春は下を向き
「信じたくはない」
とだけ答えた。
小春の言葉を聞いて鉄斎はしばらく黙ったままでいた。
二人が対峙している時、晶紀はようやく悪夢から目を覚ました。ふらりと立ち上がり、小春の近くまで歩いていった。
その気配を感じた小春が後ろを振り向くと、晶紀が背後から小春をそっと抱きしめた。
「晶紀さん、どうしたんだい?」
「ごめんなさい。私、小春様にひどいことをしたくなかったのに身体が勝手に・・・」
晶紀は、潤ませた目を小春の方へ向けた。
「もう、今は大丈夫なのか?」
「はい、ようやく解放されました」
小春は、晶紀の方へ身体を向けて左手で晶紀の背中を軽く叩きながら
「よかった・・・」
と目を閉じた。
「何があったのかは知らぬが、炎獄童子は滅びたようだな」
鉄斎が二人に話し掛けた。
その声を聞いた小春は、もう一度鉄斎の方へと顔を向けた。
「お前は、その刀がどのように作られたのか知っているか?」
鉄斎が小春に問い掛ける。
「知らぬ」
「まず、その刀は鋼から作られたのではない」
「もっと特別な鉱石で作られたのか?」
「そうではない。材料は人間だ」
小春も晶紀も、鉄斎の言葉に驚いた。
「そんな馬鹿な」
「この鉄斎の妖術『魂鋼』により、ある女を鍛えてその刀は作られた。その女は、自分の望みをひたすら願い、苦痛に耐えながら刀へと変化していくのだ。大抵の人間は途中で心折れ、刀となる前に割れてしまう。しかし、その女は耐え抜いた」
この、鬼をも斬り裂く刀が元は人間の女であるということをどうして信じることができようか。小春は、刀を見つめたまま何も言い出せなかった。
「そして、その女の望みは、鬼をこの世から葬り去ることだ」
「鬼を葬り去る・・・」
鉄斎は、この刀を鍛えた時の話を始めた。
世は、鬼が誕生してから人の一生分は経過した頃のことである。
鉄斎は、白魂の地で一人の女性と出会った。
その女性はまだ若く、長い黒髪を背中のあたりまで垂らし、銀色の瞳が印象的な美しい顔立ちをしていた。
鬼を目の前にして、恐れる気配はない。まるで人形のように無表情な顔で立ち尽くす姿を見て、鉄斎はその女に興味を持った。
「女よ、我が怖くないのか?」
女は答えた。
「私は、子供の頃に親兄弟を全て鬼に奪われました。もう、恐れなどありませぬ。あるのは、お前たちへの復讐心のみ。たとえ、この身が打ち砕かれようとも、鬼が滅びるその日までお前たちを呪い続けましょう」
女は全く動こうとしない。鉄斎はあることを思いついた。
「貴様の望みは、鬼を滅ぼすことなのだな。ならば、我が力を貸してあげよう」
「鬼が私に手を貸す?」
「我が妖術『魂鋼』は、人間から刀を作り出す。お前が鬼を滅ぼしたいと願うなら、その刀が鬼を討つだろう」
「なぜ?」
女は、鉄斎が鬼を滅ぼす手助けをする理由が分からなかった。
「単なる気まぐれよ」
鉄斎は、顔に例えようのない不気味な笑みを浮かべて話を続けた。
「しかし、お前はこの妖術でただの刀へと変化するのだ。それに、刀になるには想像を絶する苦痛を伴う。お前に耐えられるのか?」
女は、鉄斎の顔をきっと睨みつけた。
長い間、その状態が続いた。しかし、やがて女は
「耐えてみせます」
と言って、不敵な笑みを見せた。
それからひと月が経ち、白魂へと続くある道の端に、一振りの刀と一人の赤子、それに一通の封書が捨てられているのを、白魂の住人が発見した。
それらは白魂の主である剣生へと届けられた。
剣生が封書を開けると、中には手紙と地図、そして一枚の櫛が入っていた。手紙にはこう書かれている。
『私はこれから、鬼の鉄斎の力を借りて刀へと生まれ変わります。そして、一緒に生まれるであろう赤子はこの私の真の所有者。どうか、何もできぬ私に代わって赤子を育てて下さい。鉄斎は地図で示した場所に迷宮を作り、潜んでいます。その迷宮への道は、刀となった私とその所有者のみに開かれるでしょう。私の目的はただ一つ、鬼を滅ぼすこと。赤子がいつの日か、私とともに鬼を討つことを願っております』
剣生は、狐につままれたような顔で刀と赤子の方を見た。
「さて、どうしたものか・・・」
こうして、小春と名付けられた赤子は剣生の下で育つこととなったのである。
「そしてお前が、刀の所有者がここに来た」
鉄斎は、唖然とする小春に向かって淡々とした口調で言った。
小春は、今の鉄斎の言葉が信じられなかった。自分が刀と一緒に生み出されたものなどとは考えたくなかった。
「私は何から生まれてきたのだ?」
小春の言葉に鉄斎は
「刀とともに誕生したのだ。それ以上は言いようがない」
と答えるだけだった。
人間であれば、母親の胎内から生まれる。妖怪であれば、動物が変化したり、物に魂が宿ったりする。しかし、小春は何もないところから生まれたというのだろうか。
小春の目は、もはや鉄斎の方を向いてはいなかった。その場に力なく座り込み、下を向いてしまった。
晶紀が、心配そうな顔で小春の肩に触れた。
「お前の目的は何なんだ?」
小春はうつむいたまま、弱々しい声で鉄斎に尋ねた。
「我を滅ぼす者が現れる時を待っていた」
鉄斎は立ち上がった。
「鬼は自ら死を選ぶことはできぬ。我が身を滅ぼすには、誰かと闘い、討たれねばならぬ。我が生み出した者に滅ぼされるのなら本懐だ」
「そのために刀を、私を生み出したと?」
「それだけではない。全ての鬼を滅ぼすことが目的だ」
「鬼がなぜそんな望みを?」
「我は鬼になりたかったわけではない。お前はどうやって鬼が生まれるか知っているか?」
「知るわけがないだろう」
小春は鉄斎の方を見て叫んだ。
「鬼は人間の死体から生まれる。この身体は人間の死体から作られているのだ」
鉄斎は小春にそう告げた。
「我は、元は剣山の天狗であった。鬼などではなく、妖怪だったのだ」
小春は、鉄斎の大きな巨体を前にして立ち上がり、その言葉に耳を傾けた。
「遥か昔にあった戦で我は人間に封術を掛けられた。人間どもは、我を殺す代わりに人間の死体に我が魂を封じ込め、鬼の鉄囚童子として蘇らせた」
鉄斎は小春の顔をじっと見つめながら話を続けた。
「鬼としての身体を維持するためには、鬼に魂を奪われた人間が常に必要となる。我は、この身体を保つために人間を殺さなければならなかった」
「それをやめたから、そのような身体に?」
小春の問いに鉄斎は
「そうだ。しかし、死ぬことはできぬがな」
と答えた。
「だから、その苦しみから解放してほしいと?」
「人間の死体に魂を封じ込められ、永遠に生きなければならないのがどれだけの苦しみか分かるか? お前には、全ての鬼をこの苦しみから解放してほしいのだ」
小春は、鉄斎の顔をじっと見つめたまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「一つ教えてくれ」
「なんだ?」
「この刀を、元の人間に戻すことはできるのか?」
「なぜ、そんなことを尋ねる?」
「この人間も、刀として永遠に生きなければならないのではないか? その苦しみ、お前なら分かるだろう」
「その女は自ら志願して刀に生まれ変わったのだぞ」
「目的を果たした後はどうなるのだ?」
鉄斎は、少しの間をおいた後、話し始めた。
「人間に戻るには、まず目的を達成しなければならない。全ての鬼を倒すという目的をな」
「目的を達成すれば元に戻るのか?」
「いや、あとはお前次第だ」
「私次第?」
「お前は、自分の真の名前を誰にも言っていないはずだ。それを刀に伝えればいい。そうすれば、人間の姿へと戻るだろう。しかし・・・」
「しかし、なんだ?」
「お前は役目を終えて、消え去ることになる」
小春は、その言葉を聞いて何も言うことができなかった。
「真の名前を伝えない限り、お前の寿命が尽きるまで刀のままであり続ける。そして、お前の寿命が尽きた時、刀も一緒に消滅する」
反応のない小春を見た鉄斎は、なおも話し続けた。
「女が元の人間に戻り、短い一生を終えるか、刀のまま、お前とともに生き続けるか、それを決めるのはお前の役目だ」
「そうか・・・」
小春はそう応えるのがやっとだった。
「話はこれで済んだな」
鉄斎は、片膝をついて右手を地面にあてた。その手を上げると、地面から鋼の刀がまるで竹のように生えてくる。
「では、闘いを始めようか」
鉄斎が刀を構えて小春に告げた。
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