第28話 忍者ごっこ

 千代が大府に着いてから四日目になる。

 今日も、冬音に誘われるがまま店を見て回るだけで終わりそうだ。

 さすがに八角村のことが心配でたまらなくなってきた。

 しかし、桜雪達に相談すれば、危険だからと止められるだろう。

 だからと言って、黙って行けば余計に心配を掛けることになる。

 そんな千代の様子に気が付いたのか、冬音が心配そうに声を掛けた。

「千代さん、何か心配ごとでもあるのですか?」

 千代が冬音の声を聞いて我に返った。

「すみません、考え事をしていました」

「私でよろしければ、相談に乗りますわ」

「いえ、そろそろ八角村の方へ戻ろうかと考えていただけです」

「あら、でも儀式が終わるまではお待ちになった方がいいですわ」

「ですが、あちらの方がどうなっているか心配でして・・・」

 浮かない顔をした千代を見て、冬音は突拍子もない提案をした。

「それなら、私が一緒に八角村へ行くことにしましょう」

「えっ、冬音様が?」

「私は御加護を賜っているようで、鬼の方が逃げて行くのです。私が付いていれば安心ですわ」

「しかし、準備が整えば、冬音様は儀式をなさるご予定ではありませぬか」

「次の新月の夜までにはまだ日がありますから、それまでに戻ればいいでしょう」

 八角村へはどんなに頑張っても片道四日は掛かる。新月の夜までに戻れない可能性もゼロではない。

「大丈夫、きっと間に合いますわ」

 なおも食い下がる冬音に、千代は

「桜雪様にまずはご相談いたしましょう。年寄衆の方々にもお伺いしなければならないでしょうし」

 と、ひとまずはこの話を棚上げにした。


 その日の夜、見張り番を終えた桜雪が千代と冬音の様子を見に訪れた。

「実は、八角村へ戻ろうかと考えているのですが」

 千代の言葉を聞いて、桜雪は尋ねた。

「やはり、ご心配ですか?」

 そのとき、千代の横にいた冬音が前に進み出た。

「私が一緒に付いて参ろうかと思うのですが」

 冬音のいきなりの提案に

「えっ、冬音殿が?」

 と、桜雪は千代と同じ反応をした。

「以前、鬼が逃げて行ったことがあったでしょう。それで、前々から不思議に思っていたのです」

 冬音の言葉に、水無村の近くで遭遇した鬼が逃げていったことを桜雪は思い出した。

「少し前に、夢の中で啓示があったのです。私は御加護を賜っているから、鬼の方が逃げてしまうと」

 にわかには信じ難い話ではあるが、実際、鬼が逃げ出したわけだから、冬音の言うことは間違いないのだろう。

「なるほど、話は分かりました。しかし、冬音殿が大府を離れてよいか、私の一存では決められません。年寄衆に許可を得る必要があるでしょう」

「では、今から参りましょうか」

「今からですか?」

「善は急げと申しますわ。年寄衆の皆様はきっとまだ集会所にいらっしゃるでしょう?」

 誰から聞いたのだろうか。年寄衆はほぼ毎晩、集会所で宴を開いている。

 桜雪は朝から見張りに立たなければならないため、確かに夜しか年寄衆に会うことはできない。冬音の意見通り、千代と冬音を連れて集会所へ向かうこととした。

 果たして、年寄衆は集会所にいた。取り次ぎに面会を求め、待っていると、白髪頭の男が一人、下に降りてきた。

「桜雪殿、こんな夜にどうした?」

「実は、千代殿が八角村に戻られるおつもりでして」

「何と。儀式が終われば鬼は出なくなる。それまでお待ちになった方が安全ではないか」

「やはり八角村の方がどうなっているのか心配とのことで。それで、冬音殿が同行したいとおっしゃっておりまして」

「何、冬音殿が?」

 桜雪は、事の顛末を説明した。

「次の新月までまだ十日以上はある。儀式は、ちょうど戻ってきた頃になるじゃろう。問題はないと思うが」

 桜雪にとっては意外なことに、年寄衆から許可が得られた。

「帰りは冬音殿一人になります。鬼の方は大丈夫でしょうけど、やはり護衛は付けた方がいいと思いますが」

 桜雪がそう助言すると

「それなら、桜雪様にお願いしたいですわ」

 と冬音が甘えた声で話に割り込んできた。

「いや、申し訳ないが、拙者は他の者達を束ねる身、持ち場を離れることはできないのです。正宗に同行を依頼することにしましょう」

 桜雪の言葉に、冬音は悲しげな顔をした。桜雪としては、二人きりで八角村から大府に戻るのは勘弁してほしいというのが正直な気持ちのようだ。

 明日は旅の準備をして、明後日に出発することで話がまとまり、三人は集会所を後にした。

「八角村に着きましたら、千代さんの持っている宝石をぜひ拝見したいわ」

 その言葉を聞いて、二人は冬音が八角村へと行く目的が分かった。しかし、目的がどうあれ、鬼に怯えることなく旅ができるのは千代にとって心強いことだった。

「分かりました。どれくらいの価値があるのか教えて下さい」

 千代は冬音にそう応えた。


 小春と晶紀が大府に着いてから二日経過した。

 堀の近くまで近づいたり、森の中に入ったりと、大府の周りを隈なく探したが、冬音は見つからない。

 間もなく、大府の北東にあたる場所になる。二人は堀近くの道沿いを歩いていた。右手には森林が広がり、蝉の声が相変わらずやかましく響いている。空には大きな雲がポッカリと、まるで綿菓子のように浮かんでいた。まだまだ暑い昼下がりであった。

 汗を拭いながら、晶紀が小春に話し掛けた。

「次の角を曲がると、元の場所に戻ってしまいますね」

「ああ、これで見つからなかったらどうするかな」

「私は、あきらめずにもう一度探します」

「それより、晶紀さんが大府に入って聞いてみた方が早くないか? もしかしたら、一緒にいた兵士とやらがいるかも知れないし」

 どうして先にそれに気づかなかったのだろうか。

「確かに、そうですね」

「とりあえず、一周して見つからなかったら、中を探すことにしよう」

 そんなことを話していたら、目の前に見張り番が立っていた。どうやら女性のようだ。

「あなたたち、旅の方?」

 その見張り番が話し掛けてきた。

「ああ、そうだが」

 小春が答えると、見張り番は済まなそうにこう言った。

「悪いけど、この先は通ることができないの。北に進むのなら、大府の中を通り抜けてもらえないかしら」

 ここで、自分が妖怪であることを明かすべきかどうか小春は悩んだ。しかし、小春が躊躇している間に、晶紀がそれを明かしてしまった。

「でも、こちらの方は妖怪なので、大府の中へお入りになれないのです」

 小春は一瞬、身を固くしたが、見張り番は特に警戒することもなく

「あら、そうなの」

 と言うだけだった。

「そうすると、いったん引き返して大府の西側を進むしかないわね。回り道になってしまうけど」

 見張り番は簡単に言うが、戻るだけで丸一日掛かってしまうだろう。

「この先に何かあるのか?」

 小春が見張り番に尋ねた。

「私も詳しいことは知らないの。なんでも、山を切り開いているようなのだけど」

 詳細については何も知らされていないようだ。

 小春はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「分かった。仕方がない、引き返すことにするよ」

「ごめんなさいね」

 来た道を取って返す小春に、晶紀は付いていくしかなかった。

「また、同じ道を通るのですか?」

「いや、この先には何かある。もしかしたら、晶紀さんの言っていた儀式の準備なんじゃないか」

 晶紀は、あっと驚いて口に手を当てた。

「もしそうなら、冬音様があの場所に?」

「ならば、この先を進んだ方がよかろう」

「でも、どうやって?」

「夜になるまで待とう。暗くなったら、森の中を進めば見つからないだろう」

「闇夜に隠れて忍び込むわけですか。何だか忍者みたいですね」

 晶紀はどことなくはしゃいでいるように見える。

「おいおい、見つかったら、ただじゃ済まないんだぞ」

 小春は、晶紀に用心するよう促した。


 夜になり、あたりは暗く、静まり返っていた。昼間にあれだけ騒いでいた蝉はどこへ行ったのか、今は全く鳴き声がしない。

 森の中を移動する二つの影があった。小春と晶紀だ。

 小春は、用心深くあたりを警戒しながら進んでいった。

(思ったより見張りが多いな)

 昼間引き返した場所はすでに通り過ぎていた。今はもう通行禁止区域内にいることになる。

 近くに見張りがいる気配を感じ、小春が茂みに隠れて様子を伺った。

 見張りが松明を持って、こちらの方へと歩いてくるのが見える。

 小春と晶紀は息を潜めて見張りが通り過ぎるのを待った。

 運悪く、見張りは小春と晶紀のすぐ横で立ち止まった。

 小春も晶紀も身動きが取れない。息の詰まるような状態が長く続いた。

 やがて、見張りは他の場所へと移動した。気配がなくなり、小春は長いため息をついた。

 二人はゆっくりと、しかし確実に奥へと進んでいった。そして、小高い山に灯りが点々と道らしきものを示しているのを見つけた。

 山の方からは、斧で木を切る音や、石を叩く音などが響いてくる。

「やはり、これは儀式の準備だな」

 小春が小声で晶紀に囁いた。

「では、冬音様が近くにいるかも」

 晶紀はそう応えながら、あたりを見回してみたが、暗くてよく分からない。

「このあたりには誰もいない。もう少し先へ進んでみよう」

 二人はさらに山の方へと近づいてみた。

 山の入口付近はかがり火が煌々と焚かれ、その付近では何人かの人足が石にのみを打ち付けていた。

「ここには人足しかいないようだな」

 小春の言葉に

「そうですね。冬音様らしい方はどこにもいないようです」

 と返しながら、晶紀は周りを見渡した。

 木々は山の方へと続き、さらにその奥へと生えているようだ。

「このまま、木の陰に隠れて山の中へ入ろう」

 小春は晶紀にそう言うと、また前進を始めた。

 山の斜面を、気づかれないようゆっくりと登っていく。ある程度登ったところで今度は地面に水平に歩き、山の反対側を目指した。

 やがて、石段が整備された場所へとやって来た。その階段は、山の頂上の方へと伸びている。

「白魂も、こんなに大掛かりな改装がされているのかい?」

 小春の問いに

「いいえ、私の知る限りでは、儀式の場所への道は草木を切り開いただけの簡単なものでした」

 と晶紀は答えた。

 鬼が出なくなるのなら、儀式はできるだけ急いだ方がいいだろう。石段を作るような時間の掛かることをわざわざしなければならない理由が小春には思いつかなかった。

 石段を通り過ぎ、山の反対側へと移ると、再び作業場の方へと近づき冬音がいないか探してみたが、どこにもいる気配はなかった。

「さて、どうするかな」

 小春はもうしばらく冬音を探してみるべきかどうか迷っていた。冬音が大府へ入れない以上、お供の兵士たちと一緒にこのあたりにいるのだろうと予想していたのだが、冬音らしき者の姿はなく、寝泊まりできるような天幕も見当たらない。

「少々危険だが、少し奥へ入ってそこで一夜を過ごすか」

 朝になり、あたりが明るくなれば、周囲の様子ももう少し見えてくるだろう。しかし、見張りに見つかる危険は大きくなるが。

 二人は、作業場から離れ、森の奥の窪地になった場所で寝ることにした。


 八角村へ出発する日となった。

 早朝、千代と冬音、正宗、そして四人の使用人が、大府の中央の広場に集まっていた。

 荷車には、八角村へ届ける物資を少し積んでいる以外は空の状態だ。

「桜雪様、いろいろとお世話になり、ありがとうございました」

 出迎えていた桜雪に、千代は頭を下げて挨拶した。

「千代殿、大府にお越しの際は、またご案内させて下され」

 桜雪はそう言って笑みを浮かべた。

 そのとき、遠くから駆けてくる者がいた。紫音だ。

「いや、すまない。遅くなってしまった」

 息を切らせながら紫音が詫びた。

「よし、そろそろ出発しますか」

 桜雪の言葉を合図に、一行は歩き出した。

 桜雪と紫音は北側の門まで一緒に行き、そのまま見張り番の仕事に向かうつもりだ。

「正宗、道中、油断はするなよ」

 紫音の言葉に

「嫌だなあ、心配しなくても大丈夫ですよ」

 と正宗が反論した。

「いや、帰りは冬音殿と二人きりだからな。鼻の下を伸ばしている隙に背後からザックリと殺られるかもしれん」

「ひどいなあ、紫音さんは」

「まあ、鬼の方は冬音殿がいるから大丈夫だが、幽霊谷あたりは野盗がうろついているかも知れないからな。用心するに越したことはないだろう」

 桜雪も正宗に念押しした。

 門から外に出ると、桜雪と紫音は再び挨拶をかわした後、見張り番の仕事へと向かった。残った七人は、八角村を目指して北へと歩き始めた。

 桜雪は歩きながら、何か腑に落ちないという顔をしている。

 その様子に紫音が気づき、声を掛けた。

「どうした? 何か気になることでもあるのか?」

「ああ、冬音殿のことだが」

「ふふ、お前が同行したかったのか?」

「そういうことじゃない」

 桜雪は、笑みを浮かべている紫音の言葉を否定した。

「冬音殿は、連れの者と一緒だったときに鬼に襲われたんだよな」

「そう言っていたな」

「なぜだろうか?」

「そういうことか」

 冬音を見て鬼が逃げるのなら、襲われることはないはずだ。

「連れの者は冬音殿をすぐに逃したみたいだからな。冬音殿がいなくなって、鬼も近づくことができたのではないか?」

「そうかも知れないが・・・」

 桜雪は、例えようのない不安を感じていた。しかし、その不安の理由が思い当たらない。

「正宗一人で、大丈夫だったかな?」

 桜雪はそうつぶやいた。


 小春が目を覚ました時、晶紀はまだすぐ横で寝息を立てていた。

「晶紀、そろそろ目を覚ませ」

 小春の言葉に、晶紀は目を覚まし起き上がると、大きなあくびをしながら両腕を高く上げて伸びをした。

 あたりは木々が青々と生い茂り、陽の光を浴びた木の幹は銅のように輝いていた。

「よし、もう一度、作業場の所まで行ってみよう。いいか、今度は闇夜じゃないから、用心するんだぞ」

 小春の言葉に、晶紀は真剣な顔で何度も大きくうなずいた。

 茂みに隠れ、姿勢を低くしてゆっくりと二人は進む。

 作業場にたどり着き、周囲を見渡してみるが、やはり冬音の姿も、そのお供の姿もない。

「やはり、ここにはいないのでしょうか」

 晶紀は、小春に小声で囁いた。

「そうなると、後は大府に入って探るしかないな」

 小春がそう言って、作業場から離れようとした時である。

「誰だ?」

 少し離れたところから声がした。見張りに見つかってしまったのだ。

 日中に動くのはやはり無理があったかと小春は悔やんだが後の祭りである。

「晶紀、逃げるぞ」

 そう言って、小春は森の奥の方へと走り出した。

 ところが、慌てた晶紀が躓いてその場に転んでしまった。

 晶紀の下に戻り、体を起こしているうちに見張りが近くまでやって来た。

「お前たち、いつの間に忍び込んだんだ? さては妖怪か?」

 見張りが札を懐から出して印を結んだ途端、小春は急に何かに押さえつけられているような感覚を覚えた。

 しかし、動けないというほどのものではない。晶紀を立たせると逃げようとする。

「妖怪が現れた! 皆、来てくれ!」

 見張りが大声で叫んだ。

 すぐに何人かの兵士たちがやって来て、封術を仕掛けてきた。

 小春の動きが鈍くなった。走ることができない。様子がおかしい小春を見て、晶紀が尋ねた。

「小春様、どうされましたか?」

「晶紀、お前だけでも逃げろ」

「そんな事はできません」

 晶紀は、周囲に集まってきた兵士たちに対して叫んだ。

「私たちは怪しいものではありません。人を探してここまで来たのです。どうか、この方に乱暴するのは止めて下さい」

 兵士たちは、ゆっくりと近づいてくる。

 小春は、背中にある大刀を手に取った。

「まだ動けるのか・・・」

 兵士の一人がつぶやいた。すでに八人の術者が小春を封じ込めようとしている。

 さらに、四人の兵士が現れ、封術を仕掛けた。さすがの小春もとうとう立っていることができなくなった。

 小春は、意識を集中して結界を張ってみた。しかし、何の効果もない。どんな妖術をも遮断する結界も封術の前では無力であった。

 膝をつき、四つん這いになって、小春は強烈な苦痛に耐えていた。まるで体中に電気が流れているような感覚が、手足が引きちぎられるかのような痛みが、巨大な岩で体を押しつぶされているかのような圧力が、小春の体を襲っていた。

「ああっ」

 声を上げながら、なおも小春は術から逃れようともがいていた。

「信じられん、普通なら死んでもおかしくないぞ」

 別の兵士がつぶやく。

「止めて下さい。お願いします」

 倒れている小春の体をかばい、晶紀は涙を流して兵士たちに懇願した。

 兵士たちは円陣を組んで、小春たちの周りを取り囲む。

 そのとき、一人の兵士が声を上げた。

「あなたは・・・小春殿ではないか」

 その兵士は龍之介であった。

「待て、全員、封術を解いてくれ。この方は我々を助けてくれた恩人だ」

 龍之介は、慌てた様子で全員にそう告げた。

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