第14話 剣生伝説

 やがて一行は六道村に着いた。陽は西に傾き、空は朱色に染まっていた。どこからともなく烏の鳴き声が聞こえる。

 六道村はその名の通り、六本の道が村の中央から外側へ伸びている。それぞれの道が別の村へとつながっているらしい。小春たちが通ってきた道から真っ直ぐに伸びた北への道が八角村へと続いていた。道沿いに家が建ち並ぶ。大勢の村人が野良仕事を終えて、道端にある長いすでくつろいでいた。駒を並べた木の板を挟んで、二人が相対して真剣な顔で考え込んでいる。その周りで、駒を指差しながら騒いでいる何人かの村人たちがいた。遊んでいた子供たちが、小春の姿を珍しそうに眺めている。背中に背負った大刀はやはりどこに行っても目立つようだ。

「とりあえず、村の長に話を聞きたいな」

 桜雪は、近くにいた村人と少し話をした後、その村人に付いて歩き出した。小春を含めた他の五人も後を追いかける。ある家の前までたどり着くと、案内していた村人が戸を叩きながら叫んだ。

「茂さん、いるかい?」

 しばらくして、家の中から一人の男が現れた。背は低く小太りで、丸い顔はなんとなくおかめの面を連想させる。前頭部が禿げ上がり、まるで落ち武者のように、髪を肩のあたりまで伸ばしていた。

「どうした?」

 村長はそう尋ねた後、六人の見慣れぬ者達に目を遣って少し驚いた顔をした。

「ご無沙汰しております、桜雪です。お変わりありませんか」

 桜雪は努めて丁寧に話を始めた。

「ああ、桜雪さんか。いや、お久しぶりですな。で、今日はどのような御用ですかな?」

「実は、八角村が鬼に襲われたという情報を得まして、その調査のため派遣されました。噂では八角村のあたりで鬼が出没したという話もあるようで、何かご存知の事があればと思い、伺ったのですが」

「このあたりに鬼が? それは本当ですか?」

「それが、本当のところはまだわからないのです。単なる妄言かもしれません」

「ふむ、今のところ、鬼が出るなんて話は聞いたことはないねえ」

「八角村が今どのような状況か、何かご存知はないですか?」

「この村は八角村と特に取引しているものはないからねえ。何か知っている者もいないと思うが・・・」

 村長が首をかしげて考えていると、案内役をしてくれた村人が口を開いた。

「そういえば茂さん、いつもここを通る八角村の商人、最近見かけないですね」

「そうだったかの」

「大きな荷車を大勢で運んでくるから、すごく目立つんですよ。このところ、ここは通ってないはずです」

 村長はしばらく考えていたが、何も思い出せないようだ。

「わしは覚えていないが、大府から物を仕入れるように依頼する者もいるから、もしかしたら誰かが何か知ってるかも知れんのう」

「そうですか、わかりました。他の方にも少し聞いて回りたいのですが、よろしいでしょうか?」

 桜雪の頼みに村長は

「ああ、構わんよ」

 と快諾してくれた。

 その後、何人かの村人に話を聞いたところ、気になる情報が得られた。

「この前、大府に向かう商人に酒を仕入れてくれと依頼したんだがな。一向に戻ってこないんだ。前払いで米を渡したというのに、こっちは大損だよ」

 商人たちは大府への往来途中で行方がわからなくなったらしい。すると八角村には戻っていないということだ。桜雪らは、商人が通ると思われる道を使ってここまで来たのに、途中で出会うことはなかった。どこかで神隠しにでも遭ったのだろうか。しかし、八角村に戻る道は一つではない。六道村を通らない道が少なくとも一つある。そちらは遠回りな上に少々危険なので、普通なら避けるはずだが、何かわけがあってもう一つの道を使った可能性はある。まだ結論を出すことはできなかった。


 それ以上の情報は得ることができず、一行は宿へ移動した。宿と言ってもただの空き家である。この頃は、宿屋などというものは存在しなかった。たいていは空いている家を宿として無償で使うことができたからだ。もちろん、村の許可は必要である。食事も自分達で用意するのが基本だ。

 小春は、一軒の家を一人で使用することができた。他の五人は別の家で雑魚寝だ。一緒でも構わないと小春は申し出たが、男五人の中で女性ただ一人というのは何かと気疲れするだろうからとその申し出は却下された。小春が食事を終えて一人部屋でくつろいでいたとき、戸を叩く音がした。

「どうぞ」

 と声を掛けると、戸を開けて入ってきたのは桜雪だ。

「明日は少し早めに出発する予定だ。次の村まではそんなに時間はかからない。そこでも情報収集する予定だが、得るものがなさそうなら早めに切り上げてそのまま進むことにしたい。その場合は、八角村に到着するのは夜遅くになるだろう」

「わかった」

「他に何か聞いておきたいことはあるか?」

 小春は少し間をおいてから尋ねた。

「なぜ、同行することを許したんだ?」

「どういう意味だ?」

「私は妖怪だぞ。大府では妖怪は排除すべき者なのではないのか?」

 桜雪は、しばらく目を伏せたまま黙っていたが、やがて小春の顔を見て口を開いた。

「確かに、大府は妖怪には排他的だ。大府だけではない。ほとんどの村が妖怪を忌み嫌う。特定の妖怪を敬っている村もあるようだがな」

 ごく少数であるが、人間に尊敬される妖怪というのも存在する。天狗の伝説はその稀な例の一つだろう。

「だが、それは妖怪側にも責任がある。過去に多くの人間が、妖怪のせいで命を落としているのだからな」

「全ての妖怪が人間を殺してきたわけではないだろう」

「その通り、人間とともに暮らすことを選んだ妖怪もいる。小春殿もそのようだな」

(好きで人間に関わっているわけではないがな)

 小春は心の中でそう反論した。

「しかし、ほとんどの妖怪は人間に敵対的だ。封術が生まれるまでは、人間は妖怪に苦汁をなめさせられ続けた。大府が妖怪を寄せ付けないのは過去の教訓から学んだ結果だ」

「敵対的になった理由があるのではないか?」

「ふむ、それはそうかもしれんな」

 桜雪は、ニヤリと笑みを浮かべて言った。

「話がずれてしまったな。全ての妖怪が人間に対して敵対的であるわけではないのと同様に、全ての人間が妖怪に敵対しているわけではない。少なくとも俺は、全ての妖怪を排除しようなどとは思っていない。相手が友好的ならばそれに合わせるさ」

「私が友好的だとどうしてわかる?」

「少なくとも刃を向けようとはしなかっただろう」

「それだけで信用するのか?」

「それだけで十分さ。それにな」

 桜雪は満面の笑みを浮かべてこう続けた。

「俺は女性に刃は向けない主義なのさ」


 小春は、広い部屋の中で一人、寝転がって天井を眺めていた。

 人間と妖怪が互いに敵対し合うようになった原因を小春は知らない。

 過去の苦い経験から、それは人間の側に原因があると小春はずっと考えていた。

 小春は、人間を大きく三つに分類していた。一つは自分に益となる者、一つは自分に害を及ぼす者、最後に自分と関わりを持とうとしない者。

 世の中には、自分と関わりを持とうとしない者が圧倒的に多い。それは自分が妖怪だからではない。小春は幸い、自分から明かさない限り妖怪だとは気づかれることがなかった。たいていは人間だと思われる。それにもかかわらず、よそ者というだけで忌み嫌う人間は多かった。簡単に相手を信用するような者はほとんどいない。

 そんな人間の性が、妖怪の反感を買ったのだというのが小春の持論だった。

 最近は、少し考え方が変わってきている。

 人間にも桜雪のように妖怪に寛容な者はいるし、逆に妖怪にはあの河童のような悪党がたくさんいる。

 もちろん、悪党は妖怪ばかりとは限らない。人間の悪党もたくさんいる。そんな中で生きていれば、自然とよそ者を排除するようになるだろう。

 結局、鶏が先か、卵が先かという話になってしまう。

 小春はそれ以上考えるのを止めた。そのとき初めて、外からの雨音に気づいた。夕方は晴れていたのに、いつの間に天気が変わったのだろうか。

(明日までに止めばいいけど)

 布製の袋は柿渋で染められ多少の雨には平気だが、あまり大きな雨が降れば、たちまち中の荷物が濡れてしまう。

 雨の日は、できれば移動は避けたいところだ。しかし、今回は相手に素直に従うしかあるまい。

 雨が止むことを祈りつつ、小春は寝床に入り眠りに就いた。


 翌朝はまるで滝のような雨が降っていた。

 小春は出発の支度を終えて部屋を掃除していた。宿を借りたら掃除をするのが慣習となっている。

 ちょうど掃除が終わったところで戸を思い切り叩く音が聞こえた。

「開いてるよ」

 と小春が大声で叫ぶと、戸を開けたのは番傘を差した蒼太だった。

「小春殿、出発は雨が止むまで待つことにしたよ。朝食の準備をしたから一緒に食べないか」

 蒼汰の後に続き、五人が泊まっている宿に入る。囲炉裏に鍋が吊り下げられていた。粥を炊いたようだ。昨夜の夕食にも小春は声を掛けられた。

「食事まで提供してもらっていいのか?」

「気にするな。食材が多すぎて五人では食べきれそうにないからな。残すのももったいないだろう」

 桜雪の言う通り、鍋には様々な食材が煮込まれてやけに豪勢だった。結局、六人で食べても食べ切れる量ではなかった。

「村の者から食材を分けてもらったのだ」

 と桜雪は言っていたが、おそらく貨幣と交換したのだろうと小春は推測した。あれほどの量の食材をただで分けてもらえるとはとても思えない。

 粥をすすりながら、皆はとりとめのない会話をしていた。

「昨日は晴れていたのにな。まったく、こんな雨になるとは予想もしてなかった」

「長引かなければよいが。ここにずっと貼り付いているわけにもいかないだろう」

「まあ、こればかりはどうすることもできないからな。じっと待っているしかあるまい」

「しかし、あまりに長引くようなら強行するしかないな」

「できればそれは避けたいものだ」

 そんな会話の中で、正宗が小春に問いかけてきた。

「ところで、小春さんはどちらのご出身なのですか?」

「白魂という場所なのだがご存知か?」

「ええ、名前は聞いたことがあります。かなり大きな集落だとか」

「遠い昔の話だ。鬼が出るようになってからはかなり衰退した。私が旅を始めた頃は、もう普通の村と変わらなかったな」

「いつ頃から鬼が?」

「私が生まれるよりずっと前だから、いつ頃から現れたのかはわからないな」

 小春がそう答えた後、紫音がふと思い出したようにつぶやいた。

「白魂と言えば、その昔、剣生という剣の達人がいたと聞いたことがある。その強さは比肩するものはないと言われていたそうだ。しかし、すでに亡くなったということだが」

「剣生は私の師匠だった男だ。鬼に殺され、今はもういない」

「なんと! そなた、剣生の弟子だったのか」

「弟子というよりは養女として育てられていた。物心がついた頃にはすでに一緒に生活していたな。しかし、剣を教えてもらったのは、ほんのわずかな期間だけだ」

「剣生というのはどういう男だったのだ? 強かったのか?」

「恐ろしく強かった。時には五体の鬼をあっという間に切り伏せた事もあった。剣だけではない。強力な妖術も使えたからな」

 剣生に関する逸話は数多く残されている。空を自在に飛び回り、しかも姿を見せることなく相手を攻撃できたことから、気づかぬ間に葬り去られた鬼はたくさんいたであろう。

 剣生が相手にしたのは鬼だけではない。鬼が誕生するよりずっと前から、彼の噂を聞きつけ、妖怪退治の依頼をする者はたくさんいた。特に有名なのが、北方の山に住んでいた大妖怪『七色の双子竜』の討伐だ。

 全身が七色に光り輝く鱗で覆われたこの竜は、一つの体に二つの頭を持っていた。片側の口からは全てを焼き尽くす灼熱の息、そして、もう一方の口からは全てを凍らせる冷気の息を吐き出すことができた。年に一度、山から下りて麓の村々を襲い、人を食らっていたため、付近の村人たちは絶えず怯えて暮らさなければならなかった。退治しようにも、七色の鱗は刀や槍、弓矢で傷つけることができず、口から吐き出される強力な息だけでなく、鋭い手足の爪や長い尾による攻撃は人間を瞬時にバラバラにすることができるほど強く、とても人間が敵う相手ではなかった。

 剣生と双子竜の闘いは、何日にも及んだと伝えられる。最後には、双子竜の二つの首を斬り落とし、剣生が勝利した。このことが、剣生の名声を不動のものにしたのだ。小春が生まれるよりも遥かに昔の話である。

 人間の依頼を受けて妖怪退治をしていた剣生は、当然のことながら、人間からは尊敬される反面、妖怪に恨まれることも多かった。しかし、鬼が現れ、剣生が鬼の討伐を行うようになってからは、妖怪からも支持を得るようになった。鬼は人間のみならず、妖怪にも危害を加えていたからだ。

「妖術が使えるということは、剣生は妖怪だったのか?」

「ああ、天狗の一人だ。白魂を作ったのは剣生なんだ。だから、村人からは非常に尊敬されていた」

「天狗か・・・それなら強いというのもわかる」

 紫音は天井を見上げて言葉を続けた。

「もし生きていたら、一度でいいから会ってみたかったものだ。もし叶うなら手合わせをお願いしたかった」

「師匠は偏屈だったからな。簡単には願いは通らなかっただろうな」

「俺は小春殿が羨ましいぞ。天狗から直々に指導を受けられたわけだからな」

「羨ましいものか。修行はすごくつらいものだった。期間が短くて助かったよ」

 話を聞いていた正宗が、不思議に思い、尋ねた。

「剣生殿は鬼に殺されたということですが、そんなに強い者がどうして倒されてしまったのですか?」

 小春の表情が曇った。

「それは・・・私の責任だ」

 小春の表情を見てそれ以上誰も言葉を発することができなかった。やがて龍之介が口を開いた。

「やっ、雨が止んだようですぞ」

 さっきまで聞こえていた轟音がなくなり、外は静まり返っていた。

 戸を開けると、雨は止み日差しが戻っている。

「変な天気だ。夜中からずっと降っていた豪雨が突然止みやがった。よし、これなら出発できるだろう。そろそろ行くか」

 桜雪が皆にそう呼びかけた。


 六道村を出発し、一行は北へ歩を進めた。

 豪雨の影響は予想以上に大きかった。道はぬかるみ、いたる所で水が斜面を流れている。途中、崖沿いに大きな川が見えた。濁流が滝のように流れ、見ているだけで吸い込まれるような錯覚に陥る。崖から落ちたらひとたまりもないだろう。幸い、道は広かったが、途中で土砂崩れのために道が塞がっている箇所があって、土砂でできた滑りやすい斜面を用心深く進まなければならなかった。

 鬼が現れる気配はなかった。悪路を進むこと以外は特に問題もなく、夕方には次の村に着くことができた。

「やれやれ、ひどい道だったな。これ以上進むのは危険だろう。今日はここで一泊していこう」

 桜雪はそう言うと、早速村の者に声を掛けて村の長のところまで案内してもらった。

 この村は『香仙村』という。古くから様々な香草を育てて八角村に納品していた。当然、八角村とのつながりは深いので、ここなら有益な情報が手に入るだろうと桜雪は考えていた。

「八角村にはいつも、大府から戻ってくる商人にものを渡すようにしてますが、行ったきり戻ってこなくて困っていました」

 村の長から聞いた話は、六道村での情報と合致する。やはり商人はここを通った後、何らかの理由で帰ることができなかったか、もしくは他の道を使ったようだ。

「仕方ないので直接八角村へ行って納品をしてきましたが、なにやら変な噂を聞きまして」

「どんな噂ですか?」

「なんでも、いずれ八角村に鬼が現れ、襲われるなどと触れ回っている集団がいて、そのせいで材料が届かず御札が作れないとぼやいていたそうで」

「実際に鬼に遭遇した者はいるのですか?」

「いや、今のところ、そんな話は伝わってないですねえ」

「どんな集団かお聞きになってはいないですか?」

「なんでも、たいそうな美女が一人いるらしいが、それ以上のことは聞いていません」

 何者かはわからないが、どうやら鬼の出現を予言して回っている輩がいるらしい。それがいつの間にか、すでに鬼が現れたという話になったのだろうと桜雪は判断した。

 他の村人にも話を聞いてみたが、それ以上の有益な情報は得られず、一行は宿に移動することにした。

 その日の夕食も、小春は同席することとなった。昨夜に負けず劣らず様々な食材が並ぶ豪華なものであった。

「鬼が現れると予言したという奴、いったい何者だろうか?」

「おおかた、鬼を寄せ付けない札などと言って売りつけるいかさま師であろう」

「しかし、小春殿の話ではこの界隈でも鬼が出たわけだろう。あながち嘘だとも言えない」

「では、八角村にいずれ鬼が出るとでも?」

「いや、もしもの話だ。十中八九は虚言であろう」

「何のためにそんなことを?」

「八角村は封術のための札を作っている。その札が作れなくなるように噂を流した可能性はある」

「そうすると、その集団は妖怪の類で、大府に侵入することを企んでいるのか?」

「もしくは、商売敵ということも考えられる」

「もし会うことがあれば、一度問い詰めてみたいものだが」

「いずれにしても、今のところ八角村は無事であるようだな。しかし商人の行方がわからないのが気になる」

「八角村に着いたらまずは聞き込みだな」

 いろいろな憶測が飛び交う中で、小春は黙々と目の前にある食材を片付けていった。

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