第4話 初めての戦い


 ヴァルムス家の屋敷は、フレイスフェン家の屋敷からそう離れていない場所にあった。元々、この地区は貴族の屋敷が集まっていると所だと優斗は聞いていた。

 クラウスを始めとした四名家の元当主たちは、魔国の政権中枢であるため、王都に居ることが殆どだという。

 ヴァルムス家の当主、カワードも在宅しており、優斗とクラウスはすぐに応接室へと通された。

 そこで待っていたヴァルムス家当主、カワードはクラウスから事前に聞いていた通りの容貌だった。

 年齢は六十歳。髪の毛は全てが白髪となっており、顔は皺だらけだった。元の世界と比べれば、年齢よりもずっと年を取っているように見える、疲れた老人だった。だが、クラウスも同じような事を言っていたので、この世界でも実年齢よりも上に見えてようだった。

 

 悪く言えば萎びた《しな》老人だったが、魔王を輩出したヴァルムス家の当主になって以来、数十年に渡って現魔王であるトモエの一番の側近として権力を振るってきた人物だ。その能力は少しも衰えてはいないとクラウスは話していた。


「お初にお目に掛かります。ヴァルムス家のカワードに御座います。この度は、私の方からご挨拶に赴くのが遅れたは怠慢の至りでございます。どうかお許し下さい」

「フレイスフェン家の優斗だ。魔王候補として、この世界に召喚された。陛下と魔国のため努めようと思う。これから宜しく頼む」

 

 優斗はこれまで練習させられた挨拶を行った。それを聞き、カワードは


「ありがたきお言葉です」

 と深々と頭を下げた。

 優斗とカワードは、立場的には四名家の当主と同じだが、位として魔王候補となる優斗の方が上だった。

 

「しかし、噂には聞いていましたが片側のみとは珍しい」

 

 カワードが言う「片側」、とは魔王の証である赤い目の事に違いなかった。今回召喚された魔王候補の中で、優斗のみ、目の変化が右眼だけという形になっている。

 クラウスがカワードに答える。

「確かに、文献等でも見かけた事がありません。正に、魔国に新たな歴史を作るに相応しいのではないでしょうか」

「なるほど……」


 クラウスとカワードはそのような雑談を、たまに優斗も挟みながら続けた。事前に、主にはクラウスが話すというように決めていたのだ。

 しばらくして、クラウスが本題を口にした。


「カワード様、この度我らが参りましたのは、ご挨拶の他に一つ、相談したき事があったからです」

「ほう、なんでしょう?」

「昨年は魔国全体で、小麦が不作となったのは周知の事です。それに関する事なのですが、小麦を少々、我が領地にご都合をつけて頂きたいのです」

「如何ほどでしょうか?」


 クラウスは数枚の紙を取り出し、それをカワードに渡した。


「ふむ……。誠に申し訳ありませんが、この度はご希望に沿う事ができませぬ」


 その紙をしばらく眺めたあと、カワードは顔をしかめてそう言った。優斗には、わざとらしい演技のように感じた。


「おや、まだカワード様のお持ちの小麦には余裕があると思ったのですが。そちらに記したように、分割でも構いません。何とかなりませんか?」

「実は、先日も同じ相談を持ち掛けられまして、もうそちらにお譲りできる余裕はないのです」

「同じ相談?」

 クラウスはいったん言葉を止めて、優斗と目を合わせた。


「はい。実はオレストス家からも小麦の都合をつけて欲しいとお願いありまして」

(オレストス家?)


 優斗はハッとした。


「美奈か……」

「はい。ミナ殿下からの依頼です」


 美奈は、優斗と同じくこの世界に召喚された魔王候補の一人だ。そして今はオレストス家の当主となっている。

 その美奈が、小麦を求めている。


「一体何のために?」


 優斗は自然と、カワードに尋ねていた。


「理由までは存じません」


 カワードはそう言った。もしかすれば、美奈が小麦を求めている理由まで知っているのかもしれないが、そこまで言うつもりはないだろう。


「オレストス家の領地で食料が切迫しているとは聞いていませんが」 


 クラウスがそう呟く。


(何のために小麦を……? まさか、小麦を買い込むつもりか?)


 魔国全土で小麦が不足気味であれば、小麦の値段は高騰していくだろう。それを見越し、今の内に小麦を買いだめし、値段が上がった所で小麦を売って利益を上げるつもりなのではないか。

 優斗は少し考えてその可能性に行き着いたが、美奈が小麦を求めている理由はともかく、このままではアルバ人の食料とする小麦の調達ができない。


「殿下、残念ですが、別の方法を考えたほうがいいかと思います」


 クラウスはそう言って、テーブルの下にある優斗の膝をそっと叩いた。この話はもう終わりにしろという意味だ。だが、優斗は引き下がれなかった。

 こちらはアルバ人の命がかかっているのだ。美奈の目的は分からないが、もし小麦の値段の高騰が目的だとしたら、そんな事のために引き下がるわけにはいかなった。


「カワード様、何とか小麦を我々に用意して貰えないでしょうか」

「殿下――」

 クラウスが優斗の言葉を遮る。もうこれ以上は喋るなという意思表示だろうが、優斗は止まらなかった。


「美奈の目的は分かりませんが、こちらは人の命が掛かっているのです」

「おや、フレイスフェン様の領地内でそこまで食糧事情が切迫しているとは、初耳です」

「アルバ人達の事はご存知だと思います。彼らの食料事情が切迫しているのです。早く手を打たないと餓死者が出てしまうかも知れないのです」

「ほう……」


 優斗はカワードの表情が変わったのを感じた。


「アルバ人とは、あの人間ども難民ですか」

「そうですが……」


 カワードはわざとらしいため息を漏らした。


「あの者どもは、所詮は薄汚い人間。しかも、同じ人間からも追われた敗北者ではないですか。今は魔王陛下の恩情で魔国で暮らしておりますが、この上更に食い物を恵んでやる事など……。奴らを図に乗らせるだけでしょう」


 カワードの言葉には、その中身通り、人間に対する侮蔑の感情が満ちていた。

 優斗は湧き上がってくる怒りを抑え、何とか平静を装って言葉を続ける。


「ですが、彼らは正式に陛下の許可を得て魔国に暮らしているのでしょう。もはや魔国の民と同等に扱うべきでは? せめて衣食住の保証はしないと、魔国の体裁にも関わるのでは?」

「確かに一理ありますなあ。しかし、すぐに食料を恵んでやる事もありますまい。少しは焦らせた方が、連中の魔国への恩義を感じるのでは」

「その少し、とはどれくらいです。確かに、いきなり全員が飢えて死ぬ分けではないでしょう。しかし、子供や病人、老人などの弱い者はどうなります。そういった者からまず死んでいくのでは。我々のその小細工のせいで、僅かでも死人が出るのは不本意では?」

「殿下、こんな考え方もできます。家畜も数が増えすぎると餌に困るものです。今は餌が足らず、家畜の数を増やす事が出来ない。ですが家畜の数が減って、つまり食い扶持が減れば、また家畜の数を増やすことも可能になる。そう、これは自然の摂理では?」


(こいつ……)


 優斗の抑えていた怒りが燃え上がってきた。

 優斗も数日前までは人間だった。今も人間を蔑視するような感情はない。

 カワードの発言は看過できなかったのだ。


(そもそも、カワードは小麦はもうないと言っているが、そんなわけはないはずだ……)

 

 小麦不足による値段の高騰。そして高騰した値段で小麦を売ることで獲得できる利益。そんな事は誰でも考えつく事なのだ。


(カワードは、後で自分で売り払う分の小麦はため込んでいるはずだ)

 

 その確信が、優斗の怒りを更に膨らませた。


「カワード殿。あなたは貴族であって商人ではないはずだ。貴族に相応しい行いをして欲しいものです」


 怒気を隠さずに発した優斗の言葉。それには、カワードをまるで商人だと遠回しに揶揄する意味も込められている。

 当然、カワードはその言葉の意味を悟り、表情を硬くした。


「ふむ。ユウト殿下は随分、人間共には甘いようです。殿下のその外見のせいですかな?」

 

 そう言ったカワードの表情は笑っていたが、言葉には明らかに敵意が籠っていた。言葉の内容も、片目のみが赤目でその他は人間と変わらない優斗を侮辱するものだ。


「殿下……」


 クラウスが優斗に声をかける。


「あまりカワード殿を困らせてはいけません。小麦は別の手を考えましょう」


 この場は切り上げろというクラウスのはっきりとした意思表示だった。

 優斗の怒りは収まらなかったが、これ以上カワードと話しても無駄だという事は理解した。


「カワード殿、失礼しました。我らはこれで……」

 

 優斗とクラウスはそうして退室しようとした。そこにカワードが声を掛けた。


「殿下、お優しいのは大変ご立派ですが、行き過ぎた優しさは単なる甘さであり、王者の資質ではありません。どうか、我らの期待を裏切らぬようお願いします」

「肝に銘じます」


 優斗は自分の表情が引きつっていないか心配しながら、カワードにそう答えて部屋を後にした。




「あれはあまり良いとは言えませんぞ、殿下」


 馬車に乗り込むなり、クラウスは苦言を呈した。もちろん、優斗がカワードに対する言葉と態度についてだ。


「分かってますよ」

 

 優斗は不貞腐れて答えた。カワードの態度に、自分も熱くなって失敗してしまった事は分かっている。


「これでヴァルムス家の小麦はあてに出来なくなったかな。しかも、当主様からも嫌われてしまいましたかね」

「ヴァルムス家の小麦があてに出来なくなったのは確かですが、嫌われたというのは少し違います。我々には、元々良い感情はもっていないでしょうから」


 クラウスの話によると、ヴァルムス家は四名家の一つだが、異世界から召喚されたトモエを補佐し、魔王にさせた一族だ。そのため、トモエが魔王である限り、魔国で一番の権力を持っている一族だ。

 だが、魔王を輩出した一族は、次の三人の魔王候補を預かる事が出来ないという。つまり、今回の魔王候補である優斗、美奈、相馬の誰が魔王になろうとも、ヴァルムス家は「現魔王の一族」という肩書と地位を失う事になるのだ。

 

「なるほど。つまり、フレイスフェン家を始めとした、今回の魔王候補を支援する名家は目の敵にされていると」

「はい。まあ、それでも殿下のお振舞で他の三名家の中では一番目をつけられてしまったかも知れませんが」


 カワードは元々、人間に対してはいい感情は持っておらず、蔑視する態度だったという。


「しかし、人間を蔑視するのはカワードだけでなく、他の貴族にも少なくはありません。そんな方々にとって、人間族であるアルバ人を助ける行為は喜ばれません。また、誠に恐れ多いことですが、殿下の外見もそういった貴族には敵意の対象となるやも知れません」


 優斗の外見、つまり魔王と魔王候補の象徴である赤い目が片目だけに表れている事だ。

 優斗はクラウスの言いたい事を理解した。


「つまり、俺は魔王候補として半端者で、人間の味方をしていると思われると? だから、この件から俺は手を引けと?」

「恐れながらそれも選択肢の一つかと。このまま、アルバ人援助のための行動を続ければ、少なからず殿下に対して悪い印象を抱く貴族も現れてくる事かと思います。それは殿下にとっても、我が一族にとっても好ましい事ではありません」

「アルバ人は見捨てろと?」

「見捨てろとは言いません。アルバ人の管理は確かにフレイスフェンの役目ですが、魔国での定住をお認めになったのは陛下です。陛下も、何らかのご支援をして頂けると考えられます。フレイスフェンだけで行動するのは少し危険があります。陛下のご判断を仰いでからでも遅くはありません」

「だが、陛下に今は相談する事はできない。待つしかないと?」


 ここで優斗はある疑念が浮かんだ。

 クラウスにアルバ人の状況を聞かされ、優斗の判断からカワードに小麦の援助を頼むという行為を行った。だが、クラウスはカワードが人間に対して良い感情を持っていないと言っていた。

 今回、美奈が先に小麦を購入したという理由で優斗達の頼みを断ったが、それがなければ、優斗たちの頼みを聞いたのだろうか。何だかんだと理由をつけて断ったのではないか。

 クラウスはカワードの性格を知っている。このような結果になるのも分かっていたのではないか。となると、何らかの対処をしながらトモエの判断を待つというのは、クラウスの中ではとっくに導き出されていたのではないか。


(俺を試している? それとも社会勉強をさせてるつもりか?)

 

 恐らくは両方だろうと優斗は考えた。結局のところ、今回の訪問もクラウスは初めから小麦の支援などは当てにせず、ヴァルムス家への挨拶程度にしか思っていなかったのだろう。


(完全にクラウスの掌の上だ)


 思わずため息が漏れそうになる。

 だが、それとアルバ人に降りかかっている問題は全く別の話だ。優斗は頭を切り替えた。


「陛下のご判断を仰ぐとしてもそれがいつになるか分からないのでしょう?」


 人命が掛かっているから休養なんて取りやめろと、元の世界ならば言えるのだが、この世界では倫理も理屈も全く異なる。


「何とかフレイスフェンの領土内で食料をやりくり出来ませんか。陛下の支援が来るまでの間だけでよいのです」

「我が領地内の食料で賄うのは限界です。アルバ人に食料を与えれば、他の者が飢えてしまいます」


(まあ当然か。だからこそ、外部から小麦を調達しようとしていたわけだからな)

 ふと、優斗はここである事を思いついた。


「クラウスさん、最初の話で小麦を積んだ船が座礁したと聞きましたが、それはどこから手に入れようとした小麦なんですか? そこから何とかもう一度購入は出来ませんか?」

「殿下……」


 クラウスは言葉を濁した。優斗がこの件から手を引く気がないという事が分かったからだろう。

 優斗はつい数日前にこの世界に召喚された人間だ。元の世界に帰りたい、家族に会いたいという気持ちもある。この世界の誰が苦しもうと関係ないと言い切る事も出来たかも知れない。

 優斗はとりあえずクラウスの言葉に従ってこの件から手を引けば楽なはずだった。だが、それは出来なかった。


「クラウスさんの言う事も分かります。確かに、人間の味方をしていると多くの貴族に思われては、フレイスフェン家の政治的な痛手になるかもしれません。でも、魔族であろうが人間であろうが、魔国に暮らす者は、全て同じく魔王陛下の民ではありませんか。それに、アルバ人の町で餓死者が出るような事態になれば治安も悪化するのでは? 最悪、暴動や反乱といった事態にもなりかねません。それこそフレイスフェン家にとって痛手ではないでしょうか?」

「確かに仰る通りではありますが……」


 優斗は、自分の行動が、正義感からなのかどうか分からなかった。ただ何かに突き動かされていたのだ。

 まだ難色を示すクラウスを見て、優斗は最後の手段としていた言葉を放った。


「クラウスさん、フレイスフェン家の今の当主は俺の筈です。上手くいくかどうかは別として、打てる手は全て打ってアルバ人を、民を助けましょう。フレイスフェン家はこの問題に全力を上げて下さい」


 その言葉を聞いたクラウスは優斗の目をまっすぐに見据え、そして一言だけ呟いた。


「承知しました、殿下」


 正直、優斗はあっさりと折れたクラウスに驚いた。もしかすれば、今までの態度は優斗をフレイスフェン家の当主として、その気にさせるための作戦かも知れないと思った。

 だが、未だにクラウスの掌の上だとしてももう後戻りは出来なかった。


「それで、最初はどこから小麦を買おうとしてたんです?」

「それは、人間の国、キリリア共和国からでございます」


 キリリア共和国は魔国から見て海を隔てて南東にある小さな通商国家だった。


「そこから再び購入するのは難しいのですか?」

「正直、今のままでは難しいと思います」


 クラウスの説明によれば、今回小麦を購入しようとしたのは付き合いのあるキリリアの商人からだが、基本的に現金払いしか認めていないという。しかも、魔国の貨幣ではなく、何れかの人間の国の貨幣での支払いしか認めていないという。そのため、座礁した船の小麦の代金も何とか人間の国の貨幣をかき集めて支払ったのだという。


「随分厳しい条件ですね。やはり、魔族というだけで信頼されていないのでしょうか?」

「少し違います。キリリアも他の人間の国々の顔色を気にしているようです」


 魔族との商いを活発にする事で、他の人間の国との摩擦を引き起こす事をキリリアは恐れているという。特に、食料や武器の扱いは様々な形で、通商を制限しているという。


「まあ、何とか説得するしかないでしょう。殿下は明日にでも東の我が領地へお向かい下さい。魔王候補という肩書も役に立つと思います。私は王都で資金集め、というか人間の貨幣集めを致しますので、向こうでは娘のセシリアをお使いください。恐らくは、殿下と気が合うと思いますよ……」

 

 結局、問題のセシリアをこちらから訪ねる形になってしまった。ますます、この流れは全てクラウスのシナリオ道理なのかと優斗は勘繰る事になった。

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