第22話 煌めきの先に

鄭が許から撤退した後、周の桓王の使者がやって来た。使者の要件は


 鄭から鄔、劉、蒍、邗の四つの地を取るということであった。そして、その変わりに蘇忿生の地である温、原、絺、樊、隰郕、欑茅、向、盟、州、陘、隤、懐の十二の地を与えるということであった。


 蘇忿生とは如何なる者であるのか、蘇忿生とは周の武王に従った諸侯であり、稀代の悪女として名が残されている妲己の父であると言われている人物である。


 さて、なぜその蘇忿生の地を与えるのであろうかそれは周の桓王にその地域の人々が従わないことが理由である。つまり、桓王は自分が保有できない地を鄭に押し付けようというわけである。しかも鄭の保有する地を引換に、である。


 これはある意味では鄭の祊を魯に渡したことに対する意趣返しかもしれない。


 だが鄭の荘公はこれが王命なため断るわけにはいかない。そのため彼は使者にこれを同意した。


 これにより、桓王は厄介な地を鄭に押し付けることもでき、笑みを浮かべたがそれを近くにいる周公・黒肩は


(これで鄭は王室から離れることを決めるだろう。己が保有することできないものを相手に押し付けるようでは礼に外れているではないか)


 黒肩はこの先のことを思いながら彼はため息を吐いた。


 この頃、鄭と息が刃を交えた。刃を交えた理由は言葉の食い違いだと言われている。結果は鄭の大勝である。


 十月、鄭は虢と共に宋を攻めた。虢がいる理由は王命として引っ張り込んだのだと思われる。宋は鄭、虢の前に大敗した。


 この頃、魯で政務を行う隠公の元に訪ねてくる者がいた。羽父である。彼は隠公にあることを提案しようと思い訪ねたのである。


「何の用か」


「あなた様にご提案したいことがございまして」


「何だ。申せ」


 隠公は早く話せと言うかの如く、羽父に言った。


「では、この魯の民はあなた様が既に魯の国君と思っております。そこで私はあなた様に摂政ではなく正式に国君の位に付いていただきたい。そのための手段は私に御任せていただきたい」


 羽父は隠公に正式な国君になれというのである。そう隠公は魯の長として、諸侯たちとの外交を行い政務を行ってきたが本来は魯の国君は隠公の弟である允なのである。だが彼が幼少のため代わりに隠公が政務も行ってきた。


 だが隠公が摂政を行ってから既に十一年経っており、允も既に成人に達している。それにも関わらず、隠公は未だ摂政を行っている。それを周囲の者がどう思うだろうか。隠公には允に政権を渡す意思がないと思うようになったのではないか。その一人が羽父であった。


 彼は慎重な人物である。そのため静かに隠公という人を見続けてきた。その結果隠公が允に政権を渡すことはないと確信した。そして、彼は己の野望を叶えるため遂に彼は隠公に進言したのである。


 因みに彼の野望とは宰相になること、そして、隠公に言った手段とは允の暗殺である。つまり、自分が手を汚すそのかわり、自分を宰相にしてくれということである。


 ところが彼の思惑とは真逆な事態となった。


「私は弟が幼いため摂政になったのである。私は弟にそろそろ位を返したいと考えていた。位を返したあとは菟裘(地名)に隠居するつもりだ」


 隠公がそのようなことを言い出したのである。


「さ、左様でございますか」


 これには流石の羽父も激しく動揺した。隠公は今更、位を返すというのである。そのつもりであればもっと早く渡せば良いのである。それにも関わらず今まで摂政を続けていたではないか、なぜこの状況で言い出すのか。この隠公の発言は羽父にとって非常に不味い。


 なぜなら彼は遠まわしに允の暗殺を示唆したのである。このことをもし、国君に即位した允が知ればどうなるか、果たして自身を暗殺しようとした者を許すだろうか。答えは否である。もしそのような者がいればその者は余程の名君か狂人であろう。


(不味い、これは非常に不味い)


 羽父はこの状況を打開する術を必死に考えた。彼は外交を担い、人という者をよく知っている男である。故に彼はここで逆転の発想をした。


 羽父は直ぐ様、隠公の元から離れると、あるところへと向かった。向かった先は允の部屋である。


(允はまだこのことを知らない、ここが勝負どころだ)


「何の用であろうか羽父殿」


 允は突然やって来た羽父に問いかけた。羽父はわざと憂いた表情をしながら


「公は正式に国君の位に即き、あなたを除くつもりでございます」


「なんだと、私は太子であるぞ。あの者は摂政でしかないはずだ」


 怒りを顕にしながら声を荒らげた。


「左様でございますが私はしっかりとこの耳で聞きました」


「真のことであるか」


 允は愕然とした表情をしながら言った。


「されどそれを何とかする術があります」


「その術とは」


「公を暗殺致すのであります」


「なんだと、そのようなことはできぬ」


 允は流石に隠公を殺すことを渋った。允という人にはそういった度胸はない。


(それでは困るのですよ)


 羽父としてはここが勝負どころである。ここで允が隠公の暗殺に同意しなくては自分は破滅するのである。


「ならば公に殺されますか、このまま、国君の座を渡すというのですか」


 羽父の言葉に允は言葉を詰まらせる彼とて、死にたくもなければ国君にもなりたいのである。


「あなた様は何もしなくて良いのです。ただ私にお命じ頂ければ良いのです。後は全て私にお任せを」


「左様か・・・どの様に暗殺を行うのだ」


(勝った)


 羽父は胸を震わした。これで自分は破滅を免れ、


(きっと宰相になれるだろう)


 そう思いながら羽父は允に近づき、


「公は今度、隠公が鍾巫(神のこと)を祭るため、大夫・寪氏(いし)の屋敷へそこに向かいます。そこで事を成し遂げようと思いまする」


 羽父は心に笑みを浮かべながら允に言った。


 隠公がまだ公子の頃、鄭と狐壤で戦を行い。その戦で捕虜となったことがあった。


 鄭は彼を鄭の大夫の尹氏に監視させた。そこで隠公は尹氏に賄賂を渡し、こう言った。


「私を魯に帰して頂ければ、あなたが祭主を務めている鍾巫を祭ろう」


 尹氏はこの言葉に同意し、隠公を魯に帰し、自分も魯へ行った。隠公は摂政を始めた後も尹氏との約束を守り続けていた。


 十一月、隠公は鍾巫を祭るため、社圃(園のこと)で斎戒して、寪氏の屋敷に住んだ。


 隠公は鍾巫を祭る中、彼は允に位を渡すことを考えていた。年も離れた弟であり、自分の妻になるはずだった人の子であり、本来自分が正式な後継者に選ばれる代わりに後継者に選ばれた彼を憎んではいなかった。


 隠公はこの祭祀を終えた後、正式に群臣たちへそのことを発表するつもりであった。そして、自分は隠居し、


(鍾巫を祭り続けよう)


 そう考えていた。そんな中、ふっと音が聞こえた気がした。


 隠公は気のせいだと思ったがその音は少しずつ、大きくなり始めた。どうやら走る音のようだ。


(何かあったのだろうか)


 音はこちらに段々と近づき、隠公の部屋の前に止まった。


 隠公は何事だと声を発しようと、音のする方向を向いた時、戸が開き、真っ先に刃の煌めきが見えた。その煌めきを見た時、


 隠公にはその煌めきの先に何故か仲氏の美しい顔が浮かび、そして、消えた。


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