第19話 鄭の荘公

 紀元前713年


 正月、鄭の荘公、斉の僖公、魯の隠公が中丘で会見を行った。鄭は宋討伐における協力を二国に要請したのである。二国は鄭のこの要請を受けた。その後鄧で会盟を行い、詳しい日程を決めた。


 五月、鄭、斉、魯の三国は宋を攻めた。


 この時、魯の羽父は期日よりも早く現れ、二国より先鋒の任を請い、許されると先鋒となって宋に攻め込んだ。


 六月、老桃で鄭の荘公、斉の僖公の元に魯の隠公が来て会見を行った。


 荘公は隠公に、魯の大夫である羽父が先鋒となって奮闘してくれていることについて礼を言った。


 だが隠公は荘公の言葉を受け取りつつも嬉しそうな顔はしなかった。


「おや、魯の公子が予定よりも早く参ったのは魯君の意思ではないようだな」


 荘公は祭仲に意見を求めるように言った。


「そのようです。魯の公子は己の主君のやり方に従わないどころか独断で行動しているようです」


「なぜそのような者を魯君は裁かない」


 荘公は祭仲にそう問いかけた。自分のやり方に従わないどころか独断で行動するような者は裁くべきではないのか。


「確かに裁くべきです。しかし、魯の公子は国交において失敗してはなく、国に益をもたらしています。故に魯君は裁かないのでしょう」


 隠公は羽父のやり方に不満を持っていても結果を出しているため裁けないでいる。だが荘公の感覚としては益をもたらそうとも裁くべきであると考えている。なぜならそのような者は必ず上の者に牙を向くからである。そう祭仲に言うと


「それでも魯君は公子を裁かないでしょう。魯君は国が混乱する事態になることを特に気になさる方ですので」


 隠公は羽父を裁けば国に余計な混乱をもたらしてしまうと考えている。そのため羽父を裁かないと祭仲は説明した。


 荘公は取り敢えず納得した。


 荘公と祭仲の間で話題に上がっている隠公は軍を率いて、宋軍と管でぶつかり、これを破った。


 鄭軍も宋を破り、郜、防の二つを取った。ここで荘公はせっかく取った二つの地を魯に譲った。


 人々は王命を受け、奮闘し奪った地を自分の者にしなかった荘公を讃えた。


「なぜ魯に二つの地を譲ったのですか」


 だが子元はこれに不満に思った。王命により取った地ならば自分の物にしても構わないと思うからである。そのため父である荘公にそれを伝えた。


「子元よ、これが政治だ」


 荘公はそんな子元に諭すように言った。


 荘公は宋ではなく周王のことを考えている。下手にこの地を自分の物とすれば益々周王は自分に不満を持つだろう。今でこそ周の桓王と対立しているが荘公は元々争いを好む人ではないのである。


(それに祖父の代から鄭は周王に仕えてきた)


 その思いが彼にはある。その思いが周の桓王と争うことを避けようとしている。だが


(陛下はそれを理解していただけない)


 ふうぅと思わずため息を吐きたくなるほど彼の悩みは深い。また魯に二つの地を渡したのは宋に一番近いのは魯であり、その魯が今回奮闘したのを讃える意味もある。


 それに今回の王命を伝えてもこの戦いに参加しなかった国もある。蔡、衛、郕である。


(その三国は宋に近い。その三国に対抗するためにも今は味方が欲しい)


 そういった考えに至れないところが子元の欠点である。子元は鄭が強い今しか知らない。それ故であろう。そのように荘公は目の前の子元に思いながら、鄭が今後どう有利に進めていくか考えを巡らし始めた。


 七月、鄭は郜、防から軍を退き、鄭の郊外に駐屯した。これを知った宋の孔父(こうほ)は今こそ、この隙に鄭を攻めるべしと主張した。


 宋の大夫たちはこれを不満に思った。ここ近年の戦で国力が下がっていると考えているためである。だが孔父に最も強く出ることができる華父督(かほとく)が特に反対しないので取り敢えずは孔父の言うとおり、従うことにした。


 宋は鄭の同盟国(鄭の属国の方が近い関係)の戴を攻めることにした。そこで宋は衛、蔡にも出兵を要請したのだがここで宋はずさんなことをする。


 衛には戴を攻める前に要請を出し、共に合流して攻めた。この攻めている途中で蔡を呼んだ。すると蔡が到着した頃にはなんと宋、衛の連合軍は戴を落としていたのである。蔡からすればわざわざ軍を率いてやってきたのについた頃には戦いは終わっていた。


 これは蔡が遅刻したというならばまだわかるが宋がもっと早く要請を出せば共に戦えていたのである。しかも宋軍は戦いが終わった後に蔡にここで共に駐屯せよと言う始末である。はっきり言えばこの戦に蔡は何もしていないのだから関係者でも何でもないのである。だが蔡軍の将は


(宋、衛との関係を良好にするためにもここは我慢しなくてはならない)


 と考え、これに同意した。


 この時、ものすごい速さで戴に迫る軍があった。なんと鄭軍である。


「明日には戴に着きます」


 祭仲が荘公に言う。その言葉に荘公は頷いた。荘公は鄭軍が退けば宋がやって来ると考えていたのである。また宋が自分たちだけでは戦わないことも読んでいた。そのため戴が攻められたと同時に動いた。つまり彼は戴を餌に宋、衛、蔡を誘き寄せたのである。


「斥候から報告があります」


 祭仲は斥候からの報告を荘公に伝えた。内容は宋、衛の後に蔡軍が戴にやってきたことである。


「ほう、そうか。ならばこの戦での勝利の価値は上がるな」


 荘公は意味深なことを言い、祭仲に


「先鋒の忽と祝聃に、更に速度を速めよ。そして、到着次第激しく戴を攻めたてよ、と伝えよ」


 こう荘公は命じた。


 翌日の朝、鄭軍は戴を激しく攻めたてた。宋、衛、蔡の三国はまったく鄭軍の襲来に気づいてはなく、そのため動揺も大きかった。そのためにはこの次の日には戴は陥落、三国の多数の兵が捕虜になった。


 戴がたった二日で攻略されたことで激怒したのは蔡である。だがこの怒りの矛先は鄭ではなく、宋、衛の二国である。蔡からすれば援軍のために呼び出されたと思えば、着いた頃には戦は終わっており、揚句に勝手に軍に駐屯するように命じ、挙句の果てにたった二日で陥落され、多くの将兵を失ってしまった。この件に関し、宋からは何の謝罪もない。そのため蔡は以後、宋に協力しなくなった。


 鄭の荘公はたった二日の戦で敵軍に被害を出すだけではなく、宋と蔡の関係を切って見せた。玄謀の人とはこの人のことを言うのであろうか。


 九月、再び、鄭は宋を攻め、十月には斉と共に王命に従わなかった郕を攻め、破った。


 まさに鄭は連戦連勝で強国としての力を見せつけたのであった。

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