第4話 痛みを知っている者 12


 槍の柄をギュウと握り締め地面を蹴る。


「――精霊よ。 私に力を貸す愛おしい精霊たちよ。 さあ集え、力を貸せ」


 ヤツは何か唱え始める。 怪しいので止めるに越したことはない。

 再び張られた見えない障壁を貫きそのまま力の勢いは止めない。


「―― さあ集え、力を貸せ。 熱く熱く燃えろ、っ」


 そしてヤツの肩を貫いた。

 そしてヤツはその勢いで後ろに転け、私は槍を抜き今度は足を裂いた。

 そして頭を踏んでやる。 ダンがやられたように。 そして踏みにじってやる。

 出来ればダンがされたように大火傷も負わせたいところであるがその手段を持っていない。

 あとはどうしてやろうか、どうしたらやり返すことを、怒りを静めることが出来るだろうか。

 私は一体どうしてこんなことをしているんだっけ? ダンのされたことをやり返すため? 怒りを静めるため? いや、両方か。

 男は何か喚いているが私の耳には入ってこない。 ただの雑音だった。

 コイツを殺すべきなのか生かすべきなのか。

 今にでも殺してしまいそうな怒りの感情をギリギリで押さえている。 殺すのなんて簡単だ。 この槍の矛で心の臓を突けばいい。

 生かす意味はあるのか? あんなにダンを傷つけたヤツを。

 コイツはなんでダンを傷つけたんだっけ? 私を殺したいと言っていた。 だから私と共にいたダンを? なんて最低なんだろうか。

 ああ、でも。 私、コイツの思いを受け止めるんだったか。

 大きく息を吐き怒りを静める。

 ……殺しはしない。 きっとそれは違う。

 ヤツはいつの間にか意識を失っていて随分静かになっていた。 なんだ、呆気ない。

 自分の鞄を拾い帰路につくことにした。 男のことは放っておく。 これで死ぬのならヤツの運がなかっただけである。

 早く帰ってダンと一緒に食事をしたい。 ダンの意識は戻っただろうか?

 冒険者ギルドに帰る前に夕飯を買っていこう。 ダンはまだ出歩けないから。

 体に付着している血を軽く拭いて、傷を負っている手と足に布を巻いた。 これで店主に見られても無駄な心配はされないはずだ。

 露店街は今日もいつも通り賑やかで、そのことが私をホッとさせる。

 食べ慣れたパンとスープを購入し帰り道を歩く。

 近くの公園に寄ってベンチで少し休憩する。 考えるのは自分のことだった。

 ここに来てから色々なことを知った。 それは自分のことも。

 けれど、様々なことを知った割りには私は気にしていないと思う。 そう思うだけで実際は違うのかもしれないけれど。 あの男が言っていたことも納得は言ったが現実実を帯びることなく、自分のことなのに、少し遠いことかのように感じてしまう。 今は考えてもあまり意味がないかもしれない。


 けれど、もう二度と故郷の地を踏むことはないのだ。

 だって、もうないのだから。 ないものはどうにもならない。

 さすがに、悲しかった。 故郷の地を再び踏むことを思ってめげずに来たというのに、それがないだなんて。 私は本当の意味で故郷を失ったのだ。 故郷のことを思い出す。 当たり前に過ごしていた日々を。 それらはもう過去で、故郷に戻る日も来ない。 私はどうするべきなのだろうか。 怒る、悲しむ、復讐。 どれもそうしたい気持ちはあるが今はピンとこない。 こんな私を故郷の者が見たらガッカリするだろう。


 ダンが起きたら今日の出来事を伝えるべきだろうか?

 いいや、聞かれない限り伝えないだろう。 自分のことも、あの男のことも。

 どうせ伝えないといけない日がいつか来る。 その時でいいのだ、きっと。

 再び歩き出し冒険者ギルドに着くとまずはレティに傷の治癒をしてもらった。 両方とも大したことはなかったが、不便だろうからと治癒魔法をかけてくれたのだ。

 私は礼をいいダンのことを尋ねると「起きていますよ」と返された。

 すると早くダンに会いたくてソワソワしているとレティは小さく笑う。 彼女は怪我の理由を聞いてくることはなかった。

 ダンの部屋をコンコンとノックする。

 私は部屋をノックするという習慣を持っていなかったが、以前ダンの部屋を訪れたとき、いきなり扉が開いたものだからダンは驚いて私にノックというものを教えたのだ。

 ちなみにノックしたからと言って開けて良い訳でもない。 返事が聞こえて了承だったなら、ようやく扉を開けることが出来るのだ。


「どうぞ」


 ダンの返事が聞こえた。

 ダンが起きている、意識があることに嬉しくなり口角がついつい上がってしまう。 それを押さえるように両方を引っ張ってから扉のドアノブを掴んで開ける。

 開いた扉の先にはベッドの上で上半身を起こしているダンがこちらを見ていた。

 私はどんどん嬉しさが湧き上がり我慢が効かずついにはダンの元に走りより彼の体を抱きしめてしまう。

 あの時冷たかった体温が嘘かのように今は温かく、嬉しい。


 生きている、生きている、生きている!


 ギュウと強く抱きしめ、暫くその体温を噛みしめて手を離した。


「……心配させたな」

「ああ、本当に。 具合はどうだ?」


 荷物を机に置いて私はダンに尋ねる。 彼の顔色は随分と良くなっている。 私は繰り返しレティに心の底から感謝した。


「もう大分いい。 明日になったら自由にしていいとレティも言っていた」


 その言葉にホッと安堵する。 こんなに早く動けるようになったのもレティの治癒魔法のおかげである。


「……それよりランシェ、お前槍はどうした?」


 ギクリ、私は振り向くのが怖くなってしまった。

 そういえば、そうである。 ダンに買ってもらった槍は折ってしまい、もうないのだからダンが気づくのも当たり前だ。 すべてを話さねばいけないだろうか、それはとてもとても長い話になる。 今更ダンに隠し事を……と言いたいところだが、ダンはまだ私と一緒に旅を出てくれるとは言ってないのである。


「何があった? 話してみろ」


 いつまでも後ろを向いている訳にもいかないのでゆっくりと振り向く。 先ほどまで穏やかな表情をしていたダンは何でも読み取ってしまいそうな瞳をしていた。 何を言おうか悩みながら口を開くが、結局は思いつかずそのまま閉じてしまう。

 しかし何時までも黙ってるわけにはいかない。 私は今度こそ口を開く。


「……ダン。 ダンは私と一緒に旅に出てくれるか?」


 これでまだ断られたらどうしようか。 私はまた無理矢理にでもついていくと言うことが出来るだろうか。 少なくとも今の私はそんな気分にはなれない。 断られたなら一人でどこかへ行こうと思う。 故郷はもう残っていないようであるし、目的のない旅も何か得ることは出来るだろう。

 ダンは曖昧な表情をしていた。 何を言いたいのか分からないような顔。

 その表情がまるで私は断られているように感じた。 空間に広がっている沈黙も私にはつらい。 私は居ても立ってもいられずダンの部屋を飛び出した。


 そのまま私は階段を降りてラウンジ、そして玄関へ。

 何も言わず去るのも無礼だと思い私は一旦立ち止まり、各個自由にしている彼らに聞こえるように「お世話になりました」と大きめな声で言い一礼した後、扉を開けて外へと出た。

 あの戦いの後だ、痛みは感じずとも疲労はしている。 精神的にも体力的にも休みたい。 ハッキリ言ってクタクタだ。 けれど私は走る足を緩めなかった。 緩めたらきっと戻りたくなってしまうだろうから。 後残りする感情に引かれてしまうだろうから。

 ついよそ事を考えていたせいか通行人の背中にドンとぶつかってしまう。 相手は大きな体で恰幅もよく私が体当たりしたところでビクリとも動かなかった。

 相手は私を見下ろして言う。


「ああん?」

「すまなかった」


 私は軽く謝りその場を立ち去ろうとするが、相手に腕を掴まれる。


「人にぶつかっておいて謝るだけかあ? 金だせや」


 腕を掴む力をギリギリと強められるが、私は大した金は持っていない。 あるのは果物一つ買えるだろうかというくらいの額だ。 いつも支払いはダンに任せていたため私の持っている金銭は少ない。

 それにこんな野郎には大切な金は渡す気にはなれない。

 どうしたものか、と考えていると、

 男が綺麗に吹っ飛んでいった。

 何が起きたのか理解出来ないでいると、よく知った顔の人物が立っていた。 ダンだ。

 ダンは慌てた様子で私の手を掴み走り出す。


「逃げるぞ!」


 ダンの足は速いことを知っている。 けれど彼は私の速度に合わせているようで、追い切れないということにはならない。


「何やっている!」


 ダンの怪我のことが頭によぎり走りながらも、なんとか声を出すが、


「喋るな、舌を噛むぞ!」


 とダンに制された。

 走る方向にあるのは冒険者ギルドだ。 私はもうそこには帰るつもりではない。 なのに発することが出来ず、それに頭の中にはダンがかました男への蹴りが私の中に印象深く残っている。

 恰幅のいい男があまりにも綺麗にダンの蹴りによって飛んだものだから、ついニヒヒと笑ってしまう。

 男には悪いがダンの蹴りは見事であった。

 私はダンに引っ張られながら笑う。 こんなに疲れていても私はまだ、笑うことが出来るのであった。



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