第4話 勇気ある告げ口

 悲しい話だが、悪人の方が世の中を生きやすい。彼等は「倫理」や「道徳」、「良識」と言う鎖を使って、人々の行動をガチガチに固めてしまうからだ。縛られた人間はもちろん、自由に動く事ができない。


 世の中の常識に従って、人々は「善」の世界に支配されてしまうのだ。善の世界は極悪非道、滅私奉公の精神が蔓延している。滅私奉公の世界は、悪人にとって都合の良い世界だ。従う物は馬車馬のように使い潰し、使えない人間はゴミのように切り捨ててしまう。


 彼女の場合は……言わずもがな、ゴミのように捨てられる人間だった。貴族の中でも、下級の家に生まれ。エルス王子と仲良くなったのも、本当に偶然、神様の気まぐれが起した事だった。

 

 彼女は、その気まぐれに感謝した。恋心は無かったとは言え、美少年と話すのはやはり気持ちが良い。思春期特有の感情が、ふつふつと湧いて来た。「この時間が、ずっと続けば良いのに」と。人付き合いが苦手だった彼女には、王子の存在が神様のように感じられた。


「ありがとうございます、王子」


 彼女……ユエ・パープルトンは、王子の存在を心から感謝した。だが、そんな彼女に一人の悪魔が忍び寄った。「お前、私の男に何手を出しているんだ?」と。


 悪魔は学園の裏に彼女を呼び出すと、罵詈雑言を浴びせて、その身体を思い切り蹴飛ばした。悪魔の蹴りは、思いの他痛かった。元々武芸に優れた家の娘だったらしく、取り巻きの少女達にやらせなくても、彼女だけで十分すぎる程の強さがあった。


 ユエは、その強さが震え上がった。「美」はもちろん、「地位」や「力」も備えた悪魔なんて。考えただけでもゾッとする。悪魔は、彼女の想像を超えた化け物だった。

 

 ユエは、目の前の悪魔に謝りつづけた。「ごめんなさい、ごめんなさい」と。そうしなければ、今度は自分のすべてを奪われてしまう。今まで守って来たすべて、家の家族から言われた戒めを。家族から言われた戒めは、「パキスト家には、絶対に逆らうな」だった。


 悪魔は彼女の謝罪に免じ、とりあえずは彼女の事を許した。


「分かれば良いのよ、分かれば」


 何を分かれば良いのか? その時は分からなかったが、後になって「そう言う事か」と理解した。悪魔は、エルス王子を愛している。それも心の底から、彼のすべてを溺愛していたのだ。まるで魔法にでも掛かったかのように。


 悪魔は周りの少女達に目配せすると、嬉しそうに笑って、彼女の目からスッといなくなった。


 ユエは、建物の壁に寄り掛かった。


「良かった」と、心の底から思った。王子と関わらなければ、もう苦しまなくて済む。さっきのような暴力を受ける事も。


 彼女は、エルス王子と(どうしても、必要な時は別だが)あまり関わらなくなった。だが……やはり、色々と気になる事があるのだろう。最初の誓いを捨てて、(直接ではないが)王子も含めた悪魔の動向を探るようになった。


 ある時は、建物の影に隠れて。

 またある時は、周りの会話を盗み聞くようにして。

 

 彼女は、悪魔の動向を静かに探りつづけた。その結果、様々な情報を知る事ができた。悪魔は自分だけでなく、色々な人を虐めている。それも、かなり陰湿な方法で。彼女のイジメは、多くの人を不幸にしていた。愛する人を盗られたくない、たったそれだけの理由で。


 ユエの中で怒りが湧いて来た。最初は、彼女のイジメに脅えていたけれど。気づいた時には、エルス王子の部屋に訪れていた。


「私は彼女の事を……許せないんです。みんなを不幸にする彼女の事が」


 彼女はそう言うと、真剣な顔で王子の目を見つめた。


 王子はその瞳に震えたが、最後は「分かった」とうなずいた。


「とにかく、今は様子を見よう。下手に動いたら、またやられるかも知れないからね」


「わ、分かりました」


 ユエは王子に頭を下げると、何処かホッとした顔で、自分の部屋に戻って行った。部屋に戻った後は授業の準備をしようとしたが……いけない。「それはダメだ」と分かっているのに、思わずほくそ笑んでしまった。


 あの時の恨みを思い出すかのように。悪魔に身体を蹴られた時の痛みは、今でも鮮明に覚えている。アレは、本当に痛かった。身体の痛みだけでなく、心の方も。彼女の蹴りには、相手の自尊心を壊す何かがあった。

 

 ユエは口元の笑みを消すと、彼女が断罪される場面を思い浮かべた。


 

 学校の授業が終わった放課後。

 

 生徒達は各々の倶楽部や委員会に移動しはじめたが、ネフテリアは王子のいる教室に行って、彼に「お話があります」と言った。

 

 王子は(一瞬だけ)、彼女の言葉に戸惑った。


「な、なに?」


「土曜日のパーティーですけど」


 の続きは、聞かなくて分かった。彼女は、暗に「どうですか?」と聞いているのだ。「貴方と一緒に行きたい」と。


 王子はその意図に目を細めたが、色々と考えた末に「分かった」とうなずいた。


「彼女には、『ごめん』と謝って置く」


 を聞いて、少女の顔が綻んだ。


「そうですか。では」


「うん。パーティーの前に迎えに行くよ」


「ありがとうございます」


 ネフテリアは「ニコッ」と笑って、自分の部屋に戻って行った。部屋の中では、召使いのハナウェイが待っていた。


「戻っていたの?」


「はい」と、うなずく少年。彼はここ数日、私用で学園を離れていた。「ご用の方が終わりましたので」


「そう」


「お嬢様」


 ネフテリアは、彼の顔を睨みつけた。


「土曜日のパーティーは、私一人で行くわ」


「え?」と驚くハナウェイだったが、すぐに「かしこまりました」とうなずいた。「お気を付けて行ってらっしゃいませ」


 ネフテリアは、彼の言葉に「ええ」と微笑んだ。

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